Umbrella
―――はぁ、さいあく。
雨が降るなんて聞いていない。
朝の天気予報でもそんなことは言っていなかった…はずだ。
もちろん傘なんて持ってきていない。
学校に置いてあったはずの折りたたみ傘も、こういうときに限ってなかったりする。
―――これじゃぁ帰れないじゃん。
腹いせに気まぐれな空を睨んでみた。…むなしい。
思わずため息が漏れる。
このまま待っていてもやむとは限らない。けど、この大雨の中ぬれて帰るなんて絶対に嫌だった。
―――あー、ゆーうつ。
「早くやまないかなぁ」
と、なんとなく呟いてみる。
「そうだなぁ、せめてもうちょっと弱くなってくれれば帰れるのになぁ」
「そうだねー、……ってうわぁっ!」
いつの間にか私の隣にあいつがいた。
家が隣で、幼馴染で、子供っぽくて、意地悪で―――
「なんだよ、そんなに驚くなよ。地味にショックだよ」
私より頭ひとつ分くらい背の高いあいつ。
「お、脅かさないでよ。やめてよね、びっくりした」
ホント、心臓が止まるかと思った。
「はは、悪い悪い。別に脅かすつもりはなかったんだよ。俺はただ気づかれないように忍び寄っただけ」
そう言ってあいつは、ニカッ、と無邪気な笑みを浮かべた。
いや、いきなり隣に人がいたら誰だって驚くって。
だけど、それを言ったところでやめるようなやつじゃないのだ、あいつは。
昔からそうだった。あいつはいろんないたずらを仕掛けてきては、私の反応を見て楽しんでいた。それは高校に入った今も、変わっていない。
高校生になってから、ちょっとは成長したと思ってたんだけどなぁ。
と、思わずため息。
「何だよ、ため息なんかついて。……あ、ひょっとして彼氏待ち? 俺邪魔か?」
……なんでそんなにうれしそうなのかな。
「ばーか、そんなんじゃないって」
私はそう言ってあいつから視線を外した。
「……ふぅん」
あいつは無駄にためてから、それだけつぶやいた。
どうせたいして興味もなかったのだろう。あいつはそれ以上何も言うことなく黙りこんでしまう。
ざぁざぁとうるさいくらいに音を立てて降り続く雨と、沈黙。
なんとなく手持ち無沙汰になって、分厚い雲に覆われた空を見上げる。
―――まだやみそうにないなぁ。
ちら、と横目に隣を見ると、あいつも灰色に包まれた空を眺めていた。
その横顔はぼんやりと何かを考えているようにも、ぼーっとしてなにも考えていないようにも見えて―――
ふと、あいつと目があった。
なんかあわてた。なんでかはわかんないけど。
「送って行こうか」
「……は?」
「だから、送って行こうか、って。家、隣じゃん」
……いきなり何を言い出すんだこいつは。
「いいよ、別に。もう少しここにいる」
「けどよ、なんか止みそうにないぜ? この雨の中濡れて帰んのかよ」
今日に限って、あいつは妙に食い下がる。
「別にいいの、私の勝手じゃん。あんたは帰ればいいでしょ」
「あー、まぁ。いや、そうは言うけどな……」
あいつは人差し指でぽりぽりと頬をかいてから、
「だってお前、どうせ傘持ってきてないだろう」
ばっ、と、思わずあいつの顔を凝視する。
「ぁ……」
か細い声が漏れて、ばつが悪くなってうつむいた私に、
「そんなおまえとは違ってほら、俺はちゃーんと持ってきたぞっ!」
自慢げに傘を私のほうに突き出してきた。……嫌味か、嫌味なのか。
「もう帰っちゃえよあんたなんか」
「ひでぇ! 俺の親切心を何だと思ってるんだ!」
いや、嫌味にしか聞こえなかったけど。
「しかも一本しかないじゃん」
「う……、まぁそこはほらそのー、なんだ、だからあれだ、ほ、ほら、世の中には相合傘というものが「い・や・だ」……これはまたえらく決断の早いことで」
即答で断る。どうして私があいつなんかと―――
そんなに嫌なのかよ……、と両膝を突いてうなだれるあいつ。
「まぁ、いいからいいから。濡れて帰るよりはましだろ?」
良くも悪くも立ち直りのはやいあいつは、そう言うと持っていた黒い傘を広げた。
二人で入ってもなんとか濡れない程度には大きい傘だった。
「ほれ、行くぞー」
というあいつの間延びした掛け声の直後、
とんっ、
と後ろから背中を押されて、よろめいた私は土砂降りの雨の中、
そこにかざされた、大きな黒い傘の中に踏み出していた。
隣には、至近距離にあいつの顔。
ニコッ、と笑う。
カッ、と頬があつくなった気がして目をそらした。
「ちょ、ちょっと、勝手に決めないでよ!」
目を合わせないまま抗議する。
「フ……、俺のスピードについてこれるかな?」
「話を聞けっ! 意味わかんないよ!」
「こ、これは! 伝説のエクス○リバーじゃないかっ!」
「ただの傘だろ!」
「いーのいーの。細かいこと気にすんなって。ほら、いくぞ」
あいつが小さく一歩踏み出す。―――私をぬらさないよう、傘を私の上にかざしたままで。
「ちょっ、だから!……あぁー、もうっ!」
とっさにあいつの横に並ぶ。それで、黒い傘があいつの上にもかかった。
……なんか、うまく丸めこまれたような気がして、すごく納得がいかない。
そんな私の心境を知ってか知らずか、私の歩幅にあわせてゆっくりと歩きながら、あいつは、
「結局、相合傘になっちまったなぁ」
ぽつりと、そんなことをつぶやくのだ。
「っ……!」
また、カッ、となる。
そんな私を見て、あいつはまた笑う。
「お? どした、顔が赤いぞ?」
あまつさえ、そんなことまでサラリと言ってのける。
こっちがどんな気持ちであそこに立っていたのかも知らないで―――
「っ! う、うるさい! 右肩がぬれてる! しっかり持って!」
「はいはい」
ホントは全然ぬれてなんかないんだけど、―――むしろぬれているのはあいつの左肩のほうなんだけど―――、あいつは文句一つ言わずに私のほうへ傘を傾けてくれた。
それから、二人とも黙ったままで歩き続けた。
やがて、大通りに差し掛かったあたりで、
「あんま気にすんなって」
ぽつりと、あいつがつぶやいた。
「……え?」
何のことかわからず戸惑う私に、
「次は、きっといいことあるからさ」
また、ぽつりとつぶやく。
その言葉で、すべてを理解した。
「……まさか、気づいてたの?」
そう問いかけるとあいつは苦笑を浮かべて、
「まぁ、伊達に幼馴染やってねーしな」
なんでもないことのように、当然だとでも言うかのようにそう答えた。
それからあいつは、呆気にとられていた私の方を振り向いて、
「そういうときはさ、我慢しなくていいんだよ」
私の目をまっすぐに受け止めて、
「思いっきり泣いちまえ。すっきりするぜ?」
いつもの笑顔で、ニカッ、と笑った。
じわ、と、目頭が熱くなるのを感じた。
なんだか悔しくて、うれしくて、なさけなくて、あったかくて、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、涙がこぼれた。
声を出さずにうつむいた私の隣で、あいつはしょうがないな、とでも言うかのように小さく息を吐いて、
まるで、私の顔を周囲から隠してくれるかのように、
―――ちいさく傘が、かたむいた。
一人用にしては大きな傘。
でも、二人だとちょっと窮屈。
それでも、この小さな傘の下が、私の居場所ーー