9. 第三王女
山からクラデリシア城に、視点が変わります。
クラデリシアは、農業を主な産業とする国である。
国土内に、強大な力を持つ龍が住んでいるという伝説により、その肥沃な大地は戦に巻き込まれることがなかった。
もちろんそれは、ただの伝説などではなく、実際に龍が存在するために守られていた平和であった。
星の美しい夜は、神聖とされる霊山アルステリアから、他の獣とは違う地に響くような咆哮が聞こえることがある。
また、夜の闇に紛れてその姿を現すという噂もある。
実際に山の頂近くから飛び立つ巨大な龍の姿を目撃した国民もいるらしい。
目に見える伝説ほど恐ろしいものはない。
近隣諸国からも、クラデリシア本国からも、その龍は畏怖の対象として、不可侵のものとして扱われていた。
その龍に会おうなどと思うものは、この国にはほとんどいない。
「もう一度、最初から説明しなさい。」
クラデリシア城内、第二王子キリト=カルディス=クラデリシアの執務室。
大きなガラス張りの窓を背に、王子は重厚な造りの椅子に腰掛けている。
碧色の瞳は薄く細められ、執務用机の向こうで震えている3人の侍女たちに向けられていた。
母親譲りの黒い髪は揺れることなく、じっと黙って考えているようだが、視線を当てられている侍女たちからしたら恐ろしい形相だろう。
何かを思考し始めると、まるで人形のように動かなくなってしまうのは、彼の欠点なのかもしれない。
精巧な顔のつくりが、さらに彼が生きた人間だという事実を隠してしまいかねない。
キリトと侍女たちを交互に見て、王子の傍に立つ執事、レン=ティアードは内心ため息をついた。
侍女たちは怯えきってしまっているではないか。
一刻を争う事態であるのに、無駄に威圧感を与えてどうする。
今の非常事態が落ち着いたら、少しこの癖を治す努力をさせたほうがいいかもしれないな、とレンは心に留めた。
とりあえず、彼女たちの萎縮を解かなければ、彼女たちは重要な情報をしっかり話してくれない。
にっこり、渾身の笑みを顔に貼り付け、出来うる限りの優しい声で言った。
「あなた方があの方に誠心誠意仕えなければならない事実は知っていますよ。
あの方から無茶なお願いをされ、断れなかったこともわかります。
・・・大丈夫です、この事態にあなた方の責任はありませんよ。
後になって罰を受けることはありませんので、安心してすべてを話してください。
大事な主人の一刻を争う事態です。協力を、お願いします。」
最後の言葉は、念を押すように言った。
その言葉で、はっとしたらしい彼女らは、お互いの顔を見合わせ、口々に言った。
「私は反対したのです、そのような危ない場所にお一人でなんて・・・」
「姫様はずいぶん前から準備をしていたようですわ、妙に質素な服を新しく御仕立てになって・・・」
「昨日の夕方に、顔を隠して馬車に乗られて行きましたわ。姫様にお願いをされてしまって、従者用の通路をご案内してしまいました・・・」
侍女たちは口々に自分の知りうる限りを話し始める。
彼女たちもやや混乱状態にあるため、話があちらこちらに飛んでいるので、なかなかわかりにくい。
しかし、こちらも現状をまったく予想していなかったわけではなく、やはり予想通りの話であるので、解釈に難くはない。
この国には、王子と王女が、3人ずついる。
国王と正妻であった王妃との間の子が第一王子ディーゼムである。
王妃は産後しばらくして不幸にも亡くなられてしまい、国王はその後3人の側室を迎え入れた。
その3人との間に、第二王子、二人の王女、第三王子の順で子供が生まれた。
この4人は年が近く、異母兄弟ではあるが、切磋琢磨しつつ王族たるべき教育を受けてきた。
第三王子が生まれてから10年後、第二王子キリトの母ユリアが女児を産んだ。
しかし王女であるはずのその子は、母親によってその存在を隠匿された。
ユリアは密かにその子を故郷の父親の元に送ったのだ。
クラデリシアの国境近くの小さな村で、彼女は幼少期を過ごした。
王女として城へとやってきたのは、ほんの5年前のことである。
少女フィリアは、ある日いきなり王女としての道を歩むこととなったのだ。
故に、第三王女であるはずのフィリアは、たまにとんでもなく突拍子のない行動を起こす。
侍女たちの話を要約すると、こうだ。
「昨日夕方、フィリア様は王女としての身分を隠して城を出られた。
従者用の馬車を借り、アルステリア霊山の麓へと向かわれた。
・・・おそらく、龍への生贄となるために。」
淡々と述べると、侍女たちはこくこくと頷いた。
あるものは目に涙を浮かべ、あるものは顔面を蒼白にして。
彼女たちもかわいそうに。
フィリアについていた侍女たちは、己の主人の命令に逆らうことがどうしても出来なかったのだろう。
主人が自ら命を捧げようとしていることをわかりながらも、それを止める権利も手段も持たなかった。
フィリアは、その特殊な出生からか、誰に対しても分け隔てない優しさを持っていた。
城に仕える人々の多くが彼女を慕っている。
傍仕えの侍女たちが寄せる好意はおそらく最たるものだろう。
そんな彼女たちに、酷なことをさせたものだ。
レンは、心底侍女たちに同情した。
「ありがとうございます。後はこちらで何とか、フィリア様を連れて帰ります。
あなた方はもう自室に戻りなさい。しばらくゆっくり休んでください。」
レンは侍女たちに退出を促す。
不安そうな顔で3人は会釈をして、部屋を出、執務室の扉を閉めた。
「さて、キリト。そろそろ戻ってきてほしいな。」
やはりそれまでの間微動だにしなかったキリトの肩をトントンと叩き、思考の世界から彼を引き上げる。
キリトが幼少のころから彼の面倒を見ていたレンは、周りに人がいなくなると砕けた言葉を使い始める。
彼はちらり、とレンを見てため息をつく。
「面倒なことになった。」
「それは城の中の人がみんな知ってるよ。」
そう、第三王女フィリアの失踪は、すでに城中に広まっている。
特殊な育ち方をしている彼女は、一度噂が広まると収集がつかない。
誰も彼もと関心を示し、さまざまなところに話が回るのだ。
フィリア様は今日の朝からお姿が見えなかった。
通りすがるフィリア様付侍女の顔色が悪い。
フィリア様の部屋から、複数の女性のすすり泣く声が聞こえる。
そんな噂が、太陽が頂点へ昇りきる前にレンの元へ届いた。
何かあったのではないかと侍女たちを捕まえ、問いただしてみるが、最初は誰も口を割らなかった。
しかし、しばらく問答を続けると、それまで押し黙っていた侍女の一人が大声で泣き叫び始めた。
フィリア様が出て行かれた、このままでは死んでしまわれる、と。
そうして、事態の全貌が明らかになったのだ。
「フィリアは、アルカの地に実りがなくなったことを気にしていた。
あの地域は、あの子が育った・・・特別な地だからな。」
キリトは、他の兄弟の誰よりもフィリアを愛している。それこそ、目に入れても痛くないほどに。
彼は感情を表に出すことが得意ではないためわかりにくいのだが、今おそらく気が気でないはずだ。
指で机を叩く癖が出ている。心配事があるときに出る癖だった。
「昔の伝説と同じように、自分の身を捧げてアルカを元に戻そうとしたのだろう。
・・・・・・・・愚かな妹だ・・・」
苛立ちと不安と焦りと、言葉の端から感じられる。
キリトにとっても、フィリアが育ったアルカの地は重要な意味を持っていた。
キリトとフィリアの母の故郷なのだ、血族のものが何人かいる。
何度か母ユリアに連れていかれたこともあるという。
それ故、大地がいきなり枯れてしまったことに対して、王族のなかで真っ先に行動を起こした。
調査隊を派遣したり、自身も視察に何度か足を運んだ。
しかし、原因はまったくわからなかった。
肥料を撒いても何も変わらない、水が濁っているわけでもない。
とにかく食料を配り、民を何とか生きながらえさせることしかできなかった。
諦めはしなかったものの、アルカの地にだけ専念できる立場ではない。
隣国との交渉や国内整備など、彼がやらねばならないことは多くある。
そうこうしているうちに、彼の地に死者が出た、という報告があった。
原因は食料の奪い合い。
アルカの人々は、その不安から普段にはない行動を起こしてしまった。
いつか食料の供給がなくなるかもしれない、という杞憂から発生した個人間の諍い。
殴り合いになった結果、打ち所が悪くて人が一人、亡くなった。
その事実にフィリアは非常に心を痛めていた。
彼女は誰に何を言うでもなく、自ら生贄になることを決意したのだろう。
実の兄にも、何も伝えずに。
「キリト、じっくり考えている暇はないよ。フィリア様はおそらく今朝早くに山を登っているだろう。」
王女だからと侮ってはならない。
彼女は小さなころから畑を耕して生きてきた少女だ。体力は他の農民たちと変わらない。
あの高き霊山ですら、登りきれるかもしれない。
霊山には龍が住んでいる。
誰もが恐れて近寄らないその山は、もちろん前人未到の地である。
どれほど険しいのかは予測が出来ない。
龍の元にたどり着く前に足を滑らせて、ということもないとは言い切れない。
そんな地へ向かった少女を呼び戻すためには、かなり強力な部隊が必要だ。
やたらと平和だったクラデリシア国には、他の国ほどの強い軍を持たない。
城の警備兵も、農民上がりのものが数多い。
彼らに龍の住む山へ向かえ、と命じるのは死にに行け、というのも同じだ。
おそらく試してみれば、警備兵のうち何人かは恐怖に倒れることだろう。
考える時間は惜しいが、闇雲に動くのは賢明とは言えない。
「わかっている。・・・レン、お前ほどの男が、どうするのがもっとも効率がいいのか気づいてないわけがないよな。」
試すような目でキリトはレンを睨む。
「それは、もちろん。しかし、私個人の意思では動くことが出来ないからね。」
レンは、キリトが考えていることを手に取るようにわかっていた。
というより、それしか手段はない。
「なら、お前に命令を下そう。
レン=ティアード、全力で妹を、フィリアを連れ戻せ。」
「承りました、キリト殿下。この身に代えましてもフィリア様を連れてまいります。」
二人はわざとらしい言葉のやり取りを交わす。
第二王子付執事、レン=ティアード。
灰色の短い髪と、赤銅色の瞳を持つ青年である。
常に穏やかで、かつ冷静なその男は、王子の執務の大いなる助けになっていた。
そして、普段は使われることはないが、その魔力と魔法技能は、王城最強と謳われる男であった。