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11. 見えない涙

洞穴の中心部に体を横たえられて、フィリアは初めてテオドバルトの全身を見た。

腹部から下は人間の骨格をしてはいるものの、赤い鱗はそのまま残っていた。

堅そうな尾もそのまま小さくしたようで、形はまるで変わっていない。

足先には鋭い爪もある。今まで歩いてきた通り道にも、爪のえぐれた跡が残っていた。


見たことのないその姿を眺めていたのもつかの間、すぐにテオドバルトは炎に包まれ、フィリアが声を出す間もなく元の龍の姿に戻った。

【・・・どうした?】

やはり何でもない事のように彼はフィリアに訊ねる。

呆けた顔で一連の変化を目の当たりにしていたフィリアは、ようやく我に帰り、体を起こす。

「あ、・・・その、魔法を詠唱もなしに使われるので、びっくりしてしまって・・・」

その言葉に、テオドバルトは眉をひそめた。

【これくらいのことは、当然ではないのか】

「人間は、魔法を使う場合は大抵詠唱や魔方陣を使うのです。龍神様のように、膨大な魔力を持っていませんから・・・。」

ずいぶん不便な身だと彼は思った。

しかし、考えてみるとそこらにいる動物たちは、星の力を蓄えてはいるものの魔法は使えない。

人間は動物たちよりかなり多くの星の力を蓄えてはいるが、彼女曰く魔法を使うには面倒な手続きがいるらしい。

・・・それならば、龍である自分はどれほどの力が身のうちにあるのだろうか。

彼は、自分の力を当然のものとして扱ってきたが故、他と比べてどれほどの力を持っているのかなどと考えたことがなかった。



龍は普段体を休めている定位置に腰を下ろし、地面に座っているフィリアとなるべく目線が合うように頭を下げた。

【・・・人間、なぜお前たちは龍を神のように扱う?】

人間に比べれば膨大な量の星の力を持っているのだろう。

けれども、龍は龍。長寿といえども、やがて死は訪れるし、多少仕組みは違うだろうが生きるために食糧も必要だ。

生き物であることに人間と変わりなく、龍は神などではない。


「それこそ、当然なことだと思っていました。幼い頃からそう言われて育ってきましたから。

クラデリシアの国民は皆、龍神様の伝説を聴いて育っているんです。」

【・・・その伝説というのは、先ほど名前の出ていたアルティナとレイヴンの伝説か?】

龍が神だと讃えられる所以を作ったであろう二頭の龍の名を出す。

フィリアはその言葉にゆっくりと頷いた。


「お二方は、我が国が災難などに直面した際、その神のような力を用いて我らを救ってくださりました。

もちろん、無償ではないですけども・・・」

【それが、生贄というわけか?】

彼女は俯いて何も答えなかった。

それ自体が、答えだった。




小さなころから、生贄と引き換えに力を貸してくれる龍の伝説を聞かされていた少女。

彼女の抱える問題は、もう彼女だけでは解決できないと、最後の頼みの綱としてここまでやってきたのだろうか。

この高い山を登ってくるのは大変だっただろう。

足がぼろぼろになっても龍についてまわり、自らを生贄にするようにと懇願する様子を思い出す。


――どれほどの、覚悟なのだろうか、民のために龍に身を捧げるというのは。








【・・・もう夜も遅い。寝ろ。】

テオドバルトは体を丸め、眠る体制になる。

「はい・・・」

地面に座りっぱなしだったフィリアは、そのまま足を抱えて、膝上に頭を乗せた。


先ほどと眠り方が違うので、珍妙に思ったテオドバルトは、そこでようやく気付いた。

【寒い・・・のか?】

そういえば彼女の包まっていた毛布は外に置いたままだ。

人間はあれがないと眠れないのだろうか。

「・・・白状すると、そうです」

バツの悪そうな顔をしてフィリアは腕をさする。


【心底、面倒な生き物だなお前は】

テオドバルトはため息をつきながら尾を使い、フィリアをそばに寄せる。

【私の体温はそこまで高くはないが・・・そのまま寝るよりはましだろう】

フィリアは困惑しながらも、足に手を添える。

表面はやや冷たいが、じんわりとした熱が伝わってくる。

「・・・温かいです。ありがとうございます。」

そのままテオドバルトの体にもたれかかり、身を縮めて眠ろうとする。

目を閉じると、龍は尾や翼を寄せてフィリアを温めようとしてくれた。

テオドバルトの温かさに、胸の奥が温まるのを感じた。

フィリアは幸せな心地で眠りについた。





     *   *   *



朝、フィリアはテオドバルトの体が動かされたことで目を覚ました。

何事かと龍の顔を見上げると、険しい横顔があった。

ちらりとこちらに目をくれたと思えば、その大きな翼で覆い隠された。


【誰かがいる。黙っていろ】

短く意思を伝えられ、何かが起きているのだと体を縮めた。




テオドバルトは、彼の棲む洞穴の外にいる、大きな力の塊に警戒をしていた。

フィリアとは比にならないほどの星の力が渦巻いている。

これは人間なのだろうか。

もし、そうでないのなら・・・?

彼は思考を巡らせ、ある答えに行きついた。




――龍。


それであるならば、この強大な魔力の説明がつく。

しかし、龍であったとしても、自分よりはその力の総量は少ないように思える。

得体のしれないその存在に、不信感が募る。



しばらくそのまま二人はじっとしていたが、相手は何か動きを見せる様子はない。

焦れた龍は、言葉をかけることにした。

【おい、そこにいる奴、何か用があるのなら姿を現せ】


数秒間を置き、こつりと靴が鳴る音が聞こえた。

音が二、三回聞こえると、灰色の頭が姿を現した。



「――レン!?」

その姿を目にし、フィリアはとっさにその名を口にする。

【お前の知り合いか】

現れた人間の姿と、フィリアの反応に安心したテオドバルトは、覆い被せていた翼を自らの背にしまい、姿勢を楽にした。

「クラデリシア国第二王子付執事、レン=ティアードと申します。龍神様、朝早くからご迷惑をおかけいたしまして申し訳ありません。」

【・・・構わない】

「ありがとうございます。 ・・・フィリア様。お迎えに上がりました。」

灰色の髪の男、レンはテオドバルトに一礼をした後、フィリアの目をまっすぐに見つめ言った。

・・・迎え。

その言葉にフィリアは身を強張らせた。




「嫌です・・・。 私は、龍神様に生贄として受け入れていただくまで、ここを離れる気はありません。」

レンを睨み返し、反抗の意を示す。

拳を胸に当て、決意の強さを表そうとする。


ずいぶん勝手なことを言ってくれる、と他二人は内心ため息をついた。


「何を馬鹿なことをおっしゃっているのです。貴女様は我が国の大切な第三王女で在らせられるのです。そのようなことが許されると御思いですか。」

「第三王女だなんて、何もできないではないですか! 政治も外交もお兄様方がすべて取り仕切っていらっしゃるのだから、私が王宮にいたところで何も役に立たない! アルカのために何かしたいのに、生贄になるくらいしかできない・・・!」


"第三王女"という言葉に、フィリアの感情は爆発した。


「何が・・・何が王女!? 五年前まで無関係を装っておきながら、いきなり城に連れていかれて、王族として過ごせなんて命令されて・・・! 王女としてできることなんて何もないのに、自由を奪われるだけ!」



他の兄姉のように何かができるわけでもない。

表舞台にもほとんど出ることがない。

作法や行儀について叩き込まれ、王女らしく振舞うことを強要される。

いったい何のために?

王女として"在る"だけで、そんな形だけの王女に意味などない。



「そんな王女、必要ないじゃない! ただ国民の血税を食いつぶすだけの生活に、罪悪感を覚えないと思っているの? 実りのない地域では、命を落とす人までいるのに!」



それでも、王族は民のためになければならないと、そんな自分に何ができるかと考えた果てにここまで来たのだ。

自らが出した、自らの意味に対する答えさえも間違いなのか。




「そんなの・・・何のために生きているのかわからないわ・・・。」





はらはらと、涙が頬を伝う。

悔しい。

何もできない自分が。

泣いたところで、何もできないのに、涙が止まらない自分が。






「フィリア様。落ち着いてください。」

彼女の叫びをじっと聞いていたレンが口を開く。


「貴女様は、まだお若くていらっしゃる。御兄姉とはずいぶんと歳が離れていることもあり、まだ学ぶべきことが多くあるのです。今は無力を感じていらっしゃっても、いずれ貴女様も国を動かす力の一つになられるのです。」

フィリアは目を伏せ、涙を流しながらレンの言葉に耳を傾ける。

彼女だって、わかっているのだ。今は王族としての生き方を身に着けなければならない時期であることを。

「フィリア様は焦っておられる。その焦りは、王女として致命的な間違いにつながりかねない。・・・現に、貴女は一つ見落としていらっしゃる。」

その言葉にフィリアは顔を上げる。



「貴女がいなくなれば、悲しむ人が多くいます。 アルカの民も、彼らが愛する同郷の王女の死を悲しむでしょう。 民に死を悲しまれるような王女が、必要ない存在だと御思いになられますか?」



フィリアは、唇を噛みしめた。

何も言えなかった。



「私は、キリト様から貴女を連れ戻すようにと言われてきました。貴女を心底ご心配していらっしゃいます。どうしてもという場合は無理やりにでも連れ戻しますが、私としてはそのようなことはしたくありません。」


レンはフィリアからテオドバルトへと目線を移す。

「龍神様とは、すでに契約をなされたのですか?」

【・・・いや】

「それでは、フィリア様を連れて帰ることに問題はありませんか?」

【・・・・・・・・・ない】


なんとなく心が痛むようで、テオドバルトはレンの目を見ることができなかった。

わずらわしいほどに付きまとっていた少女。

早く諦めて帰ってほしいと、あれほど思っていたはずなのに、なぜだか即答ができなかった。

レンから顔を背けると、未だ涙を流し続けるフィリアと目が合う。

呆然とした表情で、テオドバルトを見つめていた。



「テオドバルト様・・・やはり、私を生贄に我が地を救っていただくことはできないのですか・・・?」

【・・・・・・】



テオドバルトは、涙というものを知らなかった。

目から滴が零れ落ちるという現象が、どうして、何のために起こるのかがわからなかった。

けれども、ただただ泣き続けるフィリアの姿が、・・・耳では聞こえない声で叫び続ける悲痛な思いが、その意味を彼に伝えるようだった。


悲しいと、人は泣く。

悔しいと、人は泣く。

自分ではどうしようもないと、助けを求めるときに人は泣く。

涙はきっと、助けを求めるための印なのだ。



このまま、彼女に救いを与えずにいて、本当にいいのか?

だが、彼女の言う救いは、彼女の命を奪うことだ。

たとえ彼女を生贄として受け入れることなく、望みを叶えたとしても、きっとこの少女は満足しないだろう。

彼女は自らの死によって、自分の意味を作ろうとしているのだから。



人間を知らなかった赤い竜は、最後まで迷ったが、何も答えることができなかった。




その沈黙に、フィリアはゆっくりと俯く。

二人とも、何も言葉を話さない。

感情が言葉にならない。





その状況に見かねたレンが、数歩足を進め、フィリアに手を差し出す。



「フィリア様。帰りましょう。貴女がここでできることは、何もないのです。」

残酷な言葉を放った。

フィリアの涙がより一層勢いを増した。

顔を涙でぐちゃぐちゃにして嗚咽する。




「城へ戻れば、何かできることがあるはずです。キリト様も補佐をお願いするかもしれません。 貴女は、命を投げ出すにはあまりにも若すぎる。」


フィリアはもう、何も考えられなかった。

ただ、どん底まで落ちた心を救ってくれる何かを求めて、レンの手をとった。

ぐっとレンに手を握られ、はっとしてテオドバルトを振り返る。



赤い竜が、どこか悲しそうな金の目で、こちらを見ていた。


「龍神様、御前で転送魔法を使用する許可をいただいてもよろしいでしょうか。 この状態のフィリア様を麓まで連れて帰るのは大変危険ですので・・・」

【私に構う必要はない】

「ありがとうございます。」


レンと言葉を交わす間も、龍は、ずっとフィリアを見ていた。


自分の日常をかき乱した少女を、光に包まれて姿を消すまで、ずっと。

その宝石のような美しい碧の目を、見つめ続けた。





(・・・お前も、私を置き去りにするのか)



彼女の顔が消える瞬間、大きく目が見開かれた。

何かを言おうと口を開いたのが見えた。

彼は心の中でつぶやいただけのつもりだったが、フィリアにまで伝わってしまったのだろうか。

結局、彼女の声は何も聞こえることなく、消えた。


忘れ形見のように、一粒の涙を残して。




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