お別れ
広場の中で、彼女は立っていた。
全てを待ち受けていたかのように。
イチヨウ達は、アリシラの前に立った。
「エリシアは敗れ、イチヨウはそちらに裏切りましたか。所詮は、人間と言うことか」
「やめよう、ハク。俺達の、負けだ」
イチヨウが言う。
アリシラは、表情を変えなかった。
「いいえ、護衛者がいなくなろうと、私は退かない」
アリシラの体から、炎の渦が放たれた。
ハクアとシホが前に出て、神術と魔術の障壁を作り上げる。
「ハク、人間が好きって言ったろ」
イチヨウは言う。その右手には、緑色の光がまだ輝いている。
「賑やかにしている人間が好きだって。人間の技術は凄いって。だから、俺は信じようと思う。人間がその気になれば、色々な生物と共存だってできるって」
「できないんですよ。歴史がそれを証明している。人間の欲は深く、底はない。その数は増え、後にこの世界全土に悪い影響を与えるようになる」
「なら、その歴史を断つ時は今だ」
ジンが横から口を挟んだ。
「調律者は動物の悲鳴だ。その事実を知るだけでも、人は変わってくる。俺達で変えていけば良い。各国を回って、共存の大切さを伝えて行けば良い」
「そんな気休めがなんになりましょう? 例えば毛皮が流通しなくなれば、希少価値が高まり、密漁されるようになるだけです。それが人でしょう」
「確かに、そうかもしれない。けれども、俺は人の進歩を信じている。人は前へと進んでいく。色々と拾い零したものだって、拾っていける」
アリシラは表情を変えない。
「歴史が全てです。人は信用に値しないと、結論は出ている」
「俺達はお前に話しているんじゃない」
イチヨウは、はっきりとした口調でそう言った。
「いるんだろう、ハク。帰って来いよ、ハク。俺は、お前を見捨ててなんて行けない。人間を変えなくちゃいけないなら、二人で変えて行こう。その為のガーディアンに、俺はなる」
アリシラが、戸惑ったような表情になる。
「何を……」
アリシラの体から放たれる炎が、弱まった。
イチヨウは歩き始める。
そして、ハクアとシホの放つ障壁を越えた。
「おい!」
ジンが慌てたように言う。
しかし、イチヨウは死ななかった。炎は、まるでイチヨウを避けるかのように、二つに割れた。
アリシラ自身も、それに戸惑っているかのようだ。
「たった一ヶ月だった。けど、色々な思い出があるよな、ハク。人間と動物が共存している町だって見ることができた。気力を失った人間が、死んだように暮らしている町だって見ることができた。俺達の望むことは、一緒だと思うんだ」
イチヨウは、アリシラに近づいていく。
そして、その右手を取って、掌と掌を合わせた。
「帰って来い、ハク。お前がいなければ、何も始まらない。二人で、人間を変える旅をしよう」
アリシラが、初めて表情を歪めた。
「ハク、戻って来い! イチヨウが寂しがるだろうが」
「ハクちゃん!」
ジンとシホも、声をかける。
アリシラの体が、大きく二つに分かれる。
アリシラの中から、ハクの体が飛び出して、イチヨウの体に抱きついていた。
「イチヨウ!」
二人は抱きしめあって、草原の中に転がる。
「ハク……」
イチヨウは泣きそうな思いで、その体を抱きしめていた。
初めて、アリシラの顔に激しい感情が浮かんだ。それは、怒りの感情だった。
「この、私の中でずっと足を引っ張り続け、ついには裏切るか! この、裏切り者の慮外者め!」
アリシラが手を振りかぶった。その掌には火球がある。
しかし、彼女がその手を振り下ろすことはなかった。
ジンの剣が、彼女の胸を貫いていたからだ。
「魔術師のクールタイムを見逃すわけねーだろ、馬鹿」
ぼやくようにジンは言う。
「邪魔者を排除して、栄えるか、人間……!」
「……不本意だが、降りかかる火の粉は払わなければならない」
「これで終わりと思うな……。忘れた頃に我らはやってくる。姿を変え、何度でもお前達の前に現われる」
「……そうはならないように語り継ぐさ。精々、後世の人間を信じてな」
ジンは剣を引き抜いて、アリシラの首を跳ねた。
アリシラは、初めから存在しなかったかのようにその場から消えていた。
ハクは起き上がらなかった。
イチヨウの腕の中で、倒れたままだ。
その顔色は、悪かった。
シホは、その傍に座って、蒼白な表情になる。
「どうしたんですか、シホさん」
イチヨウは、戸惑うように言う。
「ハクアさんも、体調が悪いみたいだから、神術をかけてあげてくださいよ」
ハクアも、何かを察したかのように、視線をイチヨウから逸らした。
「無理なんだ」
ジンが、苦い顔で言った。
「皆を困らせないで、イチヨウ。ジンさんやシホさんが困ってたら、私も困る」
ハクは、そう言って弱弱しく苦笑する。
「どういうことだよ、ハク」
「魔力が、足りないの」
ハクの弱弱しい声が、イチヨウの心に強い不安を刻んだ。
「私はアリシラの一部だった。そう、一部でしかなかった。だから、個人として存在できるだけの魔力が足りない。私は、私だけでは、この世の中に存在できない」
「つまり、どういうことだよ……」
「私の体は、消滅する」
ハクの手を握るイチヨウの手に、力が篭った。
「魔力なら、俺からいくらでも持っていけば良い」
「そうも、いかないの。私は、様々な思念の集合体だから。一人だけから魔力を貰ったら、その影響を受けて、私はその人のただの分身になってしまうわ。私の心そのものが、残らなくなってしまうの」
「……死ぬ、のか?」
ハクの表情は穏やかだった。死ぬだなんて、考えていないかのように。
「思念体となって、少し旅をしてみようと思うの」
ハクは、呟くように言う。
「竜みたいに色々な場所を飛んで、色々な人の夢に出てみようと思う。色々な世界を見てこようと思う。たまに、イチヨウの元に戻って来るわ。色々な世界の話をしにね」
「俺も、連れてってくれよ」
イチヨウは、懇願するように言う。
ハクは、微笑んで首を横に振った。
「イチヨウは最初に、村に帰るって約束していたわ。約束は、守って。普通の生活をして。私の、帰る場所であって」
イチヨウの右手から、緑色の光が消えた。
ハクの体が、消えて行く。粒子となって、空へと舞っていく。
「ジンさん、ありがとう。ジンさんが守ってくれたおかげで、楽しい旅ができた」
「ああ。お前さんが神術できたおかげで、ちょっと楽ができた」
「ちょっとって言うのがジンさんらしいね」
愉快げに、ハクが笑う。
「シホさん、ありがとう。シホさんは、お母さんみたいだった」
「私も、娘だと思っているわ」
そう言ったシホは、もう涙で前が見えていないように見える。
「イチヨウ、ありがとう。そのうちきっと、私はイチヨウの元に帰るわ。約束」
もう下半身を失ったハクの上半身が、両手を使ってゆっくりと起き上がろうとする。
そしてハクは、イチヨウの唇にキスをした。
そのまま、ハクはその場から消えてしまった。
しばらく三人は、その余韻に浸っていた。
「マリさんの様態が、急に安定しました」
戸惑うように、ハクアが言う。
「洒落た置き土産を残していくじゃねーか」
安心したような、寂しがるような、複雑な口調で、ジンはそう呟いた。
次回
エピローグ




