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Scene 10:On that day.(The night) ―2. The latter part.

爆発音に驚いて顔を上げる。


「今のは。」


馬の悲鳴が耳を劈く。幌の中の事は気にも留めず、二頭が狂った動きで走り出す。

二三度床を転がった所で外に放り出されてしまう。


木の根に足をぶつけた痛みで体を震わせながら起き上がる。

馬車は岩や木の幹にぶつかる音を残して森の中に消え去ってしまった。

馬達の突然の恐慌に慄きながら振り返る。


街が、燃えている。木々の隙間から真っ赤な炎が見える。見えているはずなのに。

わたしはどうしても、思い出してしまう。


この脚の痛み。夜の空気。独りきり。冷えた森。

五年前のあの夜。わたしはこんな風に、森の中で一人、足の痛みに泣いていた。


あの炎は、あの男が、あの裏切り者が、わたしを探す為に用意した光。洋燈じゃ足りなくなったの。

暗い森。

ああ、そうよ、暗い森にわたしは逃げた。見つからないように。

あの男が、あの男がわたしを捕まえに来る。

優しい顔をして、嘘つきな顔で、わたしを、わたしを。


「姫、ご無事でしたか。」


背筋が凍る。

目の前に男。逆行でよく見えない。揺らぐ心で誰の声かもわからない。

でも、あの男しかいない。父を裏切り、わたしを売り、国を奪った男。


「ああ、良かった。他の者たちはどうしたのですか、馬車は。」


穢れた手がわたしの肩に触れる。

体が恐怖で固まる。目と耳には忌まわしい過去が蘇ってしまう。


―元、王女様だ。どう考えても、処女だよな。

―見ろよ、傷一つない。そりゃ、高い値がつくわけだ。

―金額以上の価値はある。いい具合だ。


だめ、もうだめ。


―ガキのうちからこんなこと覚えて、仕方のないお姫様ですね、ジュリエンヌ様。

―下賤の野郎共に回されたご気分はいかがですか、ってか。


止まらない。傷口が傷む。溢れてしまう。


―清純そうな面して娼婦か、いいねえ、そそる。


違う、娼婦なんかじゃない。わたしは、わたしは。


―男が欲しくて堪らないんだろう。ほら、口開けろ。


嫌、汚い。汚らしい。


―自分から腰を振って、まあ、もう立派な売女だよ、こいつ。


そんなこと言わないで。


―鞭がお好きなんですか。そんなに可愛く鳴かれるともっと虐めたくなりますよ。


お願い、もう許して。許してください。


―許してください、ねえ。別に貴女が悪いわけではないでしょう。だから、許してあげる訳には行きません。


絶望に視界が閉ざされる。

真っ暗、もう何も見えない。

暗いのは、怖い。怖い。


悲鳴を上げる。わたしを拐かそうとする男を突き飛ばして、立ち上がる。

覚束ない。足が痛い。でも走らなくっちゃ。逃げないと、また、またわたしが奪われる。


もう絶対にわたしを奪わせない。


わたしは彼のもの。誰にも、何者にも奪われはしない。


 


「ははははは、はははははははっ。奪う、奪いつくす、快感だ。私に奪えぬものは何もない!。」


爆風と共に建物が倒壊する。連鎖的に左の列は全壊していく。

振り返ると、そこには男がいる。

黒い外套と赤い火の粉を振りまき、一人で踊っていた。


何人かの逃げ遅れた者達が立ち尽くす。

歩みを止めてしまう。得体の知れない恐怖が彼から漂い、動くことを許さない威圧感がある。


狂ったように笑うこの男が大火を引き起こした張本人、か。


「んふふふ、ふははははは!。」


窶れた顔が歯茎をむき出しに、一際大きく声を上げた、次の瞬間。

恐怖に身を震わす親子が火柱に姿を変えた。


何が起きたのか解らない。ただ目の前で起きた超常的な出来事に怯む。

悲鳴は一つも聞こえない。即死。何故、突然に炎に焼かれたのか。

犯人は何もしていない。手に持っている物もない。ただ笑っただけだ。


黒炭に果てた母子の体が崩れ、人々の硬直も熔ける。

来た道を転げながら引き返す彼らの何人かを炎が包む。断末魔すらない死。

戦慄する心中にその存在の名が炙り出されていく。


「『魔法使い』。」


言い伝わる人の形をした大罪の異形。罪悪に溺れた赦さざる者たち。

ただの童歌、御伽噺だと思っていた。

七つの大罪を教え諌め、七つの美徳を諭す歌の一節。


―よくばりは ほのおだけしか たべられないぞ


炎で焼き、欲しいものを奪い、知りたいものを識り、望むものを得る。

ただただ貪る事にのみ生きる。それが、強欲の魔法使い。


まさか実在するとは。そして、故郷を焼き払う姿を見る事になるとは。

片田舎の小さな一国だ。彼が大勢の人命と街を犠牲にしても得たいものがこの街にあったとは思えない。


街は全焼だ。生き残る建物などない。

俺の故郷、家族のいる家、恋人と暮らすはずの街を奪った。

炎に照らされ怒りが滾る。


あの魔法使いは許さない。俺が許さない。

平穏を奪った罪を償ってもらおう。その死を以って。


剣を抜き、構え、宣戦の声を上げる。


「待て、魔法使い。これ以上、街は燃やさせない。」


彼女が炎に脅えない為に。


「ははん、私に挑むわけか。無謀だな、人間。」


男は見下すように顎を上げた。

やってみないとわからない。頼りは己の腕。これは戦場でこそ立つ腕だ。

俺は柄を握り締め顎を引き、魔法使いめがけて真っ直ぐに駆ける。

雄叫びを上げ、伸ばせば腹を突けそうな位置に来ても、彼は不敵に笑ったまま動かない。

軽く見られている事に益々腸が煮え滾り、歯を食いしばって睨んだ。動じない。腹が立つ。


脚を踏み込み、大きく振り被る。心臓に狙いを定めて一気に突こうという時だ。

鬼火が男を取り囲み、黒い外套が炎が起こす風に煽られ翻る。

咄嗟に両腕で庇うも熱風が呼吸と視界を奪った。

笑い声と共に一際大きく風が巻き上がり、屋根ほど高く抛り上げられた。滞空時間は短い。あっけなく瓦礫の中に墜落する。

固い石材に打ち付け、呼吸が止まる。頭が痛い。割れたか。体が一つも動かない。


「弱い。奪う価値もない。劫火に焼かれ死ね、ひひ、ひははははは、あははははは!」


金切り声の絶笑が心を踏み躙る。

白と黒の煙が視界を塞ぐ。何も見えなくなっていく中、ふわり、黒髪が揺れて去っていく。

振り返らずに、光の方へ。


ジュリエンヌ。どうか、どうか、お前だけは、無事で生き延びてくれ。

助けることは出来なかった。生きているかどうかもわからない。

だが、焼かれているお前など、信じたくないのだ。

だから、ジュリエンヌだけは、どうか、どうにか―


朦朧とした意識が閉じる直前。

狐の顔をした男が見下ろしていた。

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