誘惑の村
「まあ、旅人さんですね」
山を下りて森を抜けると、畑仕事をしている女性が喜びの表情で駆け寄ってきた。年の頃は、まだ二十代半ばと言ったところだろう。
「疲れたでしょう。どうか私達の村で休んでいってくださいませ」
一瞬、嫌な予感を覚えたジンだった。
余所者を歓迎する村に、痛い目に会わされた経験が何度かある。
それでも、それを表情に出しては今夜の宿が取れない。ジンは笑顔で女性の好意を受けることにした。
「ありがたい話です。是非お世話になりましょう」
「では、行きましょう」
女性は、しっかりとジンの手を握って村へと歩いて行く。
困ったな、と思うジンだった。
特に意味もなく女性と手を繋ぐことを、ジンは好かない。
女性の多い村だ、というのがイチヨウの感想だった。
焚き木を運んでいるのも、畑仕事をしているのも、女性が多い。若い男は極少数で、あとは老人ばかりだ。
「男女比の悪い村だね」
同じことを考えていたのだろう。シホが、小声で言う。
四人は、長老の家に案内された。
「我々は王家の任務を受けて行動しているものです。その内容は語れませんが、王都に行くまでの一夜の宿を与えてくれると嬉しいです」
「歓迎します」
赤ら顔の長老は、一にも二にもなくジンの願いを承諾した。
そして、四人には二軒の空き家が宛がわれたのだった。その配置がおかしい。ジンは一人で、他の三人がもうひとつの家に押し込められている。
ジンは戸惑った表情で、イチヨウ達の泊まっている家に入って来た。
「どうも、おかしいな」
「どうも、おかしいね」
ジンは、戸惑ったような表情で言う。
シホは、どこかとぼけた調子で返した。
ジンは三人の間に胡座をかいて座る。
「旅人の寝首をかいて金品を強奪する類の村かと思った。そう思って王家の任務ということを前面に押し出したが、気にした様子はなしだ」
「ただ、親切な人達の集まる村なんじゃないですか」
「親切な人達の集まる村ねえ……。旅人なんて、普通嫌がられるものだぜ」
ジンは、不気味がるように言う。
「剣を持った余所者が村の中をうろうろするんだ。しかも若い男ともなれば不安は倍だ。大抵、俺のような類は村には最初は歓迎されんものだよ。いや、それぐらいの警戒力がなければ、村の安全は守れないというべきか」
「けどこの村の人って、ノーガードって感じですよね」
「そこが俺も不思議に感じるところよ」
ジンとイチヨウは、向かい合って考え込んだ。けれども、その答えは見えそうにない。
「実はここは幽霊が住んでいる村だとか。幽霊だから、剣も怖くない」
イチヨウが本で読んだような説を出す。
「実は俺達は九十九に化かされているとか」
ジンが九十九に失礼な説を出す。
「まあ、大丈夫よ」
何かを察しているかのように、シホは言う。
「ジンなら、問題は起こらないと思うから」
そう言って、シホはどこか悪戯っぽく微笑んだ。
「俺なら、ってどういう意味だよ」
ジンは疑わしげな表情になる。
「どこの村でも上手く溶け込んでここまで旅を続けてきたでしょう? それを言いたいだけよ、私は」
シホはどうしてか、現状を楽しんでいるようだった。
「ジンさん、いますか?」
扉を開けて、女性が入ってきた。
先ほど、村まで案内してくれた女性だ。
勝ち気そうな表情をした女性だ。服には袖がなく、日に焼けた健康的な二の腕が露になっている。
「ああ、ここにいるが」
「少し、旅の話でも聞かせてもらえないでしょうか」
「良いぜ。こっちへ来いよ」
「できれば、二人で」
ジンは困惑したような表情を一瞬浮かべたが、すぐに苦笑顔になって立ち上がった。
「それじゃあ、少し行ってくる。世話になる手前、無碍にもできんでな」
「俺も先生の冒険譚を聞きたかったなあ」
イチヨウが残念そうに言う。
「まあ、それじゃあ十代から村を飛び出て一人で旅を?」
切り株に腰を下ろして、二人は会話をする。
小さな切り株だ。二人の体は密着する。
やり辛いな、とジンは思う。
「ええ。それから色々ありました。色々な町を巡ったし、弟子ができたこともあった。山賊退治に魔物退治、路銀を稼ぐためには色々やったものです」
「熟練の冒険者さんなのですね。故郷は?」
自分のことを語るのをジンはあまり好かない。しかし、初対面の余所者を珍しく歓迎してくれた村だ。それに、二度と会うかどうかもわからない相手である。ジンは少しだけ、口が軽くなった。
「昔、フクノ家の人間の中で統一王に反感を抱いた連中が逃げ落ちて暮らし始めたという伝説がある、そんな土地です」
「フクノと言えば、隣国の貴族様じゃないですか。しかも、魔術師様の家系でしょう?」
「私はただの一般人ですがね」
ジンは苦笑する。
「それは、とても良いことを聞きました」
何が良いことなのだろう。ジンは戸惑う。
「私が貴族の末裔だからと言って、この村を豊かにする術は知りませんよ」
「いえ、この村は十分に富んでいます。そんな心配はなさらないで」
「……何故、こんなに良くしてくださるんです?」
ジンは、戸惑いをそのまま口に出した。
「余所者に親切な村があってはいけないでしょうか?」
悪戯っぽく微笑んで、女性は言う。
「けど、貴女は」
「ユタカです」
「ユタカさんは、剣を持った余所者がうろついていて不安では無いのかな」
「貴方が山賊の類なら、既にこの村で暴れまわっているでしょう。それに、子連れの山賊なんて聞いたことがありませんよ」
愉快そうに、ユタカは笑う。
よく笑う女性だ。ジンは彼女の人懐っこさにやや呆れつつも、好感を抱いた。
ここは旅人に親切な村なのかもしれない。そんなことを、ジンは思った。
夕刻になると、ジンとイチヨウは村の片隅で剣の修行を始めた。
今日はイチヨウは、いつもに増して苦戦している。
「どうしたどうした。俺が攻めの型を変えたらとたんに受けの一辺倒になったな」
「と言われましても……」
「敵にはそれぞれ特有の型がある。それを初期の段階で見抜くんだ」
イチヨウとジンの剣が重なり合う。
そしてイチヨウは、反撃の一撃をジンの肩に向って放つ。それを掻い潜って、ジンはイチヨウの腹部に肘うちを当てようとする。それを、見事にイチヨウは回避して、さらに自身の攻撃に繋げた。
「そう、それだ。上手く相手の攻撃の流れを掴む。それができれば、お前はもっと強くなれる」
「……師匠の型なら、もう覚えたんですけどね」
「対俺専用の剣士になってどうするよ。旅をするなら、色々な相手と戦わなきゃならん。柔軟性が大事だ、柔軟性が」
二人は、一旦休憩となって、座り込んだ。
「ジンさん、精が出ますね」
飲み物の入っているらしいコップを二つ持って、ユタカがやって来た。
ユタカは二人に、コップを渡す。中に入っているのは、ミルクのようだった。
「この村で取れたミルクです。是非飲んでください」
「貴女に一口あげましょう。息が切れているようだ」
「ありがとうございます」
ユタカがコップを受け取り、ミルクを一口飲む。
それを確認すると、ジンはコップを再度受け取り、その中身を飲んだ。
ジンはユタカに毒見をさせたのだ。それを察して、イチヨウはなんだかこの場に居辛くなった。
「真剣での修行なんて、よく怪我をしませんね」
「慣れてますから」
ジンは苦笑して返す。
「筋肉、ついてるんでしょうね」
「それは、まあ」
「さわっても、よろしいですか?」
ジンは、しばし迷ったようだった。
「……まあ、好きになされればよろしい」
ユタカは座って、ジンの胸板に手を伸ばした。彼女の胸が、ジンの腕に押し付けられている。
この女はなんなんだろう。イチヨウは、この馴れ馴れしい女性に不快感を覚えた。
ジンは、苦笑いを顔に浮かべているだけだ。
「先生にはシホさんって人がいるんです。あんまり馴れ馴れしくしないでもらえませんか」
低い声でイチヨウが言う。
ユタカは、ばつの悪い表情で、ジンから体を離して立ち上がった。
「それは失礼しました。ちょっと馴れ馴れしかったかしら」
「お気になさらず。こちらは一宿一飯を用意してもらっている身ですゆえ」
ジンは苦笑して頭を下げる。
「また、何かあれば言ってくださいまし、ジンさん」
そう言って、ユタカは空になった二人のコップを持つと、去って行ってしまった。
「親切な娘さんじゃないか」
ジンが、淡々とした口調で言う。
「腕に胸押し付けられて、鼻の下伸ばして。先生がそんな女に弱い人間とは思っていませんでした」
「仕方ないだろ。胸当たってますよどけてくださいと指摘するのもなんか恥ずかしいだろう。俺だって好きでそうなったわけじゃない。大体、鎖帷子で感触なんか伝わらないし、シホという人がいるってなんだ。あいつはただの幼馴染だろ」
「ただの幼馴染と、二人きりで、長い旅を?」
疑わしげにイチヨウは言う。
「お前もそういうとこ、邪推すんのな」
「俺は、先生とシホさんが結婚したら、お似合いの夫婦になるんだろうなと思っているだけです」
「んで、養子はお前とハクか?」
イチヨウはどきりとした。それは、ジンの言葉が、イチヨウが無意識に抱いていた願望を自覚させたからだ。
「それは無理」
「なんでですか? 養子はともかく、結婚はできるでしょう」
「当人同士にその気がないし、俺には事情があるし、無理なの」
「事情……?」
以前もジンは、似たようなことを口にしていた気がした。しかし、それがいつだったか思い出せないイチヨウだった。
「今日の修行はここまで。明日に備えて、ゆっくり休め」
「はい」
話の肝心な部分が聞けていない。釈然としない気持ちのイチヨウだったが、家に戻ることにした。
この師が、素直に身の上話をする性質にも見えなかったのだ。
夜になって、ジンは部屋で一人寝転がっていた。
今日は不寝番になってくれる人も居ない。いつも不寝番を用意しているだけに、一人で寝るのはやや不安だった。
その時、足音が近付いてくるのを察して、ジンは枕元に置いてあった剣を腰元に手繰り寄せた。
家の扉が開く。ユタカだった。ジンは、上半身を起こした。
「どうしたんだ、こんな時刻に」
ユタカは、ジンの顔を見ない。そのまま、ゆっくりと家に上がりこみ、頭を下げた。
「どうか、床を一緒にさせてください」
「は?」
そうと言うしかないジンだった。
「シホさん」
夜の闇の中で、イチヨウはシホに話しかけた。ハクは既に、寝息を立てている。
「先生とシホさんって、結婚しないんですか?」
「しないわよ」
即答だった。
そのあまりにも迷いのない言葉に、イチヨウは戸惑うしかない。ジンとシホは、とても良いコンビに見えていたからだ。
「一緒に旅をしているのは、好きだからなのでは?」
「もう、惚れた腫れたの時期は過ぎてるから。良い友達だよ、私達は。それにね、ジンは今、トラブルを抱えているから」
「トラブル?」
「うん。うーん、話して良いものかなあ」
シホが考え込むような表情になる。
「聞きたいです」
「幻滅しない?」
「はい」
「うーん、それじゃあ、例え話をします」
シホが、ゆっくりと語り始めた。
「あるところに、子供を身ごもった女性がいました。相手の男性は長い間一緒にいたパートナーでしたが、別々の道を歩き始めたばかりでした。女性は悩みます。相手の男性は旅から旅への旅ガラス。家に落ち着ける性分ではありません。それでも、子供が産まれることだけは伝えるべきだろうか。女性は、何ヶ月も悩んだ結果、意を決して、子供が産まれるという旨の手紙を男性に送りました」
「返事は、来たんですか?」
「距離もあるので、手紙が届いたのは子供が生まれてしばらく経った後でした。そこには、良かったね、おめでとう、という短い文章だけが書かれていました。できることならなんでもするという誠意はもちろん、ねぎらいの言葉すら書かれていません。ただ他人事のように、良かったね、おめでとう」
「……えっらいクズですね」
シホが苦笑したのが、暗闇の中でもわかった。
「男性は、生まれてくる子供が自分の子供だと思っていなかったのです。新しいパートナーを作って結婚したのだろう、そう思っていました。自分達の間柄なら、その短い言葉だけで祝いには十分だと思っていました。女性からの怒りに満ちた返事が届いて、男性はやっと事情を察し、青ざめました。謝罪の手紙や、一緒にこれからのことを考えようといった内容の手紙を送ったけれど、女性からの返事は子供の前に一生寄って来ないでの一文のみ。長距離の文通には時間がかかります。その生まれる時間が、二人を冷静にさせてくれません。手紙が届いた瞬間の喜びが大きければ大きいほど、怒りはより膨らみ、憤りはなお膨らみます。男性側も、女性側を嫌うようになっていました」
「わからないもんですかね。自分の子供だって」
「男は楽だからね。自分の体の中で子供が育っていかないから。それに、きっかけから何ヶ月も経ってから手紙が来たから、新しいパートナーを作ったんだと思ったみたい。こうして、仲の良かったパートナーは険悪になり、男性は未だに自分の子供の顔を見ることができていません」
「それ……先生の話ですか?」
「そう。ジンのお話。直接会いに行けって言ってもへそ曲げて中々行かなくてね」
「へそ曲げてって、子供じゃないんだから」
「不安なのもあると思うんだ」
シホは、淡々と言った。
「あの人は、ずっと旅をしてきた人だから。家に収まって一生を終える自分が想像できないんじゃないかな。上手くやれる自信なんてまったくないだろうし。今回、彼女が住んでいる町の近くの森に魔物が大量に現れて、それでようやく足を向ける気になったってわけ」
「……それは、会わなくちゃ駄目ですよ」
「うん、会わなくちゃ駄目だね。手紙よりも、顔を合わせて話したほうが、幾分か冷静になれるものだし。私や昔の仲間は今から仲裁のことを考えて頭を痛めているよ」
「……先生、子供いるんだ」
その事実が、どうしてかイチヨウは寂しかった。ジンの実子に、ジンを取られたような気持ちがあった。
「そんな状況だから、またそろそろトラブルが起こる頃かなあと私は邪推します」
シホは、悪戯っぽく微笑んで言った。
「トラブル?」
「ただで優しくしてくれる村なんて、ないってことよ」
「断る」
ジンは、ユタカの願いを斬って捨てていた。
ユタカが戸惑うような表情になる。
「どうしてですか? 私じゃ不満ですか?」
「不満とかそういう話じゃなくて、嫌なものは嫌なの」
「私、これでも村じゃ美人だって言われています。スタイルだって悪くないって」
「不満があるわけじゃないんだってば」
ジンは溜息を吐く。
「貴方、ホモなんですか?」
ユタカが疑わしげな表情になる。
どうしてそう発想が飛躍するのだとジンは頭を抱えたくなる。
「ノーマルだ」
「じゃあ、女から言い寄られて恥をかかせるだなんて、なんでそんな真似を?」
ユタカの声には、苛立ちが混じり始めている。
ジンは俯いた。
ユタカは言葉を続ける。
「このままじゃ、この村は男手を失って衰退していくばかりです。外からの血が必要なんです。それがフクノ家縁の血なら言うことはありません。この村はそうやって外からの優秀な冒険者の血を取り込んできたのです。是非、是非、どうか」
ジンはゆっくりと、顔を上げた。
その口から、地獄の底から這い出てきたような声が出てきた。
「俺の知らんところで子供が増えてるなんつー事態はもう真っ平なんだよ」
その声の凄みに、ユタカは肩を震わせる。
「お前にわかるか。男だから私の不安だった気持ちはわからないだの、気楽で良いですねだの、何も知らなかったが故にあーだこーだ未だに言われ続ける男の気持ちが。未だに子供の性別すら教えてもらえん男の気持ちが。いや、わからんだろうな」
ユタカにはわけのわからない言い分だろう。しかし、ジンは恨み言のように言葉を続ける。
「いい加減その色ボケした理屈を引っ込めて出てかねーと俺も怒るぞ。一宿一飯の恩はあるがセクハラまでされるのは真っ平だ」
ユタカはショックを受けたように硬直した。そのうち、その目から涙が零れ落ちる。
「酷い」
そう言って、ユタカは走り去って行った。
「女に恥をかかせて!」
「それでも男か、お前は!」
家の外から賑やかな声が聞こえてきたのは、シホの話が一段落ついた後のことだった。
外に出てみると、ジンの泊まってる家の前に人だかりができている。
中年女性や若い男女が集まってジンを責め立てているようだ。
「ああ、男だよ、悪いかよ。なんで俺がお前らの決まりに付き合う義理がある」
「人助けだと思わんのか!」
「男が皆見境なしだと思うなよ、好きでもない女なんて抱けるか!」
「その言い方、酷い。ユタカちゃんになんの恨みがあるって言うの?」
「これは……?」
イチヨウが、戸惑うようにシホに問う。
「時々そういう村があるのよ。旅人を泊めて、子供を作らせて、外からの血を取り入れようとする村が。ジンは魔術で有名なフクノ家の傍流だから、どうしても子供を作ってって欲しかったんでしょうね」
「シホさん、これを予測してたんですか?」
「してた」
シホは悪戯っぽく微笑む。
「ジンは、好きな相手とじゃないと、キスすらできない男だもの。女の子を泣かせて責められるんだろうなーって思ってた」
「じゃあ、泊まるのを止めてあげれば良かったじゃないですか」
「……ちょっと安心したかったのかな」
シホは、呟くように言う。
「ジンが子供を作ったのは、相手が好きだったからだって。再確認したかった。子供を見て見ぬふりをして生きていける人間じゃないって再確認したかった。そして私は少しだけジンを見直した」
「冷静に言ってる場合じゃないですよ。先生もみくちゃにされて押し倒されそうですよ」
「うん、止める頃合だねえ」
シホの周囲に、幾重もの火球が浮かび上がった。
それは夜の闇を飛んで、ジンを包囲している村人達をさらに外から包囲する。
その異様な光景に、村人達は動きを止めて口を閉じた。村人の一人が、手に持っていた角材で火球を叩く。その瞬間、火球が爆発して角材の先端を木っ端微塵にした。小さな悲鳴の合唱が周囲に木霊する。
「少しの間だけど、休ませていただいてありがとうございました」
シホがにこやかに微笑んで言う。
「けど、こんな状況では退散させていただくのが一番かと思います。私達、帰るんで、そこのジンを返してくださいな」
火球に包囲されて、村人は意気消沈した様子でジンを放した。
「酷い目にあった」
夜の草原の中を歩きながら、ジンがぼやくように言う。
「世間の男性なら、役得だって喜んだんじゃない?」
シホがとぼけた調子で言う。
「お前、ああなるってわかってただろ」
「さてはて、どうでしょう。熟練の冒険者たるジンさんには珍しい失態だったね」
ジンは悔しげに黙りこむ。やはり、シホには敵わないようだ。
「子供の顔、早く見てあげなよ」
シホは、淡々と言う。
「マリが絶対に見せないって言ってる」
「直に会って話せば、また変わるよ」
「そんなもんかね……。けど、マリと本当に夫婦として一生を過ごすなんて俺には想像できんよ」
「好きでもない女は抱けない、なんでしょう?」
ジンは再び、言葉に詰まる。
会話をする二人の後ろを、イチヨウとハクは歩いている。
ハクは眠たげで、イチヨウが手を引くことで辛うじて歩いている。
「俺……」
イチヨウが口を開いた。
大人二人が足を止め、振り返る。
「面倒事に巻き込んで悪かったな」
ジンが、苦笑いを浮かべて言う。
「早く安心して野宿できる場所を探そうね」
シホも、優しい声で言う。
「一緒に旅してて、先生とシホさんは両親みたいだなって」
ジンとシホは顔を見合わせた。
そして、シホはイチヨウの体を抱きしめていた。
「そこまで想ってもらって、私も嬉しいよ」
イチヨウは、抱きしめられていることしかできない。
今喋れば、それは全て陳腐な飾りにしかならなそうだった。
「……俺をどう思おうがお前の勝手だ。俺はかまわんぞ」
投げやりにジンは言う。
「ずっと、二人と一緒にいたいです」
イチヨウは、ただ思ったことを口にしていた。
今は、難しいことが考えられなくて、そうすることしかできなかった。
「そうもいかん理由があるが」
ジンは頭を抑える。
「けど、俺も息子がいたらお前みたいな感じなのかなって思う時はまあ、あるな」
ジンの言葉で、イチヨウは頬から涙が零れ落ちるのを感じた。
「おい、どうした、泣くなよ。面倒臭いやっちゃなー」
「すいません。なんか、泣けてきて」
シホがイチヨウを抱きしめる腕に力が篭る。
「もう少しの間だけの旅だけど、最後まで、このままで……」
ジンはイチヨウの傍まで寄ってきて、無言でその頭を撫でた。
次回
師との対決