18. 再会
※今回は最下部に挿絵があります。
見たくない方は、挿絵表示をオフにしてください。
こんなに息を切らせて走ったのは、いったいいつぶりだろうか。
フィリアは驚き足を止める人々に目もくれず、全力で廊下を駆け抜けていく。
悩み続けていた王女らしさなんてものは、今の彼女の頭の中には存在していない。
ただ、一秒でも速く。
空の見える、高い場所へ。
赤き龍を、迎えるために。
彼女はただそれだけを想い、走る。
いつの間にか髪紐は解け、緩く編まれていた白銀の髪は解放されていた。
キラキラと光を反射する銀糸は、彼女の走る軌跡を描き、すれ違った人々に驚愕と感嘆を残していった。
長い廊下を抜け、螺旋階段を駆け上がる。
目指す先は、東塔の屋上。
彼女が城に帰ってきた際に、降り立った場所。
景色を一望できる、開けた場所。
螺旋階段を駆けていくうち、右の靴が脱げ、階下に転がり落ちた。
靴を拾う余裕もなく、片足だけでも構わず、彼女は走った。
もうすぐ、たどり着く。
残り数段、足にまとわりつくドレスのスカートを手でたくし上げ、屋上から差し込む光の向こう側へ飛び込んだ。
一瞬夕陽に目がくらみ、速度を落とし、足を止める。
強い風が吹き、彼女の長い髪が巻き上げられる。
肩で息をしながら、驚き閉じてしまった瞼を、何とか開き、赤色を探す。
自らの持つ銀色で覆われかけた視界の中、強い色を放つ存在を見つける。
霊峰を背に、大きな赤い翼を広げ、夕の光をその身に受ける、気高き龍。
その金の瞳に囚われ、フィリアは言葉を失った。
全力で走り、最初から早鐘を打っていた心臓が、一瞬止まりそうなほど苦しくなった。
【――フィリア】
低く優しい声が、脳内に響く。
龍は塔へ降り立とうと、翼を羽ばたかせ、ゆっくり降下してくる。
そのたびに吹く、強い風で舞う髪を抑えつつ、フィリアは龍を見つめていた。
言葉を発せられなかった。
あまりにその姿が美しくて。
目の前にいる存在を信じられなくて。
ただ、見ているだけしかできなかった。
もう次に会えるのは何年も先かと思っていたのに。
こんな風に予想を裏切られるとは、思っていなかった。
この姿を、目に焼き付けておきたい。
気を緩ませれば涙で世界が歪んでしまうだろう。
――しかし、そんな美しい光景は、轟音と共に壊された。
そう物理的に、大きな破壊音を伴って。
「・・・って、テオドバルト様!?」
龍が塔に降り立った瞬間、塔の屋上は半壊した。
彼の巨体とその重みに耐えられなかったのだ。
当然と言えば当然だろう。 人間が生活するために造られた建物だ。
龍が降り立つだなんて、誰も想定していなかった。
誰も、そんな重みに耐えられるように設計しようなんて、思いもしなかったのだ。
足場が崩れ落ちるなか、龍は必死に塔にしがみ付いていた。
もがけばそのたびに、脆くも壊れてしまった石壁の欠片が下へと落ちていく。
その様子をフィリアがハラハラしながら見つめる。
ようやく、絶妙なバランスで体重を分散させ塔の崩壊を止めた龍は、その場から一歩も動けない中、視線だけをフィリアに向けた。
少しでも動けばまた塔の崩落が始まるだろう、その緊張感の中、数秒二人は見つめあう。
そして、
「・・・っ」
ついにその滑稽な龍の様子に耐えきれなくなったフィリアが噴出した。
「ふ、あはは、っだ、大丈夫、ですか!?? っくく」
【・・・・・・。】
「す、すみません、とまらな・・・っふふふ」
口元を抑え、なんとか笑いを押しこらえようとするフィリアだが、それも叶わず。
身動きの取れない龍をそのままに、一人笑っていた。
【・・・あまり、笑うな】
自分がどれだけ滑稽な姿をしているのか理解はしているが、フィリアがあまりに笑うので、耐えられず龍は言った。
彼としては、もう少し感動的な再会にしたかったのだが、あまりにも残念である。
それでも。
こうして、再度見え、笑う姿を見られたのだから、良しとすべきなのだろう。
楽しそうに笑う少女の姿を見ているうちに、龍の曇っていた心も晴れた気がした。
「・・・ふぅ、すみません、失礼しました」
ひとしきり笑い、少し落ち着いたらしいフィリアは、微笑みをそのままに、歩を進めてきた。
「・・・テオドバルト様」
【な、待て、こちらに来るな! また崩れるぞ!】
テオドバルトの言葉も聞かず、瓦礫を避けつつ龍に近づく。
「崩れたら、受け止めてくださいませ」
【――!】
少女は龍に向かって、手を伸ばした。
足は止めない。 ゆっくりと、赤い龍に近づいていく。
彼も、それに応えるように、ゆっくり、ゆっくり首を動かし、少女に顔を寄せる。
からり、崩れた石の破片が、塔から零れ落ちる音がした。
その音に、ピクリと龍の動きが止まる。
けれども、彼女は止まらない。
白い腕が伸ばされ、細い指が龍の頬に触れる。
存在を確かめるように、鱗を撫でられ、少しむず痒いらしい龍が小さく呻った。
「テオドバルト様。・・・お会いしたかったです」
手をそのまま龍の顎へと滑らせ、フィリアは自分の顔を龍に寄せた。
【・・・私も、だ。 お前に会うために、ここまで来たのだぞ】
フィリアに応えるように、ほんのわずかに龍は頭を押し付けた。
鼻先を掠める彼女の髪が、少しだけくすぐったい。
「・・・私。 ちゃんと人の役に立てるようになるまで、あなたにお会いしちゃいけないと思っていたんですよ?」
【なんだそれは。 会いに来ない方が良かったのか?】
「そんなことはないです! とても・・・とても嬉しいです」
【そうか・・・。 お前が、泣いていないようでよかった】
「それはこちらの台詞です。 あなたが、泣いていないようでよかった」
【私がか? 私は涙など流さない】
「ふふっ、そうですね。 涙は、流さないですよね」
【何が言いたい】
「いいえ、なんでもないですよ」
他愛もない会話が、愛おしく思えて、フィリアは笑った。
その姿があまりに幸せそうだったから、テオドバルトは穏やかな気持ちで彼女を見つめていた。
それからしばらく、二人は言葉を交わさずに、身を寄せ合っていた。
フィリアの兄が、青い顔をして現れるまでは。




