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自治省の悪臣  作者: 雪 柳
42/52

第十章 自治省の鴛鴦夫婦 その3 

リアン、婚姻式を目前に高熱で倒れました。


意識が飛んでる間にキリルがどんどん危ない方向へ走ってゆきます。


誰も止められない…?




ファネ王国は新しい年を迎えた。


暦の上のことだけではなく、現王ソランサが叔父にあたるミルケーネ公爵キリルを

王太子に据えたことにより次代が定まった。

“偉大なる王”と称えられし先々代王イランサと聖王家の巫女姫イルーネの間に

生まれた王子。

そして、王太子となったキリルがこの度、長年思い続けてきたアギール伯爵令嬢

リアンと結ばれるということで、王都中がお祭り気分に包まれる。


二人の婚姻式は明後日というところまで来ていた。


婚約披露式間際の大混乱を経験した自治省新長官リアンは、婚姻式こそは!と

仕事に、妃修行に、挙式準備にと邁進した。

幸いなことに彼女生来の真面目で明るく一生懸命、根性があって、寛容な性格が

遺憾なく発揮された結果、良き仲間に恵まれた。

仕事のことでは宰相レナイドや内務省新長官レムル、自治省新次官モムルに

助けられ、妃修行では王妃シャララや太王太后イルーネ、フッサール伯爵夫人

フローネに教えを受け、挙式準備では祖父ハリドや叔父クロン、そして最近

新たに身内に加わった叔母シーシェルの全面協力を受けていた。


3年前にルーマ州を襲った集中豪雨により、リアンは愛する両親や多くの友を

喪って、心に深い傷を負った。

表面上は何ともないように日常生活を送るも、内面には記憶障害を抱え、

悪夢に苛まれることもしばしばであった。


世界はあまりにも無情で…自分は独りぼっちたと、嘆いたこともある。

災害を防げなかった顔も知らない中央のお偉方を殺したいほど憎んだこともある。

大事な人を失うことが怖くて、同じ思いを味わくくらいなら、と

心を凍らそうとしたこともある。


けれども今、彼女は共に手を携えて生きる者を見つけた。

惜しみなく愛情を注ぐ青年の存在に癒され、

改めて世界を見渡せば、自分が暖かい光に包まれといるのを知る。


と、こう記せば…あたかも幸せの絶頂の花嫁に見えるがが、

リアンの場合、試練も多い。

お相手の青年はファネ国王太子という王国きっての権力者。

天に二物どころか十物くらい与えられ、腹の立つほどに、

容姿も名声も才能も財力も抜きん出た男である。

惜しむらくは…世間一般の常識に欠け、性格に問題ありきの点だ。

普段は貴公子然としているが、ある一点につき「変態」の謗りを免れないだろう。

その「ある一点」とは“最愛の(ひと)”、“唯一の(ひと)”と彼が称する

ところの婚約者、つまりはリアン自身に関する所であった。


内務省と自治省の長でありながら、査察官に扮して地方視察に

現れるなどは未だ序の口。

愛読書『ファネ古王国実録記』百十数巻の中身がとある女性の『生態記』で

あったり、歴史的建造物といえる“王家の塔”をとある女性会いたさに

爆薬使って一部破壊してしまったり、などなど奇行が続く。


いずれも愛する女性絡み。


………そうして彼の重すぎる愛が、誰も、彼自身さえ予期せぬ形で

リアンに重すぎる試練を課すことになってしまった。


*** *** *** *** *** 


「王太子殿下、戻っていらして下さい」


内務省新長官レムルが小声で囁く。

婚姻式当日の警備体制をキリル自らが確認している最中であった。


未だ辞任できずにいる宰相レナイドやリアン付き補佐官から

王太子付侍従長に転じたヴァンサランも控えている。


「…浮かれている場合ではありませんぞ」

宰相が低い声で戒める。

王太子が愛しの姫君に思いをはせて相好を崩したのは数瞬であったが、

その隙をレムルとレナイドは容赦なく突いた。


(よくやるよ…)


ヴァンサランだけが無言で成り行きを見守る。

宰相と内務省長官が王太子に対して辛辣になる理由を知るだけに

下手な庇いだてはしない。


「だいぶ潰したとはいえ、古王家の血を引く王太子を快く思わぬ

 輩もいるのですよ?婚姻式で舞い上がっている場合ですか」

とレムルが叱れば、

「だいぶ潰したとはいえ、“アギール家”を厭う貴族連中も

 残っているだろう。リアンの身に何かあったらどうする」

とレナイドが追い討ちをかける。


二人はこの数日僅かの機会も逃さず、あろうことか王太子虐めに走っていた。

理由は一言で表せば“欲求不満”である。


レムルは内務省長官として、王太子の婚姻式警備に奔走する羽目になり、

愛しの妻フローネと過ごす時間が激減していた。

レナイドは依然宰相として、ソランサ国王の下、国政を束ねる立場に置かれ、

念願の自治省長官顧問職に専念できずにいる。


それなのに!


諸悪の根源たる王太子は度々執務を放棄しては、婚約者であるリアンの下に

入り浸り、少しでも目を離したが最後、

周囲を完全無視して過剰な愛情表現をだだ漏れさせるのだ。


「…心配だな」

王宮内警備配置図に視線を落としながら、キリルが呟くので、

何か不備があるのかと、宰相(レナイド)長官(レムル)侍従(ヴァンサ)(ラン)の3人も

それぞれ手持ちの警備図を覗き込んだ。


「少し軽くなった気がする」

「………?」

どの辺が軽いのか。むしろ通常の3倍は重くなっている。すでに厳戒体制だ。

しかし、王太子が言うことなので、3人は警備図を凝視した。


「食事はきちんとしているはずだし、おやつも夜食も

 摂っているのに、少し…痩せたみたいだ」


ぶちっ。

キリルの呟きに警備図を半分ほど破きかけ、なおかつ堪忍袋を

切らしたのはレムルであった。


「い・ま・は打ち合わせの最中でしょう!

 お妃さまの心配は後にしていただけますか」


彼とて叶うものならフローネと三食共にしたい。

現実は目の前の男のせいでで朝食を共にするのもやっとだ。


「キリル、貴様、婚約者をもっと労ってやれ!

 毎晩貼り付いていたらリアンが安眠できないだろうが」

宰相も別な方向から怒りを露わにする。

漸く非公式ながら、大伯父としてリアンと接することが可能となったのに、

昼間は妨害され、夜間は独占され

…挙句にリアンが身を細らすようなナニをしているのだ、この若造は。


凶悪な宰相と長官に挟まれ、侍従長だけは冷静な?分析を行う。

「ファネの年次統計によれば婚姻前の女性8割強が減量(ダイエット)に乗り出すとか。

 リアン様も、あれでなかなか乙女心をお持ちのご様子。

 (あるじ)殿に隠れて減量(ダイエット)体操(エクササイズ)でもしているのでは」

「減量なんかしなくとも…今のままで最高に可愛いのに。

 ああ、会いたくなってきた。無駄話してないで、さっさと仕事を片付けますよ」

「「「貴方が言うな!」」」


そんな風に4人が“仲良く”している時、思いもよらぬ知らせがもたらされた。

王宮の王太子執務室に飛び込んできたのは、自治省新長官付秘書官のミシェラ。


「申しあげます!リアン様がお倒れになりました!」


キリルが弾かれように立ち上がり、宰相と内務省長官を

一瞥するや、走り出す。ヴァンサランが無言で(あるじ)に続く。


視線一つで仕事を丸投げされた宰相と長官だが、不満はない。

王太子不在で直ちに支障が出るような采配などしてはいない。

しかし…。


(リアンが倒れた?)


俄には信じがたい。

伯爵令嬢とは思えぬほど頑強な娘であるし、何より婚約者である

王太子が過保護なほど気を配っている。

レナイドもレムルも口にこそしなかったが、心中に湧き上がった

漠然とした不安をどうすることもできない。


「乙女心の減量の方が遥かに良かったな…」

「全くです」

二人は蒼白な顔で控えているミシェラから詳しい状況を聞くことにした。


*** *** *** *** *** 


旧カリン宮の最上階は常になく張り詰めた空気に包まれていた。

キリルがヴァンサランを伴い、勝手知ったる豪華休憩室に駆け込む頃には、

リアンは寝台に横たえられ、侍女2人に(かしず)かれていた。

扉の外にはモムル新次官とキタラ秘書官が控えている。


「キリル、ごめんなさい。こんな時に」

走り寄って来た婚約者にリアンは開口一番謝った。

身を起こそうとするも、ひどく体がだるい。

倒れた時に少しの間、意識を失ったようで、気付いた時にはもう

王太子に知らせが走っていた。


「ひどい熱だ。どうしてこんな急に…」

宰相に揶揄されたようにリアンを知らぬ間に疲労させていたのか。

見た目は変わらないものの、抱き上げた時、少し軽くなったようで、

気にはなっていた。

けれども朝方、自治省まで送った時は特段変調はなかったはずなのに。


「皆、下がりなさい」

キリルは一言で人払いすると、リアンと二人きりになった。


「直ぐに楽にして差し上げます」

巫女姫であった生母イルーネ譲りの治癒能力。

それを両手と唇に込めて、愛しい娘に惜しみなく注ぐ。

非常時以外使うなとリアンから厳命されているのだが、今こそ非常時だ。

高熱で横たわる婚約者を放っておけるはずはなかった。


キリルの治癒力は目に見えるものではないが、乾いた土に水が

浸み込むように、体内にすうっと滲み込んでゆく。

その感覚にリアンはすっかり慣れっこで、浸み込んだ力は

血液に乗って運ばれるかのように全身を活性化してゆく

…常であるならば。


「えっ?」

リアンが小さく呻いたのは、身体の表面で不思議な反発が起こったからだ。

キリルの力が、皮膚に触れた瞬間に小さな衝撃が走り…弾かれたように霧散した。


「力が効かない…?」

再び力を注ぐも、結果は同じ。

何故か力が撥ね返され、リアンの中に少しも入ってゆかない。


「…キリル、そんな悲壮な顔をしないで。

 熱冷ましを飲んだから、少し休めば大丈夫よ」

婚姻式を間際にして倒れるとは情けないやら悲しいやら。

何より、リアンにとってキリルを動揺させることが一番堪える。


「貴女を癒すことができないなんて…」

案の定、寝台の傍らで王太子は目に見えて落ち込み始めた。

厚手の毛織物絨毯が突如底なし沼に変わり、彼をズブズブ飲み込み

そうな勢いだ。


「キリル、私は大丈夫だからっ!」

慌てて白絹の手を捉えて、自分の方へと引き寄せる。


「こんなに熱い身体に荒い息で、全然説得力がない。ちなみに

 貴女が次に言おうとしていることも分かっています。

 私の答えも分かっていますね?」

ひんやりした両の手に頬を挟まれて、リアンは口籠った。

「こんな状態の貴女を放っておけるわけがないでしょう?

 仕事に戻れなどと言わないで下さいよ」

「王太子殿下ともあろう者が…」

リアンの弱々しい抗議は婚約者の唇で制された。そのまま

もう一度治癒の力が試みられたが、やはり弾かれて役に立たない。


毛布越しに“最愛の(ひと)”を抱き締めて、キリルも横になった。

何時までもこうしてはいられない…それは分かっている。

リアンに付き添うにしろ、控えている者たちに次の指示を与えねばならない。


婚約者の熱すぎる吐息を感じながら、キリルは逆に身が凍る感覚に陥った。

確かに腕の中に閉じ込めているはずなのに、“唯一の(ひと)”が

すり抜けて消えてしまいそうな恐怖に苛まれる。


扉を叩く音がして、危うく彼は「誰も入るな」と怒鳴りそうになった。

その前に穏やかな、それでいて有無を言わさぬ声が響く。


「私よ、キリル。ここを開けなさい」

現れたのは王家最長老、イルーネ太王太后であった。


「…母上」

「そんな情けない顔をしないの。

 私が診るから、その間に次の指示を出しておきなさい」

頬を一つ(つね)って、イルーネは王太子を部屋から追い出した。

「イルーネ様…」

「そのままで」

頑張って上体を起こそうとするリアンを押し止め、イルーネは

一通りの診療を行なった。

かつては聖なる力に満ちていた巫女姫だが、イランサ王と結ばれ、

キリルを生んでからは、神力の大半を失った。

それでも己で身に付けた医学薬学の知識と技は衰えていない。


「最後に月のものが来たのはいつ?」

脈を取りながら、イルーネが尋ねてくる。


「月のもの…?んん?思い出せない。え、でも…」

リアンとて、その可能性を考えないではなかった。

一番危なかったのは“王家の塔”に幽閉された時だが、その後、

婚約披露式直前に月のものが来て安心した記憶がある。

以降は問題なく…


「きちんと薬を飲んでいたのにって?」

未来の姑に先を促され、リアンは言葉もない。


キリルは世継ぎの誕生を切望していた。

けれどもそれは子どもそのものを欲するというよりは、

子どもの存在を“夫婦の(かすがい)”にしようというものと、

リアンの国母としての地位安定を狙ったものだった。


それゆえ、二人できちんと話し合った訳ではなかったが、

リアンとしては少なくとも婚姻式を終えるまでは避妊しようと考えていた。


当然だろう!

常識的に照らして、婚姻式と同時に懐妊発表などあり得ない。


「…どうして?」

リアンの疑問にイルーネが渋い顔で答える。

「キリルの力が継続的に注がれた結果、たぶん薬の効力をも

 消してしまったのだと思うわ…故意か偶然かはともかく」

「故意だったら、ぶっ飛ばしてやります」

荒い息のまま、リアンは宣言した。

愛する男の子どもが欲しい気持ちは当然ある。

しかし、彼はファネの王太子で、彼女はこれまで自覚なしとは

いえ伯爵令嬢だ。

婚前交渉だの、婚姻前の妊娠だの本来非難されるべきものだ。

あて数ヶ月くらい待って欲しかった。


「イルーネ様、それで、私はやっぱり…?」

「私の見立てでは妊娠7週目というところ。そろそろ胎芽から

 胎児と言うべき状態に成長する頃よ」

「ここに…いるんだ」

リアンはまだ変化の見えない自分のお腹を押さえて愕然とした。

母親になる心構えが全然できていない。


「キリルの治癒力が効かないのは、そのせいですか?」

「恐らくは。胎児に自我がが芽生え始めて、外界からの力の

 侵入を拒んでいるのでしょう」

「自我が…もう?」

またも呆然としてしまう。

お腹の中に喜怒哀楽を持つ別の生命体が存在しているのだ。

喜びよりも戸惑いの方が大きい。

頭の中で“どうしよう、どうしよう”がグルグル回る。


「母上、リアンの具合は?」

長官執務室を借りて必要最小限の指示を終えたキリルが、

あっという間に戻って来た。


「取りあえず、馬鹿息子を殴った方がいいかしら?」

イルーネはその場で薬湯を調合しながら、リアンに目配せした。

「イルーネ様、キリルも故意にやった訳では…」

本人の許可なく力を振るわないと約束してもらっている。ここは彼を信じたい。


「故意の有る無しに関わらす、貴女が高熱出して倒れる原因

 作ったのは、この子でしょう?」

ファネ国王太子も王家最長老にかかれば“馬鹿息子”や“この子”

呼ばわりである。

「母上、リアンの具合はどうなのです?」

婚約者の為に氷枕を整えてやりながら、キリルは苛々と母に尋ねた。

イルーネは未来の嫁と視線を交えてから、敢えて口をつぐんだ。

「あ、あのね、キリル…」

氷枕と白絹の手に挟まれたまま、リアンは当面使うことは

ないだろうと思っていた台詞を口にしようとする。

ひどく恥ずかしくて、イルーネ様にさらっと告げてもらいたい気もする。


「婚姻式とその後の披露式は可能な限り短縮します。

 歩けないならずっと抱いていて差し上げます。だから…」

「延期も中止も言わないから、そんな顔しないで、キリル」

藍の双眸がしょんぼりしている。

実質夫婦生活突入状態といえ、キリルが婚姻式を心待ちにして

いたのを知っている。花嫁になる自分より舞い上がっていたくらいだ。


「私も楽しみにしていたのだから…」

熱のせいか声が霞んでくる。

すかさずキリルが吸い口を差し出してきた。

イルーネ様がいなければ口移ししかねない勢いだ。


「これも飲んで」

イルーネが薬湯を差し出してきた。

キリルに支えられ、リアンは少しだけ頭を持ち上げた。

そのわずかの動作さえ身体が悲鳴を上げる。

すがる思いで薬湯に口を付けようとし、はっと我に返った。

「イルーネ様」

「どうしたの?」

「あまり強いお薬は…。先ほど熱冷ましを飲んでしまいましたが」

妊婦になるのは未だ先のことと、ロクに勉強していなかったが、

めったやたらに薬を飲んではいけないくらい知っている。


「これは大丈夫よ。安全な薬剤を選んでいるわ。

 その分、効き目は緩やかだけれど」

「あり、がとう、ございます」

微笑もうとして、顔がひきつる。

リアンは何とか薬湯を飲み干すと、氷枕の上に倒れ込んだ。


「リアン…?」

キリルの呼びかけに、閉じかけた瞼が開く。

黄緑(ペリドット)の瞳が真っ直ぐに王太子へと注がれた。


「びっくりなお知らせ。赤ちゃんがいるらしいの」


何が?何処に?

…間抜けな質問はかろうじてキリルの喉元に留まった。


「え、だって、確か、薬」

頭脳明晰なはずの青年は、しかし、まともな文章を紡ぐことが

できなくなった。ちらりとイルーネに視線を走らせ、

生母が無言で首肯するや、そのまま押し黙ってしまう。


沈黙の時間がどれほどだったのか、うつらうつらと意識を

飛ばし始めたリアンには定かでない。


「…式を中止しましょう」

不意に泣きそうな声が耳元で響いた。

「何を言うの、キリル!」

リアンが口を開く前にイルーネが反論する。

王太子の婚礼なのだ。簡単に中止できるはずがない。


「リアンの健康を最優先します。婚姻式で浮かれている場合じゃない」

「キ、リ、ル…」

先ほどとは正反対の方向に走ろうとしている婚約者に、

リアンの意識が浮上した。まったくおちおち眠ってもいられない。


「キリル、私は…」

「ダメです。大人しくしていないなら、寝台の上に縛り付けますよ。

 普通の状態ではないんです。妊娠初期に高熱出して倒れるなど

 …無茶をすれば命に関わります」

「無茶しないから、お願い。キリルと…式を挙げたい。

 ちゃんと奥さんに、なり、たい」

「………っ!」

本人の自覚ナシだが、熱を帯びた黄緑(ペリドット)の瞳が涙を(たた)え、

キリルを上目遣いに見つめている。

赤い頬に唇、途切れ途切れになる言葉。微かに震える身体。

全てが壮絶に愛らしい。


しかも「奥さんになりたい」などと可愛らしい我が儘を言う。

抱き潰したい衝撃を堪えて、キリルは何とか金茶の髪を撫でるに留めた。


「いけません。婚姻式など後回しです。まずは体調を整えて下さい」

愛しさに流されてはダメだと何度も自身に言いきかせた。

しっかり見張っておかないと、彼のリアンは時々とんでもない無茶をする。

婚姻式の中止は断腸の思いだが、どんなに短縮しても半日はかかる長丁場に

重病人を引っ張り出すなどもっての他だ。


今は…誰にも、触れるはおろか、見せるのすら許したくない。

繭の中に大切に守って外界からの一切を遮断してしまいたい。


「よ、嫁にしてくれないらら…」

キリルの苦悶を知らぬまま、リアンは尚もたどたどしく言葉を紡ぐ。

熱で多少イカれているのか、常に見らぬ駄々のこね方だ。

「明後日、予定通り、結婚できないなら、絶対、悲しくて、

 辛くて、悔しくて、病状悪化すると思う」

「…どういう脅し方ですか、それは」

キリルの背後ではイルーネが苦笑している。


「お願い、キリル」

「ダメです」

「絶対…無茶しないって、約束するから」

「貴女のその種の約束は信用できません」

「何でも…キリルの言うこと、聞くから」

「………」

惚れた弱みというヤツを遺憾なく発揮され、王太子は項垂(うなだ)れた。

“愛する(ひと)”の願いを無碍(むげ)にはできない。

それに彼女の願いは彼の願いでもあった。


思い続けた時間は彼の方がずっと長い。

思いの深さは、彼女は「そんなことない」と言うが、彼の方がずっと深い。

彼にとって彼女は「最愛」で「唯一」の(ひと)

彼女を失えば彼の世界は闇に閉ざされる。


けれども、彼女にとって彼は「最愛」かもしれないけれど「唯一」ではない。

彼を失っても彼女は生きていけるし、彼女にざんざん

「王家はヤダ」「妃はヤダ」と言われたように、

むしろ自分が相手でない方が幸せになれるかもしれない。


彼の我が儘で彼女の自由を縛り、夢見た未来を奪い、

今また彼の血が彼女を苦しめることになってしまった。

王太子の…国で2番目の地位など全くもって役に立たない。


ひたすら自己嫌悪に陥るキリルを生母が後ろから突いた。

唇の動きだけで「リアンを休ませるように」と告げる。

リアンを休ませるためには…重い息を吐く。


「貴女の願いを叶えましょう。愛しい姫君。

 だから今は何も心配せずにお眠りなさい」

額に口付けを落として、キリルは観念した。


但し、式までは絶対安静、寝台を出ないこと、仕事をしないこと、

などなど108箇条くらい条件を付けたいのだが、全てを心の内に

封じて、今はただリアンを眠りの世界に送り出した。


意識を沈めた恋人の瞼に一つずつ、魔法をかけるように口付けて。

王太子はうって変った厳しい面持ちで生母へと向き直る。


「臨時の王族会議招集を」

短く告げる、その姿はこれから起こるであろう全てを背負う覚悟を決めていた。


*** *** *** *** *** 


日が暮れて、王宮の隠し部屋に一人、また一人と影が加わる。

国王の執務室と王太子の執務室からほぼ等距離に存在するのだが、

限られた王族と一握りの高官のみしか知らない閉じられた空間。


中央に八角形をした(テーブル)があり、

その一辺ずつに太王太后イルーネ、国王ソランサ、王妃シャララ、

王太子キリル、一辺空けて、王弟ベリル、王姪フローネ、

宰相レナイドが座する。


キリルの隣に空いた一辺は近い将来リアンのものとなる場所だ。

フッサール伯爵夫人であるフローネは王族ではないが、

血筋と実力により王族会議への臨席が認められている。

宰相は血筋以外で出席が認められる唯一の人物であるが、彼が

引退した後は内務省長官であり、フッサール伯爵であるレムルが

その座に着くことが内定している。


「ご多忙なところ、お運びいただき、ありがとうございます」

全員が揃ったところでで、キリルが口を開いた。


「リアンの具合は?」

ソランサ王が早速に尋ねる。

外部には洩れないようにしているが、リアンが高熱で倒れたことは、

既に会議出席者全員が知るところであった。


「まだ…熱が下がっていません」

今は旧カリン宮から王宮へと連れ帰り、厳重な警備の下に休ませている。


「明後日の式はどうする?」

「行います。ただ、短縮させてはいただきます…このように」

新しい式次第を配り、キリルは変更箇所をかい摘まんで説明した。

神殿での宣誓と国民参賀だけは省略できない。逆を言えば、

それ以外を徹底的に削った改定案であった。


「式を短縮した理由ですが、“保安上の理由”とさせて下さい。

 この際ですから婚姻反対派の動きを利用させていただきます。

 婚姻式前夜、王太子への抗議から王宮が、“アギールの”への抗議から

 旧カリン宮が、一部爆破される“予定”ですので、それを受けて

 婚姻式を短縮する発表を当日朝行います」

不穏な動きがあることは内務省も国軍も把握していて、

事前に掃討するつもりでいた。

それをキリルは敢えて“多少”遊ばせた上で、捕らえるという。

実行犯を一網打尽にできる一方で危険度は高くなる。


「なぜ“予定通り”婚姻式と同時に妃の懐妊宣言をしない?

 それがお前の望みだったんだろうが。

 婚姻前にどうのこうのと頭の堅い連中は言うだろうが、構うこっちゃない。

 国民は歓迎するだろうし、式典短縮の“言い訳”も簡単だ」

ベリルがここで口を挟んだ。

未来の王妃が婚姻前に妊娠など誉められたものではない。

しかし、相手はキリルだ。

その婚約者に対する熱愛ぶりはもはや国民周知の話。

リアンに対する「婚礼前に、はしたない」だの「本当に王太子の子か」

などという非難は極少であろう。


「懐妊宣言はしない。少なくとも安定期に入るまでは様子を見る」

「何故だ?」

国軍大将である故にベリルは問い糺す。

わざと危険(リスク)を取ろうとしている王太子に対して。


「現状では何とも言えませんが、聖王家の血を引く胎児が、

 母体に大きな負担となる可能性があります」

イルーネが卓の上で固く両の手を握りしめながら説明した。

全く迂闊としか言いようがないが、イルーネもキリルもリアンが

倒れるまで、その可能性に思い至らなかった。

聖王家の血といっても、250年以上前の話だ。

直系の血はだいぶ薄れ、イルーネのように巫女修行により、ある程度は

力を強くする者もいるが、ほとんどが普通人とそう変わらなくなっている。


「リアンが体調を崩したのは、一時的なものかもしれません。

 けれども…万が一にも、お腹の子どもが“先祖返り”とも言うべき

 強い力を持っていた場合、母体が耐えきれなくなる可能性があります」

「まさか」

王妃シャララと王姪フローネが同時に呻いた。

シャララは出産で辛酸を舐めており、フローネはこれから母になることを

望む身である。それ故、リアンの状況を慮ると胸が痛い。


「聖王家の血だの、先祖返りだの、悲観しすぎじゃないか」

宰相が仏頂面で横槍を入れる。

しかし内心では、リアンのことが心配でたまらない。

アギール家に嫁いだ最愛の妹の、孫に当たる娘だ。

家族を喪ったレナイドにとって数少ない身内といえる娘だ。


「婚姻式短縮の件は相分かった」

下手な慰めは言うまいと、ソランサ王は承諾の意だけ伝えた。

今、王が王太子にしてやれることと言えば、速やかに会議を

切り上げることくらいだ。

「婚姻反対派の件はこちらで引き受ける」

「ワグナ殿下、指揮は私が執ります」

「全体の指揮は俺がやる。

 王宮はレナイドとハリドに、旧カリン宮はレムルとモムルに任せる。

 キタラもいるから自治省はまず問題なかろう。

 お前とヴァンサラン、それにクロンは花嫁の警護だ」

聞く耳持たず、とベリルが采配を揮い始める。

今回は確かに国軍の出番であった。国軍大将の指示の下に、

王宮は宰相とアギール伯爵、旧カリン宮は内務省長官と自治省次官、

自治省長官筆頭秘書官に委ねられる。

もっとも狙われやすい花嫁には王太子と王太子侍従長、そして

シャイン子爵が付くことが確認された。


「最後にキリル…」

会議を閉める前に国王が尋ねる。

「万が一、“先祖返りの子”であった場合はどうするつもりだ?」

その質問を王太子は予期していた。

感情の一切を消して返答する。


「その時は…私がその子を始末します」


「危険な力を持った子といえど、世継ぎであることに変わりはないのだぞ?」

「そうであっても、リアンの命には代えられません」

妻か子かとの選択を突きつけられたら、王としては子を取るべきであろう。

しかし、キリルは最初からリアンを取っていた。


「母親であれば、自分の命と引き換えにしても我が子を守りたい、

 産みたいと、思うものよ」

シャララが震える声で呟くように言う。

王妃のただ一度の出産は精神的にも身体的にも苦痛が大きかった。

何と言っても、王との間にできた子ではなかったし、難産で王妃自身も

死にかけた上、二度と妊娠を望めぬ身となった。

それでも、マリンカを生み、育てて良かったと思っている。

王家を捨てた娘を、それでも心から愛している。

夫が自分を生かすために子を消したとなれば、リアンは嘆きの淵に

身を沈めることになるだろう。


「どのみち“先祖返り”であれば出産までにリアンの身がもちません。

 諸共に喪うよりは…リアンを生かします。

 例え彼女にどれほど 恨まれようとも」


婚姻式と同時に妃の懐妊宣言などと“王都新聞”の取材を前に

浮かれていた自分を殺してやりたい。

世継ぎなど、子など要るものか。リアンを苦しませるくらいなら。


キリルの決断に誰も異を唱えることはできなかった。


唱えるべき、王も王弟も“王家の呪い”を骨身に刻んでいる。


そして王弟は、リアンの命を守る契約を亡き(ミアン)と結んでいた。

万が一の時は、彼もまたリアンの命を優先させる。

それがリアンの意志に反するものだったとしても。


ファネ国王太子&王太子妃

“出来ちゃった婚”になってしまいました。

珍しく?リアンは熱に浮かされ可愛くなっておりますが…周囲の状況は

厳しくて、先ずは婚姻式ですが、滞りなく行われるのでしょうか?

そして、何といってもお腹の子は無事に生まれて来るのでしょうか?

リアン最優先の危ない夫に、リアンの命を守るのが使命の危ない甥が

おります。

次回「第十章 自治省の鴛鴦夫婦 その4」

上記事情により新婚ラブラブならぬ新婚バトルな日々がやって来ます。

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