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自治省の悪臣  作者: 雪 柳
51/52

ワグナ公爵の養女 その6

御無沙汰してしまいました。


「自治省の悪臣」後日談、ようやくここに完結です。

思ったより主人公が常識的?行動に収まって、雪柳的にはやや不満。

まぁ、その分、周りがはじけているので良いのでしょうか。


長くなってしまい申し訳ありません。その7を作るのも面倒だったので、

ここに一気に投稿してしまいます。

ファネ国の王太子キリルは、ホウオウ宮にてヴァンサラン侍従長とレムル内務長官に

両脇をがっちり固められ、政務に励んでおられました。

本日は執務室での書類(ペーパー)仕事(ワーク)に加え、隣国イサからの外交使節接遇あり、

東部各州長官からの定例報告ありと、王宮と王府を何度も往復する羽目になり大忙しです。


愛妻(リアン)に冷たくされ、自棄(ヤケ)になってワグナ宮で管を巻いていたツケはしっかり

己が身で払わなければならず…二人の有能な部下は(あるじ)を甘やかしたりしませんでした。


*** *** *** *** *** 


レナイドが宰相を引退してからは、王太子であるキリルが実質的に職務を引き継ぎ、

かつ国王代理を務めることも多くなった。海外への国軍派兵や犯罪者の死刑執行など

国王でなければ裁可できない案件を除き、国政の最終決定権者は今や王太子である。


ソランサ王は近い将来の譲位に備え、少しずつ王太子へ権限移譲を行っていた。

王の内心は、早く引退したい、の一言に尽きる。

偉大な祖父王イランサや苛烈な父王キランサと比べられるのはうんざり、いい加減、

シャララ妃とのんびり暮らしたいのだ。


もちろん退位したところで、駆け落ちした(マリンカ)と大っぴらに会うことなど許されない。

せいぜいが、地方視察や慰問にかこつけてこっそり様子見することくらいだろう。

それでも、上手に立ち回れば、(マリンカ)元騎士(イェイル)の間に生まれた、

可愛い双子の孫たちとちょっぴりぐらい遊ぶことができるかもしれない。

そんな希望を抱いていたりする。


しかし、現実は厳しい。


優秀なのは間違いないが、王とするには随分と危険な王太子(キリル)

利発なのは間違いないが、王妃とするには随分と型破りな王太子妃(リアン)

ソランサ王が王太子夫妻に安心して国を任せられるのは一体いつのことやら。


そうして本日もまた王太子の執務室には暗雲が立ち込める。


「レムル長官、少々宜しいですか」

モムルに呼ばれ、レムルが席を外す。

内務省のレムル長官と自治省のモムル次官の二人は兄弟で、それぞれ王太子と

王太子妃の補佐役をしている。

この時、モムルは如何にも簡単な事務連絡という風を装って兄を呼び出したが

…ことリアンに関する限り超人的に勘の働くキリルは見逃したりしなかった。


すっと音もなく立ち上がるや、そのままヴァンサランの前を滑るように通り過ぎ、

兄弟の後を追って聞き耳を立てる。


「…何だって?」

レムルの声は抑えられていたが、それでも完全には驚きを隠しきれていない。

「ですから、リアン長官が……せて、騎士団長と二人で……ために…へ、逃げ…」

密やかな会話に、地獄耳のキリルでも途切れ途切れにしか、言葉を拾えなかった。

それでも何とか繋ぎ合わせてみたところ。


(リアンが騎士団長(ヴィリジアン)と二人で逃げた?)


さあっとキリルから血の気が引く。

その昔、リアンの母ミアンは騎士団長をしていたクロスと逃亡したのであった。

現騎士団長ヴィリジアンは、侍従長ヴァンサランと同性ながら恋人関係にあるはず

だが、さてはキリルを欺く芝居だったのか。或いはリアンの魅力に血迷ったのか。


こうしてはおれない!!!


キリルは勢いよく二人の前に飛び出した。

そして王太子として厳命を下そうと…するもレムル長官の方が早かった。


「リアン妃追跡のために、内務省精鋭部隊の投入など許可しませんから。

 国軍への出動要請も止めてください。ワグナ殿下に鼻で笑われますよ」

「だが、アギール家から三度目の駆け落ちなぞ、絶対に認めないぞ!」

レムルに先回りされた王太子の人相は凶悪なものに変わる。

慌ててモムル次官が釈明を始めた。

「誤解なさいませんよう!リアン長官は本日、自治省での仕事を早めに

 切り上げられ、騎士団長を護衛にして外出されただけです」

こちらにお手紙がありますと、恐る恐る王太子に差し出す。

中身を確かめて見れば妻から夫宛てに、

“ちょっと出かけてきます。お夕飯前には戻るから心配しないでね”

という旨の文面が軽い調子で(したた)められていた。


「一体どこに…?

 騎士団長が付いているとはいえ、リアンは自治省長官で、王太子妃ですよ?

 軽々しく王府を出て外出なぞ、許されるものではありません」

自分に断りもなく、いや、なぜ自分を連れて行かないのだ、とキリルの中で

怒りと心配が燻ぶる。

「言えば止められると思ったから、逃亡したんだろう」

「逃亡…」

訳知り顔でヴァンサランに言われ、キリルは呆然とする。

「あ、違った、この場合は“脱走”か?」

赤毛の大男はどこか愉しんでいた。

“駆け落ち”より遥かにましだが、“逃亡”も“脱走”も勘弁してほしい。

自分が幾重にも張り巡らした安全柵。

そこから一歩でもリアンが出てしまうと、途端にキリルは不安に苛まれる。

例え、

騎士団長(ヴィリジアン)だけではなく、内務省(わたし)はもちろん、国軍(ベリル)伯爵家(ハリド) それぞれが影の護衛を付けて後を追わせていますから、ご心配には及びませんよ」

と、レムルに言われたところで、胸の痛みは治まらない。

「ご夕食前には戻られると仰っているのでしょう?

 少しは奥方を信用して鷹揚に構えていなさい」

守り役でもあったレムルからぴしゃりと叱られ、納得したわけではないものの、

王太子は自ら妃を追いかけるのを“取り敢えずは”踏みとどまった。

愛しい(ひと)が戻ったらどうしてくれようか、と内心を黒くて暗くて重い想いで

染めつつ…。


*** *** *** *** *** ***


王都キサラ郊外。

王府と王城から遠ざかるにつれ舗装された道が少なくなり、緑地が増えてくる。

景色は横に広がりを見せ、家々は一軒一軒が平屋でゆったりとした構えとなる。

各家の庭は花や野菜を育てたり、鶏や家鴨(あひる)を飼ったりと牧歌的である。

暮らしに必要な役所や病院、郵便局や、学校などの施設は村の中心に集められ、

あとは田畑や果樹園、牧場に雑木林と緑地の中に民家が点在するようであった。


その村はどこか、リアンが子ども時代を過ごした地方都市ルーマを思い出させた。

懐かしさと、切なさが込み上げる。記憶の中の景色も人も、もはや存在しない。

時ならぬ豪雨による大規模な土砂災害はルーマの村々を押し流し、多くの人命を奪った。

リアンの父も母も犠牲者の列に連なった。

身分も地位も擲ち、愛を貫いた“世紀のカップル”は最後には天災と人災の中で息を

引き取ることになった。

共に逝った両親が不幸な結末を迎えたとリアンは思っていない。

二人は最後まで添い遂げたのだから。

けれど…一人残された自分の寂しさ、哀しさ、やるせなさは今も胸に残る。

愛する夫や子どもたちを得てもなお、心の痛みは完全には消えてくれない。


「あちらの家です」


騎士団長が指さした方向には緑色の屋根瓦を持つ農家があった。

リアンは無言で頷いて歩を進める。

金茶の髪をまとめた上に木綿のスカーフを被り、顔を不自然でない程度に隠す。


ここ数年で、王太子妃の顔は良くも悪くも国民に知れ渡ってしまっていた。

素顔を晒せば直ぐにも正体が知られてしまう。

ヴィリジアンは騎士団の制服ではなく平服で、いかにも家族か親戚ですという

風情を装ってリアンの横に並んで歩いていた。

本来は、王太子妃のために、前に立って先導するか、後ろに下がって背後を

守るかのどちらかなのだが。


幸いにして王府から乗って来た車を目指す家の近くに停車させることができたため、

さほど村人の眼に触れぬ内に、リアンは家中に滑り込むことができた。


「ヴィリジ…どうしたんだい?」

突然、帰ってきた息子に老夫婦は目を丸くした。

それも若い女性を連れている。

これはもしや、もしや、なのか!と浮き立ったのも束の間、騎士団長はあっさり、

「嫁じゃないから」と一蹴した。

そうして、「“あの子”の客だ」とぼそりと付け足す。


リアンは被り物を取って、きちんと頭を下げた。

「突然、お邪魔して申し訳ありません」

礼を尽くして名乗るべきかと迷ったが、却って相手の迷惑になると思い、口を(つぐ)むも

騎士団長の養父母は一目で来客が誰かを悟った。

農家の若奥さんのように変装していても、特徴的な金茶の髪と黄緑(ペリドット)の瞳は

誤魔化しきれない。そして二人はなぜ王太子妃が突然現れたかについても察した。


何といってもヴィリジアンの養父は元近衛騎士であり、養母はその夫に長年連れ

添った妻である。ヴィリジアンの実父母が誰だか知った上で、彼を育て上げた。

今またヴィリジアンが養子に迎えた子どもについても全て承知の上、世話している。


「ラーナ・ドランさんの子どもに会わせてもらえますか?」

「あの子はもう私たちの孫でヴィリジの息子です」

なんと、ヴィリジの養母は客人が何者かを知った上で反論してきた。

リアンの返答次第では会わせるものかという気概が見え隠れする。


確かに…警戒されるのも当然だった。

彼らからしてみれば、リアンは歴とした王家の一員、それも因縁ある王弟ベリルの、

義理とはいえ、“叔母”にあたるのだ。


「あなた方のお孫さんを害する気持ちは毛頭ありません。ただ同じ年頃の子どもを

 持つ親として…何かできることがあればとお伺いした次第です」

キリルとリアンの第二子にあたるユアンと、ヴィリジアンが引き取ったベリルの

庶子はほぼ同い年。ベリルはユアンを養女に望む一方で実子を無視していた。


「あの子の幸せを願ってくださるのなら、どうか中途半端な温情はお止めください。

 王家の血とは無関係に、自分で将来を選べる自由を、あの子に許してください」

ヴィリジの養父も気骨ある老人だった。おそらくリアンの揺れる心を見抜いている。

“何かできることがあれば”と言いながら、彼女がベリルの庶子のためにできること

なぞ、ほとんどない。せいぜいが、子どもを王家から遠ざけ、その存在が露見して

悪用されないよう気を配ることくらいだ。


「姿を見るだけでもいけませんか?」

「…こちらにどうぞ」

裏庭に面した小窓を養母が開いた。野菜が植えられた畑の手前で小さな子どもが泥

遊びをしている。いや、本人としては祖父母の手伝いをしているつもりかもしれない。

子どもの傍らには引き抜かれた雑草らしきものが小山を作っていた。


「ソリルと…亡くなった母親が名づけたそうです」

ヴィリジアンが告げた名を、リアンは口の中で反芻した。

“リル”を冠した名であるが、王家に繋がるものではない。

“ソリル”は(いにしえ)の戦士の名で、“勇猛”と共に“誠実”を意味し、

ファネでは比較的よく男子に付けられる名前であった。


傾きかけた陽の光を受けてソリルの髪がきらりと輝く。

それは白金(プラチナ)の髪で、恐らく母親譲りのものであろう。

リアンの母親も似た色の髪をしていたことを思うにつけて、今更ながらにベリルの

罪深さに溜息が洩れる。

ソリルの母親は恐らく、身代わりの女性だ。ベリルが得ることのできなかった女性(ミアン)の。


ふと、自分に注がれる4人の視線に気づいたのか、子どもがぱっと立ち上がって

こちらを振り向いた。途端にリアンの息が詰まりそうになる。

ソリルの瞳は王家特有の藍色をしていたのだ。


「あの瞳の色は…」

「だからこそ、王家からはできるだけ遠ざけておかなければならんのです。

 いささか苦しい言い訳ですが、北方州の出身者には同色系統の瞳を持つ者も

 おりますので、そちらの血を引く子どもということにいたします」

養祖父の説明にリアンは頷くしかできない。

王家特有の藍色とはいえ市井に似たような瞳の持ち主が皆無というわけでもない。

何より当の父親(ベリル)が息子の存在を否定しているのだ

…出生を誤魔化しきることも不可能ではないだろう。


ソリルがにっこり笑ったのを見て、リアンは自然と手を振った。


険のあるベリルよりは、むしろキリルに似ているような気がする。

もしも、ソリルがキリルの隠し子であったならば、心穏やかではいられまい。

けれど、ソリルはベリルが決して認めようとはしない実子で、不憫さが募る。

王家の血を色濃く受け継ぎながらも王家の一員とは認められない。


「リアン様、あまりお悩みになりますな。

 王弟がご自分の血を引く者たちに無関心なのも、親として愛情を示さない

 ことも事実。けれど、貴女がそのことでヴィリジやソリルに申し訳ないと思う

 必要はないのです

 …むしろ、ワグナ殿下から我が子と認められたほうが、災難となりましょう?」


騎士団長の言う通りである。あんな極悪非道の父親なぞ居ない方が絶対に良い。


しかし、リアンはまさにその悪党から自分のたった一人の可愛い娘を養女にくれと

切望されているのだ。


リアンはソリルの養祖父が真摯に告げた言葉の意味をきちんと拾っていた。


“王家の血とは無関係に、自分で将来を選べる自由を、あの子に許してください”


キリルとリアンの子どもたちは王家の血と無関係では生きられない。

生まれながらに王子であり王女である。自ずと将来の選択肢は狭められてしまう。


子どもたちのために、ぎりぎりのところで自由への扉を残す方法があるとしたら。

その方法は…?


かつてキリルは“自分は王にならなければならない”と言ったが“王になりたい”

とは一言も言わなかった。

リアンだって、王家に嫁ぐことも王太子妃になることも人生の想定外であった。


だからこそ、母親として、子どもたちには将来、“なりたい自分”になれる可能性を

-例えそれがほんの僅かな可能性であっても-残してやりたい。

決められた未来ではなく、自分で選びとる未来への可能性を残してやりたい。


リアンはもう一度、藍色の瞳の幼子を見つめた。心が決まった。


「ソリルにも幸せになってほしい。本心からそう願います。

 だから、こちらから干渉することはしません。

 けれど、もしも将来、あの子が自分の足で立ち、自分で決めて王府に来ることが

 あれば…その時は、全力で応援したいと思います」


全く王府とも王家とも無縁の人生を歩むかもしれない。

けれども、リアンには将来またソリルと会う、そんな予感があった。


*** *** *** *** *** 


約束どおり夕食前に戻って来た妃を王太子は穏やかな笑みで迎えた。

リアンは背中に回された白絹の手に安心して吐息を一つ零し、それから瞑目する。


優しげな態度と裏腹に、キリルは“脱走妻”への説教と仕置きの準備万端である。

例によって第一王子(ティリル)をレナイドとハリドに、王女(ユアン)第二王子(トリル)

クロンとシーシェルに預けて、自分はちゃっかりリアンと二人きりの時間を確保する。

まずは、許可なく王府を出た妃には反省してもらわなければならない。

そして、夫を不安と恐怖に陥れた罪をその身で以て償ってもらうのだ。


ところが、である。

前段の夕食の席からしてキリルのお仕置き計画は(つい)えた。

リアンが葡萄酒(ワイン)の入った硝子杯(グラス)を睨みながら呟いたのだ。


「私、貴方が好きすぎて、だんだん、欲張りになっているみたい」

「ぶっ」

何の計算もない、思わずポロリと漏れた妻の“本音”に王太子は飲みかけの酒を

噴き出す羽目になった。

「リ、リアン、それは…」

酒が気管に入って、キリルは激しく咳き込んだ。

白布(ナプキン)で口元を覆いながら、今耳にしたことを確認したくて逸る気持ちを抑えられない。

“貴方が好きすぎて”

嬉しすぎる。

思いが強すぎて右往左往するのはいつも(おのれ)だけだと思っていたから。

リアンは呼吸困難になるほど動揺している夫を見つめながら先を続けた。

「貴方と。貴方と私の子どもたちと。愛しすぎて、大切すぎて。

 抱きしめて何処にもやりたくないと思ってしまう。

 家族だけの“環”を作って完結して“外”に出たくない、出したくないと

 思ってしまう…そんなことをできっこないのに、ね」

「君が望むなら私は…」

貴女の願いを叶えるだろう。

彼は、リアンに王太子妃としての責務も母親としての責務も課したいと思っていない。

自治省長官としての任務なぞ言わずもがなだ。

ただ、自分の側に居てほしいだけ。24時間、365日ずっと、ずっと。

そのために、リアンが子どもたちを“囲って”おきたいと願うのならば。

最善と思った道を敢えて回避して…神殿も軍も他家も排除することやぶさかではない。


「だめよ。貴方はいずれ王になり、私はいずれ王妃となる。

 そして子どもたちは…私たちの所有物(もの)ではない。

 今は未だ…小さな巣の中で守れたとしても、いずれは、広い世界に出て

 自分の力を頼りに生きていかなければならなくなる

 可愛いからと、ただ自分の側に置いているだけではダメなのだと、気づかされた。」

「リアン」

嗚咽を堪えた妃に近づくと、王太子は両腕で優しく抱きしめた。

こんな風に悲しませたい訳ではなかった。

あらゆる憂いからリアンを守りたいのに。

敏い彼女は何事も他人(ひと)任せにはしない。夫であっても頼りきったりしない。

自分で考え、悩み、そして答えを出す。


「貴方の言う通りにする…というのではないわ」

これは私の意志よ、そう微笑んだ黄緑(ペリドット)の瞳があまりに綺麗で。

そうして彼女の決心があまりに真っ直ぐで、彼はしばし言葉を失った。

堰を切ったように溢れ出た涙を白絹の手で拭いながら、キリルはただただ愛しい

女性(ひと)を掻き抱いた。


*** *** *** *** *** 


翌年の“立春祭”では国王ソランサ、王妃シャララに続き、王太子夫妻一家、

すなわち王太子キリル、王太子妃リアン、第一王子ティリル、王女ユアン、

第二王子トリルが“彩華の塔”から参賀の国民に向かって手を振ることとなった。


国王夫妻の人気も衰えずだが、異色の経歴を持つ“アギール家の娘”リアンと、

その彼女に惚れ込み、猛烈な求婚の末に恋を成就させたキリルに対する一般国民の

支持は相当なものである。

加えて、父親に瓜二つで、幼くして聡明な顔立ちをしたティリル王子に、

白金(プラチナ)の髪の美しい、(少なくとも外見は)お伽話に出てくるようなユアン王女、

母親に瓜二つで、金茶の髪に黄緑(ペリドット)の瞳を持つ赤子であるトリル王子と3人の

子どもたちも“幸せな家庭”や“明るい未来”の象徴のようで歓迎された。


国王夫妻唯一の御子であった王女マリンカが一介の騎士と駆け落ちした時は

王都中が騒然となったものだが、国王の叔父にあたるミルケーネ公爵キリルが

王族に復籍し、王太子となるや忽ち世上は安定を取り戻した。

先代キランサ王と異母弟キリルの確執は王宮・王府内の誰もが知る所であったが、

次代の王としてのキリルの血筋や力量に異議を唱える者などいなかったのである。


立春祭当日、ファネ国王ソランサの実弟ベリルは正式に臣籍に降り、ワグナ公爵に

叙された。国軍大将である彼の居所がワグナ宮と呼ばれていたため、これまでも

ワグナ殿下の名で親しまれ…いや、恐れられてきたが、これよりはその名が正式な

称号となった。

キリルが王太子になった時、それまでのミルケーネ公爵位は空位となったが、

領地は王室預かりとなった。ベリルの為には新たにワグナ公爵家が創設され、

王室が国軍に貸与していた領地の一部…それも軍事的要衝の幾つかが分け与えられた。

そればかりではなく、国軍総大将としての長年に渡る功績に報いるため、

王と王太子は、ベリルがかねてより切望していた王女ユアンとの養子縁組を許した。


「王女ユアンの養育をベリル公爵に任せる」

「次代のファネを導く者となるよう、強靭で聡明な乙女に育てて欲しい」

ソランサ王とキリル王太子の言葉にワグナ公は片膝を付き、頭を垂れて最敬礼した。

居並ぶ重臣たちを前に彼がこれほど(へりくだ)った姿勢を示すのは初めてのことであった。


“王女ユアン”と告げたことにより、王の意図は明白であった。

姫は王女という身分のままベリルを養父として育てられることとなったのである。

“次代のファネを導く者”と告げたことにより、実父である王太子の意図もまた

明白であった。姫を国外に出す気持ちがないこと、将来国政の一翼を担わせること

…そのための教育を施すため敢えて実父母の元から出すこと、などが込められていた。


3つになったばかりのユアン王女は、母親に背中を押されトコトコと数歩進み、

そこで大好きなベリル小父の腕に飛び込んだ。

ワグナ公爵の人妻悩殺(マダム・キラー)の魅力は健在で、それは時として幼子にも発揮されるのか。

はたまた自治省のある旧カリン宮や王太子宮であるホウオウ宮にいそいそ日参した

賜物か、王女の中で髭の国軍大将は“大好きなおじちゃん”という地位(ポジション)を得ていた。


小さなユアンには…まだ理解できない。

自分が今日を限りに実父母と離れ離れになることを。

ベリルが万感の思いを込めて王女を抱き上げると、みゃみゃと(相変わらず子猫の

ように)はしゃぎ声をあげる。

少し険のある藍色の瞳に皮肉げな口元、そんな王弟の専売特許のような表情が、

この時、誰にとっても一目瞭然に激変した。


(ワグナ殿下が…)

(あの、王弟殿下が…)

(国軍総大将であられる方が)

雲一つなく晴れ渡った蒼天を思わせる笑顔だった。

王女に向ける瞳に、仕草に、愛情が溢れている。

しかも、驚くことに、その愛情が微塵も“厭らしくない”。


フェヌイ子爵令嬢ミアンに失恋して以来、王家の男子としては有り得ない

“生涯独身宣言”を発した彼であったが、遊びは遊びとして、それはもう華やかな

女性遍歴を重ねていた。ゆえに王室の家政一切を取り仕切るシャララ王妃でさえも

王弟の庶子が何人いるのか正確には把握できていないのが現状だ。


国軍総大将である彼がファネ屈指の権力者であることは誰もが認めるところだが

…人格的には前述の通りで問題有り。

当然、ユアン王女の養父となることは、さまざまな憶測を生んだ。

一番多かったのが、王太子キリルが自分の治世を磐石なものとするため、

ベリルを懐柔する手段として実の娘を、いわば人質として差し出したという

解釈だった。

ベリルが愛した(ミアン)の孫であり、生き写しともいえる王女の養育を任せる…

それには随分な邪推も混じっていた。


そんな悪意ある噂は今後も消えまい。

けれども、ワグナ公爵位を拝命し、ユアン王女を抱き上げたベリルの顔は

確かに“父親”の顔をしていた。


「…次代の王妃サマがそんな不細工な顔をするなよ」

「誰がブサイクよ、失礼な!」

近づくなり暴言を吐いた男にリアンはすぐさま噛みついた。

それでもワグナ公爵襲名式に続く夜会で、主役から一曲所望された王太子妃は、

差し出された手を撥ね退けることはできなかった。

王女の養父となったベリルと王女の生母であるリアンは注目の的だ。

ここで“不仲説”が流れるのは双方にとって好ましい事態ではない。


「ベリル…踊れるの?」

「お前こそ、大丈夫なのか?」

実は二人とも公式の場で踊ったことがほとんどない。

ベリルは国軍総大将として、社交よりも警護を優先していたし、

リアンは王太子妃としてよりもまだ自治省長官としての公務を優先していた。

加えて身重の時は(キリル)の厳命により、舞踏(ダンス)はおろか城外への外出も制限された。


「…下手くそだな」

「悪かったわね…」

キリルの白絹の手とは違う、ベリルのごつごつと固い手を握って最初の回転を決める。

それだけでリアンの技量は相手にバレたようだった。

運動神経には自信がある。体力も任せろ。しかしどうにも宮廷舞踊は苦手だった。


そもそも真面目に取り組む意欲に乏しい。

王家に嫁ぎさえしなければ生涯不要のものであったからだ。

未来の王妃として最低数曲は修得(マスター)すべし、と、やる気のないリアンの尻を叩き、

どうにかこうにか見られるまでに教授したのは、もちろんフッサール伯爵夫人である。

それに比べて、普段はちゃらんぽらんでも、ベリルは流石であった。


「やっぱり本物の王子サマだったんだ」

素直に感想を口にする。それだけワグナ公爵の誘導(リード)は巧みであった。

長いドレスの裾を捌くのに四苦八苦するリアンの歩調(ステップ)誤魔化(カバー)してくれる。

酒と女に煙草。無精髭に乱れた軍服。

国軍総本部で見かけるワグナ殿下の姿は大抵そんなものだ。

けれど、この時の彼は中年とはいえ、まごうことなき“王子さま”であった。

先王キランサの第二王子は詩歌や薬草を愛した貴公子。

そんなかつての面影すら垣間見させるほどだ。


「心配するな、リアン。ユアンは俺が必ず守る。絶対に幸せにする」

微笑みの陰に涙を隠していることなど、ワグナ公爵にはとっくにお見通しである。

まもなく6つになる第一王子ティリルは神官長預かりとなり、母親の元を離れた。

立春祭でも“彩華の塔”での王室行事が終わるや直ぐさま神殿に戻ってしまった。


そして、第二王子トリルにも養育係としてアジヤ侯爵夫妻が付くことが決まり、

同じ王宮内とはいえ、リアンの側を離れることとなった。


「…これからはユアンの命と心を守って頂戴」

亡き(ミアン)を“最愛”にして“唯一”の(ひと)と定めたベリルはリアンの命を守る誓いを

立てていた。不破の誓約であったものを、リアンは敢えて破棄させ、ユアンの命と

心と守るという新たな誓いを立てさせた。


命を守るだけでは足りない。

ユアンがあるがままに生きられるように、その心もまた守ってくれるのでなければ。

その誓いは、ベリルが自ら望んで掛かったミアンの呪縛ともいうべきものを打ち

砕き、生涯の恋を失った王子はここにきて公爵として新たな道を歩むことになる。


「これからの人生は総て養女(むすめ)のために…必ず守る」

その命も心も。

最後の回転(ターン)をフワリと決めて、リアンは苦笑いを浮かべた。

心の中でちょっぴりと、ちょっぴりとだけだが、この年上だけど義理の甥っ子

である男にも幸せになって欲しいと願っているのだが。絶対に言葉にはしない。

どうせ笑い飛ばされるか、珍獣でも見たような顔つきをされるか、だろうから。


「しっかし、お前の旦那は何とかならんもんか」

「え?」

キリルがどうかした?と周囲を探してみれば、ユアンの手を引いた夫が目に入る。


(な、何なのっ?)

永久凍土(ツンドラ)を創出するような藍色の双眸がこちらを睨んでいる。

「私、なんか失敗した?」

もともと王太子妃はおろか、伯爵令嬢として立ち振る舞うことすら想定して

いなかったリアンである。フローネに随分と宮廷作法を押し込まれたものの今一つ

自信が持てない。知らぬところで不調法をしたのかと冷や汗ものである。


王太子がユアン王女を隣りに控えていたシャイン子爵に預けるや、凄い勢いで

向かって来る。


「な、なんかキリルがすっごく怖いんですけど?」

「…お前もいい加減、自分があいつに与える破壊力を自覚しろ」

囁かれた言葉を吟味する間もなく。

べりっと音が出そうな勢いでリアンはベリルから引き剥がされた。


「曲は終わったでしょう!いつまで寄り添っているつもりですか!」

そう言って広間のど真ん中で妃を抱き締める王太子。

要するに結婚して何年経っても、3人も子どもがいても、キリルの嫉妬は収まらない

ということで。

王女の生母であるリアンと養父となったベリルのの舞踊(ダンス)

最初から計画されていたことで。

王太子も事前承認していたはずなのに、我慢も限界に近づいてしまったらしい。


「唇が触れそうなほどに顔を寄せて話すなんて、リアン、貴女という人は!」

おまけに声を潜めての会話も気に喰わなかったらしい。

因みにキリルは夜会の途中までは既婚未婚を問わずに宮廷の華たちと踊り回って

その煌びやかな姿を誇示していた。

時折ちらりちらりと向けてくる視線の意味をリアンは勿論気づいていた。


「貴女ときたら全然妬いてはくれないし」

(やっぱりか…)

まるっと無視していたため、余計に旦那さまの機嫌を損ねてしまったらしい。

リアンとて、正直、麗しすぎる夫が他の女性に笑顔を振りまくのは面白くない。

だが、自分に嫉妬させるため斜め方向に奮闘する男をどうしろと。

どうせ浮気なぞできやしないのだ。試みれば、また(ブチ)になるのが落ちだ。


「ユアンのこと、心配じゃないんですか?」

「ファネ最強の男が後見するのですよ?何を心配することがありましょう?

 それよりも…貴女の夫を忘れないでほしいのですが」

人目も憚らず、キリルはリアンの腰をさらうと熱い唇を寄せた。


「お前ら…いい加減にしろよ」

ベリルが低い声で唸った後、意地の悪い笑みを浮かべる。

「まぁ、ユアンのことは任せろ。ご希望どおり聡明で強靭な乙女に育ててやる。

 なにしろ、将来のワグナ女公爵にして、女大将だからな」

「えっ!ちょっ、ちょっとベリル!」

リアンは慌てた。

(女公爵はともかく、女大将って、そんなことまで頼んでないわよ!)

娘は、できる限り“普通”に育って欲しい。軍人にして欲しいなど誰が思うか。

それに国軍総大将の地位は世襲ではない。

そんな地位(もの)、娘に遺してくれるな。


「ワグナ殿下は本気で後継者を育てるつもりですね。自分の全てを引き継ぐ者を」

「なに、達観しているのよ、キリル。止めてよ、あの悪党を止めてっ!」

ベリルを追って走り出そうとするリアンをキリルは背中からかっちりと抱き止めた。

「駄目ですよ、リアン。夜会の最後(ラスト)は私と踊る約束です。

 忘れたとは言わせませんよ?」

「そんなことより!」

「“そんなこと”?」

藍の双眸がすうっと細められる。

リアンは続けようとした抗議の言葉を慌てて飲み込んだ。

これ以上、旦那様から荒れ狂う吹雪(ブリザード)を生じさせてはならない。そう本能が告げる。


ああもうこの人はもう、と苦い顔をしながらも、白絹の手に自分のそれを重ねる。

相変わらず、腹の立つほどに美しい手。癖一つない漆黒の髪に、深い藍色の双眸。


そして自分を見つめて、何て幸せそうにこの人は笑うんだろう。


(だめだ…敵わない)

毎朝、毎晩、時には毎昼でさえ向けられる極上の笑顔。

いつまで経っても慣れなくて、目を逸らせずにいると、段々と顔が火照ってくる。


「リアン、私が側にいます。絶対に寂しい思いはさせませんから」

可愛い子どもたちを一人、また一人と手離して、気弱になる彼女に夫はそれは

優しく深く甘い愛情を注ぐ。

己に依存させようという彼の企みが分かっていながらも…溺れそうになる。


(母上、大丈夫です。僕もいるから!)

そんな時、頭の中に愛しい声が響いた。


「ティリル…?」

夜会には出ていないはずなのに、思わず目だけで辺りを探してしまう。


(ああ、良かった。ようやく母上に僕の声が届いた!

 神殿からこうやって“声”を届けることができるようになりましたよ!

 母上が寂しい時、僕のことを強く念じてくれれば、必ずお応えします!)

神官長に引き取られたティリルはわずか数カ月の修行で早くも異能を強化(グレードアップ)した

らしい。

聖王家の血を色濃く引いた“先祖返り”の息子は逞しく、頼もしかった。


「ティリル、お前、余計なことを」

(母上を独り占めするなんて許しませんよ。

 神殿で修行しながらだって、父上のことは見張っていますから、わ)

忘れないでください、と息子が言い切る前に、キリルは一方的に心話を遮断した。

やはり長男はリアンを巡る永遠の好敵手(ライヴァル)となるらしい。


「全く、貴女を独占したいのに邪魔ばかり入る。せめて、この一曲を踊る間だけでも

 私のことだけ見つめていてくれませんか?」


リアンの黄緑の瞳が面白そうに瞬いた。

(母上、あんまり父上を放っておくと、また変な風にヤサグレて暴走するから。

 適当に構ってあげないとダメですよ)

ティリルはリアンにだけ届くように、そんな助言を残して行った。


本当にもう、夫の世話は3人の子どもたちの世話より遥かに厄介だ。

けれど、生涯を共にすると誓ったのだ、亡き太王太后(イルーネ)に。

そして“返品不可”とも告げられている、現国王夫妻に。


「お望み通りに、旦那さま」

その日、初めて王太子夫妻は衆目の前で宮廷舞踊を披露した。


ヴァンサラン侍従長とヴィリジアン騎士団長は広間の隅でこっそりと率直な感想を

述べ合っていた。

「子どもたちのためとか何だかんだ言ったところで、キリル殿下の真意はどうせ

 半分以上、奥方を独り占めしたいということだろ」

「半分以上と言うより、7割方はリアン様でしょう」

キリルが子ども3人に対して父性愛を抱いているとしても所詮その程度のことだ、

と二人の側近は断じている。

「あなた方、万が一にもそんなこと、リアン妃の耳に入れてはなりませんよ」

そこで居合わせたレムル内務長官に(たしな)められる。

賢明な彼は(あるじ)の真実を知っていたが口にしなかった。

実際のところ…奥方(リアン)を独占するという理由が9割で、王子王女の将来を考えて、

という理由は残る1割程度だろう。悩みに悩んだお妃が気の毒すぎる。


だが、愛する妻との時間を少しでも多く確保したいという気持ちは理解できぬ

ものでもない。レムルもまた、内務長官としての仕事が多忙を極めるにつれ、

家族と接する時間が削られてしまい、内心不満に感じていたのだ。


(ああ、フローネに触れたい)

目の前でいちゃつく王太子夫妻(リアンの方は本意ではないが)に苛立ちながら

レムルは勤務中だというのに愛する妻の柔らかい肌を思い浮かべた。


「貴方」

そこに意中の人が現れる。王妃付き女官の服を着て、控え目にしているとはいえ、

王家に連なる当代屈指の貴婦人であるフッサール伯爵夫人、彼の妻が。


「フローラはどうしている?」

日中、立春祭で忙しいシャララ王妃やリアン王太子妃を手伝いつつ、一息ついた

所で生まれて数カ月になる第二王子トリルと愛娘フローラの初顔合わせが実現

していた。


「大人になったら王子サマと結婚するんだとはりきっていたわ」

「むう…トリル王子がそんなに気に入ったのか?ちょっと年が離れて、いや5つ

 も離れていないから、別に構わないか」

父親として、可愛い一人娘を嫁に出すなどとんでもないと思うレムルである。

だが、どうしたっていずれは出さなければならないというのなら、最高の相手を

見つけてやりたい。

トリル王子はまだ赤ん坊だが、逆に言えばこれから幾らでも教育できる。

父親(キリル)はかつての政敵であったアジヤ侯爵に頭を下げてまで世話役に迎えた。

そして侯爵はフローネの実父、レムルの舅にあたる。

…となると、娘は将来の王妃候補、それも最有力候補になり得るのだ!

などと、親馬鹿まるだしの想像は、妻の次の一撃であっけなく潰えた。


「違うわよ。トリル王子は弟みたいで可愛いのですって。

 あの子が見ているのは…金茶ではなく、黒髪の方の王子さまよ」

歳だって近いし、普通そっちの方を考えるでしょうに、と妻に軽く窘められる。

ところが、レムルの態度は一変する。

それはもうヴィリジやサランが怯えるほどだ。

「何ですって!ティリル王子はダメですよ。絶対に許しません!」

「そうは言っても…」

愛する人は生涯に唯一人という“王家の呪い”を免れえたたとしても

愛する人を一途に思う気持ちは両親譲りである。

(フローラ)の初恋の行方はどうなるかは分からない。

「ティリル王子はいずれこの国を出ていくかもしれないんですよ!

 彼と一緒に娘を放浪の旅に出させたいんですか、貴女は」

「でも王子さまを助けることができるように、女騎士になりたいんですって、

 あの子。丁度ユアン王女がワグナ公の養女になるから、一緒に国軍で修行

 したいのですって」

ティリル王子も相当だが、我が娘も相当子ども離れしていると、レムルはその時

悟った。もちろん、悟ったところで、娘の願いを叶えてやるつもりはない。


「トリル王子はともかく、ティリル王子はダメです。絶対に認めません!」

真っ赤な顔をして怒る夫に呆れながら、フローネは心中で娘に応援(エール)を送った。

“先祖返り”の能力を持つ王子を捕まえるのは困難を極めるであろう。

もっと普通の男を、と思う気持ちも母親としてはある。

けれど、本気であるならば…世界の果てまでも追いかけてゆけば良いと思う。

自分だって夫がどこかに行くというならば、きっとどこまでも付いて行くから。


ヴァリジアン騎士団長は“彩華の塔”で目にした光景を振り返っていた。

お祭りだということで、養父母もソリルを連れて一般参賀に訪れていた。

ソリルに帽子を被せ、瞳の色が陰るように工夫してまでわざわざ連れてきたのは。

きっと遠目からでも実父に養孫を見せたいという気持ちがあったからなのだろう。


ワグナ殿下の父性愛に期待したわけでもちろんはない。

己が孫として育てる…だから、金輪際関わりは持たぬ、という決意表明であろう。


予想通り、ベリルは引退した老騎士が連れた子どもなど一瞥もしなかった。

そして小さなソリルの方も厳つい国軍大将になど全く関心を払わなかった。

ただ、ソリルの目を惹いたのは…きらきら輝く白金(プラチナ)の髪をした王女。


(ああ、ソリル。その姫はこの国で一番高嶺の花なのだよ)


実父は近い将来、国の最高権力者となる。

そして養父は軍の最高指揮官にして“地獄の番人”のような男。

そして養父に鍛えられた王女自身も、きっと手ごわい(ひと)となるだろう。


(それでも、君は望むかい?“最愛”で“唯一”の相手として彼女を。

 小さな私の弟…君の将来は誰よりも険しいものとなるよ)


*** *** *** *** ***


これより十年後、第一王子ティリルは王位継承権を放棄し、国を出奔する。

女騎士となったフッサール伯爵令嬢フローラは父親の懇願を撥ね退け、

星の数ほどある求婚を蹴散らして王子の後を追った。


その更に五年後、ワグナ公爵の養女ユアンを盗賊団の首領ソリルがかどわかす

という前代未聞の事件が起きる。ワグナ公との死闘の末、なぜかユアンに押し倒され

ソリルは公爵家の婿に迎えられることになる。


その更に五年後、第二王子トリルが下町で古本屋を営む6つも年上の未亡人に恋をし、

専制国家を立憲制国家に改めてまで王妃に迎えることになる。


“自治省の悪臣”と呼ばれたリアンが“ファネの悪妃”と呼ばれることはなかった。

賢王であったが時々なぜか(お妃に関して)怪王となるキリル改めユランサ王や、

ティリル・ユアン・トリルという3人の子どもたちが皆それぞれに強い個性を

発揮した結果、リアンに対する歴史家たちの評価はだいぶ穏やかなものとなった。



「ワグナ公爵の養女」完結です。

ありがとうございました。

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