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Scene 11:After the day. ―1. Wrath

脱力していた。

何日も叫び続け、声も嗄れ果て、体力も底をついた。炭の上に倒れこんでさらに数日。


瓦礫と炭と灰しかなかった。

生まれ育った街は見る影もなく崩れていた。今居る場所が何処かもわからない。

それでも歩いた。誰か生きているか、俺以外の人間は居るのか確かめる為に。

見知らぬ者でもいい。願わくば、同僚、友人、家族がいい。恋人ならば生き残った喜びを噛み締められる。


節々が悲鳴を上げる体を引き摺って歩き回った。

だが、誰もいない。

誰も彼も、何もかもが炭化していた。華やかではないが賑わいのあった故郷は、黒く脆い死体の街になっていた。


その黒炭の世界で出会ってしまった。

青い指輪を乗せた、黒くなってしまった小さな掌に。

彼女が誓いと差し出し、今日だけは持っていたいと願った、指輪。

抱き締めようとしたその腕で彼女は風に舞って、消えた。


何度も繰り返しては喉が焼けそうな思いになる。感情を吐き出す為に叫んでいたのだが、今は呻き声にしかならない。

生きているのが不思議だな、と重たいだけの頭で思う。

右手には、青い指輪。視線はその輝きから離せない。


黒髪がとても美しい青い瞳の彼女の思い出ばかりが心に浮かぶ。

笑顔、泣き顔、照れ、痛み、笑顔、苦しみ、悦楽、笑顔、憂鬱、笑顔。

初めて会ったときから彼女は笑っていた。

諸国を巡ると告げた時も、全てが欲しいと告げた夜も、形見を捧げ、辛い過去を教えてくれた時も。

彼女は、ジュリエンヌはいつだって笑っていた。

はにかむような笑顔、幸せそうに頬を緩ます笑顔、寂しいのを堪えた笑顔、嬉し涙を湛えた笑顔、過去を痛む笑顔、照れ隠しの笑顔、愛しているといってくれたあの笑顔、笑顔、笑顔、笑顔、笑顔、笑顔―

もう、あの愛らしい笑顔しかわからない。


さあ、もういいだろう。迎えに来てくれないか。

お前のいないこんな世界にいつまでも留まらせないでくれ。

早く、はやく。

一秒だってお前が居ない事に耐えられていないのに。


重い風切り音の後、瓦礫を踏む音が聞こえた。

森の中から獣でも出でたのだろうか。

ならば丁度いい。この身を喰らってくれ。


「あなたが来たいと言ったのよ。黒炭しかないわ。どうせ案内するならもっとましな墓場にして頂戴。」


耳に届いたのは期待を裏切る上品な声だった。

馬が嘶く。


「あら、焦げてない死体よ。見た目は腐ってないようね。」


蹄の音が近づいてくる。


「生きているのならば起きなさい。死んでいるのなら鳥達に啄ばまれるがいいわ。」


まだ、辛うじて生きているので、女の言葉に従う。彼女の迎えはもう少し遠いだろうから。

本当に身を起こすだけ。瓦礫にもたれて座るのが限界だ。


銀の糸の輝きを持つ髪が揺れる。白い肌に朱の瞳は、この世のものではない妖しさがある。

白い肩が剥き出しになった深紅のドレスは卸したてのようだ。

純白の長手袋も、革製の手綱や鞍も、駿馬の白銀の毛並みさえ汚れ一つないのがわかる。

何処かの貴婦人が迷い込んだとしか思えない。しかし、その姿は違和感一つなく風景に融けていた。崩壊した街に良く馴染む怒気。


「貴女は。」


酷い声だ。


「他人に名を訊ねる時は、自分から名乗るものではなくて。」


対して、銀の鈴を鳴らしたような涼しげな忠告。


「私は。」

「はじめまして、アルベール=ド=アルデンヌ殿。その武名、耳が良ければ東方においても聞こえてきてよ。」


知っていたのではないか。

東方とは見え透いた世辞だ。あちらは己の武勲の事にしか感心がないに違いないのだから。


「わたしは、そうね・・・皇国軍に与するもの、とだけ今は言っておきましょう。そして、わたしの愛馬。」


白い手袋が鬣を撫でると小さい目を細めたように見える。


「この街には補給をしに来ようとしていたの。皇国軍がね。でも、突然この子がここに来たいと言うものだから、急いできて見たらこの有様よ。怒ってしまう。」


皇国軍。己の武勲の事にしか感心がない者達。

東から西へと破竹の勢いで攻め滅ぼす軍団、国家と聞く。

補給とは聞いていなかった。欠勤の間に出た話だろうか。補給できるほど蓄えはなかったはずだが。


「何があったのかしら。並みの軍隊でもこうまで焼かないはずだけれど。」


掻い摘んで事情を説明する。

魔法使いが街を燃やした事、この街に魔法使いが欲するようなものはない事、生き残りは俺だけらしい事。

恋人を失った事は言わなかった。言葉に出来ない。わかっている現実を口にできない。

貴婦人は相槌を打つだけで口を挟まず、騎馬も身じろぎ一つせずに佇んでいた。

話し終わり、掌の形見を眺めていると、彼女が言った。


「言わなくてもわかるわ。」


何をだろうか。何がわかると言うのだ。

当ててみましょうか。女が笑う。唇だけの笑み。目は俺を見透かして居るだけ。憐れみも嘲りもなく、ただそれだけの視線。


「たった一人の女を亡くした。大いに悲しんだ。この世の終わりと言わんばかりに。けれど、涙が流れないのは何故だろう。」


息を飲む。当たっている、その通りだ。

胸を焦がす想いは悲しみなのに、どうしてか、涙は溢れ出なかった。

疑問に想い、悩みもした。あんなに愛した、愛している人なのに何故に涙しないのだろう、と。


「それはね、あなたは怒っているからよ。嘆きを超えて、震えるほどの怒りが心の底から噴き出ているから。だから哭いているのよ。涙など渇き切ってしまうほどに。」


怒っている、のか。

悲しみではなく、怒り。

どうしようもない胸の痛みは怒り。

だから、口から漏れるのは嗚咽ではなく、慟哭。


ああ、そうだ、そうなのだ。


何故、彼女が奪われなければならないのだ。

彼女が何をした。何の罪もない、ただの女だったのに。


俺の隣にあの愛しい恋人はいない。

それでも陽は何度も昇り、月は星を連れて現れた。

彼女が居なくなってしまった事など、この世界には関係がない、とでも言うように。

冗談ではない。俺の世界はどうなる。俺が彼女を幸せにするはずの世界は。


いつかの言葉が蘇る。


―復讐しよう、ジュリエンヌ。


復讐。そうだ。復讐してやる。

まずは、彼女の幸せを奪ったあの国に。

そして、恋人と二人、平穏に暮らすはずだった街を奪ったあの男に。

何より、ジュリエンヌを俺から奪った、この世界に。


瓦礫を踏み締め立ち上がる。


一体何処にこんな気力があったのだろう。

しかし、この怒りは炎ではない。冷たく重く肚を硬くする。その重みで軽くなった心も体も立っていられるのだ。

まるで紙切れの俺を地上に留める銀の文鎮。


馬上の麗人に視線だけを向ける。


「その気があるならおいでなさい。わたしが軍団長にお話してあげましょう。」


真白い顔は満足気な猫の笑みをしていた。


 


戦火の中で笑っている己に気がついて、あの数年前の日を思い出していた。

あの槍騎を束ねる女のいやらしい笑顔。今の自分もきっと同じ顔をしている。

何故なら満足しているからだ。


満たされている。満たされていくと言うのは、なんとも気持ちがいい。

それが、暗い情念だろうと、満たされればそれでいいのだ。


月を汚す煙、煙を起こす炎、炎を熾す我々―皇国軍中央部隊第三部隊。

奪略の軍門に下り早六年。今では部隊長として奪う為の戦をしている。


皆燃やせ、壊せ、奪え、犯せ、殺せ。

命じるのは簡単だ。誰もがしたい事を言っているだけなのだ。誰もが従う。言われずともやっている。

皆逃げろ、慄け、迷え、泣け、死ね。

命乞いは聴き飽きた。聞く気もない。いや、笑って聞いてやってもいい。言い終わらぬ内に首を刎ねる。


東から西へ進軍するたびに心が躍る。

殺戮とはかくも甘美なものだったとは知らなかった。その味を知ってしまうと、更に上が待ちきれない。

復讐。

彼女の幸せを奪ったあの国の連中を皆殺しにしてやる。一つの目溢しなく。何も残さない。

考えただけで快感に背が震える。ふとした弾みで爆笑しかねないほどに歓喜を、命乞いしてきた人間を斬って切り捨てる。


新たな血糊の付いた剣を振り上げ勝ち鬨を上げる。天を指す剣を握る薬指に青い指輪。


ああ、見えるか。見ていてくれているか。

お前は復讐など誰も喜ばない、と言った。

だが、俺は楽しい。嬉しい。お前が居ない世界で、これだけが唯一の喜びだ。

見ていてくれ、ジュリエンヌ。俺はお前の復讐を果たす。

きっと、最期にはお前も喜ぶに違いないぞ。


上機嫌のまま阿鼻叫喚の巷を歩く。

この街はそろそろ終わる。さあ、次の街だ。

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