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10. 借りの眼

引き続きレン視点です。

レン=ティアードは、第三王女フィリアの私室にいた。


キリト王子の執務室を退出した後、自身の書斎から魔導書を引っ張り出し、侍女たちに話を通して私室に入ったのだ。

魔法を使うために必要な魔方陣が数十種類書きとめられた魔導書は、彼の右手にあった。



魔導書といっても、印刷や量産されたものではなく、彼がその手で書き上げた複雑な陣の紙が獣の皮と麻の紐で封じられているものである。

魔方陣は、書くことそれ自体に魔力を要し、書き順を守らなければ作動しない。一つ書き上げるのに標準的なものでも一刻ほどかかる。

人間が魔法を使う際は、その魔方陣に魔力を送り込むことで、陣が回路の役割となり魔法が具現化する。

膨大な力を持つ龍は、利用する魔法ごとに形の異なる回路を瞬時に体内で組み上げ、かつ魔力を流し込んで魔法を使うのだが、人間からすれば計り知れない量の魔力がなければそんな芸当はできない。

仮に人がそんなことをしようとしたら、体内に回路を組み上げるのに何刻も必要で、その途中に魔力が尽きて最悪命を落とすだろう。

ちなみに人間が体内に回路を作ろうとするときは、決まった詠唱が必要になるのだが、詠唱のみで発動できる魔法はごく簡易なもののみである。

高位な魔法は体外に陣をあらかじめ作らなければ使うことはできない。より複雑なものは詠唱と魔方陣の両方が必要な場合もある。


すなわち、魔法を使う者のほとんどは、自らが書き上げた魔導書を必ず持っている。それがなければ本当に必要な時に魔法を使うことができないのである。

レンが手にしているのは、彼の作った魔導書の中では三冊目。何年もかけて作った、最も時間のかかった一冊。

ほとんど使われることのない、非常時のみに必要とされるだろう特殊な魔法がまとめられたものである。

彼が常に携帯している魔導書は、とっさのときに役立つ魔法がおさめられているのだが、今回はそれだけでは足りないと判断したのだ。


相手はあの龍である。

刺激しないよう注意しなければならないが、もし万が一の場合に王女だけでも救えるよう備えなければならない。

一刻を争う事態ではあるが、その中でも必要な手順があると彼は考えたのだった。






彼が魔導書を取り出してから、そのままアルステリア山に向かわなかったことにも理由がある。

まずは王女の生存確認をしなければならない。

時刻はすでに昼を過ぎている。朝早くにフィリアが山に登ったのだとしたら、すでに何かが起こっている可能性も大いにあるのだ。




魔導書を開く。ぱらぱらと紙をめくり、目的の一枚を取り出す。

即座に魔力を流し込み、魔法を発動させる。



『借りの眼』

目を閉じ、魔法を宣言した。




借りの眼という魔法は、その名の通り他人の眼を借りるものである。

借りる相手のイメージが強くなければ失敗する魔法である。もちろん死者の眼は借りることはできない。

フィリアの部屋には彼女の私物が置いてある。彼女に縁の深いものが近くにあればあるほど魔法の成功率は上がる。

これで眼が見えれば、彼女の状況を知ることができる。

見えなければ―――、最悪の事態である。

どうか視界が開けるように、と願いながら彼は彼女の視界への接続を待った。








まず見えたのは、傷だらけの素足。靴擦れだろうか、つま先やかかと近くに血がにじんでいる。くるぶしの細かい切り傷も目に入った。

そして次の瞬間目に映ったのは、赤い龍の頭。

その足に近づいてくる、ひざ下まで食いちぎることができるほどの顎を持った頭。

レンの顔面は蒼白になった。ぞくりと寒気が走り、全身の毛が逆立った。



足に触れるかというような距離に近づき、ふっと息を吐いたかと思えば―――

その瞬間、フィリアの足は炎に包まれた。

最悪の事態だとレンは唖然とした。

間に合わなかった、という絶望、後悔、情けなさが彼の心臓をつかむ。

キリトに顔向けできない―――と思いかけたとき、炎は消え、後に残されたのは元の綺麗な白い肌だった。




レンはその状況についていくことができず、思考が止まってしまった。

なんだ、今のは。

戸惑っている間にも映像は続く。

フィリアが、自分の足に手を触れる。傷が治ったことを確かめるように、ゆっくりと血で赤く染まっていた場所をなぞる。

そして顔をあげ、龍と目を合わせた。



金色の鋭い目に射抜かれ、レンはドキリとした。

龍が見ているのはフィリアのはずなのに、自分も見抜かれているような錯覚を起こす。

そんなはずはない。借りの眼を見破るのは至難の業だ。



しかし、あの龍ならばもしかしたら・・・

そんな憶測が頭をかすめ、彼はフィリアとの接続を瞬時に切った。





当初の目的は果たしたのだ、今フィリアは生きている。龍に食べられるような気配は感じられなかった。

しかし、いつ赤龍の気が変わるかもわからない。彼女は、レンには届かないものの強い魔力を持っている。

龍にとっては、鴨が葱を背負ってやってきているようなものだ。

急いで山へ向かわなければならない。









「レン」

フィリアの私室を出ると、壁に背をもたれかけ、レンを待っていたらしいキリトが声をかけてきた。

「キリト殿下! いらっしゃっていたのですか。」

気の知れた仲ではあるが執務室の外であるため、レンの口調は執事としてのそれに戻っていた。

「・・・レン」

言わなくてもわかるだろ、と言外に含ませ、キリトは碧の鋭い目でレンを睨む。

「手間が省けました。フィリア様は無事です。今からお迎えに上がります。」

フィリアは無事、と伝えた瞬間、キリトの眉間にあったしわが消え、目が驚きと喜びに見開かれた。

大きく深呼吸をし、心底安心したように頬を緩ませた。

「・・・そうか、よかった・・・。後は頼んだぞ。」

そう言ってずるずると壁伝いにしゃがみ込んでしまった。

緊張の糸が切れてしまったらしい。左手で膝を抱え、右手で首にかかっているペンダントを握りしめた。

ようやく、彼の人間らしい顔が見ることができた気がした。

キリトの穏やかな顔は、彼の母を彷彿とさせた。

早くフィリアを連れ戻し、フィリアともよく似た笑顔が見たいものだ。



「行って参ります、殿下。」




すでに用意してあった転移魔法を発動させる。

白に包まれていく視界。レンを見送るキリトの目が言う。

――必ず無事に連れて帰れ。 フィリアも、お前も。


にっこり笑って、レンはその聞こえない言葉を受け止めた。






     *   *   *



「お兄さん、今から山なんか登ったら日が暮れちゃうよ。」

アルステリア山の麓の集落に、レンは転移し、・・・村人に足止めを食らっていた。



レンが使用した転移魔法の強い光に村人は驚き、おそらく集落に住むほとんどのものが何事だろうかと集まってきた。

光から出てきたのは背の高い青年。身なりからきっと偉い人なのだろうと彼らは思った。

同時に、なぜこんな所へ、という疑念を抱いた。



レンは、驚かせて申し訳ない旨を周囲の人に伝え、山に向けて歩を進めようとした。

集落の者たちは驚いて、その行く手をふさいだのだった。



「・・・アルステリア山に、少女が登ってはいきませんでしたか? 私は彼女を迎えに来たのです。」

アルステリアに最も近い集落はここ一つしかない。

フィリアがここを通って行っている可能性は非常に高い。

すでに山頂近くで龍と出会っていることが分かっているので、あえて集落で時間を使いたくはないのだが、話を通すためには仕方がない。



住民たちは意を得たりという表情で、口々に話し始めた。

「あぁ、あの子の知り合いなのかあんた。なんて言ったっけな、フィリアちゃんだっけか?」

「いい子よね~! あ、昨日あたしのうちに泊まっていったんだけど、お皿洗いを進んでやってくれてね、あたしいいよって言ったのにさぁ」

「迎えに行くんなら明日の朝だな、兄ちゃん今日は俺んち泊まってけ!」

「いやいや、俺のとこに来なよ。都会の話聞かせてくれって!」


まずい、このままでは村人たちは延々と喋り続けてしまう。何も言っていないのにレンの泊まり先をどうするかと言い合いが始まっている。

焦ったレンは声を張り上げた。





「急いでるんだ!早くここを通してくれ!!」






その声は小さな集落に響き渡り、村人たちはぴたりと喋るのをやめた。

しばらくしんとしていたが、レンが一歩踏み出すと村人の一人が口を開けた。

「お兄さんよ、あのお嬢さんなら大丈夫だ。山の上には龍神様がいらっしゃる。」

「フィリア様は龍神様の生贄になりに行ったんだ、急がなければ・・・」

「知ってるさ。あの子からそれも聞いた。俺たちはちゃんと言ったんだぜ?

――龍神様は、生贄なんて食べない ってな。」


白い歯を見せ、ニッと笑った男は、眉を寄せて見返してくるレンに対して言葉を続ける。

「俺たちあの山に狩りに入るんだ。龍神様の足跡もたまに見つけるけどなぁ、そのへんは木の実の殻とか山菜が食いちぎられた跡だけで、骨とか肉の食べ残しとかないんだよ。

山頂近くに祠みたいの造って捧げものしたこともあってな、ここでとれた野菜はきれいになくなるんだが、肉はオオカミとかが食べた跡しかなくてな。

まぁ、何が言いたいかっていうとさ、あの龍神様、肉食じゃあないんじゃないかって結論に至ったんだよ、うん。」

その言葉に周りの村人はうんうんと肯く。

「だいたい人間食べるんだったら私ら生きてないでしょ。山の山頂近くまで狩りに入ったりしてるし、縄張り荒らしてるようなもんだものねぇ?」

「あんた知ってるか?よく晴れた夜にはすっごい悲しい声で鳴くんだよ。聞いてるこっちが辛くてな。」

「赤い龍しか見たことないもんねぇ・・・、きっと一人で寂しいんだろうね。」



レンは気が抜けてしまった。

クラデリシア城内ほどの恐怖の念を彼らは抱いていないらしい。知り合いについて話すかのような口調に、拍子抜けしてしまった。

それでも、行かないわけには行かないのだ。

早くフィリアを連れ帰り、キリトを安心させなければならない。


「とにかく、こちらにも事情があるんだ、急いで彼女を連れて帰らなければならない。」

「だからね、今から行ったらすぐ日が暮れて、山頂に着く前には夕方だよ。日が暮れ始めたらこの山はオオカミと夜行性の野鳥のものだ。あんた食べられちゃうよ。」

「私は魔法を使える。」

「あんた、龍神様がいる山で魔法使う気かい!?それこそ龍神様を怒らせちまうよ。あんたのこと食べないと思うけど、踏みつぶされちゃうよ!」

そう言った女性が声を上げて笑う。つられた何人かも笑っていた。

それはレンも気付いていた。不用意に山の中で魔法を使えば龍は気付くだろうし、下手をすれば怒らせてしまう。

だから、彼は最も山に近い麓に降り立ったのに、これだったら危険を承知していても山に直接転移したほうが良かったかもしれない。



レンがキッと村人たちを睨むと、彼らは笑うのをやめ、真剣な顔で言った。

「ともかく、今日は行くのをやめときなさい。フィリアちゃんはしっかりしてるから大丈夫。龍神様に守ってもらえる。」

「なぜそう言い切れる」

「山頂まで送り届けたのは俺たちなんだぜ。龍神様の棲み処までしっかり届けてやったんだから。」




なんて・・・、なんて迷惑なことをしてくれたんだこいつら・・・!

レンの顔が引きつった。

安全に届けてくれたのはありがたいが、彼らが動かなければフィリアは龍に会わずに済んだかもしれない。

眩暈がしそうだった。


急いでいるはずなのに、全然話が通じない。




「頼むよ兄ちゃん、あの子、生贄になれなくても、憧れていた龍神様に会えるならそれだけでもいいって言って山に入っていったんだ。

もうちょっとだけ一緒にいさせてやってくれないか?」





誰かが言ったその言葉に、フィリアのキラキラした笑顔が目に浮かぶ。

彼女が龍に憧れを抱いていることも、その理由もレンは知っている。

それを思うと、少し心苦しくなってくる。



「・・・少し、情報収集をさせてくれ。あなた達が言っていることに一つでも誤りがあったら、すぐに山に入らせてもらう。」

言いながら、魔導書を開く。

村人たちは驚き、一歩二歩と後ずさりをした。

彼らは何も言わずに、レンの様子をじっと見ている。




もう一度、借りの眼を発動させる。

フィリアの部屋から拝借していた彼女の髪飾りが、フィリアの視界へとつなげてくれた。




彼女は開けた岩場で火を起こしていた。

持っていた布袋から、野菜や果実、毛布などを取り出す。

それから、かき集めてあった木葉を広げ、上に毛布を敷く。



・・・クラデリシア国第三王女が、野宿をしている。

なんて逞しいお姫様だ・・・とレンは呆れてしまった。



と、彼女は立ち上がったらしく、すぐそこの森の入口へ足を運んだ。

木々の隙間から、奥へと目を凝らす。


そこにいたのは、あの赤き龍。

木々に生っている果物を食べていた。


そのさらに奥で鹿の親子が通って行った。

それとともに小鳥たちが草むらから飛び出し、近くの木にとまった

いずれにしても、龍とは一定の距離があるが、警戒しているようには見えなかった。

龍も、動物たちには一瞥もくれない。


ただただ、おいしそうに果実を食べている。

気のせいか、目が輝いているようにも思える。


こちらに気が付いたのか、・・・というよりももともと気付いていたのであろうが、ちらりと目が合う。

フィリアはびっくりしたのか、ぱっと後ろを向いて火の方へ戻って行ってしまった。






なるほど、どうやらあの龍は本当に草食らしい。

あんな人を食べそうな姿をしていてそれでいいのか、龍よ・・・。

心の中でちょっとつっこみを入れつつ、彼は少し安心していた。



同時に、あの龍に興味が湧いてしまっていた。

キリトには申し訳ないと思いつつも、レンはその集落でフィリアたちの様子を見守ってみることにした。


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