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20. 血を引く者たち

「お、お兄様・・・?」


気づけば、その場にはフィリアと龍だけではなく、もう一人・・・黒髪の男が存在していた。

「なぜこちらに・・・?」

血相を変えた兄がその場に佇んでいることの意味が分からず、フィリアはひとりでにつぶやく。


「・・・それはこちらの台詞だ・・・お前は謹慎中だったはずだ」

フィリアに話しかけながらも、キリトのその瞳は一点を見つめ揺らがない。


「なぜ・・・赤き龍と共にいる・・・?」




龍と少女は顔を見合わせる。

なぜ、と問いかけられても、どういえばいいのかフィリアにはわからない。

ただ、彼女にとっては『呼ばれたから』。それがこの場にいる理由だった。

しかし龍がここにいる訳は彼女もわからない。


どうこたえるべきなのかと頭を悩ませていると、キリトはおもむろに地に膝をつき、頭を垂れた。


「御前を失礼いたします、龍神様。申し遅れましたことをお詫びいたします。私は、クラデリシア国第二王子、キリト=カルディス=クラデリシアと申し上げます。そこにいる愚妹の兄にございます」

王子という立場にあるキリトが、普段使わない丁寧な言葉遣いで龍に挨拶をする。

フィリアにとっては、その光景が異様に見え、衝撃に言葉を失った。


【・・・・・・フィリアの兄?】



しかし、相も変わらず人の言葉を解さない龍は、言葉の意味する中身しかわからない。

彼はこの時、むやみやたらに飾り立てる人間の言葉というものが少し嫌いになった。非常に複雑な心情を含む言葉は、何を言いたいのかが分かりにくい。


一方のキリトは、頭に直接響くような声に多少驚きつつも、今自分が言うべき言葉をゆっくりと音に変えていった。


「はい。・・・妹はまだ成人もしておりません。つきましては、何か御無礼にあたることがございましたら、兄である私が責任をとる所存でございます」


【・・・はっきり言え、お前の言葉は、わかりにくい】

ごちゃごちゃと、様々な感情が入り乱れている。

妹を大切に思う気持ち、龍に対する多少の恐怖心・・・しかし、それだけではない、複雑な何かが紛れている気がした。

初対面の人間に、どうしてここまで入り組んだ感情をもたれなければならないのか。龍は首を傾げたい心境であった。


じっと、龍はキリトを見つめてみた。

黒い髪はフィリアとは似ても似つかないが、今は顔を伏せているために見えにくい、緑色の瞳は彼女と同じ美しい輝きを放っていた。

山で会ったレンという男とはまた違うタイプの雄だ。あいつは非常に胡散臭いが、この男はまだ洗練されていない若い雄という印象だ。

と、そこまで分析しても、キリトがどうして自分に妙な感情を持っているのかはわからなかった。



「・・・もし、フィリアを生贄として連れ去るおつもりならば、私を代わりに、と申し上げたいのです」


すっと、顔をあげ、金色の瞳を見つめながらキリトは言い放った。



フィリアは息をのんだ。

「な、何をおっしゃっているのです、お兄様! それは私の問題であって、お兄様が代わりになることなど・・・」

「お前は黙っていろ」


ぴしゃりと強い口調で言われ、フィリアは言葉を止められた。


「レンに聞きましたが、まだ貴方様とフィリアは契約をしていないはず。しかし、この城まで追ってこられたということは、やはり彼女を生贄になさるおつもりなのではないのでしょうか?」


キリトは、テオドバルトから瞳をそらさずに問いかけた。

テオドバルトは、その視線を受け、ゆっくり、目を細めた。

【・・・私がここまで来たのは、フィリアを食すためではない。ましてお前のような雄などもってのほかだ。口に入れることを想像するだけでも吐き気がする】


「お、雄・・・」

予想外の答えに、今まで呼ばれたことのない言葉を無意識に繰り返してしまう。


【私はただ、会いに来たのだ】

「会いに・・・? それだけのために、わざわざあの、高き霊峰からこの地に降り立ったというのですか?」

【・・・だとしたら、なんだというのだ。龍が山を下りてはならないと、誰が決めた?】

「・・・・・」





「確かに、決められてはいませんが、あまり良いことは起こらないと思いますよ」


それまでその場になかった音が一つ、加わった。


その場にいた二人の人間と一頭の龍は、周囲を見渡す。

全員が、その声に聞き覚えがあった。



すぅっと、光の曲線が床に描かれる。

同時に見慣れない文字がその線に沿って描かれていき、やがて曲線は始点につながり、大きな円を描いた。

その瞬間、円からまばゆい光が柱のようにあふれ、次第に光が収まり、一人の人物の輪郭を明らかにした。



【レンとやらか】


テオドバルトは、先日の記憶を思い起こされ、無意識にぐっと足に力を入れた。




そして、


「あ、危な・・・!」


ガシャリ、と大きな音を立て、






巨大な龍がしがみついていた塔は、完全に崩壊することになった。





     *   *   *


龍神の降臨を目の当たりにした民衆たちは、王城の門に押し寄せていた。

彼らにしてみれば、まさしく神が舞い降りたのだ、より一層の繁栄を願って声を上げるもの、一心に祈りを捧げるものが城の前に集まっていた。

しまいには、家畜や我が子を生贄に捧げる、という言葉まで聞こえてきた。


実際に龍が降り立った東塔は、門からは他の建物に遮られみることはできない。

それでもそこに龍がいるのだと、騒ぎは収まる気配もなかった。 何せ何度か破壊音が聞こえているのだ、何かが起こっていることは疑いようもない。



やがて、門からよく見えるバルコニーに一人の男が立った。

その場所は、祭典や、王命を民衆に伝える際に利用される場所であり、門下に集まる者たちからよく見える場所であった。


男の存在に気付いたものが、周囲の者に注意を促し、しばらくすると民たちは口を慎み、頭を下げた姿勢で言葉を待った。




鍛えられた体に美しい宝飾と上質な衣類を纏わせたその男は、頭の後ろで束ねた薄茶色の髪を風にたなびかせながら、口を開いた。




その男の名は、ディーゼム=アルツクライン=クラデリシア――この国の第一王子であった。



「聞け、臣民たちよ。 今から私が話すことは事実であり、何一つ偽りはないことを誓おう。」

数えきれない視線が集まるその舞台に、王子の言葉は響く。


すうっと一つ息を吸い、言い放った。

「――この地に龍神様が舞い降りたことは真実である」

その言葉に、民衆たちは沸き立った。しかしすぐに、ディーゼムがそれを手で制する。


「龍神様が舞い降りたことで、我が国は今後の繁栄を約束されたも同然であろう。 しかし、龍神様は仰った」

その場は静まり返り、自国の王子の口からもたらされる、『龍神の言葉』を逃さぬようにと、皆耳をそばだてていた。


「この場に集まり祈りを捧げる者たちは知っているだろう、龍神様は、願いをかなえるためには生贄を要する。

 そしてこう仰ったのだ、『生贄は、勤勉でない人間を選ぶ。 人間社会を壊そうと思っているわけではないのだ、不要な人間を選ぶのは、人間にも龍にも利点があるだろう』と。

 意味が分かるだろうか、龍神様が選ぶ生贄は、王族からも、貴族からも、この場にいる者たちからも選ばれうるのだ。」



庶民たちが恐怖に凍る様子が、高いところから言葉を発しているディーゼムにも伝わる。

当然だ、「お前は明日生贄に捧げられるかもしれない」と言われているのだ。


「まだ、私たちは"クラデリシア国"として龍神様に願いをかなえてもらおうと決めたわけではない。 何しろ龍神様が降りてこられたのは突然のことであり、私たち王族がお呼びしたわけではない。 しかし、龍神様がここにおられる以上、何らかの事態によりそのお力を借りる時が来るかもしれないことは頭に入れておいてほしい。 無論、家族を愛し、懸命に土地を耕し、他者のために商に励む人間は、生贄に選ばれることはないだろうから、安心してほしい」










「・・・この話のどこに、安心できる要素があるんだろうな・・・」

バルコニーにかかるカーテンの裏側、民衆から姿の見えない場所で、キリトは呟いた。














――東塔が崩壊した瞬間、その場にいたキリトはレンの転移魔法によって中庭に移された。フィリアは赤龍にしがみ付いて助かったらしい。


改めてその中庭に龍を誘導し、着地させた。

城の者の多くは広間に避難していたため、中庭に誰一人いなかったのは幸いである。


視界の端に崩壊した塔が見えた。キリトの頭には、修繕費という言葉が重く鳴り響いた。



【・・・棲み処を壊してしまったか、すまない】

龍が申し訳なさそうな目で廃墟となった塔を見やった。


「・・・いえ、居住している者のいない塔だったので・・・。 そもそも強度が甘かったということが、今日、わかりました」

出そうになるため息をこらえ、キリトは龍に返答した。



「それで、龍神様は今後こちらに滞在されるつもりなのでしょうか。 フィリア様に会いにいらっしゃったと仰っておりましたが・・・?」

【いや、・・・・・・考えていなかった】


レンの言葉に、龍はフィリアに視線を移す。

そう、彼はフィリアに会いに来ただけで、それだけが目的であって、その後どうするかなんて考えていなかったのだ。


一応目的は達せられたので、山に帰っても何も問題はない。・・・ないはずだが。


(何か・・・このまま帰るのは釈然としない気がするな)

龍に見つめられたフィリアは、ぱちくりと瞬きを繰り返すばかりだ。



(フィリアがいない山は、面白くない)

そうだ、そう思ってあの山を下りたのだ。

フィリアがいるのならば、そこにいた方が一人でいるよりいい、と思ったのだ。


【フィリアは、ここに住んでいるのか?】

「? そうですけども・・・」


フィリアもフィリアで、なぜ自分に会いに龍が降りてきたのか理解できていなかった。

会ってすぐは、とにかく再会できたことが嬉しく舞い上がってしまったが、よくよく考えると自分に会いたいがために龍が降りてきたことは信じがたい。

たった1日共に過ごしただけなのだ。 何かほかに目的はないのかと聞きたくなるのは当然だ。


生贄の件を承諾したのか、と思いもしたが、先ほど当の龍はきっぱりと否定している。


本当に、気軽に友人に会いに行くように、彼は山を下りてしまったのだろうか。



――そうであるならば、それはとても、・・・・・・大変なことになるのではないか?




そうしてフィリアは、龍が持つこの国での影響力を思い出し、血の気が引いた。



【ならば、私もここにしばらく棲もう。 山に帰るのはつまらん】


そんな言葉が頭に響いたら、なおさらのことである――。




「・・・・・・本気ですか?」

レンがテオドバルトに確認を取る。 よく見ると顔が引きつっている。

【至って本気だが、何か不都合があるのか?】



ありです。 大ありです。



なんてことを考えつつも言葉に出せない兄妹が二人、黙ってレンにその場を任せていた。






「不都合というか、かなり面倒だと思いますよ、人間にとっても龍にとっても」





レンはぼそりと言葉を発し、くるりと振り返って顔色の悪い兄妹に向き直った。

「とりあえず、龍神様のお相手はお任せください。 キリト様、フィリア様と共に陛下の元へ向かってください。 陛下もご心配されておりますし、このことを報告されるべきです」

「あ、あぁ・・・」

「で、でも、テオドバルト様は私に会いに・・・」

「お任せください」

フィリアの反論に、レンは有無を言わさぬ目つきで制す。

鋭い眼光がフィリアをとらえ、ぞくりとした寒気が走る。


フィリアは、この時初めて自覚した。

この男は、――レンは苦手である、と。



【なぜフィリアを連れて行くのだ】

「龍神様、貴方様がこの地で暮らすためには、その準備をせねばなりません。 この国の主様に、許可を得ねばなりません」

【なぜ】

「それが人の地での決まり事でございます。 そうでなくば、貴方様の存在は人を混乱に導き、やがて破滅を導く存在となりうるかもしれません」

【意味がわからん】

「貴方様は、我らの恐怖の対象なのです。 その恐ろしい存在が、人間の地にありながら人間の制すところでないならば、民は平穏な生活を送ることはできません。 この地から民が離れ、国として機能しなくなれば、王族であるフィリア様もそのままでは済まないでしょうし、悲しまれることと思います」

レンはかなり飛躍した論を用いたが、この龍に人間社会の説明を長々とするよりは『フィリア』という言葉を用いた方が効果的だろうと判断した。



実際、現在城下町――否、国中が大混乱に陥っていると言っても過言ではない。

神とあがめている龍が、城に舞い降りた。これは天の祝福か、はたまた世の破滅を表すのか。

人びとは日々の務めも忘れ、ある者は歓喜し、ある者は恐怖し、祈り、叫び、城に詰めかけるか、家に閉じこもっている。


一刻も早く、この状況を収めなければならない。



【・・・・・・】

「どうか、しばしの間お待ちいただけますか」


龍はレンから顔を背け、身体を横たえた。

【わかった、待とう】

「ありがとうございます」


レンはキリトに目配せし、それに気づいたキリトは龍に礼をし、フィリアを連れてその場から離れた。




     *   *   *



兄妹は無言のまま国王が待つ謁見の間に到着した。


普段荘厳な雰囲気につつまれる謁見の間には、王族が一堂に会していた。


不安そうな顔でキリトとフィリアを見つめる第一王女ミシェル、彼女の横で身重の体を支える第三王子クロード、国王の側に控える第一王子ディーゼム。

そして、玉座に座る、兄弟たちの父親。



焦げ茶の頭に王冠を戴き、威厳を身にまとった壮年の国王が、遅れてやってきた子どもに視線を向ける。


キリトとフィリアはその場に跪き、国王にそれまでのことを説明した。




「・・・なるほど、な。 つまり、あの龍はフィリアを追ってやってきたと。 しかも、特に理由もなく」

鈍く光る王の赤い瞳が、フィリアをとらえる。


視線を感じたフィリアは、顔を上げることもできず、ただ目を伏せ、王の言葉を待った。



その場にいる者たちは皆、言葉を発することはなく、思考を巡らせる国王を見つめていた。



「困ったことになったな。 すでに城下は大混乱、目撃者が多すぎて龍を隠すこともできん。 だが、事実をそのまま群衆に伝える訳にもいかないだろう、・・・フィリア」

「はい」

「顔を上げよ」


父に促され、フィリアは血の気の失った顔をゆっくりと上げた。

鋭い赤い瞳に貫かれる。


この赤は・・・この人の持つ赤色は、時折怖くて仕方ない。

まるで血のように、くすんだ色だ。



「お前、龍に気に入られたのだな」

「・・・・・・」

そうだ、と答えるのも自惚れのようで、答えられずにいると、そのまま国王は言葉を続けた。


「お前は、神に等しい力を持つ龍に気に入られている王女。 意味が分かるか?」

「・・・申し訳ありません、仰りたいことが、私にはわかりません・・・」


冷や汗が背中を伝う感覚に、ごくりと喉を鳴らす。


本当は、なんとなく、察していた。

"神に等しい力を持つ龍に気に入られている王女"・・・とても、物騒な言葉に聞こえたのだ。



そう、つまり・・・

「つまりだ。 お前を利用し、龍の力を我がものにしようと考える愚か者が現れる可能性が存分にある、という意味だ」



(私なんかで、あの龍神様を操れるわけなどないのに)

それでも、フィリアを追って龍神様がこの地に降りてきてしまった以上、フィリアが影響力を持っていると考える人も現れる、というのは彼女も理解できた。


そして、そんな自分のせいで、おそらくこの城を騒動に巻き込むこともあるだろうことも、わかった。


どうやら、思った以上にとんでもない事態になるかもしれない。




「まぁ、そういうわけだ。 龍とフィリアの関係は、あまり口外できん。 ・・・もっとも、一度龍の元に生贄として向かったという噂を収めるのは難しいから、厄介なことが起こるという想定は必要だろうな」

ため息をつきながら、国王は呟く。


顎をひと撫でし、傍に控えるディーゼムを仰ぎ見る。

「ディーゼム、お前が城下の混乱を抑えよ。 龍の存在は隠し立てできん。 フィリアとの関係を隠匿し、かつ龍の存在をうまく利用し民の信仰心を高めよ。 我が国のために、やれるな?」

「もちろんでございます、お任せください」


父親と同じ色の瞳を輝かせ、次期国王となるだろう男は笑って言った。



彼はこの場にいるものの中で最も、言葉を扱うのがうまい人間であった。

第一王子として、演説の機会が多かったため、民にもよく顔を知られており、信頼されている。

事態を収める代表者としては適任だろう。


「キリトはディーゼムの補佐を、クロードは城内警備の統率を行え。 フィリアはミシェルの部屋でともに待機していろ」

各々、王の言葉を受け、動き始める。



呼び止められた、一人を除いて。



「フィリア」

「は、はい」

その場から退出しようとしていたところに声をかけられ、思わず上ずった声が出てしまう。

フィリアは恥ずかしくなり、顔を少し赤らめる。


「・・・・・・」

王はしばらく何も喋らず、じっと彼女を見つめていた。


先ほどまで怖いと思っていたその赤色は、今は優しげに・・・どこか悲しげにフィリアを映している気がした。



「・・・龍には、今日はもう会いに行くな」

ぼそり、と発せられた言葉。


まるで懇願のような、か細い音だった。


「・・・なぜ、です? あのまま、龍神様・・・テオドバルト様をレンに任せるのですか?」




その言葉に、国王は目を見開いた。


「・・・テオドバルト? そう名乗ったのか? あの龍が?」

「? いえ、私がそうお呼びしているだけで・・・」


「・・・そうか、もう行け」

王は、もう興味を失ったように、顔をそらし頬杖をついた。


フィリアは、とまどいながらもその場から退出した。

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