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Scene 12:After the day. ―2. Pride

ベッドの中で蹲る。膝を抱えて。見えるのは闇。

目が冴える。戸惑いと焦りと悲しみで頭がぐらぐらと揺れる。

どうしよう、どうしよう。

どうすればいいのだろう。

整理のつかない気持ちを抱えながら過去を思い返す。


 


忌まわしい森を抜けて、運良く商隊に遭遇できた。

運が悪かったのは、彼らがかつて、わたしを買った商隊だったこと。

錯乱したわたしをあの時のように集団で陵辱して服従させ、移動娼館に加えた。


それからはよく覚えていない。

ずうっと、微睡むような夢ばかりみていた。いまでもたまに見る、あまい夢。

あのひとに抱かれ、愛され、ふたりで幸せに行きつく、そんな夢。


だから、三年くらい前までの記憶というのはあまりない。

気がついたら、小屋で知らない男に犯されていた。いきなり嫌がりだした私に男は暴力を振るって、事を最後まで済ました。

状況が、わからなかった。

今まであのひとが優しくしてくれていたのに、どうして突然知らない人が酷いことをしているのだろう。

怖くて涙が止まらなかった。消えてしまったあのひとに、届かない助けを求めるしかできない。


後から聞いた話では、移動娼館は事故に遭い潰れ、生き残った娼婦たちが近くの街で体を売り始めたという。

その内の一人は精神が不安定で、端金を掴ませれば何度でもどんな恥辱でも楽しませると噂になった。

誰かの名前を呼びながら、恋人のように振る舞うのは哀れで滑稽で優越感をくすぐる、と。

恋人ならば名前を知っていて当然だから、誰にも名乗らなかった彼女は「アルベールの恋人。」とあだ名された。


数日でその小屋―低級の娼館を追い出された。

泣いてばかりで仕事にならなかったから。


林を当てもなく歩いた。歩いていく内にどうして独りぼっちになってしまったのかを思い出して、また泣いた。

生きていてくれるのかしら。あの炎の中で。きっと、街中探し回ったに違いない。それならば。いいえ、でも。


でも、わたしはあのひととまた逢う資格は、ない。


この身を穢されない為に逃げたはずなのに、結局、誰かの垢に塗れてしまった。

わたしはあのひとと逸れてしまったばかりか、捧げた身すら守れなかった。

わたしの身体はわたしのものじゃない。指も、胸も、子宮も、髪の毛の一本もすべて恋人だけのもの。

なのに、知らない男に触らせてしまった。最も恋人を思い起こさせるものさえ失くしてしまった。

わたしの世界が壊れてしまう。消えてしまう。もう、死んでしまいたくなった。


彷徨う内に辿り着いた街は人通りが多く、騒々しかった。

人気を避けて路地裏に住み着いた。じっと地面を見て過ごす日々。飲まず食わずで居れば、眠りに落ちるように死ねるかもしれない。

それを邪魔する男。きっとあの汚い娼館で抱いた事があるのだろう。軽々しくあの人の名を名乗った。

違うわ、あなたじゃない。あのひとはもっと、素敵で優しいわ。

否定してもお構いなしにわたしに手を伸ばす。抗った。声を上げて、身を捩って。

痺れを切らして拳を振り上げる。身を固くして痛みに耐えようとしたのだけれど。


顔を上げると、男は大の字に地に伏せていた。傍らには黒い外套の少年とお人形のような少女。

少年にお礼をいうと、彼は、俺じゃない、と言って少女を見た。

少女が微笑んで手を差し伸べた。大丈夫?怪我はないかな。

その綺麗な手を握る泥だらけのわたしの手。見窄らしいながらも肉体を強調するような出で立ちを見て、辛いことがあったんだね。両手で手を温めてくれた。

頷いて、言葉を漏らした。


「また、大切なものを失ってしまったの。わたしにはもう、何もない。」


少女は傲慢の罪で家族を失った、その罪を責めるのは自分しかいない。あなたもそうではないの、と言う。


傲慢。

そう、わたしは傲慢な女だ。


あのひとを想うならこの身を捧げてはいけなかった。故郷の政争にこの身を投じようとしていたのに。

いずれは己の存在が二人を恋人ではなくしてしまうと、わかっていた。

でも、どうしてもあのひとが欲しかった。傍に居てわたしだけを見て、わたしだけを抱いて、わたしだけを愛して、わたしだけを。

自分のものにする為に、あのひとのものになった。

二人が愛し合っていればそれだけいい。なんて、甘いだけの馬鹿なことを。


泣いた。謝りながら泣いた。

傍に居ないあのひとに。

愛しい気持ちは本当。けれど、わたしの傲慢があのひとを不幸にしてしまった。決して許されることではないけれど、謝らずにはいられない。


逢いたくなった。逢って謝りたい。

今までの事を全てごめんなさいして、自分は自分だと、あなたに全てを奪ってもらう必要なんてないくらいに、わたしの全てからあなたを愛していると伝えたかった。


少女は泣きじゃくるわたしを優しく慰めてくれたのだった。


それからわたしはその街で暮らした。

あの頃のように年頃の娘として相応しい仕事をして、昼に起きて夜寝る生活。

恋人は心の中に。それだけで今は十分。お金を貯めて、いつか捜す旅に出ようとだけは決めていた。

少女と少年とは親しくなった。みんな家族の居ない一人同士だったけれど、楽しく過ごすのに欠かせない友人たち。


それなりに、幸せだった。

今になって、こんな話を聞かなければ。


 


東の大国、皇国と言うところの勢いは恐ろしい。

酒場で給仕の仕事を始めて半年になるけれど、いつもその話題で持ちきりだった。

いろんな街から流れ着いた人も多いから、生々しい話にみんなが悲憤する。

あまりにも残酷なやり方で街を攻め落とす。何ひとつ残さずに奪って壊して去っていく。


「皇国軍は誰も彼もイカれてる。女子供だろうとお構いなしだ。奪えるだけ奪って焼き払っちまった。」

「アンタが居たところは、中央か。あの軍は拾った貴族がよく働くんだと。戦場とはいえ、十年もしない内に部隊長だってよ。才があるのか、よっぽど殺しが好きかのどっちかだな。」

「ああ、そいつ。俺も別の奴らから聞いたことあるな。黒鬼だってさ。」

「黒鬼だぁ。」

「髪も肌も黒だからさ。頭おかしいんだよ。噂じゃアルデンヌは皇国にやられたんだろ。」

「そうなの。」

「燃えちまった後、近くを皇国軍が行進してたらしいぜ。どう考えても、なあ。」

「で、仇敵の軍門に下ったのか。はん。武名で知られるアルデンヌの名が泣くな。武人のする事じゃねぇ。」


目眩がする。胸がじわじわとむず痒い。

居ても立っても居られない。聞かずには居られない。

だって、だってそのひとは。


「あ、あのっ。」


顔見知りの常連客たちが怪訝そうにわたしを見る。

今のわたしは、いつものように笑っていないからだ。


「おう、どうした、ジュリエンヌ嬢ちゃん。」

「その部隊長さんのお名前って、あの。」

「アルベール=ド=アルデンヌだよ。アルデンヌの元貴族の恥曝しだな。なんだ、奴の事、知ってるのかい。」

「え、あ、ええ。」

「奴と手合わせしたことのある兵士が逃げてきたんだ。間違いないって言ってたぜ。」


めまいがする。

あのひとが、黒鬼。

鬼と呼ばれるほどの事を彼はしているのだ。


 


わたしのせいだ。

零れそうな涙を歯を食いしばって堪える。自分を抱き締める腕の震えは止まらない。


傲慢に愛した結果が今。

わたしは異国の地で一人きり、あのひとは憎悪に身を委ねるままに。

傲りが招いた罪は、誰も彼も捲き込んで膨れていく。


噂で聞いたあのひとは別人のようだった。

部隊を率いて街を焼き払い、誰彼となく奪い、斬り捨て、炎と血を浴びて笑う鬼だ、と。

彼を鬼にしたのはわたしだ。

わたしが身勝手に愛情を渡して、いなくなってしまったから。

ひとりになったあのひとは何もかもを憎んで、皇国軍という奪略者に回ったんだ、きっと。


皇国軍はパリスに向かっていると聞いた。わたしが生まれ育ち、全てを失った地。

あのひとは復讐に行くの。

わたしのために、自分のために。やめて、と叫んでも届かない。


ならば、言いに行かなくては。

色んなことを伝えなければいけない。

逢って、わたしのこと、悪いことも良いことも全部話さなきゃ。


そう。

あのひとに逢いたい。


布団の跳ね除け起き上がる。

窓際に駆け寄って、霞雲の切れ間から見える月を見上げた。


「アルベールさま。」


何年ぶりだろう。自分の気持ちから、はっきりと恋しい名前を口にしたのは。

口にしたら気持ちも涙も溢れてしまう。何度も呼びながら、嗚咽が止まらない。


これから追いかけます。だからお願い、アルベールさま。

わがままを言うなと怒られそうだけれど、お願い。

どうか、死なないで。できれば、殺さないで。その街は壊さずに待っていて。


今はないあの青い指輪で願うように組んだ手を胸に寄せ、もう一度、恋人の名を呼んだ。

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