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【閑話】 十七歳の誕生日

キリト視点、本編から十年前の物語です。

その事実を告げられたのは、十七の誕生日、馬車の中でのことだった。


「あなたには、妹がいるの。」

母の透き通った緑色の瞳はまっすぐに俺に向いている。

真剣な表情で、馬の御者などに聞こえないように静かな声で、そう言った。






母は、十七歳の誕生日に俺とともに生家に行くことを以前から決めていた。

父である国王陛下には事前に許可を取っていたようだ。

母をもともと警備していた衛兵、身の回りの世話をしていた侍女を連れ、さらに父がつけた護衛を引き連れての大所帯となった。

いくら平和な国とはいえ、国王の側室の一人と、第二王子が国境近くのいわゆる田舎に行くのだから、警備は万全を期す必要がある。

先発の護衛が道の安全を確認し、精鋭の衛兵たちが俺たちの乗る馬車に随行、後方にも周囲に目を光らせる者たちがいる。



それほどまでに準備をし、わざわざ母の生まれたアルカの地に行くのだ、ただ誕生日の祝いをするために行くのだとは考えなかった。

何か裏があるだろう、もはや子供ではないのだから、そう疑ってはいたのだ。


疑ってはいたものの、まさか知らぬうちに妹ができていたのだとは思ってもいなかった。

母の言葉を信じられない思いで反芻し、やっとの思いで言葉を返す。




「・・・どういう、意味ですか。」

ようやく絞り出したにも関わらず、ありきたりな質問しか返せなかった。


俺には兄弟が四人、いたはずだ。

兄の第一王子ディーゼム、双子の妹のミシェル・ジル、弟のクロード。すべて異母兄弟だ。

城にいるのはこの四人で、妹がもう一人いるなどとは聞いたこともない。


聞いたこともない・・・が、心当たりは一つだけあった。

それを口にする前に、母が口を開いた。


「五、六年前に、私が病に伏せっていたのを覚えている?」

「・・・はい。内臓の病気だと仰られて、自室に籠っていらっしゃいましたよね。」


そう、母は具合が悪いと床に伏せっていた時期がある。

具合が悪くなり始めてひと月が経った頃に、母は俺を呼び出して言ったのだ。


『私はちょっと病気のようだから、しばらく貴方に会えなくなってしまうわ。

私も頑張って病気を治すから、貴方も勉学と鍛錬に励みなさい。

・・・大丈夫、すぐに元気になるわ。他の兄弟たちと仲良くね。』


その頃俺はまだ十一、二歳で、母に優しく頭をなでられていた覚えがある。・・・今思い出すと恥ずかしい場面でもあるが。

母が病気と聞いたその時は、もしかしたら死んでしまうのではないかと不安になり、泣きそうな顔でその言葉を聞いていた。

後になって、大人たちはご懐妊なされたのでは、と騒いではいたが、医者や侍女たちは病気だとの一点張り。

母も部屋から外に出なくなったため、妊娠したという確実な証拠はなかった。

母への見舞いが許されたのは、父である国王ただひとりで、実の息子である俺は入室を許可されなかった。


母が『病気』になってから一年が過ぎたころ、快方に向かい始めたという医師の報告があり、やつれた顔の母と会うことが許された。

美しいと思っていた黒髪が短くなっていた。ずっと寝ているだけで邪魔だったから切ってもらったのだと母は笑っていた。

部屋の中には赤ん坊の姿などなかった。最初から病気だと信じ込んでいた俺は、母が子供を産んでいたのだとは思いもよらないことだった。



「・・・あの時に、ご出産なされていたのですね。」

「えぇ。貴方には騙してしまったようで本当に申し訳がなかったのだけれど・・・。」

そう言って、母は馬車の窓を見た。

現在、外から見えないように窓には黒い布が張られている。

外の景色なんて見えないはずなのに、そこからどこか遠い場所を見つめているようだった。


「あの子は王家にいさせたくなかったの。あの子なりの幸せを、私は願いたかった。」

俺に話しているのか、そうでないのか、まるで懺悔を聞かされている気分だった。



妹がいる、と母は言った。

その妹は、明らかに城にいる二人とは違う人物で、今はおそらく五、六歳ほどだろう。

生まれる前からその存在を秘匿され、生まれた直後に城から出され、―――この話の流れから、今向かっているアルカにその身を隠されたのだろう。

母一人でそのようなことができるわけがない。父の協力もしかり、医者や侍女たちにも口裏を合わせてもらっているはずだ。

どうしても存在を隠す必要があったのだろう。兄にあたる俺ですら、この歳になるまで伝えられないほどの。


「これから行くアルカに、その子がいるわ。

貴方は賢い人だから、きっとわかっていると思うけど、誰にも言わないでほしいの。

城で私と話す時も、陛下と話す時も、彼女の名前や存在も明かしてはいけないわ。

今日は、ただ貴方のおじい様にご挨拶に行くだけ。そう肝に銘じて頂戴。」


「それは構いませんが、ならばなぜ、私を彼女に会わせようとするのですか?」

隠していたのなら、話さなければよかったのだ。

王族として生かしたくないのなら、俺になど、話すべきではない。

問いかけの目線を送る。そうしてやっと、彼女はもう一度俺を見た。

その瞳は複雑な感情が混ざる色だった。懺悔と、不安と、人を産んだ者特有の優しさを滲ませた色だった。



「あの子の力になってあげて。今はまだ守られているけれど、いずれ貴方の助けが必要になるわ。

・・・そして、貴方にとってもあの子の力が必要になる時が来るはず。」

それ以上は何も聞くな、と言いたいのが伝わってきた。


今は何も考えず、誰にも言わず、ただ妹だという少女に会い、その存在を知っておけ。

まるでチェスの駒のようだ。そうでなくば、ただの一兵卒か。

母が、如いては母に協力する父が、何を意図し、何に備えているのか。

二人の息子であっても、将来国の一端を担うはずの王子であっても、それを知ることはできない。



見えないところで何かが動いている予感がした。

それに関わることがほとんどできない自分の無力さに、歯がゆくなる。





母から目をそらし、その後は会話なきままアルカの地へと辿り着くに至った。






     *   *   *





馬車が止まり、御者が到着した旨を伝えた後、ゆっくりと扉が開いた。

俺は先に馬車を降り、母に手を差し出す。

彼女は、いつものようににっこりとほほ笑んでその手をとった。


馬車の中であんな衝撃告白をしたとは、そぶりにも見せない。

対して俺はというと、なんとなく釈然としない気持ちが拭えないでいた。

表情には出ないように気は付けているが、外からどう見えているかはわからない。

母を見ていると、自分はまだ王族としては未熟なのだろうと自覚する。


如何に綺麗な仮面をかぶることができるか、それが仮面だと見破られずにいられるか。

王家として重要な課題なのだろう。




「やぁ、よく来たね。遠いところ、わざわざありがとうね。」




村の入り口には、一人の老人と、先発の兵士のうち二人が待っていた。

兵士たちは、こちらに向き直ると、最敬礼をし、その場から一歩退いた。

老人は、白銀の髪に顎鬚を生やした物腰の柔らかそうな男だ。

彼が、母を育てた、俺にとっての祖父だ。

母と同じ緑の目を細め、歓迎の言葉をかけてくる。


「お久しぶりです、おじい様。」

「ほほぅ、キリト君か。ずいぶん大きくなったね、何年ぶりかな。」

「おそらく、七年ぶりかと思います。」

最後に祖父とあったのは十歳のころだったと思う。

そのころと何ら変わらない外見、言葉遣いになんとなく安心を覚える。

城の中では変化は多い。人が多いところはたくさんのことが短い時間で変わっていく。

だから、こうしていつまでも変わらないかのような人と会えるとほっとするのだ。

きっと俺もこの七年でとてつもない変化を遂げたのだろう。祖父は成長を喜んでいるようで、じっと目を見つめてくる。

老いてもその輝きが失われない碧色の瞳に、なんとなくこそばゆくなってしまう。


「誕生日、おめでとう、キリト君。」


肩に手を置かれ、言われた。

その瞬間に、悟ったのだ。


祖父は、父母が意図していることを知っている。

なぜこのタイミングで妹のことを知らせたのか。

なぜその妹がいずれ俺を必要とするのか、もしくはその逆が起こるのか。

彼はすべて知っている。

でなければ、こんな寂しそうな目にはならないはずだ。








祖父に案内され、村から少し離れた丘の上の木造の小さな家へと向かう。

丘の下には牧草地帯が広がり、家畜が何頭か放牧されていた。

風が気持ちの良い昼下がりだった。王都では吸うことのない草の香りに、少し気持ちを慰められた気がした。



牧草地帯のど真ん中に家が建っているため、馬車でそのまま入っていくわけにもいかず、母の親衛の兵と侍女を連れ、残りは村に残してある。

連れてきた彼らは、妹の存在を知っているのだろう。


「さぁ、中へどうぞ。すぐにお茶をいれよう。」

「ありがとうございます、お父様。」

家の扉を開けた祖父に、母は礼を言って中へと入る。

護衛たちは玄関の外で周囲に気を配るつもりらしく、敬礼して家の壁に背を向けた。

俺は母のあとに続いて久しぶりの家へ足を踏み入れる。

家具の配置も前回訪れた時とほとんど変わっていない。玄関のすぐ先に居間があり、中央にテーブルが置かれている。

よく見ると、子供用の木の椅子が置いてあったり、ぬいぐるみが棚の上に乗っていたりと、小さな子供がいることが窺がえる。



「キリト君、そこに座りなさい。ユリアはこちらに。ちょっと待っていてくれるかい。」

湯を沸かす準備をしながら、椅子を指さす。

母は子供椅子の隣に、俺はその母の向かいに座った。

祖父は鍋を火にかけると、母に火を少し見ていてくれるように頼んで、奥の廊下へと引っ込んでいった。

あ、と思った。





祖父は妹を連れてくる気だ。

いきなり緊張に体を縛り付けられた。

相手はほんの小さな子供なのに、どんな表情をすればいいのか、なんて話しかけたらいいのかわからない。

母の方に目を向ける。

考え込んでいる俺をずっと見ていたらしく、目が合った。

「そんなに、緊張しなくても大丈夫よ。あの子は会ったことのない兄がいるって知っているから。」

「・・・母上は、その、妹をこちらに隠してから会いにいらっしゃっていたのですか?」

「いいえ。お父様と手紙のやりとりをしていただけよ。城から逃がしてから、初めて。」

そう言って母は目に涙を溜める。すぐに目元をハンカチで抑え、涙を拭う。

俺はその光景に心底驚いてしまった。

いつも強く気丈だと思っていた母が、涙を見せる場面など見たことがない。

どれほど辛い思いをして、妹と別れたのか。いったいなぜ。疑問は尽きない。

それから祖父が戻るまで、俺は口を開くことはできなかった。



きっと母は、俺が何も知らずに王子として過ごしている間、国王の側室として、二児の母として、悩み続けていたに違いない。

そしてそれはきっと今後もだ。彼女はいずれ妹や俺に『何か』が起こるのを予見している。

今回妹と、俺たちが顔を合わせるのは、その時の保険のようなものなのではないだろうか。

今回のことでは、彼女の悩みの根本の解決にはならないだろう。





湯が火にかけられ、煮立ち始めるような音だけが家の中に響いていた。

もうそろそろ火を消した方がいいのでは、と思い腰を浮かしかけたとき、廊下から祖父が戻ってきた。


「いやはや、お待たせして申し訳ないね。」

そう苦笑いして、祖父は顎髭を撫でる。

「っと、そろそろ沸くかね」

ぐつぐつと音を立ててきた湯に気づき、祖父は調理台へと足を運ぶ。


そして、廊下の入口に取り残されたのは、それまで祖父の足に体を隠していたのだろう、幼い白銀の少女だった。

いきなり祖父の足がなくなり、見知らぬ人たちに見つめられた少女は、びっくりした顔をして一瞬動きが止まった。

はっとしたようにパタパタと祖父の方へかけていき、その足にしがみついて体を隠しつつこちらを窺がう。


小動物のようなその姿に、つい頬が緩んでしまう。


「すまないね、・・・ほら、フィリア。ちゃんと話しただろう。お母さんとお兄さんだ。」

「・・・・・・」

火を消した祖父が、屈んで少女と目を合わせる。少女は祖父の服をつかんだまま、眉根を寄せた。今にも泣きそうだ。

祖父はよしよしと少女の頭を撫で、その小さな体を抱き上げた。

「よいしょっと、ほら、どうしたの、怖かったのかい?」

少女はぎゅっと祖父の肩をつかみ、首元に顔を埋めてこちらから顔を隠す。

その背中を祖父がポンポンと軽く叩いてあやす。



「ユリア、キリト君。この子がフィリアだ。」

あやしながらこちらにそう話しかける。


フィリア。

その音を聞いて、母は椅子から立ち上がり、ゆっくりと祖父に、祖父の抱く我が子に近寄る。

頬には涙が伝っていた。今度はその涙を隠そうとはしない。

ゆっくりと手を伸ばして、フィリアの長い銀の髪にやさしく触れる。

フィリアは泣きそうな顔で母を振り返り、声なきまま涙を流す母に不思議そうな顔をし、されるがままになっていた。


「フィリア・・・、フィリア、こちらにおいでなさい。」

髪を撫でながら、母は手を差し出す。

フィリアは祖父と母とを交互に見て、困惑していた。

「フィー、大丈夫だよ。フィーのお母さんだ、怖くない。」

祖父はやさしく微笑んで、フィリアを少し体から離す。

フィリアは少しおどおどしながら、ゆっくりと母の方へ手を伸ばす。


祖父からフィリアを受け取り、母は小さな娘を抱きしめた。

「あぁ、こんなに重くなったのね。フィリア、今まで会いに来れなかった母を許して頂戴・・・」

「おかーさん、なの?」

「そう。私があなたを生んだのよ。あなたのおかあさん。」

「・・・そっか。」

ようやく緊張を解いたのか、フィリアはにっこり笑って、じゃれるように母にしがみついた。

俺はその光景を、まるで他人事のようにぼんやり眺めていた。





「あのね、じーじがね、『おかーさん』はフィーのことだいすきだけどね、おしごといそがしいからあえないのって、ほんと?」

「・・・そうなの、ごめんなさい寂しい思いをさせて。」

「んーん、フィーはじーじがいるからさみしくないの。あとね、ね、ロナとかアーフィとかね、いるからいーの」

フィリアの言葉に、犬や羊の名前だと祖父から注釈が入る。

「おかーさんがね、さみしくないのかな、ってじーじにきいたら、おにーちゃんがいるからだいじょぶって。」

そういって不意にこちらに視線を向ける。

祖父によく似たまんまるの大きな緑の目に一瞬どきりとさせられた。

「おにーちゃんなの?」

「ぉ、・・・おう。」

焦って普段にはない返答の仕方をしてしまう。

その様子が面白かったらしく、祖父と母が声を上げて笑う。恥ずかしくなって顔が熱くなった。


フィリアは、というとにんまりと笑ってこちらに手を伸ばしてくる。

母がそれに気づいてフィリアを俺に託そうとする。

その顔にはもう不安そうな顔はなく、涙も止まっていた。


城の弟妹たちは歳が近いため、幼い子を抱くのは初めてだ。

ぎこちなく受け取ると、温かいその重みに少し驚いた。

小さくて柔らかい人間が自分の腕の中にいるというのは、なんだか不思議な感覚だ。


何が面白いのかわからないが、フィリアはぺちぺちと顔をたたいてくる。

どうしたらいいかわからずされるがままになっていると、耳の横で音量の調節ができない声で話しかけてくる。

「おにーちゃんかっこいーの!」

「ぉ、おぅ、ありがとう・・・?」

ちょっとうれしいが、やはりどう返したらいいのかよくわからず、とりあえずお礼を言ってみる。

「あのね、おにーちゃんほしかったの!あそんでくれるんでしょ!?」

「えーっと、何が何だかわからないんですが、なんて教えたんですか?」

祖父に向き直りどういう話の流れなのかを尋ねる。


「はっはっは、いやぁ、前に会ったときはユリアによく似た子だと思ったから、きっと美人に育つと思ってねぇ。

 フィリアにお兄さんがいるって言ったらどんな人だとしつこいものだから、かっこよくて優しくてきっと一緒に遊んでくれると言ってしまってね。」

まぁ間違ってないからいいだろうと母と笑いあう。

フィリアは俺の腕から降りたがったので、祖父たちをややにらみながらフィリアを下ろす。


フィリアはそのまま廊下の方へかけていき、ピタリと止まったと思ったら後ろを振り向き、またこちらに戻ってきた。

「こっち!おにーちゃん、いっしょにおうちをたんけんするの!」

そう言って俺のズボンのすそをつかみ、家の奥へ連れて行こうとする。

助けを求めて祖父に視線を送るも、母とともに傍観するつもりらしい。

柔らかく笑ったまま手を振られた。



「・・・お手柔らかに頼む、な?」

「なーに、それ?」

言葉の意味が分からなかったらしい。







結局その後、日が暮れるまで、わがままな小さいお姫様の遊びに付き合わされる羽目になった。

フィリアはくたくたになった俺とは正反対に、まだまだ遊び足りないと帰り支度をする俺たちに駄々をこねた。

しかし、帰らないわけにはいかないので、大人三人で彼女の説得をしなければならなかった。


「じゃあ、つぎはいつきてくれるの?」

「・・・・・・そのうち、来るよ。」

そうそう簡単に城を出てこられる身分ではないため、あいまいな返事しかできなかった。

後ろにいるために顔を確認できないが、母も苦い思いをしているのだろう。

フィリアは半泣きになって俺の足にしがみつく。

「そのうちって、あした?」

「うーん、明日はちょっと無理だ。」

「・・・じゃあ、あさって?」

この調子でいくと夜になっても離してくれなさそうだ。

困ってしまった俺に祖父が助け船を出そうとする。

「フィー、聞き分けなさい。二人は帰らなきゃならないんだ。」

「やだ!!」

「フィー。」

祖父の語調が強まり、フィリアの体は一瞬びくりと跳ねた。

「もう会えないわけじゃないんだ。フィリアがいい子にしてればまた会えるよ。」

「ほんと?」

上目づかいにこちらを見上げる。

さすが我が母の娘。将来母によく似て美しく育つだろうことを予感させる綺麗な顔だった。

そんなかわいらしい顔をされて肯かないわけがない。

「本当だ。いつになるかわからないけど、フィリアがいい子だったらすぐに会いに来るよ。」

小さな妹の頭をわしゃわしゃと撫でると、フィリアは服をつかんでいた手を緩めた。

「ぜったい?」

「絶対だ。」

「じゃあ、フィーいいこにしてる。」

「あぁ。」

「だから、そしたら、つぎにきてくれたら、おにーちゃんのおよめさんにしてくれる?」

「ん?」

何の話だ。

「けっこんしたらずっといっしょにいられるんでしょ?」

すがるような目で見つめられて、ひるんでしまった。


この少女は、そのまだ幼い頭で一生懸命俺と一緒にいられる方法を考えたのだろう。

その結果出てきた言葉なのだ、やはりフィリアは寂しい思いをしてきたのだと切なくなる。

この小さな女の子の希望を踏みつけるような答えを返していいのか、祖父を見上げる。

苦笑いをしていた。今までで一番悲しそうな目だった。



「もし、次に会ったときに、フィリアが俺のこと一番に好きだって言うなら、考えるよ。」

次に会えるのは、何年後になるかもわからない。

そのころにはきっと、同じ両親から生まれた兄妹同士では結婚できないと気付いてくれるだろう。

「いちばん?」

「そう、おじい様よりも、だ。」

そういうと、難しそうな顔をして、服から手を放してしまった。

「・・・うー。」

「結婚っていうのは、一番好きな人とするものだからな。」

ぽんぽんと頭を撫で、俺は立ち上がる。

その様子を悲しそうな目で見つめるフィリア。



「じゃあ、またな。」

「・・・ぜったい、またおかーさんもいっしょにきてね!」

「えぇ、もちろん。」

そういって母はフィリアをもう一度抱きしめた。



「村の入口まで送れなくてごめんよ。」

祖父がフィリアを抱き上げて言った。

「いいえ。フィリアをよろしくお願いします。」

母の言葉に、祖父はにっこりと笑った。

母は礼をして、祖父とフィリアに背を向けた。衛兵がそばについた。

颯爽と歩いていく。きっと彼女はそのまま振り返らない。

俺も母にならって歩き始めようと思ったが、ふと思いついてフィリアに近づく。


「!」

「おじい様のいうことをよく聞くんだぞ。」

小さな女の子の額に唇を一瞬落とし、髪を撫でた。

フィリアはびっくりしたのか何も言わなかった。

祖父と微笑みあい、礼をして俺も背を向けた。



俺も決して振り返らなかった。





今、あの無垢な女の子は祖父に守られている。

きっと、いずれ彼女は俺に託される。俺が守らなければならない。

母たちは、そう言いたかったのだろう。

夕暮れから夜へと一秒ごとに色を変えていく空を眺め、考える。


表沙汰にできない姫君。

見たところ、どこにでもいそうな普通の女の子が、なぜ隠匿されているかはわからない。

けれど、彼女の平穏を守るためには、傍で見守る者と、遠くから手を回す者が必要なのだろう。

きっと今はそのことだけわかっていればいい。

ただあの少女にそのまま笑っていてほしい。

そのためにできることを、俺はこれからしていけばいいのだ。



今日一日胸につっかえていたものは、なぜか溶けてなくなっていた。










―――それから五年後、俺は王族として城へ来ることとなったフィリアと再会する。

そのときフィリアの『一番』は別のものになっていたが、フィリアを守ろうという俺の誓いは変わらなかった。


そのころには、俺は母からなぜフィリアがその存在を隠されていたのか、という事実を聞いていた。

それでも、変わらなかった。いや、むしろ思いはそれ以上になった。

すべてを納得し、守るべき存在だと再認識したのだ。





故に、龍の生贄になるなど言語道断だ。

レンから無事であると確認が取れたため、帰ってきたらどれだけ俺が心配したのかを懇々と諭さなければならない。

俺の頭の中は、フィリアへどう説教するかでいっぱいになっていた―――

フィリアピンチ。

レンに連れて帰られてしまうとキリトからとんでもないお説教をくらいそうです。

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