第三章 自治省の爆弾親王 その3
ベリル&キリルの舌戦…口だけで終わりませんでした。
昔は純情一途な王子さまも“生涯にただ一度の恋”に敗れて
中年になると………王弟殿下みたいになってしまいました。
リアンの気配が自治省最上階から消えるのを確認して、
キリルは翳のある笑みを年上の甥に向けた
「それではお互いに言いたいことを言い合うとしますか。
…私の“可愛い人”に何してくれるのですかね、この不良オヤジは」
「…お前、あの小娘の前だとトコトン馬鹿な男に成り下がるな。
脳みそ溶けたか、腐ったか。
あの眼差し、微笑み、抱擁…砂を吐きたくなったぞ!」
消毒だとばかり、ベリルは卓に置いてあった酒瓶に手を伸ばした。
公爵閣下は王弟殿下の手の甲を容赦なく打ちすえた。
「リアンからの大事な贈り物です。触らないでください」
「ケチくさいことをいうな。自家製果実酒とやらをひと舐めさせろ」
「嫌です、一滴だってあげません。
私が毎日少しずつ少しずつ大事に大事に飲むんです」
「その粘着体質なんとかし…じゃあ、こっちをもらうぜ」
自治省長官が陶器の壺を死守する間に、ベリルはショウコ酒の瓶を奪った。
「あ、返しなさい!それは私がリアンと酒盛りする用のものです!」
「ショウコ酒なぞ、お前の隠し貯蔵庫に幾らでもあるだろっ!」
「ふざけるな、酒が飲みたきゃ国軍の地下に腐るほどあるだろうが!」
酒瓶を奪取しようと、キリルは実力行使に出た。
相手が王弟だとか、国軍大将だとか、甥だとかいう遠慮は一切ない。
滑るような動きで近づくや、ベリルの手首を掴み、
間髪をいれず捻りあげた。
キリルのゆったりとした長袖がめくれ上がり、
白絹の手からは想像できないほど引きしまった筋肉が露わになる。
彼が個人調書に自ら記した「特技:剣術 棒術」というのは偽りではない。
若干補足するなら、剣や棒といった武器がなくても十分通用する
戦闘能力を持っていた。
「誰に喧嘩売ってるつもりだ?この色ボケしたクソ餓鬼が」
対するベリルも、しかし、負けてはいない。
相手の脛を蹴り、軽く脇腹に肘鉄を喰らわせる。
ベリルの外見や言葉づかいはおよそ王国軍の総大将らしくない。
日銭を稼ぐゴロツキ傭兵か、下町娼家のチンピラ用心棒か、
そんなところだろう…が、こちらも半端なく強い。
かくて高貴なはずの中年と青年各1名は、政務次官が
持参した酒2本をめぐってとっくみあいの喧嘩になった…
「はっ、さっきは良いトコどりしたつもりか、坊や。
小娘を全力で守ってま~すみたいな態度とりやがって。俺は悪役か」
「どこから見ても悪役そのものでしょう?その面は」
「この前、“私たちは敵同士じゃない”とか、ほざいてなかったか?
二枚舌、いや、百枚舌の腹黒め。俺にはあの小娘を苛める権利がある!」
「胸張って言う事ですかソレ…もちろんダメとは言いませんよ?
その度に私がそれはもう優しくリアンを慰めてやることにしますから」
「国軍総大将をてめえの私欲のための利用するつもりか?」
「大人しく利用されてください。
私の恋路を邪魔したら、この世界から本気で強制退場させますよ?」
ある意味…二人は互いの戦闘能力を正しく認識していた。
そしてどちらも王家の血を受け、かたや国軍大将、かたや自治省長官と
国家の要職に身をおいていることも忘れていない。
「殺し合い」と「喧嘩」の違いを弁えて、手や足を出しながらも
眼に見えるところに派手な傷や痣を作らない。
「11歳の時に初めて会ってから気になっていて心惹かれて、
17歳で彼女への恋を自覚して、22歳の時に求婚して断られて。
それを、なんとか四方八方に手を回して、ようやく、
王都に来てもらえたんです。
…それに引き換え、貴方の昔の葛藤なんてど~でもいいですよっ!」
「俺はお前の今の葛藤なんてど~でもいい。
…頑張っている割に全くの空回りが、いっそ泣けてくるねぇ。
11歳の時からとか言って、リアンに個体認識されたのは先月の
ことだろうが」
「それまでは事情があって正体明かすわけにはいかなかったんです、
仕方ないでしょう。
でも外堀は埋めましたので、あとは本丸をオトスだけです」
「馬鹿め、何も埋まっとらんわ。
誰がミルケーネ公爵とアギール伯令嬢の中を承認するものか」
「陛下の内諾は得ました」
「あれは内諾とは言わん。お前が煩いから様子見しているだけだ。
リアンの祖父や叔父は全力で反対するだろうよ
…もちろん俺も邪魔してやる」
「そうですか、そんなに私に殺されたいんですか。
貴方の愛しの御方は彼岸にいらっしゃるようですし
…いいでしょう近々お望み通りにしてさしあげましょう」
長官の渾身の一撃が大将の腹に決まるかという瞬間。
ベリルはぎりぎりのところで身体を捻って、攻撃をかわした。
が、完全には防ぎきれず、バランスを崩す。
左手に持っていたショウコ酒が卓の角にぶつかって粉々に砕ける。
中からは琥珀色の液体と芳醇な香りが飛び出した。
「何で、ここで貴方と酒盛りしなきゃならないんですかー!」
国軍大将の軍服にも自治省長官の絹服にも等しくショウコ酒が注がれ、
途端にキリルが情けない叫び声を上げた。
それが潮時で、二人はこの“拳の語らい”とやらを収めることにした。
*** *** *** *** *** *** ***
ワグナ殿下は来た時の同じ道、つまり、王族とごく一部の高官のみが
知る隠し通路に再び滑り込んだ。
政務次官に“挨拶”し、その上司と“遊ぶ”のに
予想以上の時間が経過していた。
自治省のグウタラ長官をきめこんでいるキリルとは違い、
ベリルは国軍総大将として多忙を極めている。
今も戻ってこないワグナ殿下を心配して(彼を心配してではなく、
彼が応対している相手を心配して)部下は青ざめていることであろう。
(しかし、あのキリルが、本気でアギール家の女を…)
世の中、奇縁で充ちているとベリルは思う。
自分たちの代で鬼門となった家の娘をまたも王家の人間が
追いかけることになるとは。
望めばどんな姫でも令嬢でも娶ることができる天上人でありながら、
よりによって、あんな口が悪くて、気ばかり強くて、庶民根性の女を?
…そんな年下の叔父を、可愛いとも可哀そうとも王弟は思う。
そしてまた…憎らしいとも思う。
自分が永久に失ってしまったものを追いかける叔父を。
自分には得られなかったものを、得られるかもしれない青年を。
(とことん邪魔してやる)
例えミルケーネ公爵から返り討ちにあおうとも、大人しくしている
つもりはない。
ベリルの恨みは実はなかなかに根の深いものであった。
キリルの父であり、ベリルの祖父にあたるのは第10代国王イランサ。
既に故人だが、ベリルがフェヌイ子爵ミアンに求婚した当時は
まだイランサ王の在位中であった。
ミアン18歳、ベリル14歳の時である。
王立学問所で行われる薬草学の授業で知り合った
4つ年上の淑女をベリルはずっと姉のように慕っていた。
普段は引っ込み思案で恥ずかしがり屋なくせに、大好きな薬草学を
学ぶ時だけはハキハキと発言して機敏に動く令嬢ミアン。
その後ろを、長い黒髪を一括りにした小柄な少年がくっついて歩いた。
しかし、ミアンが幼馴染のアギール伯爵長子と結婚すると告げた時、
ベリルは足元が崩れるのを感じた。
本当の弟であれば、ミアンが知らない男と結婚しても家族でいられる。
けれども、そうでない以上、自分は小さな王子として思い出になり、
そしていつしか忘れさられる…そんなことは耐えられなかった。
血を吐くような思いで、ベリルは国王イランサに懇願した。
見栄も矜持も捨てて、王座の前に両膝をついた。
(どうかミアンと結婚させてください。
次の王もまたその次の王も必ず
僕がお守りいたします。
王家の人間として、必ず国を支える人間に成長します
…だから僕にフェヌイ子爵令嬢を与えてください)
世間では、アギール伯爵令息とフェヌイ子爵令嬢の中を王家が
権力ずくで引き裂こうとしたと言われているが、
これは正確ではない。
祖父イランサは、ベリルが幾度頼んでも、最後まで首を縦に
振らなかった。
娘の心はお前にはないと諭され、それでも聞かぬと知るや
お前の都合で幸せになるべき者たちを不幸にするなと
雷を落とした。若い王子は衆目の中で国王から叱責された。
また、血の涙を流しながら、ミアンに求愛した。
(必ず貴女を幸せにします。
貴女だけを生涯ただ一人愛します。
必ず貴女を守ります…だから、僕と結婚してください
アギール家に嫁ぐのは、どうかどうか止めてください)
「あの人」の好きな香草で毎朝花束を作り、
何度もフェヌイ子爵家へ足を運んだ。
日に日にミアンからは笑顔が失われ、代わりに涙が
浮かびあがるようになった。
そして、終にベリルは会うことすら拒まれるようになった。
祖父が悪いとは言わない。だが、国王の勅命があったならば。
ミアンはクロスと駆け落ちすることもなく、隣国と国境の街を
彷徨いながら貧しい暮らしをすることもなく…
そして田舎で災害に巻き込まれて命を落とすこともなかったはず。
そう思ってしまう自分がいる。
愛してくれなくてもいい、微笑んでくれなくてもいい。
けれども、生きていて欲しかった。同じ世界に在ってほしかった。
例え、憎い男とその男との間にできた子どもと一緒にいたとしても。
祖父は“王”だった。誠の王。
過酷な時代を生き抜き、多くを奪いながら、また多くを生かした男。
しかし、煉獄の中に一生涯身を置くかに思えた、その王は。
4度目の婚姻で幸福を掴んだ。
20歳以上年の離れた巫女に恋をし、
その者を還俗させ侯爵家の養女とした後に、4番目の正妃に据えた。
二人の間には一子が誕生し、その王子は父王と母王妃の愛情を
一身に浴びて育った。過酷な時代を知らず、慈しまれて成長した。
イランサは王位を長子キランサに譲った後は、妃イルーネと王子キリルを
連れて度々“地方視察”と称した物見遊山に出かけて行った。
イランサ王は73歳で没したが、その最後の10数年は愛する妻と息子に
囲まれて間違いなく幸福に包まれたものだったであろう。
それを思えば
…自分が祖父イランサとその末子キリルを嫌うのも当然ではないか?
第三章はこれにて終了。
要注意人物その1と要注意人物その2の苛めはこの後、本格化いたします。
第四章予告。とあるキリルの失言
その1 「リアン、私は君がこれまでに2度結婚に失敗していることを
知っている」
その2 「貴族の娘はだいたい二十歳位までに嫁ぐ。君は完全な嫁き遅れだ」
さて、この後、長官と次官の間のバトルやいかに…?