4. 食わず嫌い
龍については、西洋的ドラゴンのようなものだと思っていただけるといいと思います。
「私はこの身など惜しくはありません。心優しき龍神様、どうか我が国に御慈悲を・・・」
【しつこいな。生贄として食べる気は毛頭ない。】
先ほどから進まない口論が続いている。
真紅の龍は、無理やりフィリアを押しのけるように外へと出て、滝に向かっていた。
いつもよりやや早足で道を歩く龍の後ろには、小走りでついてくる少女の姿があった。
「そんなに私には魅力がありませんか!?」
【全くもってその通りだ、よく気がついてくれたな。】
彼にとって彼女は、食べ物としての魅力が全くない。
どうにか納得して諦めてはもらえないものか。
ふと、数秒静かになってしまった彼女の様子が気になり、ちらりと振り返る。
クラデリシア第三王女フィリア。
彼にはわからなかっただろうが、彼女は人間の中でもかなり美しい少女だ。
白磁の肌、煌く長い白銀の髪、澄んだ翡翠色の瞳。
顔立ちはややあどけなさが残る可愛らしいものだが、ものの2、3年経てば誰もが振り返るような美女となることはほぼ間違いない。
幼少の頃から美しい姿を持っていた王女は、魅力がないなどと真正面から言われたことなどもちろんない。
むしろ、変に言い寄られたり、付け回されたりと、犯罪一歩手前までアプローチをかけてくる者もいたのに。
流石にショックだった。
さらにその言葉を放った相手は、憧れてやまない真紅の龍。
思わず目に涙が溜まる。
だが、こぼれ落ちる前に彼女は涙をぬぐい、その静かに燃える瞳を真紅の竜の背に向けた。
(・・・なんだ今の?)
すぐにまた先程のようなやりとりが再開されることとなったが、彼は少々困惑していた。
彼は、涙という現象を知らない。
フィリアの目に水が溜まり、こぼれ落ちる前に彼女自身が拭った。
その一連の動作がなんなのかが全くわからない。
人間は、わからないことだらけだ。
森の動物たちとはどうやら違うものらしい。
彼は、無自覚にも人間に興味を持ち始めていた。
「せめて指の一本でも味見してから・・・」
【却下】
「血の一滴」
【無理】
「じゃあひと舐めでも・・・」
【嫌だ】
断固として応じない龍にフィリアはげんなりとする。
そうこうしているうちに、彼の目的の地であるアルステリアの滝へとたどり着く。
「・・・綺麗。」
その光景に、思わず声が漏れる。
見上げるほどの高きから、飛沫をあげ落ちる流れ。
その飛沫が霧のようになり、日の光を受けて7色に輝く。
河として流れ始めた水は澄んでいて、底の石の色もよくわかる。
時折水の奥から何かが光を反射して煌く。おそらく魚の鱗なのだろう。
フィリアは、自分が住んでいた場所では見たこともない景色に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
【人間にも、美しいと思う感覚があるのか。】
「・・・もちろんです。ここが、アルステリアの滝・・・」
ここから生まれる流れが、人に恵みを与えるルティルスの河となる。
その河よりも何倍も強く感じられる魔力に、フィリアは身震いをした。
人の身で、このような場所に立ち入ることがあってもよいのか。
横を見ると、赤き龍は滝口にほど近い河の水を飲んでいる。
神聖な光景に見えた。
白き滝と真紅の龍。美しき色の並びだった。
「なぜそんなにも頑なに、私を食べないのですか?
私の願いを叶えずとも、パクリとすることは可能でしょう?
人間は、貴方様の前ではこんなにも無力なのです。」
木の根に腰を下ろし、隣に座っている龍に尋ねた。
二人でぼんやり滝を眺めていた。
彼はようやく朝食を終えることができ、多少落ち着いていた。
朝から起こされ、意味のわからないことだらけで、苛立っていたことは否定できない。
もう少し冷静に話をつけるべきだと判断し、こうしてゆっくりと話してみようと試みたのだった。
【・・・私は動物を食べない。】
「・・・なぜです? 聖水や植物より、体内に魔力を蓄積している動物類の方が、効率よく魔力を摂取できますよね?」
心優しき龍は、殺生を好まないのかもしれない。
崇高な考えをお持ちでいらっしゃるのかも、と彼女なりに理由を考える。
しかし、その真紅の龍は喉を鳴らし、頭を垂れる。
前足のあいだに顎を置き、バツの悪そうな目でちらりと少女を見て言った。
【・・・あの、血なまぐさい臭いが、・・・嫌いだ。】
つまり、ただの食わず嫌い。
その意味を数秒かけて理解し、フィリアは吹き出しそうになるのをなんとかこらえた。
笑っちゃダメだ、ここで笑ったら機嫌を損ねてしまう、ダメダメ・・・!
しかし、口元を手で押さえても、目は笑ってしまう。
まるで子供のような言い方。ちらりとこちらを見た金の瞳は、まるでいたずらがバレて説教を受けている子供のような目だった。
自分より何倍も生きているであろうお方が。
その様子に見かねた龍は、ふてくされる。
【笑いたければ、笑え。別に怒らん。】
そう言ってそっぽ向く彼に、彼女はついに吹き出し、声に出して笑ってしまった。
なんだこの龍、可愛い。
ついついそう思ってしまったという。
「大変失礼しました。」
ひとしきり笑い終えると、彼女ははっとして膝と手を地につけた。
つまり土下座である。
【構わん。拍子抜けされるのはわかっていた。】
森の動物たちも、捕食されると思っていた相手がまさかの偏食家であることを知ったときは、唖然とするものがほとんどだ。
しかしここまで笑われたのは初めてだ。
【さぁ、もういいだろう。お前は生贄として意味をなさない。わかったら帰れ。】
「そういうわけにもいきません。私は民の命を背負ってきているのです。なんとか龍神様にお力を貸してもらわねば、帰れません。」
龍はため息をついた。
この娘には何を言っても効かないかもしれない。
「アルティナ様やレイヴン様が生贄と引き換えに力を貸したという史実に縛られすぎていましたわ。違う形で何か私にできることがあれば・・・」
【・・・誰だ?】
「ご存知ありませんか?我が国に力を貸していただいた龍神様方の御名前です。」
アルティナ。レイヴン。
初めて聞く名だった。
龍神、とフィリアは言った。それはすなわち。
【私の他に、龍がいるのか?】
仲間がいる。しかも二頭も。
もしかしたら血縁者かもしれない。
いや、そうでなくても、同じ姿をしたものがいるというだけで心が踊った。
「数百年前の歴史書の多くに、その御名を残しております。姿を見たものはもう人の世にはいませんが・・・。
龍神様は長寿でいらっしゃるのでしょう?もしかしたら生きていらっしゃるかもしれませんわ。」
探せば見つかるかもしれない。
あぁ、今度はもっと念入りに、空から探してみよう・・・。
【長居しすぎた。早く戻らねばならん。】
気づけば、太陽は真上近くまで登っていた。
滝のそばに居すぎるのはよくない。
ここは龍だけの滝ではない。多くの動物が聖水を求めてやってくる。
自分や、まして人間がいては近寄れない。
来た道を戻る龍。
その龍をまた追いかける少女。
「なにか、私にできることはありませんか?城のものに言って、最高級の野菜料理を毎日作ることだってできます!」
【結構だ。間に合っている。】
「珍しい果物を、ほかの国から輸入しましょう」
【森にあるもので十分だ。】
口論の内容は、多少変わってはいるが、進歩がないのは変わらず。
適当にあしらいながら龍は前へ進むが、少女はその巨体についていくのにやや小走り気味である。
慣れない山道に、靴はボロボロになり、それを履く足も血が滲み始めているが、彼女は気づかないふりをした。
しかし、限界というものはいずれ訪れるもので、ついに草に足を取られ、音を立てて倒れてしまった。
【!】
「いったた・・・」
龍が振り向く。靴が脱げて赤く染まったつま先が現れていた。
彼女はくるぶしより少し上まである丈のズボンを履いていたが、足首は草で切っただろう細かい傷がいくつもあった。
【大丈夫か?】
山道を歩くだけで、人はこんなにも傷つくのか。
動物たちよりも強い星の力を持つのに、その体はとても弱い。
普通はもっと外皮が固くなるよう進化するだろうに・・・。
改めて人間は変な生き物だと彼は思った。
どうやら一度倒れてしまうと、なかなか立ち上がれないらしい。
力なく苦笑いしながら、彼女は立とうとするが、足に力が入らない。
【仕方ない。】
はぁ、とため息をついて、彼はがばっと口を開けた。
え、まさかこのタイミングで食べられるの、と彼女は当惑したが、覚悟虚しく彼は彼女を口に含むことはなかった。
歯を立てぬようフィリアにまとわりついていた服を咥え、首を回して自らの背に乗せた。
【掴まれ】
短く言って彼は大地を蹴った。




