Scene 01:An encounter before nine months.
その女と初めてあったのは静かな昼下がりだった。
議会へと出向いている父の代わりをする事になってしまい、渋々応接間で待っていた。
父が古くから親交のある娼館の主人、のはずが、彼もまた用事があるらしくその使者。代役同士で何になるのか。届け物を受け取るだけとはいえ、まるで意味のない待ち合わせである。
それに、使者はやはり娼婦だという。
娼婦は嫌いだ。
安い服と臭い香水を身に纏い、酷い顔を濃い化粧で隠し、純潔ではない醜い身体で媚を売り、色でを篭絡して金を得る。
男女の仲を金銭に換えるとはなんとも下賤ではないか。全く汚らわしい。そして、鼻の下を伸ばして淫楽に耽る男はもっとふしだらで愚かだ。
父が女を買い、平気で何処にでも子供を作るような男であったので、俺の娼婦や売春行為に対する嫌悪感は強い。
異国から攫う様に嫁がされた母は、一人苦しみ俺を産み、一人寂しくこの地で散った。
不義を愉しむ父、淫行に誘う女、日陰の母。
幼い子供が誰を蔑み、誰を恨み、誰を庇うかは誰の目にも明らかだ。
どうせ身も心も穢れた女が誰彼構わず色目を使いに来るに違いない。
所詮、娼婦とはそういう生き物だろう。適当にあしらい、用事を済まさせたら早々に追い出すつもりでいた。
ところがどうだ。
実際やってきた使いの者は、大人しそうな品のいい顔立ちをした女だった。
胸の大きく開いた品のないドレスとは裏腹に、仄かな香りは甘い花の物であるし、小さな顔の中で大きな瞳が輝き、薄化粧の頬は薔薇色に染まっている。豊かな黒髪は清純を思わせ、佇まいは深窓の令嬢の如く可憐なのだ。
貞淑そうな雰囲気と猥雑で大胆な装い。まるで娼婦という服に着られた処女だ。
正反対の要素が同居する女を生唾飲み込み見つめる。
この娘は、本当に売春婦なのか。
俺が動揺しているのに気がつかない彼女は、少女の微笑で名乗った。
「初お目にかかります。わたし、ダミアン=デュソーの使者で参りました、ジュリエンヌと申します。」
辞儀は優雅且つ自然な動きでそのまま舞踏会に出られてしまいそうなものだ。父の友人が開く娼館は諸侯や貴族を相手にしている。彼らの妻女に見劣りしない作法を教え込まれるとはいえ、ジュリエンヌの挙動は生まれついた物に見えた。
「アルベール=ド=アルデンヌです。いつも父が御迷惑をお掛けしています。」
「迷惑だなんてとんでもございません。皆、アルデンヌ卿には良くして頂いて、感謝していますわ。」
またにこりと微笑む。春を売る女が小春日和のような柔和な笑顔を浮かべられるものなのか。
娼婦に対する印象と正反対の娘。その背景に已むに已まれぬ事情があるのは想像に難くはない。
それでも、穏やかな明るさを失っていない姿は健気に思えた。
手短に用件を済まし、一刻ほど当たり障りのない会話をした。
もう少し話していたいと思ったのだが、彼女は辞すると言い出した。夕暮れに近づく時であったから、これから仕事なのだろう。
「お話できて良かったです、アルベール様。」
傾いた日が差し込む玄関まで見送る。
橙に近い黄色の光の中では陰影が濃い。蒼い瞳が、あまり高くない鼻梁が、柔らかそうな唇が映える。
「こちらこそ。時間が差し迫っているところ、下らない話につき合わせて申し訳ない。」
いいえ、と首を振り、輝く目を細めて俺を見た。
何故、貴女の瞳はそうも綺麗に輝くのか。
何故、貴女の鼻はなぞってみたくなるのか。
何故、貴女の唇は柔らかそうなのか。
何故、貴女は微笑んでいるのか。
ああ、何かを、捉えられてしまった。
「本当は、こちらに伺うのが怖かったんです。アルベール様は娼婦がお嫌いだ、追い返されるに違いない、と脅かされてきましたから。でも、想像とは比べられないくらいお優しい方で、わたし、とっても安心しました。」
小首を傾げた照れ笑いは町娘となんら変わらない、年頃の可愛らしい笑み。
優しい。言われた事がない形容詞に戸惑い、自覚する。
そう、優しかったかもしれない。それはきっと貴女だから、かもしれない。胸の奥に浮かんだ気障な台詞はさらに奥にしまいこんだ。
ジュリエンヌは最後に寂しそうな表情でこう言った。
「娼婦、といってもいやらしい事ばかりが仕事ではありません。機会がありましたら、是非、遊びにいらしてください。またお話できれば、幸いです。」
数日後には娼館を訪ねていた。
話をする為に、である。
性で男を持て成すばかりが娼婦ではない、と彼女は言った。だから、暇を見ては彼女を買い、ただ話をした。趣味の事や芸術の話、流行の話など取り止めのなく話は広がる。
楽しかった。
口下手な俺が次の機会を待ちきれない程、彼女は話術に長けていた。特に他人の話を引き出すのはとても上手い。自分自身の饒舌ぶりに驚いたくらいだ。
つまらない話でも笑ってくれる彼女の笑顔は眩しい。そして愛らしいのだ。
娼館などで夜毎、男達を持て成している場合ではない。まだ幼さの残る表情は日向で快活にしてこそ、意味のあるものだろう。売春をせざるを得ない背景はわからない。だが、ここに居ていい娘ではない。
彼女を陽の当たる場所に連れ戻したい。できれば俺の左隣で。
まさか、娼婦に本気で恋をするとは思いもよらなかった。
こんなに身も心も美しく、清らかな身体ではないが淫らではない娼婦が居るなど、想像もしなかった事だ。
生娘ではない穢れてしまった女でもいい。他の男の淫湿な視線から護ってあげたい。
だが、ジュリエンヌに触れてみたいという欲望は絶えずあった。
恋しくて愛し合いたいのか、男の欲望の赴くままなのかは解らない。解らないから、指先に触れることさえ戸惑う。だからこそ、欲と情ばかり積もる。
会話を楽しんでいても大きく、そして、強調された胸に目が行ってしまう。すると、決まって彼女は恥ずかしそうな笑顔を浮かべ、手で谷間を隠す。その姿にいじらしさと罪の意識と喜びを感じる。
本当ならば着る事さえ抵抗があるだろう卑猥なドレス。中でも魅力的な乳房を見つめられても、色目を使わずに照れ笑いしてしまう。その姿はとても可愛らしく、彼女もまた、会話を楽しんでいる証拠に思えた。
だからこそ、触れてはいけなかった。
俺などが触れてはいけない。恋人でもなく、それどころか、思いすら告げていない男は細く白い指に触れてはいけないのだ。
だのに、男共は彼女に触れる。好いてもいないくせに夜毎、あの柔肌を乱暴に犯す。俺が出来ないことを酔いどれた奴らはしている。
怒りで人が殺せたらいいとさえ思い、告白さえ出来ない弱い男も含めて呪った。