師との対決
「安いよ安いよー。ちょっとよって行ってよ」
「匠が作り上げた技工の品だよー。土産にどうだい」
「一級品の剣や包丁をお求めの方はこちらへー。よく斬れるよー」
町の中では、様々な店から呼び込みの声がする。
イチヨウはそれに驚かされる思いで、足を薦めていた。
人ごみの中を、四人は歩いていた。
「ここまで来たら安心だな。王都に迎えを頼む手紙でも出すか」
ジンが、呑気な調子で言う。
「……お別れが、近いんですね」
ハクが、やや寂しげに言う。
「生涯の別れってわけじゃあないさ。港町のほうが片付けば、たまに会いにも来る」
ジンが、淡々とした調子で言う。
「そうよ。文通しましょう」
シホが提案するが、ハクの顔はますます曇った。
「私、文字書けるかな……」
「試したことはない?」
ハクは、首を縦に振る。そう言えば、この冒険の中で文字を書く機会などなかったのだ。
「じゃあ、今度試してみようか」
「お嬢さんがた、よってかないかい」
ふいに店の主人に声をかけられて、四人は立ち止まる。
ハクが不可思議そうに、その店頭に並べられたものを見る。
精巧に模様が彫られた箱や棚が並んでいる。
「これは?」
「先祖代々培われた技術で彫った木彫りの品の数々ですよ。良かったら見ていってください」
「わ、この棚の引き出し、ほとんど隙間がない」
驚いたようにシホが言う。確かに、棚の引き出しは精密に隙間を図って作られたようだ。さらに、その表面には花や草などの模様が彫られている。
「王家御用達ですよ。少し値は張りますがね」
「悪いが我々は旅の途中だ。重い荷物は持ってはいけないよ」
「軽い小物入れなんかはいかがかな」
「お土産に良いんじゃない」
シホが、ジンを肘でつつく。
「マリさんのご機嫌取りしなきゃならないでしょう」
からかうような口調のシホだった。
「なんで俺がマリのご機嫌伺いなんかしなきゃならんのだ」
そう言って、ジンは拗ねたように先を歩いて行ってしまった。
「あらあら、拗ねちゃった。行きましょうか」
苦笑して、シホはジンの行った方向に視線を向ける。
ハクは、店頭に並ぶ箱に彫られた図柄に目が行っているようだ。
「凄い細かくて綺麗……」
「そりゃあ、代々続く技術だからね。俺の代で途絶えさせるわけにはいかないから、俺も必死よ」
「行くぞ、ハク。悪いな、おっちゃん」
そう言って、イチヨウはハクの手を取って歩き始める。
ハクは名残惜しげに箱を見ていたが、欲しいわけではなかったらしい。すぐに前をむいて歩き始めた。
「なあ、ハク」
「なあに? イチヨウ」
「この旅が終わっても、俺は傍に居るって言っただろ」
ハクは気の緩んだ表情をして、微笑んだ。
「うん、そうだったね。イチヨウは、一緒だね」
「そう。一緒にいる」
まるで念じるように、イチヨウはそう言っていた。
そう、イチヨウはハクと一緒に居るのだ。
例えハクが魔性の存在だろうと、なんだろうと、かまわない。
そんな決意が、イチヨウの中にはある。
「きっと、毎日楽しいだろうね」
ハクはイチヨウの決意なんて知らず、呑気な調子だった。
「治療を頼む」
渋い顔でジンは宿屋の一室に戻ってきた。イチヨウは上機嫌でその後に続く。
「あら、血塗れね」
シホが微笑んで言う。
ジンの顔は、頬の切り傷から流れた出血により顎までが濡れていた。
ハクが慌ててジンに駆け寄って、その頬に触れる。治療の奇跡である神術をかけているのだ。
「一撃入れられたの? ジン」
シホは、悪戯っぽく微笑んでいた。
「……入れられた」
ジンは渋い顔で言う。
「だから、真剣での修行なんてやめた方が良いって言ったのに。事故が起きてからじゃ取り返しがつかないわよ」
「まだイチヨウ相手に事故を起こすほど耄碌しちゃいねえよ」
「その頬はなあに?」
「かすり傷だ」
「にしては、けっこう血が流れているけれど」
ジンは渋い顔で、返事をしなかった。
イチヨウは嬉しかった。ジンに一撃を入れるなんて、初めてのことだからだ。
イチヨウはジンの表情を窺う。それに気がついたのか、彼は苦笑して口を開いた。
「ああ、お前は成長したよ」
ジンから認められた。その気持ちで、イチヨウは天にも昇りそうになる。
「ただ、まだまだこんなもんで浮かれるなよ。本気で戦えばお前の腕じゃ俺に勝てん」
「弟子相手に意地を張らない」
シホがジンの頭をはたく。
「素直に成長したねって褒めてあげなさいよー」
「褒めただろ」
「最後の一言が余計なのよ」
二人のやり取りを見てハクが微笑む。それを見て、イチヨウもついつい笑ってしまった。
イチヨウとハクは、町に出た。背後には、ジンが気だるげな表情で着いて来ている。一応の護衛と言うことなのだろう。
ハクは人の多い場所が大好きだ。だから、この日も機嫌が良かった。
この町は職人の集まる町らしい。特に圧巻だったのが刃物の試し切りで、猪の死体が骨ごと真っ二つになっていた。
もっとも、ハクはそれに良い表情はしなかったが。
あちこちから賑やかな声がして、王都からの客も居るのか人ごみの中は歩き辛いぐらいだ。
そのうち、ハクはある店の前で足を止めた。
そこは、古めかしい道具が並んだ店だった。店内は薄暗く、そのせいでせっかくの商品もくすんだ印象を与える。
店の奥を眺めると、老婆が柔らかな微笑みを顔に浮かべている。
ハクがその中でも興味深げに眺めたのは、鍵のかかった鉄の箱だった。表面の模様は綺麗だが、半ば錆びてしまっている。
「この模様は、魔術式だな……」
ジンも興味深げに箱を眺める。
「婆さん。この箱はなんだ?」
「海辺で拾われたという、ただそれだけの箱ですじゃ。巡り巡ってこの婆の下まで辿り着きましたのじゃ」
「へえ。鍵つきの箱、か」
ジンはハクの手から箱を受け取り、興味深げにその表面を見る。
「俺の代じゃわからない魔術式だな。古代の魔術師なら楽々に読み取れただろうに」
口惜しげにジンは言う。
世界中の人々から向上心や凶暴性を奪い取ると言う魔方陣。かつて発動したというそれの為に、古代種の魔術は現代に伝わっていない。一時的にとはいえ、向上心を失った人類の技術は、大部分が断絶してしまったのだ。
「ただ、魔力を感じるのは確かだ」
「お買い上げになられますか?」
老婆の唇の両端が、上に向って持ち上げられる。
「……一応、保管するべき場所に保管しておいたほうが良いのかねえ」
ジンはそう言って、懐から財布を取り出した。
買い物の帰り道、人の流れが止まっている箇所があった。
戸惑いながら、ジンは人をかきわけて先に進む。彼が作った道の後に、イチヨウとハクも進む。
衆目の中で、喧嘩をしている二人がいた。
お互いに拳を握って、構えを取っている。
「止めなくていいのかい」
呑気な調子で、ジンは隣に居る青年に声をかける。
「あいつらは顔を合わせては喧嘩をしてるライバルなんだよ。決着がついたことはないがな」
「へえ……」
ジンはぼんやりとした表情で喧嘩の観戦を始めた。
「今日こそお前の弱さを周囲に見せ付けてやる!」
「弱いのはお前のほうだろ。俺なんかに苦戦してやがる癖によ」
「言いやがったな!」
賑やかに声を掛け合いながら、二人は殴り合っている。
ジンがその中で、何かを窺っているようだった。それが何かに気がついて、イチヨウは少しだけげんなりした。
(この人、自分なら何処を攻めるかを頭の中で組み立ててる……)
それもまた、自分の実力が衰えないようにする修行の一環なのだろう。この人もある意味では職人なのかもしれない。そんなことを思うイチヨウだった。
「お前も動きを観察しとけよ」
心を読んだかのようにジンが言ったので、イチヨウは小さく肩を震わせた。
ハクは鉄の箱を持って、退屈そうにしている。
夜になると、町も流石に静けさを取り戻した。
イチヨウは覇者の剣を抜いて、その刀身を見つめる。
ついに今日はジンに一撃を入れた。それが、イチヨウは嬉しくてたまらない。
イチヨウにとって、ジンは雲の上の存在だった。しかし、それに着実に近付くことはできているのだ。
強くなっているという実感が、イチヨウの中にある。このまま自分はどこまでも伸びていけるのではないか、という錯覚すら覚えた。
ただ、ジンと旅ができるのもあと少しの間だ。
きちんとした師がいなければ、イチヨウの成長スピードも鈍りを見せるだろう。
(けど、それで良いんだ……)
自分に言い聞かせるようにイチヨウは心の中で呟く。
(俺はハクを守るって誓った。ハクの傍に居るって誓った。大事なものを守るんだ。それで良いんだ)
あるいは、森に大量発生して町へと出没するという魔物をどうにかするまではジンについて行っても良いのかもしれない。
しかし、魔物といえば思い浮かぶのは九十九の姿だ。
会話し、意思の疎通が出来る魔物もいる。ならば、その森の魔物達ともどうにか意思の疎通ができないだろうか。つい、そう考えてしまうイチヨウだった。
しかし、そんなことを考えていたら鶏肉すら口にできなくなりそうだ。
世界は広い、とイチヨウの村の長老は言った。確かに、世界は広かった。たった一ヶ月ちょっとの旅で、イチヨウの世界観は大きく枠を広げた。実力も、まるで変わってしまった。
ただ、その広がった枠を受け止める心が、まだイチヨウの中にはない。それがイチヨウの悩みへと繋がるのだ。
「イチヨウ」
ハクが小声で言う。胸に、あの鉄の箱を抱えていた。
「この子、外に出たいって言ってる」
「何かが、封印されてるって言うのか?」
「うん、悪いものではないみたい。なんとか鍵、開けれないかな」
古代の時代から箱に封印されていた何か。それは確かに、興味をそそる存在ではあった。
「悪いものではないって、確実なのか?」
「うん、邪気は感じないよ」
「ハクは、出してやりたいのか? 危なくないか?」
「けど、可哀想だよ。長い長い時間を、ずっと封印されているなんて……」
ハクにこう言われてしまうと、弱いイチヨウだった。
「……覇者の剣で、どうにかなるかな」
師は起きたら反対するだろう。そうしたら、この封印されている何かは外に出る機会を失うに違いない。
今しか、機はなかった。
ハクが悪いものではないと信じるならば、イチヨウはそれを信じるだけだ。
何故ならハクは、人知を超えたなんらかの力を持っているからだ。旅の中で、イチヨウでもそうと気がつける程度の事件は何度かあった。
イチヨウは、覇者の剣でそっと箱の鍵に触れた。すると、鍵はまるで初めからそうであったかのように真っ二つに斬れた。
光を放って、箱が開く。
その中から、一人の青年が現われた。青い髪をした細身の青年だった。腰には剣を差している。
そこからの記憶が、イチヨウにはない。
「は?」
ジンの言葉に、イチヨウは思わず間の抜けた声をあげた。
場所は宿屋の一室だ。ジンとシホは隣り合ってベッドに座り、イチヨウとハクはそれぞれのベッドに座っている。
ジンは、繰り返し言った。
「だから、旅もやめて、この町に落ち着こうかと思っている。この四人で家を持つんだ」
「ちょっと待ってください」
唐突な展開に、イチヨウは頭を抑える。
口から吐き出したい言葉が多すぎて、その数々は喉下でつっかえてしまっている。反面、その言葉に感動を覚えているイチヨウもいたのだ。
しかし、それではいけない。ジンには、他の町に子供が居るのだ。
「先生、子供がいるんでしょう?」
「マリは愚かな女ではないよ。既に安全な場所に子供を避難させていると見るべきだろう。なら、大丈夫だ。兵も十分に配備されているというし、それを指揮するのはセツナさんだ。俺たちが行ったところで大勢に影響はないよ。それに、マリなら負けはしない」
「けど、子供を放置して他所に家を持つなんて」
「マリを説得する気力が失せた。難易度が高すぎる」
「そんな簡単に諦めて良いはずないでしょう」
イチヨウは思わず立ち上がって叫んでいた。
「そもそも、旅から旅への旅ガラスなんでしょう!? どうしたんですか、いきなり。遺跡調査もしなくちゃいけないんでしょ?」
「どうして俺はあんなに躍起になっていたんだろうな……」
遠い目をしてジンは言う。
「躍起になることなんてなかったんだよ。人間は身の回りのことだけ出来ていればそれで良いんだ」
イチヨウは悟った。師は、全てを投げ出したのだと。
そんな格好悪い師を、イチヨウは見ていたくなかった。
イチヨウは町にと駆け出した。
妙だった。昨日までの客を呼ぶ賑やかな声がない。
町を歩く人も閑散としていて、まるで町が死んでいるみたいだ。
昨日喧嘩をしていた二人が、イチヨウの横を通り過ぎている。
そして、互いの顔を見て苦笑すると、そのまますれ違って歩き去っていった。
昨日、確かに彼らはこう紹介されていたはずだ。
「あいつらは顔を合わせては喧嘩をしてるライバルなんだよ。決着がついたことはないがな」
顔を合わせても喧嘩をしなかったぞ、とイチヨウは頭に疑問符を浮かべる。
イチヨウは違和感に突き動かされて走っていた。
昨日は賑やかだった店のある通りも、今日は静かだ。まるで、住人が全員死んでしまったかのように。
イチヨウは、昨日行った箱屋に足を踏み入れてみることにした。
「あの、こんにちは」
「よう、昨日のぼっちゃんか」
「どうしたんですか。今日はやけに静かですね」
「いやね、考えちまってね」
そう言って、店主は苦笑いを顔に浮かべる。
「先祖伝来の技術とはいえ、これは手間がかかりすぎる。もっと楽に生活できる方法はあるんじゃないかと思い始めてね。幸い貯金はあるし、店を手放そうかと思ってるんだ」
「あんた……こうなるまで必死に技術を高めたんだろう? それ、全部捨てるのかよ」
「生きていく上で、精緻さとか飾りだとかそんなに必要ないだろう? 俺は、俺の家族さえ養えればそれで良いかなって」
まるで、師と同じ症状だ。イチヨウは、背筋が寒くなるのを感じた。
他の職人たちに当たっても同じだった。彼らは皆、一様にやる気を失っていた。
鉄の箱を売っていた老婆に至っては、店にすら出ていない。
賑やかだった町は、死んだように静かになっていた。
宿屋の一室に戻ると、そこにいるのはハクだけだった。
「先生とシホさんは?」
「家を見に行くって、二人で出かけていった」
「なにやってんだ、あの二人……」
ハクの護衛という役割すら、ついに放り出してしまったらしい。
「この町、全部がおかしい。皆、活気ややる気を失ってしまってる」
ハクが、表情を曇らせる。彼女も、賑やかな町が好きなのだ。
「こんな時にアテになる先生もシホさんも役に立たない……。俺が、どうにかするしかないのか?」
「イチヨウ、けどこうとも考えられない?」
ハクが言う。
「皆、辛いことから解放されたって」
「けど、そうしたら彼らがそれまでやってきたことってなんだったんだ? このまま無に帰すのか?」
「それは……」
「ハクだって、あの箱の細工を綺麗だと思っただろう? それが、全部なくなるんだぞ」
「木の伐採が減って、動物のためにはなるかもしれない」
ハクの言葉に、イチヨウは言葉を失う。
「けれども、人間の技術が失われるのも、勿体無いと思う」
ハクは、そう言葉を続けた。
「原因を排除すれば、全ては元に戻る。これは、腹をすかせたお兄さんがやったことだから」
「腹をすかせた、お兄さん?」
「覚えてない? 昨日、鉄の箱から出てきた……」
イチヨウははっとして、ハクの枕元にある鉄の箱に手を伸ばす。鍵は壊れて、中が開いていた。
「ここから何かが出て行って、皆のやる気を吸い取ったんだな?」
「うん」
ハクは淡々とした表情で頷いた。その顔の奥にどんな感情が隠れているか、イチヨウには読み取れなかった。
(俺が、やるしかない)
そんな決意を、イチヨウは固めていた。まるで洗脳されたかのように大人しくなっている町の人々や、師匠達を見ているのは、忍びなかった。
イチヨウは、ハクの手を取って町の中を駆ける。しかし、標的は見つからない。
昨日は人ごみをかきわけるので精一杯だった町の中も、今は閑散としている。
青い髪をした細身の男。あんな目立つ外見をしていたのに、彼は何処にも見つからない。
「方向が違うと思う」
ハクが、苦しげに呼吸しながら言う。
「感じ取れるのか?」
「彼の波動は、調律者と似ているから……」
つまり、ハクは調律者を察知しようと思えば察知できるのだ。
イチヨウは息を呑んだ。そんなの、人間のなせる技ではない。
「こっち」
そう言って、ハクはイチヨウの手を取って駆け始める。
五分ほど走ると、彼はそこに居た。
屋根の上に寝転がって、昼寝をしている。
「屋根の上にどうやって昇ろう」
イチヨウが頭を抱えて言う。
「イチヨウなら、昇れるよ」
ハクが、確信を篭めた声で言う。
「覇者の剣が抜けたはずだもの。ガーディアンとしての力はイチヨウの中に流れ込んでいる」
「なにを言っているのかわからない」
「飛べるって信じてみて。イチヨウは、力の使い方を知らないだけだから」
イチヨウは迷ったが、結局はその家に入って屋上への窓を目指すことにした。
家の住人はどこかぼんやりした表情で、イチヨウの入室を許可してくれた。
屋上に辿り着いて、イチヨウは青い髪の男の傍に立つ。
「……あんたが、この町のエネルギーを吸い取ってるのか」
声をかけられて、青い髪の男は不思議そうにイチヨウの顔を見た。
「あれ、おかしいな。あんたは、活きた顔をしている。どういうトリックだい」
「あんたこそ、町中のエネルギーを吸い取るとはどういうトリックだ」
「なに。私は元々それを目的に作られた実験的な人造人間でね。ホムンクルスという奴だよ」
「ホム……なんだ?」
「まあ、わからないなら致し方ない。人類の魔術はどうやら十分に衰退しているようだ。太古の魔術師ならば、私程度に遅れを取らなかったろうに」
イチヨウは、無言で剣を抜いた。
「お、私を殺すか。せっかく私がこの町を平和にしてあげたというのに」
「平和? 平和ボケさせただけだろ。お前は大事なものを抜き取った。人間から抜き取っちゃいけないものを抜き取りやがったんだ」
「働きすぎなんだよ、人間は。休息が取れるようになってありがとうって、僕に言うだろうぜ」
「ぬかせ!」
イチヨウが青い髪の男に切りかかる。
寝転がっていたはずの男が、後方に転がったかと思うと立ち上がって跳躍して隣の屋根に飛び移る。
イチヨウはそれを追いかけ、屋根と屋根の間の隙間に一瞬怯んだものの、それを飛び越えて行く。
二人は屋根の上を駆け続けた。
しまいに、町の端が見えてきた。
最後の屋根の隅に追い詰められて、男は苦笑いを顔に浮かべる。
「しつこいね。現状の何が不満だ」
「不満だらけだ」
イチヨウは、剣を構えて男ににじり寄る。
男も、剣を抜いた。
「あんなの、先生やシホさんじゃなかった。町の人達でもなかった。あんたは洗脳して、人を違うものに変えてしまったんだ」
「ああ、おかげで十分満腹になったよ」
イチヨウが剣を振りかぶって男に駆け寄る。
男は自らの剣の柄に手を伸ばしたが、顔に笑みを浮かべて、屋根から飛び降りていった。
二階の高さだ。骨折してもおかしくはない。しかし男はかまわず、町の外へと駆けて行く。
イチヨウの右腕が、緑色の光を放った。
覇者の剣を抜いた時と、同じ色の光だ。それは、ハクが魔物と会話した時の光でもあった。
「行けるって言うのか……?」
イチヨウはしばし迷ったが、意を決して二階の屋根から飛び降りた。
「……なあにやってるんだろう、俺達」
ジンがふと、呟くように言った。
「ここで暮らすための家の見学……」
シホはそこまで言って、はっとしたような表情になる。
「なにやってるのかしら、私達。ハクちゃんの護衛をしないと」
シホは我に返ったように、宿屋へ向って駆け出した。
そして、後にはジンが一人残された。
「いるんだろう?」
ジンが言う。
物陰から、ショートカットの女性が姿を現した。九十九の森で襲い掛かってきた、星の奏者を名乗るあの女だ。
「もう、正気に戻りましたか。さすがは腐っても魔術師。腐っても奏者の血を引くもの」
「……十全とは言い難いがな。お前の殺気のおかげでぬるま湯から抜けられた。感謝するぜ」
舌打ちしたいような気持ちでジンは言う。集中力が練れない。このままではぼんやりとした状態で戦うことになりそうだ。
何故なら、ジンは今この瞬間も剣を捨てたくて仕方がないのだ。
「面白いほどあっさり罠にかかってくれましたね、貴方達は」
「罠……? ああ、あの、鉄の箱か」
あの鍵を破ったのは、覇者の剣なのだろう。ジンは苦い顔になる。今まではイチヨウの不寝番の時は寝たふりをしていたが、いざ一人で任せてみればこれだ。
「大罪人ジン。貴方は私達の計画の邪魔となる。ここで、消えてもらいます」
「分の悪い戦いは嫌いじゃない」
ジンは剣を鞘から抜く。
「最後に俺が勝つなら、だけどな」
女もまた、剣を鞘から抜いていた。
足が軽かった。
あっという間に青い髪の男の背中が近付いてくる。
手から溢れる緑の光が、体中に力を与えてくれているかのようだ。
イチヨウは、男の前へと回り込んだ。
男は背を向けようとする。そこに、イチヨウの剣が襲い掛かった。
男は剣を抜いて、イチヨウの剣を受け止めていた。
「身体能力は中々やるじゃないか。だが、剣技はどうかな」
「お前の体に味合わせてやるよ」
イチヨウはそう言って、剣での攻撃を繰り出す。
その数々を、男は受け止めていく。
しかし、男がとるだろう行動が、イチヨウには手に取るように見えている。まるで、相手の動きをコントロールしているような錯覚すらあった。
「くそっ、なんで」
相手もそれを自覚しているのだろう。悔しさを顔ににじませている。
その顔に、笑みが浮かんだ。
「天眼流と言うらしいな。君の流派は」
そう言って数歩後退した彼が取った構えは、師の構えと同じだった。
「そんな、まさか……」
「悟ったようだな」
男が、せせら笑う。
「君は、自分の師の技に勝てるのかい?」
ジンと女性の体が交差する。
ジンの肩から血が流れ出した。
「やはりあの森で会った時ほどの腕ではないわ。罠は、上手く効いたようね」
ジンは振り返って、剣を改めて構えた。
女性は既に振り返って、顔に笑みを浮かべている。
「ふん、この痛みが俺を正気に近づける。お前は、どんどん強くなっていく相手と戦ってるんだぜ」
「正気に近付く、とか、そう言った問題ではないのですよ」
女性は跳躍して、ジンに蹴りを繰り出す。
辛うじて、ジンはそれを回避した。
読みがほとんど機能しない。
気力が、沸いて来ない。
ただ生来の素早さと反射神経がジンを支えている。
女性の鋭い剣戟がジンを襲う。それを、ジンは辛うじて剣で受け止めていく。
体のあちこちに、傷ができて痛みが走る。
そのうち、ジンの太腿に深い切り傷ができた。
ジンはあまりの痛みに片膝をつく。
それだけはしてはいけないと思っているのに、体がついてこない。
「さようなら、ジン」
女性は、剣を振り上げた。
ジンの脳裏に、マリの顔が思い浮かんだ。
(まだ、死ねない。もう一度、会って、きちんと話して、死ぬのはそれからだ)
ジンは、剣を握り締めた。
男が攻撃を繰り出す。イチヨウはそれを回避するが、回避した先に既に次の攻撃が繰り出されている。
この読みは正に天眼流だ。
男とイチヨウは、剣を打ち合う。徐々に後退していくのはイチヨウだ。
「どうだい、君の師の剣の味は。どうだい、師の剣に殺される気分は」
男は上機嫌に声をかけてくる。
「……じゃない」
小声で、イチヨウは言っていた。
「はあ?」
男が、聞き返す。
「……先生の剣は、こんなもんじゃない!」
イチヨウは叫んで、勢い良く男の剣を弾いた。その瞬間、世界中の音が遠くに聞こえるようになった。
男の攻撃がスローモーションに見える。次に自分が取るべき動きが手に取るようにわかる。
集中の世界に、イチヨウは入っていた。
男が弾かれた件を振り下ろそうとする。それをイチヨウは受け流し、腹に一撃を与えていた。
男は辛うじてそれを読んだのだろう。傷は浅かった。
そこに、イチヨウの突きが繰り出される。
男は、尻餅をついた。
イチヨウは、集中の世界から戻っていた。
「先生の剣はもっと鋭い。もっと素早い。もっと的確で力強い。お前なんかがあの人の剣を使うのは、あの人への冒涜だ。さあ、町を元に戻せ!」
相手の顔に、イチヨウは剣を突きつける。
「あんなの、人間の姿じゃない。別種の、まるで何か違う生き物のあり方だ」
「そうかい? なら、別種の他の生き物のほうがよほど幸せだろうねえ」
男は微笑む。その視線が、イチヨウの背中の覇者の剣に向けられる。
「君はどうやら星の奏者の関係者のようだ。ならば、そのうちもう一度同じ選択を強いられるだろうよ」
「なんだと……?」
男が地面の砂を掴んで、イチヨウに投げた。
それよりも早く、イチヨウが投じた剣が男の胸に突き刺さっていた。
ジンと女の体が交差する。
女の肩から胸にかけて、血が噴出した。
「なんで……」
「どうやら、そうっとう油断していたらしいな」
ジンは微笑む。その脇腹付近に、剣で斬られた跡がある。
「うちの馬鹿弟子はどうやら尻拭いをしてくれたらしい」
ジンはよろけながらも立ち上がって振り返り、剣を構える。
女も振り返って、剣を構えた。
「今の俺は、集中力も万全だ」
「そうか……。簡単にはいかぬか……」
「ジン!」
シホの叫び声が聞こえる。それを聞いて、女は悔しげに顔を歪めると、そのまま去って行ってしまった。
シホがハクを連れてやって来る。ハクの小さな頬を、ジンは無遠慮に引っ張った。
「箱、お前に預けてたはずだよな、ハクゥ……」
「痛いです、痛い」
「痛いのは俺の足だ。魔術式が書かれた箱だって言うのになんで封印が解けてるんだよ、ハクゥ……」
「だから、痛いです」
ただ困ったような表情で、ハクは言う。
「イチヨウ君は?」
シホがジンの手をつねりながら、ハクに訊ねる。
三人は連れ立って、町の外へと歩き出ていた。
イチヨウは、シャベルで穴を掘っている所だった。その傍には、遺体がある。
「弟子の遺体遺棄現場を目の当たりにしてしまった……」
ジンが片手で頭を抱えて言う。
「イチヨウ君。一応死体を埋める際には届出とか……そもそも、人殺しをしたって出頭しなくちゃいけなくてね」
シホの笑顔は引きつっている。
「大丈夫ですよ。こいつは箱から出てきたホムなんとかって奴だ。遺族もなければ国に登録もされちゃいません」
ジンとシホは、真顔で顔を合わせる。
「ホムンクルス?」
「人に作られし者、か……」
場に沈黙が流れた。穴を掘るイチヨウの姿を、三人は黙って見ている。
「はた迷惑な奴だったけど、墓ぐらい作ってやらないと可哀想でしょ」
「まあ、そうだな」
ジンはどうでも良さげに淡々と言う。
そして、呟くように言葉を続けた。
「何の目的の為に、こんな奴が作られたんだろう……」
「実験のため」
ハクが答える。
「貴方が壊した港町の遺跡の奥に隠れる大魔方陣。その元となったプロジェクトの試作品。戦争のための兵器」
ジンは驚いたような表情でハクを見るしかない。しかしそのうち、穏やかな表情になって頷いた。
「そうか……。」
ジンは、ハクの頭を撫でる。
「お前さん、もしかして俺より年上なんじゃないか?」
ジンの問いに、ハクは困ったような表情になる。
「私、昔の記憶がないですから、なんとも」
「まあ、そうだわな……」
諦めたようにそう言うと、ジンは天を仰いで、苦笑いを浮かべた。
「勿体無いことをしたもんだ」
宿屋の一室で、ジンはぼやくように言う。
「人は人を作る領域まで技術を高めていたらしい。それが遺跡の地下の大魔方陣のせいで全て今に残っていないとは」
「問題のある技術だと思いますけどね。人が、人を作るって」
イチヨウは地べたに正座させられている。
「そうだがな。その技術力は賞賛に値するだろう」
「先に目が行くのは技術力ですか。危険だ、とか、倫理的問題が、とかは思わないんで?」
「ああ、俺も魔術師のはしくれだからな。まあ、どちらにしろ、全ては過去に消えたものだ」
ジンは溜息混じりに言う。
イチヨウはその技術を、危険だと認識した。
あのホムンクルスは、弱くはなかった。あんな兵隊をいくらでも生産できるなら、戦争の形はどう変わってしまうのだろう。
さらに、彼は人の心から色々なものを奪う術を持っていた。そんな技術を作れる人類は、結局は自滅してしまったのではないかとイチヨウは思う。
そうして衰退して、再び技術を取り返しつつある。その先に、何があるかも知らずに。
イチヨウだって、その先に何が待っているかだなんてわからないのだ。
あるいは、再度の破滅があるのかもしれない。
「まあ、俺は今回のお前を評価しているよ。敵を追い詰め、倒して、帳尻あわせをしたわけだからな」
「じゃあ、そろそろ正座崩して良いですか」
「……ムカつくからもうちょっとそうしてろ」
「先生、辛いです」
「弟子だろ?」
「弟子ですけどね」
イチヨウは苦い顔をすることしかできない。
その脳裏に、ふと思い浮かぶものがあった。
「……洗脳が解けなかったら、この町で暮らすことになってたんですかね」
「イフの話はしないことだ。絶対に現実にならないとわかった時に、辛くなる」
「体験談ですか?」
「あー……まあな」
ジンは窓の外に視線を向けた。その表情は、見えなかった。
シホはハクと手を繋いで町に出ていた。
町は賑やかさを取り戻し、あちこちから客寄せの声がする。
ライバル同士が道端で喧嘩をし、それを熱狂した観客が見守る。
「これで、良かったんだね」
ハクは、自分に言い聞かせるように言う。
「そうだね。人間はやっぱり活気がないと」
シホは、苦笑交じりに返す。喧嘩はしなくて良いのに、と思ったのだ。
「ねえ、シホさん。私、怖い」
呟くように、ハクは言った。
「怖い……?」
唐突な言葉に、シホは戸惑う。
「知っているはずのないことを、知っている。それが、自然と口から出てくる。私は、何者だったんだろう。どうして、魔物のいる森から竜に乗って外に出てきたんだろう。これじゃあ、まるで、私は……」
シホの手を握るハクの手に、力が篭った。
ハクは無言でシホを抱きしめる。
「シホちゃんはシホちゃんよ。失った記憶があっても、私達の、大事な仲間」
しかし、シホ自身の中にも、ハクは何者なのだろうという疑問がある。
今の時代では失われたホムンクルスの技術。それを一瞬で看破する彼女は、何者なのだろう。
シホは無力だった。何故なら、今後に幸せが待ち受けるように、祈るしかできなかったからだ。
次回
王都の小さな戦い