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13・虫の甲殻、テーブルの上の姫騎士


 夜中に虫の甲殻をコンパウンドで磨く。これはクワガタの背中だろうか。古いシャツをハサミで切った端切れにコンパウンドをつけて、手で丁寧に磨いて艶を出す。

 乾いた虫の甲殻は割れやすい。壊さないように慎重に優しく磨いていく。表面が滑らかになり光沢が出るまで繰り返す。

 時計を見れば夜中の1時、ヒメはまだ帰ってこない。森でフェアリーと何を作っているのだろうか?


 ヒメとのいつもの散歩のときに、ヒメがこの虫の甲殻を見つけてきた。どうやって見つけてくるのか、いくつもの虫の死骸を拾ってくる。

 森のフェアリー達で虫の甲殻を集めるのが流行っているのか、虫の死骸を見つけては頭や背中の甲殻を剥いでは持ってくる。ときにはそのまま持ってきて、居間のテーブルの上で解体する。

 テーブルの木箱の中にはヒメの拾ってきた虫の甲殻がいくつもある。

 黒いクワガタのものが多いが、カブトムシやカナブンの背甲に角に頭もある。

 ヒメが身ぶり手振りでこの甲殻を磨いて欲しいというので、こうして磨いている。

 フェアリーは虫の甲殻の盾で身を守ると古書にはある。この盾作りが今、森のフェアリーで流行しているのだろうか。


 綺麗に磨いた甲殻を隣の木箱に。次は立派なクワガタの顎を手に取り、柔らかめの歯ブラシで汚れを落とす。親指と人差し指で挟むようにして、コンパウンドを染み込ませた布で磨いていく。

 コーヒーを飲みながら細かい作業を丁寧にする。レコードでジャズを聞きながら。

 居間にはテレビもラジオも無い。ヒメが嫌がる機械は全て書斎に入れた。古いレコードの奏でる音色はヒメも気に入ってるらしい。


 CDでは人の可聴音域の外の音は消されている。情報を整理して少なくしてコンパクトにするために。しかし、フェアリーには人の聞こえない音域の音も聞こえるようで、CDの不自然に音の消された加工された音楽は、ヒメには不愉快のようだ。

 レコードにはこの処理が無い。アナログのレコードの方がデジタルのCDよりも扱っている情報の量が多く、音色は良い。それを聞き分ける耳を持っていない人には解らない音色の違いだが。


 ジャズを聞きながらコーヒーを飲み、クワガタの角を磨く。夜中にじじいがひとりで何をやっているのか、と自分の様を思い返し可笑しくなる。

 フェアリーに頼まれて虫の甲殻を磨く、まるで童話の魔法使いのようではないか。

 丁寧に磨いて角度を変えて見る。光沢を帯びたクワガタの角が光を反射する。輝く虫の甲殻には不思議な美しさがある。

 フェアリーがこの虫の甲殻で何をするのか、何をつくるのか。想像しながら磨き続ける。クワガタの角が美しく輝くほどに、私の回りの世界も色づき輝くようだ。


〈セイー〉

「お帰り、ヒメ」

 ヒメが帰ってきた。寝室の窓は改造してヒメ専用の扉がある。その扉を抜けて、寝室の方から居間へとヒメがフワリと翔んでくる。その手に大きなものを抱えて。

「……また、持ってきたのか」

 ヒメは大物を見つけたー、という、どうだ、という自慢顔で手に持つものを見せびらかす。

 これはオオクワガタか。オスのオオクワガタを1匹まるまる持ってきた。2本の鋭い角のような、立派な顎が強そうでかっこいい。少年の頃に感じた、カブトムシやクワガタに感じる力強さに見惚れた気持ちを思い出す。子供の頃は虫を追いかけていたものだ。

 オオクワガタは既に死んで干からびているようで動かない。脚が2本取れている。

 フェアリーは昆虫を追い回して遊ぶことはあっても、わざわざ殺したりはしない。ヒメやフェアリーが食べる昆虫の脚や触覚も、落ちてる死体や蜘蛛の巣にかかったものからもいでくる。

 森のどこで虫が死んでいるのか、フェアリーには解るのだろうか。


 ヒメはテーブルの上にオオクワガタの腹を上にして置く。つまようじのような銀の針で拾ってきた獲物を解体する。

 私はジルコニアのピンセットでオオクワガタの死体を押さえてヒメを手伝う。

 甲殻を傷つけないように、脚をもぎ、腹を取るヒメ。なかなか手際が良い。背甲を外して、パリパリに乾いたクワガタの羽根を指でつまんで、せんべいでも食べるようにかじりながら、クワガタを解体していく。

 テーブルの上の磨く前の虫の甲殻の入った木箱に、ばらしたクワガタの顎と頭と甲殻をそっと入れる。テーブルの上に残った死骸は、後で外の庭に埋めるとしようか。

〈セイー〉

 振り返って上目使いでヒメが私を見る。

「このクワガタも磨いて光らせればいいのだろう? やっておくよ」

 私が言うとヒメは満足そうに頷く。


 テーブルの上の磨いた虫の甲殻をヒメが手に持っていろんな角度で見る。私の指では磨けなかった細かいところを見て、あぐらをかいて座る。銀の針と薔薇のトゲで磨き残しを小さな手で仕上げていく。

 私もクワガタの背甲を手に取り、磨く作業を続ける。


〈♪る、ら、るー〉

 歌いながら機嫌良く虫の甲殻を磨くヒメ。

「ヒメ、この虫の甲殻で何を作るんだい?」

 聞いてみるとヒメは、にひひ、と笑うだけ。どうやら完成するまで秘密らしい。

 テーブルの上の小さな相棒と虫の甲殻をふたりで磨く。さて、これは何の職人だろうか。

 フェアリー専門の虫の加工職人。フェアリーの注文どおりに虫の甲殻を磨く。

 ご注文はなんでしょう? カブトムシの角ですか? それともカマキリの鎌ですか?

 レコードのジャズを聞きながらテーブルの上のヒメを見る。手際良く磨いて仕上げ、甲殻のすみに穴を開けている。レコードのジャズに合わせて、フェアリーの言葉で歌を歌う。首を振りリズムに乗って。


〈♪あむば、らる、れおりくらさ、たたまろぅ〉

 ヒメがいればそこは色鮮やかに見える。年寄りがひとりで暮らす、リフォームした古い家が、まるで他の世界と重なる特別な空間になる。

 皮肉なものだ。人の中で、人の社会の中で生きることを諦めたからこそ、ヒメと出会い、私の世界は明かりを取り戻した。

 生きることに、苦痛よりも楽しみを感じるようになった。まるでヒメに出会うまでが死んでいたかのように、今は生きていることに喜びを感じられる。

 いつ死んでもいいと思っていたのが、死ぬのが惜しく思えるようになった。

 鮮やかな赤い蝶の羽根をサックスの音に合わせてユラユラと動かすヒメ。


〈セイー、りりもるの〉

 ヒメに見蕩れているとヒメに注意される。手が止まっていると。ちゃんと仕事しろと。苦笑してコーヒーカップを手に取る。

「ヒメもコーヒー飲むかい?」

 コクリとヒメが頷くので、私の分のコーヒーとヒメのタンポポコーヒーを淹れるために、キッチンに行き湯を沸かす。

 お湯が沸くまで手に持つクワガタの背甲を眺める。

 私が死んでもその死体はフェアリーの玩具にはならない。カブトムシやクワガタの方が、その死骸がフェアリーを楽しませる玩具になるだけ、人間より良いような気がする。

 ならば私は死ぬ前にヒメを楽しませられるように、甲殻磨きをがんばるとしようか。


 虫の甲殻磨きを続けて幾日か。磨いた虫の甲殻が木箱からいくつか無くなっている。どこに持っていったのか。

〈セイー〉

 呼ばれて振り向くと、

「ぉわ?」

 変な声が口から出た。おかしな大きな黒い虫がいる?

 居間のテーブルの上に2本足で立つ黒い見慣れない虫。

「ヒメ、か?」

 それは虫の甲殻を纏ったヒメだった。

 まるで全身を覆う甲冑のような。西洋の全身鎧に似たような、黒い虫の甲殻を繋げて作った鎧。

 出来映えを見せるためかクルリと回る。磨いた黒いクワガタの甲殻は光沢があって黒光りしている。両肩だけがカナブンの背甲でできているのか、緑色で虹色の艶がある。

 羽根を出すために背中は大きく開いているが、手甲に足甲、腰の回りはスカート状の装甲という西洋の甲冑にも似た戦装束。

 手には槍、いや、これは薙刀だろうか? 木の棒の両端にクワガタの顎を1本ずつつけた、両端に刃のついた薙刀のような。

 何より特徴があるのはその兜。顔は出ているが頭を覆う黒い兜はまるでクワガタの頭をスッポリと被ったような。天を衝くオオクワガタの顎が、まるで戦国武将のようだ。

 手に持つクワガタの薙刀をクルリと回して、スチャッ、ビシッ、とポーズを決める。

 なんだか、虫をコンセプトにした子供向けのテレビに出てくるヒーローのような、戦うために変身した姿のようにも見える。


「ヒメ、ずいぶんと勇ましい姿だ」

 ヒメは自分の甲冑を指差して、ここがこだわったところ、ここが苦労したところ、という感じで甲冑の説明をしてくれる。

 私にはフェアリーの言葉は解らないが、ヒメが楽しそうなのでウンウンと頷いて聞く。

 ヒメが手招きするので顔を近づけると私の頬にそっとキスをする。どうやら虫の甲殻を磨くのを手伝ったお礼らしい。

 近づいてみても虫の死骸とは思えない香りがする。匂いを消すために桜の香木の煙を焚き染めたのが良かったようだ。ほんのりと桜の香りのする黒い甲冑はヒメの気に召したらしい。

 丁寧に磨き、桜の香木でスモークして夜には月の光を浴びさせた。この手間と工夫がヒメの喜びに繋がり私も満足だ。

 我が家の小さな変身ヒーローは、黒い光沢のクワガタの甲冑で、テーブルの上をクワガタの顎の薙刀を振り回して跳ねる。

 しかし、なぜ甲冑なのだろうか?


 翌日の夕方。甲冑姿のヒメを肩に乗せて、森へいつもの散歩に出かける。ヒメは甲冑のせいで上手く翔べないようで、宙に翔ぶときはなんだかヨロヨロしている。

 薙刀は預かって私の胸ポケットに入れる。

 いつものリュックに水を汲むための紐をかけた小樽を肩にかける。

 あと、ヒメの甲冑作りに使わなかった虫の甲殻を入れた箱を持つ。

 森の中を奥へと入り、ヒメの飲み水とお風呂のための水を汲む。その湧き水のあるところからもう少し奥へと進むと、森の奥から出迎えが来た。


 最近は森のフェアリーの中に私に慣れて近寄ってくるのがいる。彼女達はヒメとも仲の良いふたり。

 白い虫の羽根に濃い金の髪の方を白金さん。

 青い蝶の羽根に茶色い髪の方を青茶さんと呼ぶことにした。

 このふたりのうち白金さんの方は赤茶色い甲冑姿だった。ヒメがクワガタを使ってるのに対して、白金さんのはカブトムシのようだ。色を染めたのか赤みが強い。その両肩からカブトムシの角が伸びているのが勇ましい。兜からもカブトムシの角が天を衝く。

 腰の後ろには鞘が2本下がっている。ちゃんと剣も持っているようだ。

 私は胸ポケットから出したクワガタの薙刀をヒメに渡す。

 白金さんも甲冑のせいで翔びづらいのか、石の上にすぐ下りる。同じ石の上にヒメが乗る。

 白金さんも青茶さんも目を見開いてヒメのクワガタの甲冑を見る。丁寧に磨いたので表面の光沢が凄いらしい。甲冑のあちこちを触ったり、背中の方も見てみたり。ヒメがえっへんと胸を張って自慢して、その場でクルリと回り甲冑を煌めかせる。

 青茶さんが顔を甲冑に近づけて匂いを嗅いで、また驚いているようだ。その香り付けの一手間を入れたのは私のアイディアだぞ、と心の中で自慢しておく。

 木々の奥の方からそのヒメの甲冑姿に吊られたのか、更に3人のフェアリーが顔を出してきた。


〈セイー〉

 ヒメに呼ばれて木箱の蓋を開けて地面に置く。中にはコンパウンドでツヤツヤになるまで磨いたカブトムシにクワガタにカナブンの背甲や頭などが入っている。使わなかったがカマキリの鎌も中に入っている。

「これは使わずに余ったものだから、好きにしてくれていい」

 そう言って木箱から離れると、真っ先に青茶さんが木箱に突っ込んでいく。続いて奥のフェアリー3人も木箱に突進する。

 まるでバーゲンの品を奪いあうように、フェアリー達が磨いた虫の甲殻に群がる。既に甲冑を身に付けてるヒメと白金さんだけがその様子を見ている。


 どうやらフェアリー達には、今、虫の甲殻で作る鎧が流行しているらしい。綺麗に磨いた光沢のある虫の甲殻はみんなが欲しがる1品のようだ。

 その上、桜の香木でスモークして香りをつけたところが好評価の様子。しかし、奪い合いにまでなるほどだとは。

 キャアキャア騒ぎながら虫の甲殻を取り合うフェアリー達を見て驚く。

 騎士なのか、武将なのか、それとも変身ヒーローなのか、フェアリーの流行は解らない。

 ヒメはと見ると白金さんと並んでクワガタの薙刀を構えている。白金さんは腰から剣を2本抜いていた。銀のレイピアの二刀流のようだ。なかなか様になっている。

 そのままふたりで何か言い合いながら構えを次々に変える。白金さんがヒメに教えているようだが、どうやらカッコいい決めポーズの練習のようだ。

 フェアリー達の間では、これが今の流行らしい。


【甲虫の殻で作る鎧兜に盾

 光なき月、月蝕のときにはフェアリーは影の力から身を守るために、甲虫の殻で作った盾で身を守る。また甲虫の鎧兜にも影の力をはね除ける力があるが、鎧兜の方は戦ごっこのときにも使われる。兜が髪を覆うことで髪の感覚が鈍くなり、また、鎧は動作を重くする。そのため鎧兜を装着したフェアリーは宙を翔ぶ動作が鈍くなる。この鎧兜は作るのも着るのもフェアリーにとっては遊びのようなものではあるが、これはフェアリーが物に魔法を込める練習の一貫でもある】


 

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