旅立ち
村の中でトラブルが起こったとして、それの対処に果たして子供が当たれるだろうか。
答えは否だ。問題は子供の手から取り上げられ、大人の裁量に任せられる。
空から落ちてきた少女はイチヨウの手から取り上げられて、今は長老達の会議の的となっている。
何せ、竜に乗ってやってきた少女だ。印象は悪い。元々人の出入りの少ない排他的な村だ。人外の存在なのではないかと陰口を叩く人間も多い。
少女は空いていた家に閉じ込められて、毎日を送っている。
「今日もお姫様の所へ行くの?」
家を出たところで、ヨツバの不平がましい声が聞こえてきた。
「お前には関係ないだろ」
「あの子を受け止めて転んだ際の骨折、治療してあげてるのは誰でしたっけね」
「それは恩に着てるけど……」
ヨツバは、この村に続く神術師の家系の人間なのだ。
世の中には、魔術と神術という二通りの奇跡がある。
人への攻撃に使われる魔術は大陸を統一した王がいた時代に禁術とされ、人を癒す神術はその存在を許された。
結局は統一王国も瓦解し、今では魔術も神術も等しく存在を許されているが、魔術師は排他された時代が長かったせいか表に姿を現すことは少ない。
禁術とされていた時代の長さから、未だに迫害にあう場合もあると言っても良い。例外は、古い時代に魔術で成り上がった一部の貴族達だけだ。
だから魔術師達は魔術師達で集まってひっそりと暮らしている場合が多いと言う。
「まあ、俺、行くから」
言って、イチヨウはヨツバを置いて、少女の所へと駆け出して行った。
少女の居る家の前には見張りが立っている。
その裏に、イチヨウは回った。
木の格子が入った窓から、少女がベッドに座っているのが見えた。
(これじゃあまるで罪人じゃないか)
イチヨウは、少しだけ眉間にしわを寄せたが、笑顔を作って窓をノックした。
「よ!」
少女が、笑顔になる。
それだけで、イチヨウは心が弾むのを感じる。
「今日も来てくれたんだ」
「暇だろうと思ってさ」
「話し相手になってくれて、嬉しい」
「どんな調子?」
「皆、戸惑ってるみたい」
少女はいつも口数少ない。しかし、会話を嫌がっているわけではない、とイチヨウは信じている。
「竜に乗ってたんだもんな。俺も竜に乗ってみたいよ」
「竜だからって、斬りつけたりしない?」
少女が、澄んだ瞳でイチヨウを見つめる。
まるで、心を見透かされているかのようだとイチヨウは思う。
「そりゃ、対決してみたいとも思うけど。人里に現れなきゃ、戦う理由もないかな?」
イチヨウは嘘をついた。
本当ならば、竜が出たと聞けば駆けつけて勝負を挑みたいぐらいだ。
「イチヨウ、優しいね」
少女は眼を細めた。
「普通は人間は、自分と違うものを恐れるものだって誰かが言ってた。こうして、私を閉じ込めるみたいに」
「その件に関しては、俺も長老様に直訴するよ。君はきっと竜にさらわれた被害者か何かで、普通の人間だって」
イチヨウの目には、少女が魔王にさらわれた姫様のように写っている。
「普通って、なんだろう?」
少女の問いは、時にシンプルであるが故に奥深い。その度に、イチヨウは言葉を失うのだ。
しばし考えて、イチヨウは答えを頭の中からひねり出した。
「……普通じゃなくても、俺は君の味方だよ」
「なんで?」
少女は、不思議そうな表情になる。
「同じぐらいの歳の子供同士じゃんか。一緒に遊べる」
「大人とは遊ばないの?」
「大人になると酒を飲んで騒ぐようになる。子供はお酒を飲めないんだ」
「可哀想だね。禁止されてるんだ」
「そうだよ。子供は禁止されていることが一杯だ。村の外へも出れないし、冒険もできない。俺の剣の力があれば、どんな所でだって通用するはずなのに」
「イチヨウは、戦いたいの?」
少女の不思議そうな表情に、イチヨウは言葉を失う。
イチヨウは、しばし考え込んで、言葉を発していた。
「俺、こんな村だけの人間で終わるのが嫌なんだ」
それは、この村の人間にはけして言えぬ言葉だった。村を馬鹿にしているような台詞だった。
けれども、イチヨウの本心だった。
「君、名前がないと不便だな」
イチヨウは、話題を変えた。
「名前がないと、不便?」
「そう。何か呼び名をつけないと。何か思いつかない? 今日から、君をその名前で呼ぶよ」
少女は難しい表情になる。
「思いつかない……」
「それじゃあ、俺が名付けようか。ハクって名前はどうだろう」
「ハク?」
「古い言葉で白いって意味だよ。記憶が真っ白だからハク」
少女は微笑んだ。
「じゃあ、私はハクだ」
「うん、改めてよろしくな、ハク。ハクのことは、俺が守るよ」
「イチヨウが、私を守ってくれる?」
「うん、約束だ。誓っても良い」
掌を、イチヨウはハクの前に差し出す。
ハクは戸惑ったようにそれを眺めている。
「掌と掌を重ねるんだよ。それで誓ったことになる」
ハクは微笑むと、イチヨウの掌に掌を重ねた。その手の柔らかさに、イチヨウは思わず頬が熱くなるのを感じた。
「外見に騙されおって、嘆かわしい」
溜息交じりの声が聞こえた。
振り向くと、長老が杖をついて立っていた。
「その娘は魔性の類とも知れん。よく仲良くしておるものじゃな」
イチヨウが長老に向き直ったことで、二人の掌は離れた。男二人の眉間には、ともに深いしわがある。
「この子が魔性の類であるものか。どこからどう見たって普通の人間じゃないか」
「なら、何故その娘は竜の背に乗っていた。竜を使役する魔術師やもしれん」
「魔術師なら、普通の人間と一緒だろ」
長老はわざとらしくため息を吐く。
「お前は魔術が何故禁術とされたかわかっていないようだな。過ぎた力は管理されなければならない。水の流れを滞らせるように、人々の生活に支障をきたす」
しめた、とばかりにイチヨウは微笑んだ。
「この子がそんな存在だったら、今頃こんな小屋ぶっ壊してるだろ。耄碌したな、爺」
長老は、反論しなかった。ただ、淡々と事実のみを述べた。
「ともかく、その娘の件は王都に連絡を取って処遇を決めてもらうことに決まった」
王都に連絡を取る。話が完全に自分の掌の外へ出ていくと知り、イチヨウの表情は強張った。
「どういうことだよ……」
「今の王は賢王と名高い方じゃ」
長老は目をぎょろりと見開いた。
「無難な審判を下してくれることじゃろうよ」
無難な審判。そのたった数文字の台詞が、黒い染みをイチヨウの心に作る。
「無難な審判って、どういうことだ、爺」
「無難な審判は、無難な審判じゃ。じゃあの」
そう言うと、長老はさっさと歩き去ってしまった。
「……やっぱり、殺されるみたいだね、私」
ハクは、特にショックを受けた様子もないようだった。
淡々とした表情で、現実を受け止めている。
「殺させない」
イチヨウは、断言する。
「俺が守るって言ったろ」
イチヨウは、ハクに掌を差し出した。
ハクは微笑んで、その掌に掌をくっつけた。
その日から、イチヨウの工作が始まった。
深夜にハクの部屋の窓の格子の目立たぬ箇所に慎重に切れ込みを入れるのだ。
大きな音を出さないように、作業はスローペースで進められた。
「イチヨウ、寝辛い……」
ハクが不服げに言う。
「静かに」
「けど、寝辛い……」
「命がかかってるんだぞ、わかってるのかお前」
イチヨウは呆れるしかない。
「良いか、格子を隠すように、昼は窓を閉めておくんだぞ」
「わかった」
ハクは、良くわかっていないような表情でそう言った。
「イチヨウ、村の中で浮いてるよ」
ヨツバにそう言われたのは、そんなある日のことだった。
「皆があの子を不気味がっているのに、イチヨウだけが仲良くしてるから。イチヨウまで不気味がってる人まで出てる」
「あの子を不気味がるお前らがおかしいんだよ」
イチヨウは早足でヨツバの傍を通り過ぎようとする。
その前に、ヨツバが立ち塞がった。
「竜に乗ってたんだよ? 普通の子じゃないよ。皆言ってる。あの子は化け物だって」
「どこが化け物だよ」
ハクの掌の感触をイチヨウは思い出す。
普通の少女の、柔らかな手だった。
「俺にはお前らが排他的な化け物に見えるね。狭い村に閉じこもってるから、新しい風が入り込むことを許せないんだ」
「私はイチヨウがたぶらかされてるようにしか見えない」
ヨツバは、イチヨウを睨みつける。
「冷静に考えてみてよ。竜に乗って現れた子なんて、普通であるわけないじゃない」
それを言われると、イチヨウは言葉を失うしかない。
しかし、イチヨウは彼女と誓いを立てたのだ。今更退く気はない。
このままでは、ハクを待っているのは、死刑か見世物としての一生のように思えた。
一人の少女を、そんな風に扱って良いわけがない。
「わかったよ」
イチヨウは、表面上だけはヨツバに合わせることにした。
格子の細工に気付かれては、元も子もない。イチヨウは、昼にハクを訪ねるのをやめた。
その分、夜になると会話が増えた。
囁き声で、二人は会話を交わす。
「それで、長老の爺が怒鳴ってな。お前は何度言ったらわしの言うことがわかるんじゃって。だから俺は言ってやったのさ。あんたの台詞なんてもう全部暗記できてますよって」
ハクは声を出さずに笑う。
ハクは良い聞き手だった。どんな話でも飽きることなく聞き入ってくれる。
「今日の細工はこれぐらいかな。随分と進んだな」
全ての格子に、既に切れ込みが入れられている。後は、いつ脱出に移るかだ。
それは、村を捨てるということでもあった。
「ねえ、イチヨウ」
ハクが不思議そうな表情で訊ねる。
「なんだ?」
「どうして却下されるとわかっていながら、何度も長老に伺いを立てたの?」
「それは……」
イチヨウは少し考え込んだ。
「なんでだろうな」
「イチヨウも、自分のことでわからないことがあるんだね」
ハクが、面白がるように掌を差し出す。イチヨウはその掌に、自らの掌をくっつけた。
帰り道、イチヨウは覇者の剣の前を通りかかった。
以前は必死に引き抜こうとしたそれの前を、イチヨウは通り過ぎた。
(俺の物語は、もう始まってる)
冒険の予感に、胸躍るイチヨウがいた。
なんで長老に何度も伺いを立てたか、そんなことはわからない。けれども、ハクの一件で、イチヨウはこの村に見切りをつける覚悟をつけたのだった。
(さて、後はいつ脱出するかだ)
皮袋に食料や水筒を詰め込み、冒険の準備を整えながら、イチヨウは考え込む。
慎重にやるとはいえ、格子を破るとなると、流石にそれなりの音がするだろう。気付かれる可能性は高い。その場合、見張り番と格闘になる可能性が高い。
村一番の剣士であるイチヨウだが、流石に村の人間に怪我をさせたくはない。
水源はどうにかなる。川のある場所はわかっている。ただ、川を辿った村人に捕まるような愚は避けたい。
問題点は山積みだった。
(それでも、やるしかないよな)
決意するように、イチヨウは皮袋を紐で縛る。不安は山積みだった。しかし、やるしかないのだ。
見張り台の鐘が鳴ったのはその時のことだった。
怒鳴り声が響き渡る。
「魔物だ、魔物が十五匹……いや、二十匹は向ってきている!」
青天の霹靂だった。
魔物が国境付近の森に集まっているとは知っていた。しかし、その前に砦はあるし、何より魔物の進行は森の向こう側に限られていたはずだ。
その例外が、今起こっていた。
村に居る成人男性は二十人に満たない。どうしても苦しい戦いになるだろう。
村の外に出て、イチヨウは外を駆けている大人の一人を捕まえて懇願した。
「俺にも剣をください。俺だって戦える」
「子供に戦わせられるか、馬鹿っ」
言って、大人は駆け去って行った。戦闘の準備に移るのだろう。
イチヨウは覇者の剣の前に行って、祈るようにその柄に手をかけた。
「頼むよ、抜けてくれよ」
今まで何故長老に無駄な伺いを立てていたか、その理由をイチヨウはようやく理解できた。
「今戦えなきゃ、意味がないんだよ」
イチヨウは、故郷に様々な思い出がある。
「俺の、故郷なんだよ」
イチヨウは、最後にはこの場所に帰りたかったのだ。だから、長老を説得しようと必死になった。
ハクのことがあって見捨てようとした故郷だが、それでも人死にが出るのを黙って見ていようとは思えなかった。
その時、右手の掌が光った。ハクと何度も重ねた、あの掌だ。
呆気なかった。
まるで今までの何百年の抵抗が嘘だったかのように、覇者の剣はあっさりと台座から抜けて、イチヨウの手に収まっていた。
剣が手の中で脈打つのを、イチヨウは感じた気がした。
大人達が、剣を持って村の外へと出て行く。
イチヨウも、その後を追って駆け出した。その素早さで、大人達の背はすぐに近付き、そして後ろへと消えて行った。
敵は大きな斧を持つ筋骨隆々としたオークだった。まともに打ち合っては、押し負ける。
「……イチヨウ!」
「その剣……!」
周囲から戸惑いの声が上がる。しかし、イチヨウはそれを無視して先陣を切ってオークの群れに飛び込んだ。
相手の斧を避け、懐に入って斬り下げる。まるで紙でも切るように、相手の体に深々とした傷が刻まれた。骨ごと内臓を絶つような一撃だ。
(斬れる……!)
イチヨウは感動する思いだった。大人に戯れに剣を持たせてもらったことがあるが、それと切れ味は段違いだ。
そこに、二匹のオークが襲い掛かってきた。
イチヨウは数歩退くが、回避に必死となる。大人達のように防具は用意していないのだ。生まれ持った素早さが、今は頼れる防具だった。
「素質は良い」
声が聞こえた。
男の声だ。この戦場において、活き活きとしているかのような男の声だった。
「ただ、多対一の場数が足りないな」
イチヨウと対峙していたオークの頭が二つ、地面に落ちた。肉の塊となった二つの体が倒れ落ちると、その奥に一人の見知らぬ男が立っているのが見えた。
眉間に傷のある二十代後半の男だ。
弄ぶように右手で剣を持っている。背には予備の剣を差していた。
男が剣を振るっていく。
その度に、オークの体が地面に倒れていく。
オークも強力な乱入者に気がついたらしい。三体が他の大人を放り出して男に切りかかった。
その隙間を、男は歩いて行った。
そう、まるで隙間を通して歩いたようにしか見えなかった。
だと言うのに、その背後には、三体のオークが死体となって積み重なっていた。
男の加勢で、あっという間にオークの二十の死体が周囲には転がっていた。
大人達は表情を緩め、眉間に傷のある男の周囲に集まる。
「ジンさん!」
「なんて良いタイミングに来てくれるんだ、あんたは!」
「まあまあ、ちょっと通してくれや」
ジンと呼ばれた男は苦笑しながら、大人達の間を通り抜け、イチヨウの前に立つ。
「お前さんが長老の手紙にあった夢見がちなイチヨウ君かな」
夢見がち、と言われてイチヨウはつい眉間にしわがよる。腕は立つが、一言多い男のようだ。
「夢見がちなだけじゃない。戦場に立つ度胸があるじゃないか」
そう言って、男はイチヨウの肩を抱いた。
イチヨウは緊張の糸が切れて、体が震えだすのを感じた。
手が強張って、剣を離すこともできない。
「あれ……? おかしいな……」
あれほど非日常に憧れていたというのに、初めて味わった命がけの戦場は恐ろしかった。
「大丈夫だ。俺も初陣の時はそうなった」
そう言って、ジンはイチヨウの肩を揺さぶった。
凱旋するイチヨウ達を迎える村人の奥から、ハクが駆けて来るのが見えて、イチヨウは思わず声をあげそうになった。
(どうしてよりによってこのタイミングで脱出してくるんだ……)
思わず頭を抱えたくなる。このままでは脱出計画が台無しだ。
ハクは村人をかき分けて、体を支えられてやっと立っている怪我人の体に触れた。
「おい」
「なんでこの娘、ここにいるんだ」
周囲の男が、嫌悪感を隠しもせずにそれを引き剥がそうとする。
しかし、ハクはそれをするりと避けて、怪我人の体に触れ続けた。
そのうち、苦しげだった怪我人の表情が徐々に和らぎ始めた。彼を支えている男が、それに気がつく。
「おい、この娘、神術を使ってるんじゃないか?」
「俺達を助けようってのか……?」
ハクは黙って、一心に怪我人に手を当て続けている。
怪我人はそのうち微笑んで、言った。
「ありがとう」
ハクは、柔らかな表情で微笑んだ。
「良いタイミングで来てくれたようですな、ジン殿」
長老がいつの間にか、その場に現れていた。
ジンは男達の間をかき分けて、前に出る。その隣には、彼と同じぐらいの歳の女性が立っていた。黒いローブを着た長髪の女性だ。
「二つの王家の懇願とあっちゃあ仕方ありません。手伝いにも来ますよ」
「マリ殿はお達者かな?」
「森の向こうで元気に暴れてると聞きます。今は、あまり会いたくない顔ですがね」
どこか投げやりな口調でジンは言った。
「では、それが手紙に書いていた少女です」
長老が、ハクを指差す。
彼女を隠すように、イチヨウはジンの前に立ち塞がった。
ジンはどうやら、ハクを王都まで送り届ける助っ人のようだった。ならば、イチヨウはその前に立ち塞がらねばならない。
多対一の戦いでは後れを取った。しかし、一対一ならばイチヨウもやり慣れている。
ハクは強張った表情をしている。彼女を守ると、イチヨウは改めて決意した。
「そしてその少年。イチヨウという名前だが、連れて行ってやって欲しい」
長老の言葉に、イチヨウは眼を丸くした。
「とりあえず、私の家に行きましょうか。他の面々は、武器を整え治療を受けるように」
長老はそう言うと、さっさと自分の家に向って歩き始めた。
ジンと女性がその後に続く。まるで先ほどの戦闘が嘘だったかのように、世間話をしながら。
イチヨウは、戸惑った表情のハクの手を引いて、その後に続いた。
「竜に乗って落ちてきた少女、ですか」
家の中で長老と向かい合って座り、ジンが言う。
「ええ。魔術と剣に自信のある人間を送って欲しいと願って王に手紙を出した。てっきり魔術で名高いフクノの人間が来ると思ったら、やってきたのは貴方だ。どうやら貴方は、魔術の才があったことを我々に隠しておられたようですな」
「まあ、今のご時勢じゃあまり外聞がよろしくないものでね」
ばつが悪そうにジンは頬をかく。
「で、どうですかな。魔物を使役する魔術。そんなものはあるのでしょうか」
「聞いたことがあるにはある。しかし、竜ともなるとよほど高等な幻想種だ。その少女は特別だと考えたほうが良いでしょう」
「やはり、王の保護を受けるべきなのでしょうな」
「保護?」
ジンと並んで座っていたイチヨウが口を挟む。
「あんたは、ハクを……この子を処刑しようとしてたんじゃ?」
長老は疎ましげに白い眉毛を動かした。
「わしは無難な審判が下るはずと言ったはずじゃがな」
「じゃあ、なんで閉じ込めていたんだよ」
「村の人間が不気味がる。その少女にとっても良い環境じゃないだろう。その子のためでもある」
「もっと言いようがあっただろう糞爺!」
イチヨウは思わず立ち上がる。
「その少女が王都へ連れて行かれる際、お前がついて行くと五月蝿くわめくのは目に見えていたからな。それなら情が移らんうちにすっぱり未練を断ち切ってやったほうが良いと思ったまでよ。まあ」
長老の目が、ハクに向けられる。
「その娘がここに居るということは、何か細工をしたということじゃろうがの。まったく、わしの手に負えん。」
長老は深々と溜息を吐いた。
「その手に負えん坊主が、覇者の剣を抜いた」
長老の視線が、イチヨウの手元に向けられる。
「ジン殿。これは何かの運命だとしか思えんのですよ。その少女が現われ、抜けたことのない剣が抜けた。町に魔物が襲い掛かってきた。何かが動いている。わしはそう感じてならない。その渦中に、この子供ら二人がいる」
長老の視線が、再びジンに向けられる。
「頼んでよろしいですな、ジン殿」
「よろしいも何も、既に二つの王家から頼まれているのです。この国の王には以前色々と便宜を計ってもらいもした。昔馴染の町に帰る道中でしたが、断れやしませんよ」
「それでは、なにとぞお願いいたします」
長老が深々と頭を下げる。
「村を出て良いってことか?」
唖然として、イチヨウは声をあげる。
「ああ、その方についていき、色々と学ぶが良い。精々、世界の広さを知るんじゃな」
イチヨウは、座り込んだ。
そして、ハクの手を握る。
「出れるんだ。村を出れる!」
ハクは微笑んだ。
「良かったね、イチヨウ」
「馬鹿、他人事みたいだけど、お前も助かるんだぞ!」
「うん、ハクも嬉しい」
旅の出発の日がやってきた。
長老の家の倉庫から出てきた鞘に収まった覇者の剣を腰に差して、イチヨウは村の出入り口に立つ。
ジンと女性も遅れてやってきた。
「二日酔いが酷い……」
ジンがぼやくように言う。
「しゃきしゃき歩く。私はマリさんみたいに優しくないんだからね」
女性がジンの背を押しながら言う。彼女は、名前をシホと言うらしい。ジンとは幼馴染の関係らしいが、一緒に旅をしているという理由はまだ知れない。
そして、ハクがやって来た。
「行くのね」
イチヨウは声のしたほうに視線を向ける。
ヨツバが、いつの間にかそこに立っていた。
「帰ってくるんでしょう?」
イチヨウは覇者の剣に視線を落とした。ずっとこの村を見守り続けてきた剣に。
「ああ、帰ってくる。この町の護衛も増えるそうだし、お前は安全な場所で待ってろよな」
「……それじゃあ、いってらっしゃい」
ヨツバは寂しげに笑って、手を振った。
四人は歩き出す。
「私、旅って初めてな気がする」
ハクが呟くように言う。その表情からは、どんな感情を抱いているのか読み取れない。
「きっと、楽しいことが一杯待ってるよ」
イチヨウが励ますように言う。
「辛いことも一杯待ってるがな」
「ジン」
ジンが意地悪く微笑んで言い、シホが苦い声で注意する。
「ま、最後にゃ良い思い出になるよ。俺はいつもそう願っている」
本当に願うような口調で、ジンは言った。
次回
都会の町並み