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王都の小さな戦い

 その町は壁に囲まれていた。

 その巨大さに、イチヨウとハクは思わずその天辺を見上げて大口を開ける。空と壁だけで視界が埋まってしまっていた。

「間抜け面さらしてないで、行くぞ」

 ジンが淡々とした口調で言い、シホがその言い方はないでしょうと苦言を呈する。

 イチヨウもハクも、はっとした表情で二人に続いた。

 町の入り口の門には、兵が四人立っている。開かれた門の奥には、町を行きかう人ごみが見えた。

「来訪の理由は?」

 やや威圧的なその問いに、ジンは臆することなく答えた。

「天眼流はイッテツが弟子、ジンだ。王の依頼で少女を送り届けに来た」

 兵達の表情が変わる。

「城から迎えの者が来ます。しばしお待ちください」

 城からの迎えがやって来るまで、時間があった。

 四人は門の外に立って、迎えを待つ。

「これで終わりなんだね」

 ハクが、淡々とした口調で言う。

「……終わりじゃないよ」

 イチヨウが、慰めるように言う。

「そうだよ。旅は終わるけど、私達の縁は切れることはないわ」

 優しい口調で、シホは言った。

 ハクはそれでも、寂しげな表情だった。

 そのうち、迎えの兵が十人やって来た。先頭に立っているのは、獅子のような髪をして無精髭を生やした、おおよそ上品さとは程遠い男だ。

「やあ、やあ。イッテツが弟子ジンよ、久々だな」

「近衛兵長自らのお出迎えか。恐れ入る」

 ジンは相手の顔を見て苦笑する。

「なに、お前が来たとなれば俺が来なければなるまい。高名なジン殿だ。今回こそは俺と勝負してくれるのだろうなと思ってな」

「俺、揉め事は嫌いなんですよね」

 嘘をつけ、とイチヨウは思う。揉め事も難なくこなすのがジンという男のはずだ。

 つまるところ、ジンはこの男と戦いたくないのだろう。

「遺恨が残るとでも言いたいのか?」

「ご想像にお任せします」

「そうやってすぐ逃げるのがお前の悪い癖だ、ジン」

「俺は自分の美徳だと思っていますよ」

「まあ仕方あるまい」

 男は、大きな犬歯を見せて苦笑した。一先ずは諦めたようだった。

「王宮まで案内しよう。そこの少年はなんだ? ジン」

「俺の弟子ですよ。元々才はあったので、この一月ちょっとで叩き上げました」

「弟子はマリではなかったのか」

「……マリについては触れないでください」

「死んだのか」

 男が、眉間にしわをよせる。

「奴が死ぬわきゃないでしょう。常識を腕力でぶち壊すために生まれてきたクラッシャーですよ、奴は」

「それもそうだな」

 男二人は、顔を合わせて笑った。

 どうやら、仲の良い間柄らしかった。

 人ごみの多い町を抜けて、辿り着いたそこは、巨大な城だった。

 内部に入るまでの門は三つ。その全ての間に家が何軒も建てれそうな距離がある。どれも、大きな体で来訪者を見下ろしている。

 三つ目の門を潜ると現れるのは広い庭園だ。その奥に、やっと城の入り口がある。

 どれだけ金がかかっているのだろう、とイチヨウは周囲を見回しながら思う。

「なんていうか、金かかってますよね」

 先導をしてくれている兵士達に聞こえないように、イチヨウは小声で言う。

「そりゃ王族だからな。各地の富が集まる場所がここだよ」

 ジンはぼやくように言う。ふてぶてしい態度に変わりはない。小さくなっているイチヨウとは正反対だった。

 ハクはやはり沈んだ表情だった。

 そうだ、ハクとの冒険はついに終わりを迎えるのだ。それをイチヨウは寂しく思った。

「ハク、これで一安心だな」

 空元気を出して、イチヨウは言う。

「うん……そうだね」

 ハクはやはり、複雑げな表情だった。

「星の奏者とやらもこんなところまでは攻めてこないだろう。安心して生活できるぞ」

「けど、旅は楽しかった」

 ハクは、しみじみとした口調で言う。

「色々なものを見れた。色々な人と触れ合えた。色々な場所を見れた。きっと私、一生忘れないと思う」

「そうだな……。忘れようと思っても、忘れられないよ」

 イチヨウは、ハクに掌を差し出す。

 ハクは微笑んで、その掌に自らの掌を合わせた。


 謁見の間にて、ジン達は王と会話をする栄誉を与えられた。

 自分の国の王を見るのは初めてだ。イチヨウは、心臓が高鳴って今にも胸から飛び出そうだった。

 片膝をつき、頭を垂れて、四人は王を待つ。ジンもイチヨウも、覇者の剣を除く武器は取り上げられている。壁の両端には護衛の兵があわせて十人。何か無礼を働けば、イチヨウの首はすぐに飛んでしまうだろう。

 そのうち、足音が近付いてきて、誰かが玉座に座る音がした。

「顔を上げてくれ。そう畏まらないで良い」

 凛とした声が、部屋に響き渡る。

 イチヨウは顔を上げる。

 やって来たのは、がっしりとした体格の優しげな男だった。思っていたよりも、歳は若い。三十代も半ばと言ったところだろう。頭には金の王冠が乗っている。

「良く来てくれた、ジン。護衛の任、果たしてくれて礼を言う」

「久々ですね、王よ。貴方には借りがある。それを返したまでのこと」

「後から酒でも飲もう。友と飲む酒は美味しいものだ」

「それは、楽しみにしております」

「所用があってな。今はあまり時間が取れん。城の一室で待っていてはくれんか」

 ジンが返事をするまで、数秒の間があった。

「わかりました。一緒に飲む酒、楽しみにしております」

「しかし、そこの者」

 王が、戸惑うようにイチヨウに視線を向ける。

 イチヨウは、体が小さくなる思いだった。

「名前をもうしてみよ」

「さ、サクバ村のイチヨウと申します」

「その剣、覇者の剣だな。見覚えがある。レプリカか?」

 王は一度、覇者の剣を抜きに来たという。その一度見た剣を未だに記憶しているのか。イチヨウは彼の記憶力に舌を巻く思いだった。

「いえ、村にあったものでございます」

「ほう」

 王の瞳が、興味深げに輝いた。

「私にも少し握らせては貰えぬか」

「は、そうしたいのは山々なのですが……」

「駄目か?」

 悪戯っぽく、王は微笑む。

「さっき、城の兵に預けようとした時もそうなのですが、勝手に手元に戻って来ると言いますか」

「それは兵士達にも聞いた。剣を持っての入室を許可したのは私だからな。その剣、こちらに投げてみよ」

 イチヨウは覇者の剣を鞘ごと手に持って、王の足元に届くように投げた。

 次の瞬間、イチヨウの右手が緑色の光を放ち、それに引き寄せられるかのように覇者の剣がその手の中に戻って来ていた。

「なるほど。選ばれし者のみが扱える剣か。こんなものが現われるということは、何かが起きつつあると見て間違いないようだな」

 王はそう言うと、立ち上がった。

「面白い見物だった。感謝する」

 イチヨウは、思わず腰を上げた。

「あの、ハクの……この少女の処遇は」

 王の瞳に、一瞬冷たい光が宿った気がした。イチヨウは、その鋭さに震えた。

 一国を預かる威厳。それが、その光に凝縮されているような気がした。

「おって沙汰を言い渡す。少し待って欲しい」

「わかりました」

 イチヨウは言って、頭を垂れた。

 部屋を出て、ジンとイチヨウは武器を見張りの兵士から返して貰う。

「なんか拍子抜けですね。優先的に色々決めてもらえるかと思っていたのですが」

 イチヨウは、小声でジンに囁く。

 そして、驚いた。

 ジンが、とても険しい表情をしていたからだ。

「先生……?」

「ん? なんだ?」

「なんか凄い怖い顔してますよ。友達と酒を飲む約束をしたっていうのに、先生らしくない」

「ああ、そうだな」

 誤魔化すように、ジンは表情を緩める。しかし、その顔には精彩がなかった。


 テラスに出て、王とジンは二人で酒を飲んでいた。空には夕焼けが輝いている。

 ジンの腰にも背中にも剣はない。やや落ち着かない気持ちがあった。剣はジンにとっては服のようなものだ。それを脱いで人と会うなんて考えられない。

 しかし、相手が王となればそれも仕方がない話だった。

「森の魔物の件だがな」

 王は、早速本題を切り出した。

「数が減っているらしい。それも、急激にだ」

 ジンは答えない。酒をコップの中でくゆらせている。

「あちらの国では兵を集めて掃討作戦を行なおうとしているらしい。我が国にも協力の要請がきておる」

「そうではないかと思っていました。だが、そうであって欲しくないと言う思いもあった」

「森に突如現われひしめいていた魔物の急激な減少。賢人会議も意見を変えるには十分な現象だった」

「そうでしょうね。そりゃあ、そうだ……」

 ジンは酒を口に含んで、飲み込んだ。

 今日の酒は、酷く苦い気がした。

「せっかく返した貸しをまた借りることになるかもしれませんが、記憶を封じる魔術に思い当たる節はありませんか」

「残念ながら、その手の記述は我が国にはないな」

 王の返答は早かった。既に、調べた後だったのだろう。

「古代の魔術が栄えた時代なら、また違ったかもしれんが……ただ、北のほうにそのような魔術品があるとも聞いた。あてのない旅になるかもしれんがな」

 二人は、黙り込む。

 沈黙を破ったのは、王だった。

「どうするつもりだ、ジン」

「……俺達の部屋を一箇所に固めてくれて、感謝してますよ」

「そうか」

 それだけで、二人の意見交換は十分だった。

「今から言い訳を考えるのが大変だな。お前のフォローをするのは骨が折れる」

 王は苦笑して、酒を一口飲む。

 そして、ぼやくように言った。

「次は美味く酒を飲みたいものだな」

「ええ、まったくだ」

 ジンは苦い顔で言う。二人の視線が重なり、顔には互いに苦笑が浮かぶ。

 王とジンは、その表情のまま、乾杯した。


 その日のジンはおかしかった。

 王と酒を飲み終わって帰ってきたかと思うと、部屋のベッドを扉の前に積み重ねたのだ。

「これでしばらくはもつかな」

 どうでも良さげにジンは言う。突然のその奇行に、シホもハクもイチヨウも絶句するしかない。

「シホ、お前空飛べるよな」

 確認するようにジンは言う。

「飛べるというより、浮かべることができるけど」

「なら、それで良い。各々、旅に出る準備をしておけ」

「どういうことなんですか? 先生」

 イチヨウは戸惑いながら聞く。

「ここはもう安住の土地じゃないってこった」

 ジンは投げやりに、そう言った。

「夜の闇に隠れて逃げるか、相手の準備が整う前に逃げるか。悩ましいな」

「逃げるってどういうことですか!? ここで、ハクは安全に保護されるんでしょう?」

 イチヨウは、大声を出しそうになる自分を必死に留めた。

「事情が変わった」

 ジンの言葉は淡々としている。

「ハクを保護する気なら、あの王様は最初に話した時に今後のプランを全部話したはずだ。それぐらいの用意の良さがあいつにはある。それがなくて、今度は賢人会議の意見が変わったときたもんだ」

「賢人会議?」

「この国で重要な議題の結論を決める機関だよ。最終決定権は王にあるがな」

「つまり、どういうことです」

「この城の人間は全て敵で、俺達はその真ん中に閉じ込められてるってこった」

「どうしてそんなことになるんですか……」

 イチヨウの声は、最早悲鳴だった。

「俺に言わせたいのか?」

 ジンの言葉で、イチヨウは全てを悟った。全ては、ハクが原因なのだ。

 ハクもそれを察したのか、青ざめた表情をしている。

「あんたの友達も役に立たないわねえ……」

 シホが呆れたように言う。

「不意打ちもできるのにわざわざ事情を察するように仕向けて、逃げやすいように俺達を一室に固めてくれたんだぜ? これ以上ない友情だろう」

「私には貴方達の友情の基準がわからないわ。ちょっとワイルドすぎて」

 嘆くように言うシホだった。


 ジンだって、何度も悩んできたことだった。

 それは、ハクを生かしておくことは正解か、否かだ。

 彼女は魔物に近すぎる。

 そして、彼女がいなくなったとたんに、森の魔物の数が減少したという。

 その現象は見逃しようがない。

 森の魔物が目指していたのは、隣国の港町。その遺跡にある大魔方陣に固執している星の奏者が、ハクを仲間だったと語っている。

 ならば、導き出せる答えは簡単だ。

 魔物を発生させていたのは、ハクなのだ。ハクには竜を使役する能力がある。ならば、他の魔物を発生させることなど簡単だろう。

 賢人会も同じ結論に辿り着いたに違いない。だから、最初は研究対象として欲したハクを、危険な対象と感じて処分する方向に意見を変えた。

 いや、厳密には、全てを行なったのは記憶を失う前のハクだ。

 ただ、全ては仮定である。ただのジンの妄想に過ぎない可能性すらある。

 今だってジンは悩んでいる。

 ハクを斬れば、今後の禍根を断てる可能性すらあった。

 しかし、記憶を失っているハクは、人畜無害な優しい少女なのだ。

 斬るべきではないか。

 しかし、斬ることは彼女が幸せに暮らせる可能性を全て断つことになるのではないか。

「ずっと、四人で旅をしていたいです」

 ハクの言葉が、脳裏に蘇る。

 わかることが一つある。

 彼女を斬れば、ジンは一生後悔するだろうということだ。イチヨウとハクが幸せにすごせるだろう時間を全て断った罪を背負うということだ。

 その業の重さを、ジンは背負えずにいた。

 迷いは死に繋がる。そう思っていても、ハクと幸せそうに会話をしているシホやイチヨウの姿を思い浮かべると、ジンは迷いを捨てきれなくなる。

(……考えるのはやめだ)

 ジンは、思考を一時止めた

 迷いは死につながるのだ。彼女を守ると決めたなら、今はそれに集中するべきだった。

 その情報を、ジンは仲間に語らない。

 語れば、何かが完全に終わってしまう予感があった。

 やるべきことは沢山ある。まずは逃げること。そして、ハクの過去の記憶を完全に封印することだ。そうすれば、森の魔物の問題もおのずと解決する気がした。

 気がつくと、ハクがジンの服の袖を引いていた。

「……私を、斬ってもかまわない」

 淡々と、ハクが言う。まるで、心を読んだかのように。

 イチヨウが、剣の柄に手をかけて息を呑んでこちらを見ていた。

「ばっかやろう」

 ジンは、冗談めかして言う。

「仲間だろ、俺達」

 ハクは、泣き笑いのような表情になった。

 自分のせいで仲間全員に危険が及んでいる現状を、嘆いているのだろう。

 そうだ、ハクは優しい少女なのだ。イチヨウの大事な人だ。

 それを殺すよりは、なんとか人として生きる道を探すほうが建設的だとジンは思う。

 ならば、するべきことは決まってくる。

 ここを脱出し、ハクを引き戻そうと足掻くあの星の奏者を斬り殺すことだ。


 夜が更けた。

 ジン達は、窓の前に立っていた。

 ジンはシホを背負い、その両手にはイチヨウとハクの手がある。

「四人同時に浮かせるのは初めてだわ」

 やや諦めの篭った口調でシホは言う。これからの逃避行をどうしようか考え込んでいるのだろう。

「とりあえず城を抜けて、町に出て馬を手に入れる。王都ならどこかに馬がいるだろう。あとはしばらく山にでも篭るかね」

「乗り捨て? 贅沢なお金の使い方ね」

「乗り捨てたら主人の下に戻るだろう。借りるのに金はいらんさ」

 いい加減なジンなのだった。

「……森の件は、良いの?」

 子供の顔は見なくて良いのかと、言外にシホは言っているのだろう。

「今更見て見ぬふりして逃げられるか?」

「……無理ね」

 シホが苦笑したのが、背中越しにもわかった。

 ジンの体が浮かび上がる。それに伴い、イチヨウとハクの体も浮き上がった。

 そして、四人は夜の空を飛び始めた。

 月の明るい夜だった。もしも衛兵が頭上を見上げれば、あっという間に四人は見つかってしまうだろう。

「綺麗……」

 こんな状況だというのに、ハクはそう呟いていた。

 城の篝火が、幻想的に揺らめいている。

「火を使う生き物は人間だけなんだって」

 呟くように、シホが言う。

「こんな綺麗なものを見つけたのも、人間のお手柄の一つよね」

 ハクは、微笑んだ。

 風を切る音がして、その表情が強張った。

 四人の空を飛ぶ高度が落ち始める。

「どうした? シホ。どうした!」

「ごめん、不意打ち、喰らった」

 シホの言葉は、途切れ途切れだった。まるで、痛みに耐えているかのようだ。

 前ではなく、後ろに弓兵を配置。しかも、相手は夜の闇の中を飛ぶ対象を完全に捉える熟練者だ。深夜だというのに、全ての脱出経路は塞がれていたらしい。ジンは舌打ちしたいような気持ちになる。

「振り返れ、シホ!」

 ジンは怒鳴る。シホはそれに、素直に従った。飛来してくる矢がジンの視界に映る。その数は、四本。

 ジンは火球を生み出し、その四本を爆破した。

 それでも、四人の高度は徐々に落ちていく。

「神術は使えないか!?」

 ジンが叫ぶ。

「シホさんの体に刺さった矢を抜かないと、なんとも」

 ハクの悲鳴のような声がする。

 四人は三つあるうちの最も町に近い城壁の下に、隠れるようにして着地した。

 シホの背を見ると、矢が五本も刺さっている。ジンは乱暴にその一本一本を抜いていき、ハクが治療に当たる。

「これはこれは、俺にも運が回ってきたようだ」

 どこかで聞いた声がした。

 獅子のような髪に、無精髭の生えた顔。近衛兵長ラセツが、四人の仲間を引き連れてその場に立っていた。

 その体は、鎖帷子の上の要所要所にプレートをつけた鎧に包まれている。

「どこに逃げるつもりだい? 事情は良く知らんが、その女の子をここに運ぶのがお前の仕事だったはずだろう、イッテツの弟子ジンよ」

「事情が変わってな。近衛兵長自ら城の見回りとはご苦労なことだ」

 ジンが剣を鞘から抜く。

 イチヨウはシホの体に突き刺さった矢を引き抜く仕事を受け継いだらしい。シホの苦悶の声が聞こえてくる。

「なあに。上からの命令でね。近衛兵団総出だよ。まあ、我々の腕を借りたい逃亡者と言えば、お前さんぐらいしかいないと思っていたよ、ジン。だというのに俺は一番目の城門内の見回りだ。上も余計な気を効かせやがってよォ。まあ、第二門や第三門内に詰めた兵の数じゃあお前と一対一とは洒落こめなかったろうがな」

「運命って奴じゃない」

 苦々しげにシホが言う。

「嬉しいねえ。神に感謝だ」

 そう言って、ラセツは鎧のプレート部分を脱ぎ始める。

 重々しい音がして、彼のプレートが地面に落ちて行く。

「なんの真似だ、近衛兵長さんよ」

 ジンが、呆れたように言う。

「俺はフェアな戦いをモットーにしてるんだ。お前さんが鎖帷子だけなら、俺も鎖帷子だけでやるぜ。邪魔者もなしだ」

「……ただの喧嘩をやろうってのかい」

 ジンは、半ば呆れたような口調で言う。

「俺が勝てばお咎めはなしだ」

「それで負ければ凄い間抜けだぞ、あんた」

「なあに。少しでも軽くしないとあんたのスピードについてける気がしなかっただけさ」

 ラセツも剣を鞘から抜く。二人は、間合いを計りながら睨みあった。


「治療に何分かかる?」

 イチヨウも剣を抜いていた。状況が状況なので、使うのは覇者の剣だ。

 他の四人は、ジンと近衛兵長の戦いに介入する気はないらしいが、ハクを捕らえる気はあるらしい。徐々に距離を縮めてきている。

「内臓まで刺さってる。ちょっと、時間がかかる」

 苦い口調でハクが言う。

「そうかい」

 なら、時間を稼ぐ必要がありそうだった。

「イチヨウ!」

 ジンが叫ぶ。

「遺恨は残すなよ」

 それはつまり、相手を殺すなと言うことだ。

「無茶言いますね」

「弟子だろ?」

 背中越しでも、ジンが唇の片端を上げて微笑んでいるのが見えた気がしたイチヨウだった。

「弟子ですけどね」

 イチヨウも苦笑して応じた。

 今ならば、負ける気はしなかった。

 鎧を着た剣士の一人が、剣をふりかぶって来る。

 イチヨウは集中の世界に入る。相手の動きがスローモーションに見える。どこに剣を置けば良いかが、手に取るようにわかる。

 イチヨウの剣は、相手の鎧を切り裂き、腕に傷を負わせていた。

 相手の剣士は戸惑ったような表情で叫ぶ。

「こいつ、鉄を斬るぞ」

 イチヨウは戸惑っている相手の剣士に、そのまま蹴りを放った。鎧の重さもあって、剣士は勢い良く転ぶ。

 次は二人の剣士が同時に襲いかかってきた。

 それもまた、イチヨウにはスローモーションに見えている。

 覇者の剣が、一人の剣を破壊した。返す刀で、イチヨウはもう一人の剣士の腕を突き刺す。

 既に敵の二人が手傷を負い、一人が武器を失っていた。

 負ける気がしなかった。

 今ならば、師にも勝てるのではないか。そんな予感を、イチヨウは抱いた。


 ラセツの剣は、豪快な外見に似合わず丁寧で正確だ。

 それを打ち崩せずに、ジンは手間取っている。

 一刻も早く敵を倒さねばならないのに、時間ばかりがかかっている。

 押しているのはジンだ。しかし、防御に回るラセツを押し切れずにいる。

 距離を置いて、ジンは一度集中を解いた。

「流石は近衛兵長。腕利きが選ばれている」

「お前の弟子こそ、何者だ……?」

 ラセツが戸惑ったような表情でいる。

「腕利きの兵四人を相手に立ち回っている。あいつ、本当に一ヶ月ちょっと修行をしただけなのか?」

 ジンは思わず微笑んでいた。オークを倒して震えていたあの少年も、頼りになる味方になったものだ。

「元々、才と基礎はできていた。先人の数歩を一歩で踏破する化け物がいる。師の言葉さ」

「なるほどねえ。俺も、うかうかしてはいられんな」

 ラセツは受けに回ることを決めたようだ。自分から攻めて来ようとはしない。

「勝負を望んだのはお前じゃなかったのか、ラセツ。何故自分から攻めてこない」

「格上に無造作に打ち込んで負ける愚を犯したくないだけさ。少し打ち合ってわかった。あんたは俺より格上だ。だが、それで俺が負けるとは限らない」

 相手の実力を正確に測る目利きと、それでも取り乱さない精神力。

(本当に、良い部下を飼ってやがる……)

 敵ながら見事だと感じるしかなかった。

 そして、この難敵に手間取れば手間取るほど、敵の増援は増えるといった状況だ。

 早急に、勝負を決める必要があった。

 そして、ジンは勝負を決めることにした。

 ジンはラセツに飛び掛る。そして振り下ろした剣を、ラセツは剣で受け止めた。

 その瞬間、ラセツの剣が折れた。そしてジンの剣は、鎖帷子ごとラセツの右肩を切り裂いていた。

「なに……? なんで、何故だ」

 ラセツが、右肩を抑えて蹲りながら、戸惑いの声をあげる。

「魔法剣だ。魔力を込めた剣は鉄ぐらいは簡単に断ち切る。俺に魔力を貯める時間を与えたのが間違いだったな」

「なるほど。自分から仕掛けても負けて、受けようと待ち構えても負けるか。格上はお前だ、ジン」

 ラセツが、清々しげに言う。

「しかし、勝ったのは俺だ」

 彼のその台詞が、負け惜しみではないことをジンは知っていた。

 鎧の擦れる音が近付いてくる。

 他の兵達が集まってきているのだろう。

「治療はどうだ」

 ジンが、イチヨウと対峙している剣士の顔面に剣の柄を叩き込みながら、投げやりに聞く。

「まだ、もうちょっと時間がかかります」

「そうか、チェックメイトか」

 ジンは、天を仰いだ。

 鎧に身を固めた腕利きに囲まれては、流石のジンも分が悪い。

「投降するか、死を覚悟して戦うか、どっちにするかね」

 ラセツが静かな声で言う。

「どちらにしろ、考える時間は少ないが」

 ジンが、苦笑して返す。

「投降しろ、ジン」

 ラセツが、淡々とした口調で言葉を続けた。

「お前達のような腕利きを、こんな所で失うのは惜しい。俺の、部下になれ」

「……あんたの雇い主の意向かい」

 呆れたようにジンは言う。

「それもある」

 ラセツは、唇の片端を持ち上げてそう言った。

「そうかそうか、そういう計算もあるか」

 ぼやくようにそう言うしかなかったジンだった。

 ある程度の数ならば、自分とイチヨウでなんとかできる。近衛兵団は五人一組で動いているとみるべきだろう。他に、普通の兵達もいる。問題は、どれほどの数が一度に襲いかかってくるかだ。ジンは冷静に状況を分析し続ける。

(こんな場所で死んだら、マリにあわす顔がねえよな……)

 ジンは思わず、苦い顔になった。


「投降するか、死を覚悟して戦うか、どっちにするかね」

 相手の言葉で、ハクは小さく震えた。

 自分のために大切な仲間達が死ぬ。そんなことは、耐えられなかった。

 けれども彼らは、後者の選択をしてしまうのだろう。それは、短い冒険の中でもわかっていたことだった。

 ジンもイチヨウを剣を構えるのをやめず、シホは治療の途中だと言うのに炎の魔術を使おうと念じ始めている。

 何故、自分は見ず知らずの彼らに懐いてしまったのだろう。切り捨て辛い態度を取ってしまったのだろう。それを悔やむハクだった。

(打開する策はあるでしょう?)

 心の中で声がした。

(貴女が封印を少し弱めれば良い。それだけよ)

 また、声がした。

 自分の中に、自分以外の誰かがいる。それを感じて、ハクは震えた。

 けれども、確かに声の言葉は正しかった。ハクは、この状況を打開する策を知っている。

 ただ、忘れていただけだ。

 ハクは、シホの背中から手を離した。

「ハク……?」

 イチヨウが、戸惑うような声をあげる。

 ハクは、地面に両手をつける。そして、念じた。

 イメージするのは巨大な翼を持つもの。この四人を抱えて飛び立てる存在。

「おいで」

 ハクは、呟くように言った。

 地面に光が走り、魔法陣が形成される。

 それは、空気中に漂う魔力の源を吸収し、眩いばかりの光を放った。

 そして、魔方陣からそれは飛び出していた。


「竜だ……」

 イチヨウは、思わず天を仰いで呟いていた。

 羽の生えた竜が、中空で羽ばたいている。それは、ハクが村に落ちてきた時の竜とまったく一緒だった。

 その手が、四人のパーティーを鷲づかみにする。そして、勢い良く飛び始めた。

 王都が徐々に小さくなっていく。

 矢が射られるが、竜までは届かない。

 闇夜の中を、竜は飛んでいく。

「どこに行くんだ、これ?」

 ジンが、淡々とした口調で言う。その声からは、感情が読めない。

「私達が……私が、向うべき場所」

 ハクは、小さな声でそう答えた。

 何かを、覚悟したかのような声だった。

「綺麗な星空ね」

 シホが、呟くように言う。

 空を見ると、満面の星空だった。

 横に、雲が通っていくのが見えた。

 空飛ぶ竜に乗っている。まるで冒険物語の一節のようだ。

 これなら、どこまでだって逃げられる。どこまでだって行ける。

 この土地がハクの存在を許さなくとも、許される場所まで逃げ切ってやるという思いがイチヨウの中に生まれていた。

「逃げよう、ハク」

 イチヨウは言う。

「ややこしいしがらみがない場所まで、逃げて、二人で暮らそう」

 ハクは微笑むだけで、何も答えてはくれなかった。

 竜は飛んでいく。夜の空を、何かを目指して一直線に飛んでいく。

次回

鏡の森

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