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Scene 04:Lovers of the day before.

寝息を立てる、そのひとの胸板に乗る。剣士らしく発達した身体に触れるだけで安心した。

褐色の肌。亡くなったお母様が異国の方だったそう。同じように黒い髪も黒い瞳も全て遺伝だとういう。

お父様は栗毛に碧眼だから、初めてお会いした時には血の繋がった御子息だとは思わなかった。

肌の色の違いは大きい。謂われのない差別を招く事だってある。


「だから、俺は戦に出る一介の兵でいいのだ。父の外見を受け継いだ義弟が政治をこなす家督を継げばいい。」


少し前、彼は笑って言った。

叶わない思惑。望まない地位。予想される仕打ち。そんなのにこのひとは少しも怯まないのはわかってる。


そして、傷つくのを知っていて立ち向かう男だって事も。

せめてその傷が、わたしと居ることで癒えてくれたら。

少しでもわたしが彼の慰みになってくれたら。

わたしはどんなに幸せだろう。


首筋に顔を伸ばす。昨晩、たくさんしてくれたみたいに、口付けを残した。

小さいけれど赤い痕。同じ位置にある同じ痕に満足して微笑む。

わたしの体のあちこちには彼のものだという証があるけれど、わたしがするのは一つで充分。


だって、このキスは誓いだから。

あなたに全てを捧げます。

たったそれだけの誓いだから、一つでいいの。


「どうした。」


眠たそうに彼が起きる。


「ごめんなさい、起こしちゃいましたね。」

「いや、いい。・・・もう朝か、早いな。」


それでもまだ、外は薄暗い。お日様が完全に昇ってしまうと、このひとは行ってしまう。

次に逢えるのは三日後。三日も逢えないのは、辛い。


「アルベール様、お願いがあります。」

「ん、なんだ。」

「まだ陽が昇るまで時間があります。ですから。」


抱きつくわたしを覗き込む顔はとても穏やか。

好きなひとに見つめられているのと、これから言おうとしてる言葉の恥ずかしさに、胸の中が甘酸っぱく締め付けられる。


「・・・あの・・・もう一度、愛してくださいませんか?」


一瞬だけ面食らった顔のあと、声を上げて笑いながらわたしを見つめる。


「はは、お前がそんな事を言うなんて珍しいではないか、ジュリエンヌ。」

「急に寂しくなってしまって・・・そしたら、あなたの事が、あの。」


手が頬に触れる。ごつごつした指で撫でられる度、身体が震えてしまう。


「欲しくなったのか。昨日も腰が砕けるほど抱いたのに。」

「・・・はい。」


朦朧とした昨日の記憶やこれからの淫らな時間への期待に体が火照る。

何年も売春をしていて、体で感じる悦びなんてなかったのに、彼とのひとときは目くるめく快感しかない。

同じ事でも娼婦と恋人じゃあ全然違う。何度でも繋がりたい。


「もっと照れろ。照れたお前は可愛い。」


体の芯から痺れてしまうような低音の後、彼はわたしの体中を愛してくれた。


 


恋人の肩を借りて背伸びをする。

そうでもないと、立ったままじゃ唇には届かない。

短い口づけのあとわたしを優しく抱き締めて、


「ジュリエンヌ、最近は何やら物騒だ。気をつけろ。」


囁きで注意してくれた。

それは身を以って知っているのだけれど、何も知らない風で笑って見せる。

まだ何も言っていないし、まだ知って欲しくないことだから。


「はい。アルベール様もお怪我などなさらぬよう。」

「ああ。また来る。」


ゆっくりと体を離した彼が階段で見えなくなるまで見送った。


あの後、本当にわたしを娼館から買い取って、大通りに面した部屋を借りてくださった。

家賃や生活費は気にするな、とまで仰ってくださったのだけれど、何から何までお手を煩わせてばかりでは申し訳が立たない。なので、共同住宅の大家さんが営む雑貨屋さんで働いて、生活費はそこから、家賃は折半して出していく事になった。


やらしいドレスなんか着なくたって良くて、初めて会う人と交わらなくたって良いし、無理して笑う必要もない。

お日様が昇っている内に働いて、夜には眠る。暇を見て恋人が逢いに来てくれる。

わたしが好きな服を着られる。あのひとは大事にわたしを抱いてくれる。涙を流しても受け止めてくれるひとたちが居る。


憧れてた十八の娘らしい普通の生活。

そんな生活を満喫して、もう四ヶ月が過ぎようとしていた。


「アルデンヌ家の嫡男、アルベール様ですか。いずれ伯爵の位を頂くともあろう方が、こうもふしだらな方とは。」


眉を潜めた声に驚いて振り返る。


「司祭さま・・・。」


そこには、会いたくない人が居た。

年上の尼僧は正面に向き直ると、鋭い視線を向けてくる。わたしは、この人が、この人たちが、苦手で仕方がない。

怖いし、しまっておきたいことばかり思い出してしまうから。


「お久しゅうございますね、お嬢様。お元気そうなのは結構ですが、何かあったらお知らせください。以前もそう申し上げたはずですが?」

「すみません。」


申し訳なさそうにしてみるけど、心の芯からはそんなこと思ってない。だって、見つからなければいいと考えて何も知らせなかったのだから。

彼女はため息ひとつ漏らさず、感情なんてないみたいに続ける。


「私たちがお嫌いなのも、疎まれていらっしゃることも承知しています。ですが、協力するとのお約束は守って頂けませんか?亡き父上、母上様の為にも。」


父さまや母さまの話は卑怯よ。


「・・・わかりました。」


両親の思い出には逆らえないから。

無念を晴らしてあげなくてはいけないから。

わたしはこの人たちに協力せざるを得ない。


「ところでお嬢様。指輪は肌身離さず、お持ちになっていらっしゃいますよね。」

「ええ。」


貴女たちの言いつけで仕方なく、という刺々しい言葉は口の中で砕いた。

本当は綺麗な箱に入れてしまっておきたい。わたしには無用で過ぎるものだし、これしかないんだもの、大切にしたいのに。


「それならよいのですが、どうか重々お気をつけを。近々、議会が何かしかけてくる気配があります。何かありましたらお呼びいたしますし、何かあれば教会までお出でください。では。」


言いたいことを言ってわたしの横をすり抜ける。いつもの事だけれど、今は何か言い返したかった。


「わたしはっ。」


顔を上げたときには、司祭さまの姿はもうなかった。


「わたしは・・・普通の娘に、なりたいのです。」


ささやかで叶わない願いは一人きりの廊下に響いて消えた。




母の肖像画は玄関の片隅にある。

憂いの色濃い微笑を見れば誰もが父を感心するだろう。不貞を繰り返したとはいえ、死後もなお、妻の絵を大事に飾っている。やはり、先立たれた妻は惜しいのだろう、と。


違う。父は母を惜しいなどと思っていない。玄関で客人を迎え入れるのは妻の役目だからだ。死して尚も妻という役割を押し付けているだけなのだ。


金縁に収められた油絵の貴婦人はこの国の人間ではない。黒い髪、黒い瞳、黒い肌、彫りの深い顔立ち、その全てが息子である俺に流れた。母は異邦人で、俺も異邦人になった。二人だけの母子を守ろうと、幼心に立てた誓いは今も残っている。


母上。私はもう、貴女のような人は作りたくない。だから、愛してもいない女性を妻にするわけにはいかない。

だが、そうしなければならない。


暗く、静かな瞳を見上げる。


母上。私の愛する女はいい娘でしょう。私はあの女と添い遂げたい。貴女がなれなかった誰よりも幸せな妻に、してあげたい。

だが、できない。


時を止めた絵画は答えない。それでも問いかけた。


母上。貴女なら私と彼女を反対しますか。それとも、祝ってくださいますか―


「帰ったのか。」


見れば父が廊下の前にいた。


「ええ、只今。」

「あの娘のところか。行くな、と先回も忠告したはずだが。」


玄関の端と端で交わす会話。互いに歩み寄らない。


「二十三の息子に子供のような忠告をされます。」

「二十三歳か。そうか、親に憎まれ口を叩く若造なのだな、二十三の息子は。それは知らなかった。」


口と性格の悪さは残念ながらこの父譲りである。


「あの娘とは身分が違う。お前には不釣合いだ。」

「身分違い、身分違いですか。それを貴方が仰いますか父上。娼婦たちに十二人も孕ました貴方が。」

「言おう。何度でも言おう。ジュリエンヌ嬢とお前は不釣合いだ、アルベール。」


はっきりと断言されて頭に来る。

不釣合いだと。冗談ではない。一度も二人揃った所を見たことがないくせによく言えたものだ。咬みつかんばかりに言い返す。


「娼婦だからですか。」

「ああ。お前たちが夫婦になるというならば、問題だ。」

「貴族ではないからですか。」

「ああ。我がアルデンヌ家の跡継ぎを生むというのなら、問題だ。」

「答えになっていません、父上。私は何故不釣合いかを聞いているのです。」


右足踏み込み、声を大きくした俺をまじまじと見つめ、詰まらなさそうにした。


「知らんのか。そうか、ならば尚更だな。二度と行くな、逢うな。」


父が興味の失せた顔で言った命令はどんな事があろうと曲がらない。

だがそれが益々腹立つ。薄い敬意を捨て、壁を打つ。


「冗談ではない。理由も知らずにそんな言葉は聞けない。」

「知る必要がないな。それに理由などなくてもお前たちは逢う事もなくなる。」


冷ややかな声と共に懐から取り出したのは真白い封筒だった。


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