第四章 自治省の防衛部隊 その2
リアンのお気に入り仮眠場所は意外にも…?
庶民派な彼女はやたらに広い場所もキラキラしい場所も苦手です。
落ち着かなくて。
前回長官と揉めた立春祭イベントですが、さて、彼女はどこまで妥協を…?
ファネ16州。
王都キサラの北辺には山岳地帯を抱えるカプレス州のほかに
アギヤ州、ソイ州。
東辺には高原地帯のソニム州と砂漠地帯が半分を占めるシアラ州。
西辺には隣国イサと国境を接するルーマ州やカパラ州ほか半島部のトテチ州。
南辺は海洋に面してリゾート地の多いエンジル州、トマス州、イチヤ州、ソン州。
更に海上には島嶼州としてガンジ州、フス州、ミマイ州、マッカラ州。
第10代国王イランサの治世、ファネ国版図を拡大し周辺諸国を征服して
一大帝国を建設するという機運が高まった。
しかし、国王自身が途中であっさり政策転換する。
武力外交から平和外交に切り替えた…といえば聞こえが良ろしいが、
イランサが4番目の正妃イルーネを迎えたことが大きいらしい。
要は20歳以上年の離れた新妻と仲良く(ラブラブ)したい王様が
他国に進軍する気をなくした…ことが原因と歴史家たちは分析している。
以来、ファネ国領土は全16州をもって国土としている。
王都キサラは王府直轄だが、16州にはそれぞれ州政府があり、
首長として州知事がいる。
先代キランサ国王の時代までは各地域に勢力を持つ貴族の名門から
州知事が任命されていた。しかし、現ソランサ国王の時代になると
一代貴族の騎士出身、あるいは平民出身の州知事も出てきている。
立春祭に合わせ次々に上洛した16州の代表(多くは州知事であったり
州副知事であったりする)に会見するため、
自治省政務次官の予定表は過密状態になった。
16州代表はもちろん長官とも会見するが、こちらは表敬訪問という
意味合いが強く、いずれも、ものの15分程で終わってしまう。
実質的な要望を受け付けるのは次官以下、局長級の上級役人だ。
例え25歳の若造でも王族出身、王の叔父、現ミルケーネ公爵である
自治省政務長官キリルは、地方色の強い16州代表の中にあっても
不動の地位を誇る。
対して、26歳、地方役人出身、“あのアギール家の娘”である
自治省政務次官リアンは、灰汁の強い16州オヤジ連中を前に、
ともすれば好奇の目を向けられ、ともすれば小娘となめられそうな
立場であった。
隣国イサと国境を接するルーマ州及びカパラ州代表とは多少の面識が
あったため、この二人とは「比較的」良好な挨拶を交わせたのだが、
あとの14州代表からは、多かれ少なかれ
(何で、こんな小娘が政務次官に?務まるのか、お前に)
という無言のプレッシャーがかけられた。
リアンの暮らしていたルーマ州のように、地方によっては女性役人の
登用に積極的な所もある。
しかし、北辺のソイ州や東辺のシアラ州、島嶼部のマッカラ州などは
女性役人を認めず、「女は家に居て、家を守るべきもの」という
固定観念が依然強い地域がある。
しかも、中央官庁での女性役人の登用が始まったのはわずか3年前
のこと。
それも何故か王弟ワグナ殿下が突然発案して、あれよあれよ言う間に
決定したことだという。
王府の中でも女性の管理職はまだ少なく、
それだけに男性官吏からの反発や戸惑いも強い。
リアンが飛び込んだのはそんなファネ国中央の官僚社会だ。
幸いにも、リアンは、自覚皆無なものの“伯爵令嬢”である。
それも“アギール家令嬢”なのだ。
父クロンは時の王女に“あの人と結婚できなければ死ぬ”と言わしめ、
母ミアンは時の王子に“あの人と結婚できなければ生涯独身を貫く”と
言わしめた。リアンはそんな父母を持つ娘なのだ。
緩く波打った金茶の髪が腰まで広がる。黄緑の瞳が煌めく。
「お祭りなんですから!」と補佐官ヴァンサランと8人の側近に
揃って懇願され、前夜祭のある本日は団子頭を解いている。
いつもは朝ささっと叩いて塗るだけの薄化粧も、長官の差し向けた
侍女のお陰で派手にならない程度の“女優顔”に仕上がっている。
衣装は、王都行進を辞退したものの(当然だ!)、結局は
春の女神ディーテを模した薄紅と若緑の羽衣―春霞―を身につけている。
つまり、彼女がふわりと柔らかく笑めば、各州代表の口をしばし黙らせる
くらいの美姫に現在仕上がっていた。
ヴァンサランと8人の側近は良い(グッ)仕事をしたと上司の晴れ姿に
大満足だが(執務室で綿入れを愛用する田舎娘に彼らは密かに涙していた)、
当の本人だけは、なぜに着飾る必要があるのか納得できないままだった。
ともあれ、リアンは、入れ替わりでやってくる16州代表を
その仮装?で騙しつつ、各州の近況報告やら要望やらに耳を傾けた。
そして、それらの中にある「嘘」と「誠」、「何かおかしい」、
「どうでもよい」を密かに選別してゆく。
くだらない世辞や社交辞令に対しては軽く意識を飛ばして束の間の
休息を得る。真面目に全部聞いていた日には神経が擦り切れるからだ。
「次官、失礼するよ」
お昼を回ったところで、珍しく長官自らが部下の執務室を訪れた。
ちなみに、わずかの時間であるが、リアンが独りになることを
ヴァンサランから聞き、それを狙っての来訪だ。
他の8人たちは州代表の接待やら地元宣伝館の
応援やらで全員出払っている。
「リアン…?」
部屋を出た様子はないのに、姿が見えない。
念のため、隣の書庫とその隣の仮眠室を覗いたが、やはりいない。
「一体どこに…?」
何故か気配だけはあるのをいぶかしんで、キリルはもう一度
ごちゃごちゃ狭くなった次官執務室を見回した。
そして気づく。
薄紅の衣の端が机の端から食み出している。
(隠れているつもりか?)
長机の下をそっと覗き込むと、果たして薄紅と若緑の物体がなにやら
転がっている。
ミルケーネ公爵が発見したのは、僅かの休憩時間を最大利用して
熟睡する自治省政務次官の丸まった姿であった。
厚手の毛織物を寄木の床に一部敷きし、刺し縫い(キルティング)されたクッションを
2つ3つ転がして、なかなか寝心地は悪くなさそうな。
三方を袖机やら書類棚やらで囲まれているため、一度潜ってしまえば
そこに人がいるかなど、ちょっと見ただけでは分からない。
…というか、机の下で政務次官が居眠りしているなどとは誰も考えない。
「リアン、こんなところで寝ていないで仮眠室に…」
言いかけて止める。
彼女を抱き起こし、簡易寝台のある所まで運んでやろうと思ったのだが…。
(これはもしや、好機か?)
しっかり働いてくれば、ちょっとは良いことがあるとヴァンサランも
言っていたではないか。
リアンも他の自治省役人も言葉には出さないものの、
キリルをグウタラ長官だと思っている。
彼らのどこか諦めた態度がそれを示している。
しかし…省内ではヴァンサラン以外知らない事実であるが、キリルとて、
“別の場所”では真面目に働いて…いることも…少しはあるのだ。
愛しの姫君はまだ目覚めない。
金茶の髪を払うと閉じた瞼と唇が露わになる。
ほんの少し…触れたとしても、罰はあたらないはずだ。
王族出身とか公爵とか長官という立場はこの際、綺麗さっぱり忘れ去る。
眠っている娘に許諾なく触れるのはどうなのだという常識も一蹴する。
時間切れを恐れた青年はさっさと自らの願望実現に動いた。
が、しかし。
寸止めの事態は回避したものの、3度目の接吻を秘かに落とそう
として、ジリリリンという喧しい音に遮られる。
「わ、何だ?」
慌てて身を起こそうとした自治省長官は、机の角にしたたか頭を
ぶつけて蹲る。
「はいはい時間ですね~♪」
もそもそと起き出した自治省次官は、頭を掻きながら、机の上に
予め設定しておいた目覚まし時計を止めた。
背伸びを一つしてから、ぺちぺちと自分の頬を叩き、覚醒してみれば。
何故か自分の前に頭を押さえたキリルが立っていた。
「あれっ?長官?どうしてこんなところに?」
「貴女に用があって来たのですが…何で机の下で寝ているのですか?」
用とはもちろん衣装の見せ合いこであるが、それを口には出さない。
「仮眠室まで行くのも面倒で。それに狭い場所の方が落ち着くんです」
「髪がクシャクシャですよ」
自分のささやかな?悪事がバレないか、内心焦っていた長官だが、
だんだん余裕を取り戻し、リアンの寝癖を直してやる。
まだ少し寝ぼけているのか、髪に触れても嫌がるそぶりはない。
額に触れ、こめかみに触れ、頬を撫でて、顎のところで手が止まる。
「…長官?」
(ここで好きだと言ったら本気にしてくれるだろうか?
深く口付けたら応えてくれるだろうか?
強く抱きしめたら …逃げないでいてくれるだろうか?)
顎にかけた手に力を加えて、リアンの顔を持ち上げる。
キリルの顔がリアンに近づいていく。
「長官、何を…」
リアンは本能的に顔を背けようとしたが、キリルのもう一方の手が
リアンの後頭部をがっちり捉えて動けない。
大貴族のお坊ちゃんでいるようで意外に力がある。
次に来る“何か”に身構え、リアンはぎゅっと目を閉じた。
コツンと当たったのは唇と唇…ではなく、額と額だった。
「リアン…少し熱いですね?」
「え…? 暖房装置は今朝から復旧していますが、暑いですか?」
「部屋ではなく、貴女が。熱がありますね」
長官から指摘されて初めて、リアンは何となく身体がだるくて、
立っているのがいつもより辛いことを自覚する。
「…風邪をひきましたね?」
キリルの声が鋭くなったのはリアンを心配するあまりからだが、
彼女はそれを叱責と受け止めた。
体調管理は基本中の基本。大失敗だ。
「申し訳ありません。こんな大事な時に」
体力には自信がある方だが、自治省泊まり込み勤務で予想以上に疲労が
溜まっていたらしい。そこに暖房装置故障と立春祭準備が重なった。
「アギール家に連絡を取って…誰かに迎えにきてもらいましょうか」
「絶対ダメです!」
そろそろ祖父か叔父か痺れを切らして、自治省に訪ねてきそうな
時期なのだ。ここで具合悪くなりましたなどと連絡したら、
大騒ぎになることは目に見えている。
「これから16州地元宣伝館の視察が入っていますので
行ってまいります」
「…大丈夫なのですか?」
キリルは行くな休んでいろ、と言いたくて…言えなかった。
リアンの仕事熱心はよく知っている。
次官が“風邪を引きました。ちょっと熱があるので”と
立春祭の視察を簡単に取り止め(キャンセル)することはできない。
「この程度の風邪ならまだ大丈夫です。ご心配なく」
リアンは執務室に用意しておいた薬箱から風邪薬を取りだすと、栄養剤と
ともに飲み下した。
部下のために用意しておいたものだが、自分も使うことになろうとは、
というトホホの心境だ。
「…私に何かできることはありますか?」
白絹の手が額に触れる。冷たくて気持ちが良い。
しかし、先日キリルから浴びせられた暴言の数々が思い出されて
リアンは少し意地の悪い気持になる。
「それでは生姜茶を入れてください。
侍女に頼むのではなく、お手ずからお願いします。
ああ、生姜はちゃんと生のものを擂りおろしてくださいね。
粉末になったものを使うのはダメですよ」
「生姜茶ですか?」
藍の双眸に戸惑いが浮かぶのを眺めて、
リアンは自分のささやかな報復の効果に満足する。
もちろん本当に淹れてもらおうなどとは思っていない。
公爵様は生姜も大根も擂ったことなどないだろう。
卸し器に手を触れたこともないだろし、そもそもどんな器具なのかも
知らないだろう。
何やら悩んだ様子のキリルを見るのが楽しい。
「次官殿、まもなく視察の時間ですが」
フェイとアイルが迎えに来た。
最初の視察は彼らが担当している南辺及び島嶼部州の
地元宣伝館だ。
「リアン」
キリルが呼びとめる。
リアンは春の女神の出で立ちで彼の前に立っていた。
「では、長官、生姜茶はまた今度に。行ってまいります」
そして衣を翻した。
キリルのもう一つのお仕事。
そちらは半分以上、宰相に放り投げているのですが、
時々は真面目に取り組んでいるようです。
もう少し後の章で、キリルのもう一つの肩書***長官が出てきます。
リアン、長官に茶を淹れろという意地悪?冗談?が言えるようになる位、
二人の距離は近づいたということでしょうか。どうでしょうかねぇ。
次回、風邪っぴきの彼女が視察中に思いがけない再会をします。
そして
体調最悪、心の棘が抜けないままに、リアン、本祭突入です。
予告:「リアン…君が“アギール家の娘”?自治省の政務次官?」
「…お久しぶりね、ラウザ」