15. 慟哭
龍視点です。
雨の音で目が覚めた。
ゆっくりと目を開く。
岩壁のアーチの向こうには、灰色に煙る景色。
人の姿は――ない。
まるで嵐のように、日常をかき乱した少女が去ってから、数日経った。
朝、目を覚ますたびに、じっと洞穴の向こうを見つめてしまう。
そっと耳を澄ませてしまう。
しばらくそうして、どこかに気配がないかを探して、ため息をつく。
あぁ、今日も"日常"が始まる――。
洞穴から外の世界へ、一歩を踏み出す。
ぬかるんだ土が、足を沈ませる。
いつもの雨のにおいが、身を包みこむ。
彼女がいなくなったその日には確かにあった、彼女の残り香は数日のうちに薄れていった。
おそらくこの雨で完全に消えてしまうだろう。
まだ、洞穴の前には火を起こした跡があるが、これもきっとすぐに消えてしまう。
彼女がここにいた痕跡が、どんどんなくなっていく。
いつもの道を通って、アルステリアの滝へ。
雨は、星の力を身体にそのまま打ち付ける。
それを心地よいと感じられなくなっているのは、なぜだろうか。
この空も、星の力も、普段の雨の日と何も変わらないはずなのに、いったい何が変わってしまったのだろうか。
その日の朝食は、いつもより味気なく感じた。
* * *
(・・・・・・・・・止まないな)
洞穴に戻り、体を丸めて外を見つめる。
雨は勢いを弱めることなく、止む気配はない。
雨の日は星の力がそこらに溢れるので、食糧を取りに行かずとも体は満たされたままになる。
たまに雨に打たれてみることもあるが、大体はこうして洞穴で眠っていることが多い。
この日もそうやって眠ってしまおうと思ったのだが。
(・・・暇、だ)
妙に目が冴えて、眠りにつくことさえできない。
目を瞑れば、白銀の流れが脳裏を過ぎる。
(人間は、雨の日は何をするのだろうか?)
あの日から、まるで呪縛にかかったかのように、人間のことばかりを考えるようになった。
彼女と別れる瞬間、何を言おうとしたのだろうか、とか。
あのレンとかいう男は何者なのか、とか。
彼女はもう泣き止んでいるだろうか、とか。
あの日まで、いったい何を考えて生きていたのかわからなくなるほどに、そんなことばかり考えていた。
ふぅ、と息を吐き、立ち上がる。
このままじっとしていても眠れそうにない。
気分転換に、外にでも出よう。
洞穴からより山頂に近い、見晴らしの良い場所へと足を運んだ。
* * *
晴れた日には、彼女が"クラデリシア"と呼んでいた、人間たちが住む場所がここで一望できる。
山の中にはない色合いがごちゃごちゃとして、あまり綺麗だとは思わないが、あの中に彼女がいるのだろう。
彼女がいて、レンとかいう男がいて、彼女が守りたかったものがあって。
あの色彩の中が、彼女の世界なのだ。
この雨では、あの鮮やかな色も灰色にぼやけてしまうが、決定的に分け隔てられた世界なのだ。
そもそも最初から、出会うはずがなかったのだ、人間とかいう生き物とは。
だというのに。
(・・・なぜ、こんなにも頭から離れないのだ)
人間なんて、たまに生き物を狩りにくるだけの存在だったのに。
石を積み上げて、よく食べ物を落としていく奇怪な生き物だと思っていたのに。
たった一日で、多くの変化を私にもたらした。
そういう意味では、やはり妙な生き物だと思う。
しばらく、そこでじっと人間が住む場所を見下ろしていた。
龍以外の生き物は、寿命が短いものだ。
人間もきっとそうだろう。
瞬く間に年を取り、変わっていく。
彼女もきっとすぐに私を忘れて、消えていくのだろう。
こうして私が、この場所から人間の世界を眺めているうちに、いなくなってしまうのだろう。
人間たちに囲まれて。
私と出会ったたった一日のことなど、他の多くの記憶に埋もれて。
何も思い残すことなどなく。
空を仰ぐ。
雨は止まない。
「―――――――」
咆哮をあげる。
この声は、彼女に届くだろうか。
雨の中に消えてしまわないだろうか。
どうか聞こえていてほしい。
私を忘れずにいてほしい。
(私の名は、テオドバルトだ)
そう呼んだのは、彼女――フィリア、なのだ。
(お前が呼ばずして、誰が呼ぶのだ、私の名を)
"ひとりでいる"悲しさは、すでに知っていた。
周りに誰も仲間がいない空虚感を、常に感じていたのだ。
"ひとりになる"寂しさを、私は初めて知った。
こんなにも胸が痛むのは初めてだ。
(私を忘れるな、私の名を呼ぶのだ、私を・・・ひとりにするな)
泣き続ける空に叫んだ。
人間には聞き取れない言葉を。
ただ、心が痛むままに。




