表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

Scene 05:Affection after a dinner.

逢えるのは三日後といったのは彼なのに、今日も夕食を共にしてしまった。わたしは嬉しかったのだけれど、言葉少なな恋人にちょっと不安を感じていた。


おうちで何かあったのかしら。お父様がわたしたちを快く思ってないのは聞いているけれど、こんなに落ち込んでいる時にはそんなこと訊けない。

いつもどおり、静かにしていればいい。まだ食事の片づけをしている時間だもの。夜は長いのだから、彼が話したくなったら話してくれるわ。


二人分の食器を洗う。急にいらっしゃるから満足なものは出せなかったのが少し残念。一人暮らしのお陰ではじめた料理はとても楽しい。おいしく出来ればアルベール様が褒めてくれるし、喜んでくれるし。照れるけれど、もっと、もっとがんばろうと思う。

そうだ、今度は予め何がいいか伺ってからにしよう。


「お食事終わったあとでなんなんですけど、何か食べたいものありますか?」

「食べたいもの。それは今か。」

「いえ、参考にしようと思って。あなたが食べたいお料理を出すのもいいかな、なんて。」


肩を竦めて笑ってみる。それでも彼は憂鬱のままに相づちを打った。


「そうか、では考えておかなくてはな。」


組んだ指を額に押し当てて、深く息を吐くのを見てしまうと、やっぱり困る。何かお話した方がいいのかしら、それとも、優しく触れてあげた方がいいのかしら。

どうしてあげられるのかわからないまま洗い物を続ける。


何か悩んでいるのなら、わたしに少し預けて欲しい。

困ったことがあるのなら、相談して欲しい。

ひとつでも多く、あなたと共有していたいから、良いことも悪いこともおっしゃってください。

悪いことを聞くのは怖いけれど、傍に居てくださるなら、大丈夫ですから。


「ジュリエンヌ。」


水音にかき消されそうな呼びかけ。桶に溜まった水を捨てながら、わたしは努めて何気なく返事をする。


「なんですか?アルベール様。」


お皿の水を切って籠に並べていく。心の中は不安でいっぱいだった。

言えないでいる言葉は、きっと、悪いこと。


とても、悪いこと。


「暫く、逢えなくなる。」

「えっ。」


振り返った視線の先で俯く彼。


「どういう事、ですか?」


わかっていたのに、声が震えてしまう。


「父の手回しで留学する羽目になった。良縁だと言い張る娘がいる小国だ。」


留学、良縁の娘?

それは、あなたがわたしいがいのだれかと。

視界が揺れた。わたしの居場所がぐらぐらと崩れていく。


「早ければ月末には経つ。」

「そんな・・・急な。」


やめて。


「いつ戻れるかはわからない。一年は居る事になるかもしれん。」

「一年も、ですか。」


わたしの見えない所にいかないで。


「行きたくはないし、連れて行きたい所だが、無理だな。」

「わたしは、大丈夫ですよ・・・仕方のない、事ですもの。」


大丈夫なんかじゃない。


「少しだけ、寂しくなるだけですもの。」


離れたくない、放したくない。


「わたしは、ここでお待ちしてますから、どうぞ・・・。」


このまま、わたしを何処かに連れ去って。


「お前は嘘が下手だ。そんなな」

「言わないで、下さい。我慢・・・してるんですから。」


そうよ、こんな事になるのはわかってたんだから。

いつかはこうして身分の壁が立ちはだかることくらい、わかっていたじゃないの。

それでも付き合っていたんだから。

泣いて見送っちゃ、いけない。


「そうか。すまない。」

「いえ・・・。」


気まずい沈黙になった。

お互いに下を向いて、頭上には重く圧し掛かる暗い雰囲気。

スカートを握る指を見つめて、泣き出しそうな言葉ばかり考えてしまう。


ねえ、アルベール様。どうしたらいいんでしょうか、わたし。


ここで身を引けばいいんでしょうか?

それとも、あなたを想って待っていればいい?


待つことは苦しくない。辛くだってない。


けれど、待っていればあなたはわたしに戻ってきてくれるの?


わたしはあなたがいればいいのに。

あなたさえわたしを愛してくれるだけでいいのに。

それだけで、生きていけるのに。


自分の心の問いに耐えられない。その答えは目の前の人が持っているはず。

浮かぶままに投げかけようとして口を開く。けれど、沈黙を破ったのは、彼のほうが早かった。


「覚えているか。お前を口説いた台詞を。」


―すべてが欲しい。


「ええ、勿論。」


忘れる訳ないじゃないですか。毎日だって思い出したい、いつだって忘れたくない、大切な言葉ですもの。


「俺はその通りに、お前のすべては俺のものにしたつもりだ。だが自信がない。」


黒い視線がわたしを射抜く。

そこにはいつもの鋭さも優しさもなく、不安だけがある。


「だから、ジュリエンヌ。お前の言葉を聞かせてくれないか。」


ああ、あなたも不安なんですね。

それは、きっと、わたしと同じですね。


「お前はどう感じている。身も心も奪われたと思うか。」


わたしたちは想い合っているんですよね、離ればなれになってしまいそうな、今でさえも。


そう。

身と心と言うなら、すべてはあなたに奪われた。

身はもうあなたでしか幸せになれないでしょう。

心はいつでもあなたを想ってばかりです。


でもそれがわたしのすべてではないの。

まだ話していないことがひとつあるから。

とても信じてもらえることではないから、本当はずっと黙っているつもりでした。


けれど、この不安さえもあなたに奪いつくして欲しい。

本当のわたしのすべてを、あなたのものにして欲しいの。


決心が着いた。この人なら、きっと、すべて抱きしめてくれるはず。

ペンダントを外す。娼婦を辞めてから掛けたままだった、わたしの大切な唯一の証明。

銀のチェーンが通った蒼い指輪に今までの加護に感謝して小さく口づけ、指輪を乗せた掌を差し出す。


「どうぞ、受け取って下さい。」


手を伸ばし掛けた彼が問う。


「これは。」

「母の形見です。誰にも奪われてはいけないと最期に言われました。」


受け取ろうとした手が優しくわたしの手を包む。


「それほど大事なものを受け取る訳にはいかない。形見はこれだけだろう。」

「ええ、これしかありません。」

「ならば尚更だ。お前が持っていろ。亡き母の為にも。」


―母さま。


やつれた笑顔で涙する姿が浮かぶ。鉄格子ごとわたしの手を握り締めて託された指輪。


―これを持ってお行きなさい、ジュリエンヌ。

―きっと、あなたを守ってくれます。


母さま、ごめんなさい。

わたしは仇も討たず、最期の約束すら守れぬ愚か者です。

けれどお許しください。この人に遺言ごと、本当のわたしを抱き締めて欲しいのです。


「すべてが欲しいとあなたは仰いました。ですから、この指輪をどうぞ、受け取ってください。」

「いいのか。」


暖かい掌が下がり、息を飲んだ顔で熱く視線が問いかける。

わたしは軽く頷いて、改めて彼に差し出した。


「遺言もろともあなたにすべてを奪われた、証です。」


指輪を掴んだ指が触れ、わたしをそのまま抱き止めてくれた。

いつもより力の篭った腕の中は居心地が良い。


「言葉にならないな。」

「わたしの代わりに、その指輪を。」


馬鹿だな。呆れたように笑いながら、


「お前の代わりなど居るものか。」


優しい声で抱き締めてくれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ