冒険の予感?
出るらしい。それも、大量にだ。
国境に面した大きな森。そこに大量の魔物が現れるようになってから数ヶ月。
国境付近の砦に詰める兵は数を増した。
とは言っても、魔物達の興味はこの国の同盟先である隣国にあるらしい。こちら側へ出没したと言う話はとんと聞かない。
何が魔物達を駆り立てるのか。森の向こうにあるのといえば小さな港町だけだ。
その町には遺跡があり、国に認められた剣士隊の他にごろつきのような連中も雇われて遺跡調査に篭っているらしい。その遺跡にもまた、魔物が出るのだ。
魔物に囲まれて難儀なものだと思う。
しかし、そんな状況にこそ自分の剣は活きるのではないかとイチヨウは思うのだ。
イチヨウは若いが、村一番の剣の使い手だった。
剣に才ありと言われ、誰もイチヨウには敵わなかった。その理由は、村の誰よりも目が良く、動きも俊敏であることだろう。
大人達もイチヨウの素早さにはかなわないと脱帽する。
だからこそイチヨウは活躍の場を求める。
隣国に客員剣士採用試験を受けに行き、魔物の群がる町で活躍しようかと何度思ったかわからない。
そのたびに、村の長老に言われるのだ。
「考え違いをするな」
と。
「お前は村で一生を終えれば良い。生半可な力を振りかざして惨めに死ぬより、そのほうが幸せと知れ」
長老の言葉はいつも同じで、イチヨウはその内容を暗記してしまっている。
畑仕事に費やすだけの何もない日常。
それが変わる瞬間を、イチヨウは熱望している。
まるで何かが切り替わるかのように波乱に満ちた世界に身を置けないだろうか。それが、イチヨウの望みだった。
「長老様の言うことはもっともよ」
そう語るのは、幼馴染のヨツバだ。
イチヨウは十六歳で、ヨツバは十七歳。ただ一つ歳が上なだけだと言うのに、この幼馴染は何かと大人ぶる。
「はしかみたいなものだわ。自分が勇者になれると思って村を出ようとする。それを諌めてきたのが長老様だもの。貴方なんかが覆せるわけないわ」
木造の家が並ぶ閑散とした村の中を、イチヨウは早足で歩く。小柄なヨツバはその後を駆け足でついてくる。
「けど、あれを抜ければ長老様の考えだって変わるだろう?」
あれ、の一言でヨツバには通じたらしい。嫌みったらしい笑みを顔に浮かべた。
「無理だわよ。イチヨウなんかに抜けるわけがないじゃない。」
イチヨウが立ったのは、村の中央にある覇者の剣が突き刺さった台座の前だった。
この剣は、選ばれた者にしか抜けないと言う曰くつきの品だ。実際、今まで村で抜いた人間は見たこともない。王も足を運んだと言うが、結局は抜けなかったらしい。
これを抜いた瞬間に、自分は違った人間になれる。普通ではない人生を送れるようになる。そう思い、イチヨウは剣の柄に手をかけた。
言わば、この剣はイチヨウの輝かしい未来への第一歩だ。
しかし、どう足掻いても剣は抜けない。まるで台座と一体化しているかのようだ。
「抜けそうになったら教えてね?」
ヨツバはそう言って、台座の横にしゃがみこんでしまった。
イチヨウはしばらくそうやって踏ん張っていた。もう力など出し尽くしているが、ヨツバへの意地がイチヨウを引き返させてはくれない。
カラスが鳴いている。平和な昼下がりの村の一シーンだ。
そのうちイチヨウも根が尽きた。剣の柄を離すと、膝に手をついて肩で息をした。
「ね、抜けないでしょ?」
ヨツバはどうしてか楽しげに言う。
「五月蝿いな、そのうち抜けるんだ」
本当はイチヨウだってわかっているのだ。日常なんて変わらない。今日も明日も同じような毎日が進んでいくだけだ。
けれども、イチヨウはそれが嫌なのだ。胸躍るような冒険に身を任せたい。そんな気持ちは、イチヨウの中から消えはしない。
夜になると、イチヨウは窓から月を眺めてぼんやりとしていた。
自分はこの平凡な村で一生を終えるのだろうか。そんなことを考えると、中々寝付けなくなる。
本当はもっと大きな町へ出たい。本当は人から伝え聞く武勇伝のような冒険に身を投じたい。できれば自分の冒険を本に書いてもらって色々な人に読んでもらいたい。武名をこの国の隅々まで轟かせたい。
イチヨウの中にある疼きは、まるで病魔のように全身を苛んで離さない。
その時のことだった。
イチヨウは、聞いたこともない咆哮を聞いた。低く、良く響き、そして苦しみにもがくような声。
立ち上がって、視線を月から下にと向ける。
こちらに向って、黒い影が飛翔しているのが見えた。
あれは、竜だ。絵物語で見るような巨大な竜ではない。しかし、翼を広げた横幅は大人の身長三倍分はあり、その背には人影があった。
人影はぐったりした様子で、竜の背にしがみついている。
竜はどんどん近付いてくる。
イチヨウは、腰に木の剣を差して家の外へと飛び出した。
見張り台の鐘が鳴る。
家々から人々が困惑したように飛び出してくる。
竜は飛んで行く。
置いてかないでくれ、とイチヨウは心の中で叫ぶ。
(人が背中に乗っている。あれは、人が操っている飼いならされた竜なんだ)
非日常への期待感が胸の中で高まっていく。
しかし、影のスピードは早く、イチヨウから徐々に距離を離していく。
(もう駄目なのか……?)
イチヨウの胸に諦めが過ぎる。
(また、いつもの日常が繰り返されるのか? ただ、生きていくために生活するだけの毎日が。そんなの、生きてるって言うのか?)
そしてイチヨウははたと自分の願望の根源に気がついた。
(俺は、今とは違う自分になりたいんだよ!)
その時だった。
イチヨウの願いが通じたように、竜の動きが止まった。
そのまま、地面への落下が始まる。
イチヨウは駆け続ける。
竜の姿は幻だったかのように消え、その背に乗っていた人影だけが落下してきている。
イチヨウは駆けて、その落下地点に辿り着いた。
月明かりを浴びて、人影の顔が見えた。
長い髪をした、綺麗な少女だった。その作り物のような顔立ちに、イチヨウは思わず息を呑んだ。
イチヨウは腕を広げると、クッションになって少女を受け止め、その勢いに押されて倒れこむ。
少女の形の良い円らな瞳と、イチヨウの目が合った。
イチヨウは心音が高鳴るのを感じていた。
冒険が始まる予感がしていた。
「君……名前は? どうして竜なんかに乗っていたの?」
「私の……名前は? どうしてここにいるの?」
オウム返しのように少女は繰り返す。
イチヨウは、唖然としてその場に立ち尽くした。
村の大人達が、駆けつけてくる足音が聞こえてきた。