Scene 06:Late-night confession.
ぼかしてますがベットシーンありです。
ランタンの光に指輪を透かす指を、わたしは隣から見上げた。
情交の後の夜話。狭いベッドの上で身を寄せ合っている。
少し視線を逸らすと少し口を開けて指先を見つめる顔があった。青く淡く煌めくのに感激しているみたい。
「見たことのない石だ。」
「この世で十しかない指輪の一つ、言い伝わっています。」
「ほう。それは大層な品物と言うことだな。」
指輪に魅入っている彼に寄り添う。左手が胸元に行き、つい甘えてしまう。
この人の鼓動を感じるだけで、とても落ち着けるから。
「どうした。」
なんて、囁きながらわたしを抱き締めて体を起こす。
彼とシーツにくるまりながら話をはじめることにした。
「―とても、大切なお話が、あります。」
わたしの深刻な声をいぶかしく思ったのだろう。顔を顰めながらも頷いた。
「あの、嘘みたいな話ですから、信じていただけないかも知れませんが。」
言う前からの釈明に彼は首を振った。
「いいから、話してみろ。」
信じていただけるのかしら。
―母さま、父さま、わたくしは自信がありません・・・。
自然と手が彼の右手にある指輪に行く。父母の遺したたったひとつのものと、大きな温かい手に触れて、深呼吸をする。
そして見た。わたしの言葉を待つ眼差しを。
わたしは自らの言葉の先に恐れながらも、瞳を反らさずに言う。
「わたくしは、亡きカロリング王国の第一王女、ジュリエンヌ=テレーズ=カロリングです。」
一拍置いて、彼の目が大きく見開かれる。
「なんだと。」
「わたしは五年前に滅亡した、旧カロリング王国の王女、テレーズです。」
二度目の名乗りにも困惑したまま。
そうだろう。まさか、滅んだ国の王女が、娼婦に身をやつし、恋人として抱いているなんて、普通は信じられないはずだもの。
「テレーズ王女は国王陛下ご夫妻と共に斬首にされたのでは。」
やっと出された声は僅かに震えていた。
「それはわたしの侍女です。背格好の似た娘でした。」
それから、何度もわたしを見、首を捻っては振り、難しく眉を寄せたまま、二度目の口を開く。
「お前がこんな大それた嘘を吐ける女ではないのはわかる。だから、お前は本当にテレーズ王女なのだろう。だが何故、王女が娼婦などで生活しなければならなかったのだ。生きている、と言うことは成すべき事があり、それを支える者もいるはずではないのか。」
両親の敵を討ち取り、主権を取り戻すこと。
確かに、それこそが正しいわたしの成すべき人生、なのは解る。
「確かにその通りです。父もそのつもりでわたしを逃がしたのでしょう。でも、あの国の民はもう王政を望まない。象徴としての王が欲しいだけです。それなら、北の王族がいます。・・・それに、事情があるとは言え、穢れてしまったわたしは女王の品格にはふさわしくありません。」
「あ、ああ。すまない。」
慌てて体を離すものだから、笑ってしまう。
「あなたのせいではありません。わたしはあなたを好きで抱かれています。むしろ、愛する歓びを教えてくださったことに感謝しているくらいです。だから、謝らないでください。」
抱きつき、ね、と催促すれば、照れながら抱き締めてくれる。
こうでなければ、辛い話が出来ない。
辛い事も、幸せだった頃の話でさえ、苦痛でしかないから。
「元々は民との関係は良好だったのです。時折、小さないさかいはありましたが、父は民が納得する形になる努力を惜しまない人でした。」
―祖母様のような女王となるか、父様のような殿方を婿にするか。どちらにせよ、民にとって善政を執る事を第一に心得なさい。
そう、幼いころから教わった。
「状況が変わったのは十二の頃からでした。父の失策と、東方の賢者がやって来て市民革命を説いた事が重なってしまったのです。」
子供心に不穏な空気は感じた。当時は大変なお転婆として周囲を騒がせていたけれど、正体が知れたらどうなるかわからない。お城を抜け出して無邪気に遊べるほど、子供でもなかった。
「やがて、暴動、武力衝突、革命へと流れは大きくなり、四年前、ついに城は陥落しました。」
―もう、あなたがこの国を治めることはないかも知れません。
―・・・ごめんなさい、ジュリエンヌ。
重く閉じたカーテンの向こう側を見つめ、母は謝った。
「革命派に捕えられた後、わたしは抜け道を使って脱出しました。初めは従者が三人ついていましたが、追手を撒くためひとり、ふたりと減って、独りで森の中を逃げ回ったんです。」
―どうかお逃げください、テレーズ様。
―じいや、じいやはどうするの?
―お一人でもこの森は抜けられるでしょう。さあ、早く。
「でも、ただでさえ歩き慣れてなかったわたしは木の根につまづいて足をくじいてしまって・・・それで気持ちまでくじけて独りで蹲って泣いてしまったのです。」
―もう嫌、お母さまの所に帰る。
―痛い、痛い、誰か来て。
「そこに父の最も信頼する大臣が馬に乗って駆けつけてくれました。」
―姫、ご無事でしたか。
―ああ、フランシス。足を怪我してしまったの、動けないわ。
声を思い出して胸が苦しくなる。息が詰まって、震える。わたしを抱き留めてくれる腕に力が篭った。
不安げに覗き込む顔に、笑い返して先に進める。
「大臣は父が呼んでいると言いました。わたしは促されるまま馬上に移りました。」
わたしがもう少し賢かったら。
もっと世間知らずでなければ。
悔やんだって何も変わらないだろうけど、どうしても後悔してしまう。
「城に戻ると父も母も真っ青な顔でわたしを見るなり、裏切り者、恥を知れ、と怒鳴りつけました。謂れのない罵倒に動転していると、後ろから羽交い締めにされました。」
―博打で負けるわけにはいきませんからな。そして、私は勝てる博打しか打たない。
「大臣は父を裏切った。あの男は革命派のパトロンだったのです。」
すべてを知った後の父は忘れられない。威厳は失せ、虚ろな眼に塞がらない口。母に支えてもらってやっと座っていられる。
誰の声も届かないほどの、奈落に落ちた姿。
「わたしたちの処刑は三日と経たずに斬首と決まりました。でも、その時牢に繋がれていたのは身代わりになった侍女です。」
「・・・その時、お前は何処にいた。」
感情を閉じ込める。
痛いとか苦しいとか辛いとか、知らない振りをしないとあの二日間の出来事は語れない。
「城に連れ戻されたその日に人買いに売られ、それから城の尖塔の部屋で、裏切った大臣に凌辱されていました。」
息を呑んで彼が離れた。
「言ったじゃないですか、わたしは穢れてしまった、と。」
自虐的に笑うわたしから、辛く強張った顔を背ける。わたしもつられて俯いた。
「二日、娼婦より酷い扱いを受けました。隙あらば身投げをして楽になろうと考えましたが、窓には格子が填められていましたし、舌を噛みきる素振りを見せれば猿轡を噛まされ、首に手を当てれば縛られました。」
―これ以上の穢れを避けるために命を払うか。だが、自害の算段は棄てた方が賢明だな。
ああ、思い出してしまった。
―鞭はもうお止めになった方がよろしいかと思いますがね、テレーズ王女様。
うまく空気が吐き出せない。背中が痛む。消えたはずの傷が疼く。体の震えが止まらない。寒いのに汗が噴出して、喉が渇く。
―それとも、ふはははは、そのお姿を私の友人たちに披露いたしましょうか?
わたしの心は弱い。感情も仕舞えない。
「無理をするな。もういい、もういいんだ。」
ひどく心配したように背を摩ってくれる彼の手と声が、痛みを消してくれた。それでも、開けてしまった扉から記憶は土砂のように溢れ出て、震えはその度に強くなった。
やっと分泌された唾液を飲み込み、溜息を吐く。
「わたしたち家族の処刑もそこから見つめました。・・・遠くで、父も、母も、侍女も、尖塔を、振り・・・返って・・・。」
失墜した見るのも耐えかねる父の顔も、死を目前にして尚、毅然とした母の微笑も、身代わりだというのに恨みのない侍女の笑顔も、断頭台を離れるとなくなっていた。
ぼろぼろと涙が零れる。
「どうして、殺さなければならないの。わたくしたちは、民を思い、尽力したのに。お父さまも、お母さまも、民衆を第一にお考えになったのに。何がいけなかったの、何故、あの男は裏切ったの。わたくしは、わたしは・・・。」
言葉が続かなかった。
それは気持ちが昂ぶっての事なのか、彼に抱き締められての事なのか、わからない。
「―復讐しよう。」
はっとした。
見上げると、哀しげな顔でわたしを見ている。それでも、双眸は怒りに滾っていた。
「復讐しよう、ジュリエンヌ。父と母と祖国を奪われた、お前の悲しみの為に。そして、俺はお前の剣としてそれを果たそう。」
「アルベール様。」
自信に満ちた彼にわたしは不安になってしまう。
あなたの存在が隣からではなく、この世からも消え去ってしまうかもしれない。そんなこと、絶対にいやよ。
「わたしの為に戦え、と言え。お前の為ならば喜び勇んで戦うぞ。」
「いいえ、復讐なんてしたって、誰も喜ばないです。それに、わたしは。」
首に腕を回す。汗の乾いた首筋はよろめいてしまいそうなくらい男の臭いがした。
「わたしは、ここが幸せです。誰かに大切なひとが奪われてしまうところに、戻りたくはありません。もう、愛する人がいなくなるのは、ひとりぼっちになるのは、いやです。」
やっと手にした幸せな世界をこんなにも早く手放すのはいや。
あなたといればどこだって生きていける。どんな時だって幸せ。
「そうか、そうだな。」
強く抱き締め返してくれたのに、意地悪な声が続く。
「だが、俺はすぐに旅立ってしまうぞ。いいのか。」
強く首を振る。
隣にいて欲しい。ずっと傍にいて、抱きしめていて欲しいの。
今のわたしにはそれが世界のすべてだから。
「いや。ずっとこうしていて。誰かのものにならないで。わたしだけを愛して。」
まったく、と呆れた声が響く。
「お前は少し正直になれ。」
思っていても口にすることはなかなか難しい。
「でも、おわかりでしたでしょう?」
お互いの顔を見つめる。
わたしも彼もはにかんでいた。
「言葉は絆だぞ。言えば言うほど強くなる。だから、もっと聞かせてくれ。」
催促されている、いつもは恥ずかしくて言えない言葉を。
でも今なら、過去を晒して、空気に酔った今なら何度でも言えてしまいそう。
「愛しています、あなたのこと、心から。」
「ああ、俺もだ。愛している。」
それから、激しく交わった。
互いに求め合って、愛の言葉を囁き合って、濡れた所を重なり合わせた。
彼のくれるあまい刺激に正体をなくしながら、深く強く愛されている実感に涙した。その滴の一つ一つに口づけしてくれる。
背中に左手を回して身体が離れてしまわないように必死になった。心が離れないように名前を呼びたかったけれど舌が回らない。嬌声の間に言いかける単語に気がついて、わかっているから無理をするな、と囁いてくれた。
何度も呼ぼうとした。わたしの呼びかけを聞いて欲しかったから。あなたの名前を呼ぶ声を、覚えていてもらえるように。
でも、それは叶わない。
彼が突き上げていく絶頂の階段は激しい。唇を噛んで叫びを堪えなくてはならないくらい、下半身から伝わる刺激が強かった。
一段登る度に頭の中が白くなっていく。魂が痺れてしまいそうな痴情に酔って、いよいよ正体を失くす。耳にかかる吐息に小さく呻き声が混じる。
脈打つ彼とまとわりつくわたし。痙攣しながら体に意識が戻ってくる。見上げると、切なく顔を歪めたいとおしいひと。同時に快感へ果てた二人の掌の間には指輪。目があえば優しいくちづけをくれた。
もう、それだけで幸せだった。
この小さいベッドの上がふたりだけの世界。
それだけで、良かった。