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自治省の悪臣  作者: 雪 柳
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第三章 自治省の爆弾親王 その2 

リアン。

君はもう少し伯爵令嬢としての慎みを身につけてくれ。

地方役人として培った処世術を中央でも生かしてくれ。

売られたケンカを買ってばかりいたら、死なないまでも

これからの人生どんどん厳しくなってしまうよ~!



リアンの叔父、シャイン子爵クロンは王弟をこう評した。

(端的に述べると、腹黒い、嫌味、陰険、狡猾、という感じかな)

そして要注意人物その1指定のフッサール伯爵夫人フローネ

にしたような甘い弁護(フォロー)は一切しなかった。


クロンの全身からアギル殿下に対する嫌悪がダダ漏れする。

(とにかく、かなり壊れている奴でいろいろ危ないオッサンだ。

 性質(たち)の悪い変態おやじだ。遭遇しそうになったら全力で逃げろ)

最後に、王族なんてロクな奴いねぇ、とボソボソを悪態ついていた。

アギール伯爵次男であり、シャイン子爵を襲名しながらも

その王室に対する不敬罪とも取れる言動には理由がある。


なにせ“世紀のロマンス”カップルの駆け落ち婚を幇助して以来、

アギール家一門は王族から苛められ続けてきたのだ。

さすがに、纏まりかけていた伯爵令息と子爵令嬢の成婚に

横槍を入れたのは王家側だったので、表立っての

公職追放や爵位剥奪は行われなかった。


しかし、王家からの冷遇と王家に(おもね)る貴族からの嘲笑(イビリ)

長く続いた。

権謀術数に長けた老獪なアギール伯爵はともかく、

まだ若かったシャイン子爵への風当たりは相当に厳しいものとなった。


叔父の性格が…少しばかりヤサグレてしまったのも致し方ないこと

なのかもしれない。両親のせいで、と申し訳なくも思う。

王族なんてヤダヤダと呟くクロンに、リアンは同情を禁じえなかった。


「お前がクロスの娘か。いきなり自治省政務次官とはご大層なことだな」

笑うのを…いや、嗤うのをやめた男はリアンに近付くと、

馬鹿にするような調子で口火を切った。


藍色の瞳がリアンを見下す。


長官と同じ色の瞳。

けれどもずっと鋭くて、威圧的な、

恐らくは人の命…それも多くの…を奪ったことのある者の瞳。


キリルの瞳には謎があるが、それでも優しさがあった。

国王の瞳には為政者に相応しい理知的な明るさがあった。


でも同じ藍でもこの人は…“囚われてしまっている”

…でも今更、何に?お父様もお母様ももういないのに。


「ワグナ殿下でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります。

 クロスとミアンの娘でリアンと申します」


(全力で逃げろ…)

叔父の忠告と自分の本能はそう叫んでいた。

でも、この男から逃げてはダメだ、後ろを見せてはダメだ、

弱みを見せてはダメだ…正面から対峙しなくては。


新人の政務次官として丁寧に挨拶し、深く頭を下げる。


しかし次の瞬間顔を上げるや、リアンはファネ国軍総大将を

正面から睨みつけた。


心穏やかな時、黄緑の瞳は春の若草のよう。

見る者の心を暖かくする。

しかし今は、春の嵐を巻き起こして。

見る者の心をざわめかせ、翻弄する。


キリルはその瞳に息をのむ。いつかも見たその真剣な眼差し。

彼はベリルを制止しなければと思いつつ、

もうしばらくリアンを見つめていたいと欲を出す。


ベリルは同じ瞳を持つ、「あの人」を思い出した。

「あの人」は優しいそよ風のよう。初夏の清水のよう。


けれども。

これほど生命が(ほとばし)るような強い瞳を自分に向けたことはない。


「…小生意気な娘だ」

「中央官庁には新人や若者イジメが趣味のジジイやオヤジ連中が

 跋扈(ばっこ) していると聞き及んでいます。

 図太くないと生き残り(サバイバル)できませんからね」

わっはっはと、できるだけ豪快に笑ってやった。


長官ごめんなさい、こんな無礼な部下で、でも就任一カ月で免職(クビ)

勘弁してください。内心で上司に手を合わせる。


「口の減らない奴だ。育ちが悪いせいか」

王弟は乱暴にリアンの纏め髪を掴み上げると、乱暴に引っ張った。

金茶の髪がばらばらに解け、背中に広がる。


「私の部下に手荒な真似はやめてください」

慌ててキリルが机から飛び出すと、ベリルの腕を払った。


「汚らしい髪の色だ。冬の氷水で色を落としてしまえ」

「氷水で(すす)いでも、白銀(プラチナ)にはなりませんよ。申し訳ありませんが」

「切れ、染めろ、(かつら)にしろっ!」

激昂しているのは、王子の方で。リアンの声は冷静だった。


「両親譲りの外見を偽るつもりはありません。

 私が“あのアギール家”の者であることは入省初日にして

 知れ渡っておりますし」

「随分反抗的な態度だな。国軍総大将(トップ)の不興を買って、

 自治省政務次官が長く勤まると思うなよ」


…ベリルの言葉はただの脅しではない。

リアンはそれを正しく理解していた。

他省も似たり寄ったりだが、自治省は立場上、王国軍に強い態度に

出られない。


国境紛争、破壊()活動()、自然災害などが16州で生じた時、

もちろん州府の役人や州警察、州軍がいち早く動くわけではあるが、

それだけで事態が収束しない場合は王国軍の出動となる。


州府からの要請をうけ、自治省と王国軍が連携して円滑に

動かないと被害が拡大する…つまりこのような場合、自治省は

国軍に頭を下げる立場になるのだ。


「自治省の小娘が気に食わぬからと、総大将(トップ)が国軍の仕事に

 手を 抜くとは思えませんが。

 それとも…貴方は個人的な意趣返しのために、罪もない人を

 大勢巻きこんで見殺しにするような方ですか?」

自分はけっして好戦的な人物ではないと思っているが。

それどころか平凡な生活をこよなく愛する小市民だと思っているが。

なぜかやっている事は、王国で一番偉い軍人に…喧嘩売っている?


もしかして、国軍訊問室に軟禁か、はたまた国軍地下室に監禁か。

おじいちゃん、国軍まで差し入れよろしく。ひもじいのは嫌だ。

リアンは1時間後に待ち受ける自分の運命をぼうやり想像した。


「王族に対しても国軍に対しても不敬を働く女だな。

 礼儀を(わきま)えぬ者には(しつけ)が必要だ」

しかし、軟禁監禁以前に拳が出る男だったらしい。

ベリルの左腕がリアンの頬を張るために振り上げられた。


その時。

「止めてください」

キリルはリアンを背後から包み込むと、ベリルの左手を振り払って

素早く後退した。白絹の手の甲が朱に染まるのをリアンは見た。


「私のリアンに危害を加えることは許しませんよ」


私の部下。私のリアン。

長官、同じ意味で言っているのでしょうが、

それ、使用法違いますから。

リアンは公爵サマに背後から抱きすくめられたまま動けなかった。


この人は上司だから、年下だから、どうか変に緊張しませんように、

顔が紅くなりませんように、と心の中で呪文を唱え続ける。


何でだか、リアンにとって、王弟殿下とのガチンコ対決より、

公爵閣下に優しく搦めとられることの方が心臓に悪い。


リアンの頭ごしでミルケーネ公爵は眉をひそめた。


相手が、政務次官に対して、それでも手加減しているのは

分かっていた。利き腕を使わず、しかも平手だ。


彼が本気を出せば拳一つで相手を死に追いやれることを知っている。

キリルは、実際に自分の甥がそうして敵を地獄送りにする様を何度も

目にしてきた。ベリルは嬉々として殺る時は殺る。


「ワグナ殿下、私の執務室に勝手に入ってきたのは貴方の方ですよ」

「…最初に無礼を働いたのは私だと仰りたいわけですか」

ベリルは敬語を用いた。しかし微塵も敬意が籠められていない。

彼が自分よりずっと年下の叔父をどう見ているか、これで明らかだ。


「貴女も悪いのですよ、リアン。王弟殿下に対して何という態度です。

 謝罪なさい」


そう耳元で囁くように叱ってくる。

リアンにはまだワグナ殿下に対する反抗心がたっぷり残っていたが、

長官の諌めには逆らう気持ちが起きなかった。

リアンとベリルの諍いを何とか収めようとするキリルの心遣いが

伝わってきたから。


「…申し訳ございません、ワグナ殿下」

よくできましたと、

優しい手がリアンの乱れた髪を何度も撫でて整えてくれた。

ベリルはリアンの瞳を睨みつけたまま口を引き結んだ。


それで私はこの後どうすれば…?

全力で逃げるという選択肢を再考しつつ、次官は時機(タイミング)を伺った。


「少しお待ちなさい」

離れる時に一瞬だけ。

何か柔らかくて暖かいものが頭に押し付けられた気がしたが…

よく分からない内に、見れば長官は自分で卓まで戻っていた。


リアンが持ってきた書類をざっざっと卓の端から端までに並べると、

ぺぺんと連続技で印を押してゆく。あっという間の早業だ。

もちろん中身を確認している様子はない。


「これを下の連中に持っていきなさい」

「畏まりました、長官」

「私は、しばらくワグナ殿下と会談しますからここには誰も近付け

 させないように…分かりましたね?」

「仰せの通りに」

リアンはキリルに頭を下げると決裁書類を受け取って部屋を出た。

途中、ベリルの前を通り過ぎる時、無視してやろうかと思ったが、

上司を立てて敬礼することにした。

大人の対応というヤツだ。


階下に向かう踊り場のところで、一度だけリアンは振り返った。

扉の向こう。突然現れて爆弾を投下した軍人の姿はもう見えない。


(あれがワグナ殿下)

途端に心の中でいろいろな感情が渦巻いて、無意識に胸を押さえる。


叔父の忠告がある。

けれどもそれよりずっと前に…母ミアンが生前に告げた言葉が甦る。


「ベリル王子。この名を覚えておきなさい。

 ワグナ殿下とも呼ばれる方です」

「王弟殿下でしょう?…名前くらいは知ってるよ」


リアンが隣国イサに留学する少し前のことであったか。

父クロスは出張で家を空けていた。

結婚して20年以上経っても熱愛夫婦で、父は母の傍らを

離れることを嫌がったが、ごくまれに止むを得ず一日二日ばかり

留守にすることがあった。そんなある時。


母は鏡台の前でリアンの髪を梳いてやりながら、

ある貴人の名前を告げた。


「クロスとミアンの娘である貴女を…あの方は憎むかもしれない。

 あなたの幸せや自由を壊そうとするかもしれない」


その時まだリアンは地方都市暮らしで、自分を庶民と信じていて、

自分の親が“世紀のロマンス”カップルであることを知らなかった。

当然ミアンとベリルの(こじ)れた関係についても思い至らない。


「母さん?何だか王子って怖そうな人に聞こえるけど?」

どのみち王族に会うなんてことなんて早々ないし、とリアンは

鏡の中の母親に笑ってみせた。


「そうね、お目にかかる機会なんて、滅多にないものね。

 でも…もし、もしもよ、クロスも私もいなくて、貴女が一人で

 王都に行かなければならないことになったら覚えておきなさい」

「母さん?」

「覚えておきなさい。ベリルは貴女の心は守ってくれない。

 でも、貴女の命はきっと守ってくれるでしょう」


お母様…私はここまで辿り着きました。

寂しい眼をした不良中年にお会いしましたよ。


リアンは3秒だけ亡き人に黙とうを捧げ、

それから頭を振って自治省次官としての自分に戻った。


この章はもう一話続きます。


リアンの母ミアンとベリル王子が拗れる前の関係はどうだったのか、など

ちらりちらりと出てきます。

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