3
まだ幼い頃は本が大っ嫌いだった。
本を開けば沢山の文字がつまっているだけで、字を教わったばかりのあの頃は、うまく読み取ることができなかったのだ。
しかし、ある一冊の本を手に取ってからは変わっていった。
その本の内容は、ある村娘が王子様に見初められて、お姫様になるという王道話だった。
そんな物語のような恋に憧れた。
しかし、現実はそう甘くはないのだ。
孤児院を出て数時間がたった。
ジークが用意してくれた馬車の窓から外を覗き見るが、風景は変わらず過ぎて行く。
そんな状況にも飽きが来てしまい、つい小さなため息を漏らしてしまった。
「まだ着かないの〜?」
「まださっき出発したばかりじゃないか」
「おえっは、吐ぎぞう…」
「ここで吐くなよー」
孤児院で食べた朝食が胃から出てきそうで、頭もクラクラする。
「たくっしょーがないなぁ」
言って、真紅の髪に人差し指と中指の先をつけると、何やら呪文みたいなものを唱え始めた。
するとだんだん気持ち悪さがなくなってきた。
「治癒魔法の一種だよ」
「へぇ、便利だねー」
流石魔術の先生だ。
その昔、この国でも魔法は誰もが使うことができたらしいが、今では貴族や金持ちのボンボンや特権階級などの限られた人しか使うことができない。
(その理由は…なんだったっけ?)
「アルベルトっていう王様が人間不信に陥って、反乱を起こさないように国民から魔力を奪ったって話だ!たくっこんなガキでも知ってることを忘れるなんざ恥ずかしすぎるだろ…」
まるで心を読み取ったようにオゴリンボが解説し始めた。
「な、なんで私の考えてることがわかったのよ!」
「お前の考えてることなんか顔見りゃ書いてあるようなもんだ」
「なんですってー!」
恥ずかしさと苛立ちで顔が赤くなるのを感じた。
「こらこら、ふたりとも。馬車の中は狭いんだから暴れないで」
「正確に言えば一人と一匹なんだけどねっ!」
「なんだと!俺は立派な騎士だ!」
オゴリンボは何を思ってか、自分のことを騎士だと言い張る。
彼いわく『忘れないようにするため』なのだというが、さっぱり何を言っているのかわからない。
「そうそう。オゴリンボは立派な騎士だよ」
心優しいジークはまるで子供を相手するかのような言葉をかける。
しかし、オゴリンボはそれが気にくわないらしく、彼を愛くるしい瞳で睨んだ。
「私はこんなポンコツ騎士より《薔薇の騎士団》に憧れるなぁ〜」
「俺はあんなお高くとまった騎士団はごめんだね!」
この国には、《薔薇騎士団》と《グロリオサ騎士団》の2つの騎士団がある。
薔薇騎士団は200年くらい前、王女が作った騎士団で、貴族しか所属することができない超ロイヤル騎士団だ。
女性ファンが多く、この国の誰もが憧れている。
もうひとつのグロリオサ騎士団は、国が作った騎士団で、平民でも誰でもなることができる。
「騎士団といえば、聞いたかい?今日、隣国の王子が王女の誕生パーティーに出席するみたいだよ。あんなに近くで薔薇騎士を見たのは初めてだよ」
ジークの話によると、薔薇騎士団が王都の街道に出ていたらしい。
彼らは普段、王宮内で働いており、王族の警護が主となる。
そのため城下に出ることはあまりないらしく、王都に住んでいる者でも、普段その姿を見ることはないらしい。
「ふんっ!どうせまた友好の証とか言って食事したりするだけだろーよ」
「そんなことないさ。国と国との問題はとても難しいんだよ」
「なんで人っていうもんはこうも争いたがるかねぇ。とくに隣国とな」
「王子様かぁ…」
本の中でしか出てこない、平民には手の届かない存在。
平民どころか、家族の中でも上流階級の者しかお目にかかることはできないと言われている。
「確か、隣国の王子はとても見目麗しいお人だと色んな国で有名だそうだよ」
「うそっ!本当に?!」
「けっ!なんだよイケメン王子かよ。気にくわねぇ」
この国、エルヴァレス王国の王子様はまだ1歳になられたばかりだ。
だからまだ本に出てくるような王子様ではない。
「会ってみたいな〜」
「うーん。それは無理だろうねぇ」
ジークが困ったように言う。
「まっお前みたいな女はどうせ相手にされねぇけどな〜」
「うっさいなぁ。今からでもオゴリンボだけ孤児院に置いてきていいんだよ〜」
自分でもわかっている。
知り合いは彼女のことを「可愛い」とか、「お人形みたいに綺麗ねぇ」とか社交辞令で言うが、女の『可愛い』ほど信じられないものはない。
彼女は本当に天使のように可愛らしい見た目なのだが、何故か自分に自信が持てなかった。
その理由のひとつに身体中に残る古傷オッドアイがあるだろう。
綺麗とは程遠い、と思い込んでいるのだ。
そのとき、いきなり馬車が止まった。
何事かと小窓から運転手を覗き見る。
「どうかしたのかな」
言って、ドアがノックされた。
「は、はい」
ジークが返事をするとドアが開いた。
そこには黒の軍服を着たグロリオサ騎士団と思われる男2人が立っていた。
「失礼する。この道は王都へと繋がる道。何か身元を確認できるものをお持ちではないだろうか」
「これでどうかな?」
この馬車には家紋が付いていないため止められたようだ。
ジークはポケットから紙を取り出すと兵士に見せた。
「ご協力感謝する」
紙を確認すると、ドアが閉められ、動き始めた。
「あの街で休憩しようか」
窓からは賑わいを見せる街が見えていた。
「俺、腹減った」
「私もかも…」
お腹をさすると、ぐぅっと音がなった。
その姿に苦笑すると、運転手に声をかけた。
「あの街で休憩をとります。…じゃぁ、ちょっと遅めのランチをいただこうか」
街に着くとたくさんの人で賑わっていた。
メインストリートには店から漂ってくるいい香りがより一層食欲を湧き立たせる。
「わぁ、すっごいね!」
「あの店に入ろうか」
言ってジークの指差した店は、家族客で賑わっているファミリーレストランのようなところだった。
「オゴリンボ、ちゃんと大人しくしとくのよ」
「犬扱いすんな!」
店に入るとテラス席に案内された。
色とりどりの花も飾られてあり、おしゃれな印象を受けるウッドデッキには、3人の他にも沢山の家族客が食事を楽しんでいる。
知らない土地の景色を眺めながら食べるのもいいものだ。
席に着き注文を済ませると、料理を待つ間、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇねぇジーク。奥さんってどんな人なの?髪色とか、目の色は?美人?」
「髪の色は金色で目は琥珀色。とっても美人で、優しい人だよ」
「琥珀色って珍しいなぁ」
オゴリンボは、さっきウエイトレスが持って来たジュースを飲みながら興味津々で聞いてくる。
「あぁ、昔は色んな国相手に貿易してたみたいでそこで出会った異国人の血が混ざってるんだって言ってたよ」
「カレンさんの家って、何やってるの?」
「元はアクセサリー専門の店だったみたいだけど、今は服や食品、化粧品なんかも取り扱っている商家なんだ」
「すっごーい!あ、だから貿易…琥珀色の瞳を持つ人ってどんな国の人なんだろうね」
「うーん。カレンもよく知らないみたいだっ…」
「ジーク、どうしたの?」
「しっ!静かに…」
ジークは口に人差し指をつけて言った。
すると隣の席に座っている治安部隊の制服を着た男二人の話し声が聞こえてきた。
「おいっその話まじかよ」
「しっ!大きな声を出すな。今、薔薇騎士団が血眼になって捜してるんだとよ」
「それにしても隣国の王子もやるなー。うちの王女と結婚したくないからって王宮をねけ出すだなんて」
(王子様!)
彼女には『姫との結婚』『王宮を脱走』など都合の悪いものは聞こえていない。
「俺だったらあんな美人と結婚しろって言われたら喜んで受けるんだけどな。王族が考えることなんざわからねー」
「俺たちにも協力要請が来たってことは相当苦戦しているんだろうなー。グロリオサ騎士団にも協力してもらえばいいのに」
「それはないな。プライドがお高い薔薇騎士団がグロリオサ騎士団に頭を下げるわけがねぇ」
そう言って酒を飲み始めた。
(仕事しろよ)
オゴリンボがじとっとした視線を送るのをよそに、目を輝かせた人物がいる。
「ん?どうした」
「王子様に会えるかも!」
「はぁ?」
2人(一人と一匹)の声が重なった。
「だってだって!今、王子様は逃走中なんでしょう?そこら辺にいるかもっ」
「ばっかじゃねぇのか。薔薇騎士団が捜しても、みつかってらなかったんだぜ」
「そーだなぁ、以外とそこら辺にいたりしてな」
「ジークまで変な事を」
「ねぇねぇ、ちょっとだけでいいから捜してみない?」
「面白そうだね〜。僕も観光がてら行こうかな」
「俺はいかねぇぞ」
運ばれて来た料理を食べ終わると、観光ついでに《王子様捜索》が始まった。
ー15分後ー
「ここ、どこ?」
不安げに真紅の長い髪を揺らしながら周りを見てみるが、どう考えても森の中を迷子になってしまったという事実は変わらない。
「2人ともどこ行っちゃったんだよ〜」
(確かこっちが街に出る道だよね?やばい、どっちから来たかわからない)
「うんっ、引き返そう」
そう思い、足を踏み込もうとすると
「危ない!」
叫び声が聞こえてきた。
「え?」
上を無意識に見ると、腐って折れた太い枝が落ちてきた。
「きゃー!」
反射的に頭を覆った腕を誰かに引っ張られると、誰かの上に乗った形で倒れた。
それと同時に枝が地面に落ちる音がした。
「痛ってぇ〜」
下からうめき声が聞こえて起き上がろうとしたが、いい香りが鼻をくすぐり、うっとりとしてしまう。
(だめだだめだ、なに人様の匂いを嗅いでいるんだ)
「すみませんっ!大丈夫ですか?」
すぐに起き上がると手を差し伸べた。
「お前は大丈夫なのか?」
そう言いながら差し伸べた手を取って起き上がった。
「え…」
「ん?どこか痛むか?」
(イ、イケメンだ!)
しかもジゼルが大好きな白銀色の髪にスカイブルーの透き通った瞳。
通った鼻筋に形のいい唇。
(王子様みたい…)
まるで本から飛び出してきた王子様のようだ。
「あっいえ。大丈夫です!ありがとうございます」
「なら良かった。君、一人なの?」
手を取り上半身を起こすと、服についた土を払った。
「実は義兄たちとはぐれちゃって…あなたこそ、そんな軽装でなんで一人で森の中に?」
「…静かな所に行きたかったんだ」
「そう。なんだかその気持ちわかるわ」
孤児院ではみんな元気が良すぎて楽しくも困っている。
小さい子供の声は響くのだ。
「お前、可愛いな」
「か、かわ、いい…?」
思いがけない一言に赤面したのがわかる。
「目、がな!ははっ」
「あなた、なんなのよ〜」
次の言葉で一気に体温が下がって言った。
(なんなのこいつ、会ってすぐの乙女に!)
この目が可愛いだななんて言った人物は初めてだ。
「オッドアイなんてそうそういねぇだろ?俺、初めて見た」
右目が赤、左目はライトグリーンという、とても特殊な瞳を持つために、昔から、聞きたくない言葉ばかりを聞いて来た。
「そーでしょうね」
(あ、そうか。この目が物珍しいだけか)
この人も他と変わらない、と思った。
勝手に落胆して顔を伏せると、間をおいて言葉が返って来た。
「生まれつきか?」
「いいえ、これはちょっと怪我をしてしまって…」
「そっかそっか」
言いにくい話だと気がついたのか、それ以上深くは聞いてこなかった。
「でも、あなたも珍しいわ」
「なにがだ?」
「その髪色よ。真っ白だけど、まるで星屑みたいにきらきらしてて綺麗だわ。見たことない…」
「そりゃぁ俺はルシファルニア人だからな」
「あなた、隣国から来たの?」
(王子様の国の人なんだ〜。この人が王子だったりしてね)
「あぁ。実は俺、王子様なんだ」
「え、えぇ!?」
「嘘だよ」
(嘘かよ。まぁ、本物の王子様だったら自分の身分を明かさないでしょうね)
でも、ちょっと残念な気分だった。
「王子様がよかったか?」
「えぇ、そりゃ誰だって憧れるわ」
「なんで女ってもんは王子様に憧れるんだろーねー」
「お姫様になりたいからかなぁ?」
「お前もか?」
「当たり前よ!私は乙女なのっ」
「ぶっ!お前がお姫様?」
そう言ってゲラゲラ笑いだした。
「そーゆーあなたみたいな人も、もし王子様だったら幻滅しちゃうわ」
「なんでだよ」
「もっと女性には紳士であらなきゃ」
「王子の理想か?」
「えぇ、そうよ」
(美形で、優しくて、紳士で、いつも爽やかな笑顔!)
これこそが理想の王子様だ。
「王子だって人間だっつーの」
「どういうこと?」
「王子だからってみんなそうとは限らないってことだ」
「そ、そりゃそーだけど」
なんだがばつが悪くて目をそらしてしまった。
でも、やっぱり王子様と聞いたらそう思ってしまう。
それは彼女だけではないのではないだろうか。
「そういえば名前、言ってなかったな。俺はアレクシス。よろしくな」
「アレクシス…」
復唱すると、なぜかわからないが笑みがこぼれた。
「なんだよ」
「ううん。なんでもない」
「君は?」
「ジゼルよ」
アレクシスは目を見開いて驚いた。
その表情に小首を傾げると、次の言葉を待った。
(私の名前がどうかしたのかしら)
「…ジゼル?大層な名前をもらったもんだな」
「どうせ私はジゼルの花みたく綺麗じゃないわよ」
(悪かったな、傷だらけの『花』で)
「ちげーよ。ジゼルの花ってこの国の象徴だろ?」
「えぇ。私はこの国のみんなに愛されるようにこの名前を付けられたんだって」
(まぁ、国の象徴である花の名前をこのまま子供の名前にするなんて周りからは色々と言われただろうなー)
「そっか…」
その時どこからかジゼルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい!ジゼル〜!」
「ジゼル〜」
ジークたちだ。
「ジーク!オゴリンボ!ここだよ〜」
大声で叫ぶとオゴリンボがジゼルの存在に気づいた。
(流石犬ね)
「どうやらお迎えが来たようだな」
「えぇ、助けてくれてありがとう」
「いえいえ、王子は紳士であらなきゃいけませんので」
「なによ、それ」
アレクシスの行動が可笑しくってつい笑ってしまった。
待っているとジークたちがやって来た。
「たくっどこほっつき歩いてんだよ」
「心配したんだよ」
「ごめんなさい」
「そーいえばお前、今誰かと一緒じゃなかったか?」
「あ!そうそう、紹介する…あれ?」
振り向くといつの間にかアレクシスはいなくなっていた。
「紹介って誰をだい?」
「ううん、なんでもない…今のは忘れて!」
無茶な話だとはわかっているが、いない人間を紹介することはできない。
「王子様、結局いなかったなぁ〜」
「お前にはこの立派な騎士様がいるだろう?」
オゴリンボは自慢げに胸をそらした。
「はいはい。子犬の騎士ね」
「200年くらい前はイケメンだったんだ!」
「はいはい」
ジゼルたちは森を抜けると再び馬車に乗った。
《間も無く、一番ゲートが開きます。線路に飛び出さないようにご注意下さい》
大きな空間にアナウンスの声が響き渡る。
駅のホームは大きな鞄を持っていたり、時計を気にしている人が沢山いる。
「さて、王都に戻ってやるか」
汽車に乗ろうと歩き出すと、誰かに行く手を遮られた。
「ロベルトじゃん」
「何か有力な情報は得られたんですか?」
「 今回も収穫はない、と言うと嘘になるかもしれない」
「と、言いますと?」
リンリンっというベルの音とともに汽車が減速し始めた。
「ジゼルっていう真紅の髪をした女に会った」
「また女性ですか…」
ため息をつくロベルトの頭を殴る。
「ちげぇって!あの手紙とともに送られてきた物がもうひとつあっただろが」
「ジゼルの花の《しおり》」
「運命だと思うんだ。あの手紙とともに送られてきた花と、同じ名を持つ女と出会ったことは」
「確証はないんですね?」
「ない…でも、何か手がかりになるかもしれない」
「では、王都に戻ると連絡を入れてきます」
そう言ってロベルトはどこかに行ってしまった。
「ジゼル、また会えるといいな…」
宿の外を見ると、もう日が沈みかけていた。
暗くなると面倒なので今日は王都行きの汽車には乗らず、ジゼルたちはナルンという町で一泊することにした。
ジークとオゴリンボとは別の一人部屋に案内されているため、6畳ほどの部屋にはジゼルひとりだ。
ベッド脇にある窓から見える汽車の線路を見つめながら今日の出来事を振り返った。
「アレクシス、また会えるといいなぁ…」
しばらくすると、はやる気持ちをよそに夢の中へ落ちて行った。