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自治省の悪臣  作者: 雪 柳
37/52

第九章 自治省の悪臣 その4 

何とか本日(3月6日)中の更新が間に合いました。

まだ風邪が抜けず、くしゃみをしながらの作業です。


キリル&リアンの出会いのシーンを少しだけ挿入しようとしたら、

やや筆が滑ってしまいました。キリル目線でリアンを見ていると、

短くできないことが分りました…反省。


今回、“王家の塔”にてキリルがサイテーに暴走しています。

無理やりは止めようとしたのですが、公爵サマの激情に作者は負けました。

これはリアンに自分で何とかしてもらうしかありません(作者、逃げる)。




初めて彼が彼女の姿を目にしたのは11の時。

父に連れられてファネ国西辺のルーマ州を旅していた時のことだ。


キリルの父は“偉大なる王”と讃えられたファネ王国

第10代国王イランサ。

その前半生は外患内憂の王国再建に費やされた。

聖王家(=古王家)と呼ばれた不思議の力を持つ一族を倒し

新王国が興ったのは250年以上前のこと。

王国は聖王家時代に比べ版図を拡大させ、国際貿易で繁栄したが、

その分、国境紛争や民族紛争、貴族と平民の階級闘争が

相次いで起こった。


イランサ王はファネの危機的状況に際して、

ある時は武をもって叛徒を何千と虐殺することで平定し、

またある時は智をもって流浪の民を王国に迎え入れ、服属せしめた。


後半世は国政的には落ちつき、11代、12代と続く国の

(いしずえ)を築いていく。但し、王自身は長く家庭には恵まれなかった。

最初の王妃は産褥の床で亡くなり、2番目の妃は暗殺され、

3番目の妃は事故死したことになっているが、実は王に反逆し、

幽閉の後に病死している。王が真実一人の人間として、

幸せを掴んだのは4番目の妃を得てからと言われている。


しかしながら…

父の晩年しか知らないキリルにしてみると母イルーネが語る

“偉大なる王の物語”をそのまま素直に信じることができない。

物心つく頃には父子で王国中を旅するようになっていたからだ。

イランサは長子であり、キリルには異母兄にあたるキランサに玉座を

譲ってからは、“視察”と称して度々王都キサラを留守にした。

イルーネ妃を伴うこともあったが、キリルが6つくらいの時から

父子で旅することが多くなった。


キリルはイランサの9番目の子どもらしいが、上に生き残っている

のは1番目の妃が産んだ息子と、3番目の妃が産んだ娘2人だけだ。

姉2人はキリルが生まれる前に外国へ嫁いだので、顔も見たことがない。

唯一兄弟といえるのがキランサ王だが、

母親のお腹にいる頃から疎まれていて、キランサを崇拝する者からは

何度も命を狙われることとなった。


イランサは末子が成人するまで自分が生きていられるか危ぶんでいた。

それゆえキリルがどんな状況におかれても、どんな立場になっても

一人で生き抜けるよう、帝王学…ではなく処世(サバイバル)術とか渡世術と

言うべきものを徹底的に叩きこんだ。


イランサとの二人旅は息子にとって確かに愉快なことも

多かったが、一方ではまた冒険の連続でもあった。

海賊の元で甲板掃除をやらされたり、山賊の元で帳面付けを

やらされたり、妖しげな魔女谷で笛を吹かされたりと

…王宮で暮らす王子にはまず経験できない修行満載の日々だっのだ。


「ごらん。あの金茶の髪の子が、私の名付け子だ」

父が指差したその先に肩の上でぷっつりと金茶の髪を

切り揃えた子どもがいた。何やら大声で叫びながら走っている。


キリルは珍しいこともあるものだと思った。

王都キサラから遠く離れた地方都市ルーマで“偉大なる王”から

与えられた貴人名を持つ中央貴族の子が居るとは。

さらに驚きなのは、その子の存在をわざわざ自分に教えたことだ。

イランサ王が貴人名を与えた貴族の子どもなど百人以上いるだろうに。


「綺麗な子だろう?」

何故か父は誇らし気だ。


「元気な子ですね」

キリルは金茶の子を目で追い…その先で地元の不良集団と

おぼしき一群と衝突したのを確認した。


一対七。


どこまで勝算があってやっているのか。

ひょろりとした手足は華奢で(こぶし)の語らいには不向きに見える。


「将来、ヨメに来てもらえるようガンバレ」

その時イランサが謎の言語を発した。

異民族と武でも智でも交渉したことのある元・国王は10数か国語を

自在に操る。キリル自身も随分習得したつもりだが、これは理解できない

…と思っていたら時間差で脳内翻訳が完了した。


「えっ、女の子なんですか?」

「息子よ、幾らワシがお前にイロイロ試練を課しても、

 さすがに男を嫁には薦めないぞ」

なるほど、短髪、少年の服装に騙されたが、男にしては

綺麗過ぎる顔立ちをしている。

「あの子、大丈夫なんですか?」

「さあ?」

父子がこっそり見守る中、金茶少年…もとい少女は、

不良集団の一人目に強烈な拳を見舞い、二人目には踵落とし、

三人目には肘鉄を喰らわせる。

その体術は我流ではなく、正規の訓練を受けた騎士のものだ。

しなやかで無駄がなく、美しい動きの連続。

しかし、相手に致命傷を負わせないよう手加減しているところが

中途半端で、やや危なっかしい。

4人目の腹に膝を埋めたところで、重心を崩す。

しかし、寸でのところで、体勢を整えるや、5人目に回し蹴りを決めた。


「女の子なんですよね?」

もう一度確認する。


「あの子の父親が元王都騎士団長でな。

 しっかり娘に“教育”しているらしいな」

そこでキリルは相手の正体を知る。

リアン・パルマローザ・アギール。アギール伯爵ハリドの孫娘。

だからどうという感慨は別段湧かなかった。

有名な駆け落ち夫婦の一粒種であろうと、父の忠臣である伯爵の

身内であろうと関係ない。


そのはずなのだが。


6番目の男に反撃され、頬を張られるのが目に入った。

よろめいところを7番目の男に引き倒され、石畳の上でつんのめる。

金茶の少女はそのまま主犯格の少年に背中を踏み付けにされた。

ぐぐっと体重をかけられ、相当苦しいだろうに悲鳴すら挙げず、

あらん限りに頭を上げて相手を睨み付けようとする。


その黄緑の瞳を見た瞬間、キリルは我知らず走り出していた。

田舎の悪ガキ集団に当て身を食らわせ、失神させるなど彼には

朝飯前だった。

人喰い鮫も人喰い虎も生ける屍体(ゾンビ)も出て来ない喧嘩なぞ

喧嘩とも言えない…などと、父イランサの教育の賜物で、

若干11にして達観している王子であった。


「弱いクセに向かって行くなんて馬鹿じゃないか!」

キリルは父の名付け子を乱暴に引き起こすと容赦なく怒鳴りつけた。

どうしてかムシャクシャして、感情を抑することができなかった。

「それとも本気で全員倒せると思っていたのか?」

少女が無言のままでいたので、キリルは重ねて叱り飛ばした。


伯爵令嬢のはずなのに服装はみすぼらしく、乱闘の後では

薄汚れてヨレヨレだ。

女の子のはずなのに金茶の髪は短すぎてボサボサだ。

極めつけに、口の端を切って血を滲ませ、片頬を腫らせている。


「…ありがとう」

礼を言われるまで、キリルは自分が何をしているか自覚がなかった。

気づけば、片手を伸ばして、相手の口元から血を拭ってやっていた。


「実力的にキビシイとは分かっていたんだけど、

 こいつらを足止めして、時間稼ぎができればと思ったんだ」

「時間稼ぎ?」

「うん。年寄りや病人から金を巻き上げる卑怯な奴らでさ」

その時、警笛の音が鳴り響いた。州の自警団が近づいて来る。

「ごめん、行かなきゃ。助けてくれて、ありがとう。

 わた…僕はリアン。君は?」

さすがに女の子とバレたくないのか、少女は少年の振りをする。

「僕は…」

キリルと名乗ろうとして不意に自分の口から別の名前が零れた。

それは(イランサ)(イルーネ)しか知らない、生誕直後に封じられた名前だった。

けれども、この娘に持っていてもらいたい…そう感じたのだ。


少女が走り去ると同時にイランサとキリルも裏道に滑りこんだ。


「あれが元騎士団長クロスだ」

なるほど。

リアンが逃亡するのも納得で、自警団率いるは彼女の父親であった。

自分が地元の不良少年と渡り合ったなどと知られたくないのだろう。

もっともあれだけ頬を腫らしていれば、クロスが状況を察するのも

時間の問題で、少女が後でみっちりとお説教を頂戴するのは確実だ。


「父上」

「ん?」

二人は並んで歩き始めた。

「自分の嫁は自分で選びます。父上といえど口出し無用に願います」

「分かった。王家の祝福と呪いはお前の上にもある。

 愛せる女は生涯でただ一人だけだ。慎重に選べ」


(誰があんなジャジャ馬を選ぶか)


「ん…?だが、パルマローザに限って言えば、

 お前は選ぶ側ではなく選ばれる側だ。

 綺麗で真っ直ぐで頭の良い子だ。恋敵は多いぞ。

 うかうかしていると、他所の男にかっ拐われるからな」


イランサが自分を煽っているのが分かる。

踊らされるものかと思いつつ、キリルはどうにも自分の心に生じた

さざ波を鎮めることができなかった。


あの時が始まりならば、恋を実らせるまでに15年近くを

費やしたことになる。


そうしてキリルは思い知る。恋の成就は終わりではなく始まりだと。


自治省長官として改めて彼女と出会う時が長い孤独の終わりで

あると信じていたのに…違った。


彼女に受け入れられる時が長い片恋の終わりで

あると信じていたのに…やはり違った。


彼女との結婚が決まる時が長い苦悩の終わりで

あると信じていたのに…これも違った。


喜びに舞い上がる度に突き落とされる。

幸せを抱き締める度にすり抜けて行く。


リアンの心と身体に触れる前よりも触れた後の方が憂いが増した。

奪われるのでは、失うのでは、去られるのではという

不安な気持が募ってゆく。


けれども王になれば?この国の最高位に立てば?

誰も彼から彼女を奪えやしない。

彼に命令できる者などいやしないのだから。


*** *** *** *** *** 


再び“王家の塔”。

現王ソランサから下賜され、ミルケーネ公爵の持ち物になった。

“玉座の間”で立太・立后を告げられた公爵とアギール伯爵令嬢は

塔に赴き、10の月10の日に挙行される式典の準備に入った

…と表向きには体裁を繕っているが、内部では壮絶な男女の

やり取りが行われていた。


声を出すことも手足を動かすことも許されず、

塔の最上階へ運ばれたリアンは当然のことながら怒り狂った。

またもキリルは二人の将来に関わる重要なことを勝手に決めて、

リアンに事後承諾を迫ったのだ。


時間が無かったとは言わせない。


「次の王サマに指名されまして。お妃やってくれますか、リアン?」

なんて言うのに、口付け一つの時間もかかりはしない。

あんなことやこんなこと、肩揉みや膝枕などする前に、

話し合うべきことがあっただろう!!!

激怒するはアギールの娘。


「ずっと一緒にいるって約束しましたよね?」

「私のことを愛していると言ってくれましたよね?」

「私との結婚を承諾してくれましたよね?」

「私と別れることはできないと言いましたよね?」

誓いの数々を突き付けて迫るはミルケーネ公爵。


「貴女はできることは何でもすると言った。

 約束は守って下さい。さもなければ…」

酷くしますよ?

藍の双眸が強い光を放ってリアンを脅迫していた。


「王妃になることは私の“できること”に入っていません。

 公爵夫人も100万歩譲った結果です。これ以上は一歩も譲れません」

次官も黄緑(ペリドット)の殺人光線で対抗する。


「王妃も公爵夫人も大した違いはありませんよ」

「全然違うわ、キリルの馬鹿っ!

 王妃は王を支えて国を導く役割を担う者よ。

 簡単に考えて良いわけないじゃないっ!」

「私を支えようなんて考えなくていい。重荷は全てこちらが負う。

 君は私の隣で笑ってさえいてくれればそれでいい」

“私に任せておけば間違いない”

彼はまた愛する(ひと)を大切にしたいあまり、同じ過ちを繰り返した。


「キリル…貴方やっぱり全然分かっていないじゃない」


どす黒い怒りがリアンの中から沸き起こる。

自堕落な為政者、利己的な権力者は彼女が最も嫌悪する人間だ。

両親が亡くなったのは本当は天災ではなく人災だと思っている。

ルーマ州における集中豪雨の危険性は10年以上前から指摘され、

自然林の保護と堤防工事が求められていた…にも関わらず、

州府は本腰を入れず、中央は自治省も事態を放置してきた。


いざ災害が起こってみると、責任の擦り合いが始まり、その結果、

国軍の救援隊派遣も内務省の事故調査も後手に回った。中央官僚と

呼ばれる幾人もの役人たちの怠慢が何百という人命を奪ったのだ。


そんな世の中が嫌で、何もできない自分が嫌で自治省に入ったと

いうのに。


「何も心配しないで。私に任せて下さい。貴女を阻む者、貴女を

 害そうとする者は全て私が“処分”して差し上げます」

「そんなことを心配しているんじゃないわ…聞いてキリル。

 私は、王家はだめ。王家には入れない」


リアンは被りを振った。

どうして分かってくれないのだろう。

伯爵令嬢なら公爵夫人にはなれるかもしれない。

しかし、王室に入り、次代の王妃になるのは無理だ。


リアンは自分が駆け落ち夫婦の娘であることを自覚している。

庶民育ちの地方下級役人、共和国である隣国イサで学んだ者。

これらを恥じるつもりはないが…全てが王室とは対極にある。

王国の平和を望むなら王家最高位の女性にはなれない。


「世継ぎだけは早く作ってしまいましょう。

 そうすれば国母として貴女の地位は揺るぎないものとなる」

「…何を言っているのキリル?」

女の四肢は男の四肢で封じられリアンはこれから起こるであろう

ことに恐怖した。

“何があろうとも”婚約発表は決行すると言ったキリルの言葉は

真実であると痛感する。一方当事者であるはずのリアンが反対

してももはや翻らないようだ。


「今飲んでいる薬は止めて下さい…大丈夫ですよ。

 婚姻式は3カ月後なので、お腹も目立ちません。

 念のため、婚礼衣装は腰周りを少し緩めに作らせます。

 それから踵の低い靴も用意させましょう」

「キリル、いやっ」

「聞きわけて下さい」


あまりに…二人が近づき過ぎたせいだろうか。

キリルはまるで自分の身体の一部にするように、リアンに人外の力を

振るうことができた。


彼女が逃げようとすれば両足を萎えさせ、振り上げた拳からは

力を奪った。唇から自由に呼吸することを許さず、彼に翻弄されて

意識を失う度に力を注ぎ込んで覚醒させた。


「リアン、私の妃になると言って下さい」

「世継の子を産んで下さい」


行為の合間に切々と懇願されるも、リアンは是とは答えなかった。

その表情からは次第に生気が失われ、黄緑の瞳が硝子玉のように

なってゆく。時折、

「王家はいや。王妃になりたくない」とうわ言のように呟くのみ。


公爵は塔の最上層にアギールの娘を閉じ込め、誰も近寄ることを

許さなかった。食事や着替えなど必要なものは全て9層に用意され、

後はキリル自身がリアンの世話をした。

地下の浴室に行く時も娘を抱き抱えるように運び、その爪先が

石の床に触れるのを許さなかった。


狂ったように求めた後は、壊れ物を扱うよう大切に大切にし、

甲斐甲斐しく世話をする。そうして行く内にリアンからは次第に

時間の観念が失われ、快楽と睡眠だけが繰り返された。


9の月が終わり、10の月に入る頃になると、アギールの娘から

反抗的な態度が消え失せ、ただ沈黙を守るのみとなった。

さすがにミルケーネ公爵は立太を目前にして塔に籠りぱなしとは

いかなくなり、娘を後に残して出かけることが多くなった。


しかし、最上層での幽閉状態は続き、リアンは、キリル以外の

人間との接触を厳しく制限された。

リアンがどうしても頷かないため、キリルも態度を硬化させていた。

このまま婚約披露式まで幽閉する気でいる。


広い寝台の上に一人仰向けになり、リアンは時の流れに身を任せていた。

もう何も考えたくない。

何も考えなくていいと言われたじゃないか。

苦しみや悲しみをわざわざ自分で抱え込まなくてもいい。

ただ、愛する人の傍らで微笑んでいればいい。


汚いこと辛いことは全てあの人に任せておけばいい。

あの人だってそれを望んでいるんだから。

もう…諦めてしまおうか。あの人の心に寄り添おうとするのは。


黄緑の瞳から一筋の涙が零れる。

哀しいのか悔しいのかも分からない。

あの人に届かない。

どれほど身体を重ねても心が重ならない。

重なったと思う瞬間もあったのに、すり抜けて、幻になってしまった。


(やられっぱなしか、パルマローザ?)


その時、声なき声が頭の中で響いた。

それは亡き(クロス)のようでもあり、祖父(ハリド)のようでもあり

…なぜか()(リル)のようでもあった。

しかし、そのいずれの者にも貴人名で呼ばれたことはない。


パルマローザ。

下級役人として暮らす娘には不要な名前だった。

貴人名が用いられるのはごく親しい身内か逆に公式の場合のみ。

なぜ今、ここでパルマローザと呼ばれるのか。

貴族であることに一片の誇りも持たぬ自分が。


けれども…

(やられっぱなしか?)

その声がリアンを目覚めさせた。このままでは終わらない、と。


「反撃開始」

ぼそりと呟くとリアンはのそりと寝台から起き上がった。


*** *** *** *** *** 


塔に閉じ込められた姫君の知らぬ間に、ミルケーネ公爵の立太と

婚約披露が、ファネ国内外に代々的に報道されていた。

お相手が“あのアギール家”の令嬢ということで、国民の関心は

王女マリンカと騎士イェイルの駆け落ちから未来の王太子妃の方へ

瞬く間に移っていった。


「自治省次官用の未決裁書類一式、袋詰めになさい」

内務省次官レムルは自治省次官室に突然現れるや、8人の次官付

秘書官たちに命じた。

「これを、どうするのですか?」

ミシェラが言われるまま手を動かしつつ尋ねた。

「“王家の塔”に送ります。リアン殿が仕事なさるそうです」

レムルは秘書官たちを手伝って自分も荷造りする。


「書類の受け渡しはできるのか?」

キタラが固い声で問う。秘書官8人は朝晩交代で塔まで足を運んで

いたが、まだ一度もリアンとの面会が叶っていない。

立太式と婚約披露の式典準備に多忙を極めている、ということだが、

誰もそんな理由を信じてはいなかった。


長官がついに次官を幽閉したのだと…容易に予想がつく。

あの「仕事大好き」次官がいかに王家の大事とはいえ、自治省の

仕事を放り出すはずないのだ。仮に、秘書官任せにするにしても

自分で何か言ってくるだろう。姿も見せないなどありえない。


「塔の最上層まで小型昇降機(リフト)が伸びているから、それを使います」

小型昇降機は現王ソランサが改修した際に新たに設置したものだ。

逃亡や侵入を防止するため、人が乗れる形状には作られていないが、

食事や飲料水、寝具や衣料の替えなどを運搬するのに便利である。


「長官に咎められませんか?」

アイルが少し怯えた目をした。長いものには巻かれたいところだが。


「長官不在の時にやれば構わない」

この場合、長官ではなく、内務省次官に巻かれるのが正解なのだろう。


フッサール伯爵の心情にどのような変化があったか、その場にいた

誰にも分らなかったが、ただ一つ明らかなのは、彼が今回リアンの側に

付いたということだ。恐らくは伯爵夫人フローネと共に。


*** *** *** *** *** 


ワグナ殿下は荒縄で縛られているアギール伯爵を肴に酒杯を重ねていた。

王女マリンカと騎士イェイルの“永久追放”が宣言され、

アギール伯爵とシャイン子爵は身柄を解放される予定であったが

…今もって、国軍と内務省にそれぞれ“賓客”として

“歓待”されている。


表向きは過激派からアギール伯爵家を“保護”する目的だが、

事実はもちろん未来の王太子妃への接触を禁止するためである。


「この縄を解け、ベリル。わしは客人だぞ」

「解いたらまた逃亡するだろうが。

 私の部下を何人病棟送りにしたら気が済むんだ」

「ふん。近頃の軍人は弱っちいのぅ。年寄りにやられるとは」

しかし、その“年寄り”は先々代イランサ王の下で、反乱軍を

壊滅させた男である。ベリルがいかに国軍を鍛え上げているとはいえ、

実戦経験の乏しい連中が一対一で太刀打ちできる相手ではない

ベリルはハリドを一睨みすると、一息に盃を呷った。

「爺いの孫娘はどうしているかな」


ワグナ宮の総司令官室からも“王家の塔”が聳え立つ様が見える。

十層からなる塔の最上階に彼が「命は守る」と約束した娘がいる。


「キリルめ、許せん!」

ハリドは若い公爵が自分の孫娘を閉じ込めているのを知っていた。


「諦めろ、嫁に出すことを許したんだろう?」

「王妃にするためじゃないっ!

 あの男、リアンの意志を無視しおって!」


うっかり者の孫娘とは違い、アギール伯爵は、キリルが将来王に

なることも想定していた。


王弟ベリルが「生涯独身宣言」を貫くこと、王家が滅びようと

王位には就かないこと、そのための代償を既に支払っていること、

その全てをハリドは熟知している。


そうなると、文句の出ない候補として残るのはキリルのみだ。

もしも、彼が無理な場合には、例えばフッサール伯爵夫人などが

候補に挙がるが、王家に内紛が起こる可能性があった。


けれども、王太子妃になるかどうか、王妃になるかどうかは、

リアンに自分の意志で選択して欲しかった。


それなのに、あの憎き変態公爵は、リアンの心を踏みつけに

しているのだ!


「だが、あの娘も負けていないぞ?」

ベリルは人の悪い笑みを浮かべた。事は彼の目論見通り。

全く、彼が守る娘は彼を退屈させない。


「どういうことだ?」

「今や、塔に監禁されているのではなく、“籠城”しているぞ?」


立ち直ったリアンは、最上層に繋がる階段と扉を封鎖し、

キリルの来訪を拒絶した。

そうして…式典が“終わるまで”引き籠るつもりでいる。


「そんなに王様やりたければ、独りでやれば?

 私は王太子妃にはならないし、王妃にもならないっ!」


アギール伯爵令嬢は最上層の窓から高らかに宣言していた。


*** *** *** *** *** 


“玉座の間”では、国王ソランサが己が玉座に埋もれるようにして

身体を沈ませていた。

温厚な彼にしては珍しく、苛立ちが全面に出てしまっている。


「キリルの大馬鹿者め…またも話をこじれさせおって」

「リアン姫の替え玉も用意しておきましょうか?」

対する宰相も真顔で提案する。

ミルケーネ公爵の立太式と婚約披露式を祝うために外国の使節が

訪れ始めていた。公爵がイランサ王譲りの外交能力を半分も発揮

できずにいるため、その負担が宰相に重く圧し掛かってきていた。


「キリルとリアンが無事、王太子夫妻となったあかつきには、

 なるべく早く王座を譲りたいのだが」

「まぁ当面は無理ですな」

宰相は国王に現実を突きつけた。

今回何とか難局を乗り切ったとしても、二人が総明なる国王夫妻

になるまでには…時間がかかりそうだ。


「私もイランサ王にあやかって退位したらのんびり温泉旅行

 にでも 出かけたいのだが」

すると隣で聞いていたシャララ王妃が王を慰めた。

「そう遠からず、温泉にお出かけになれますよ。

 もう少しの辛抱です」

キリルとリアンが共に手を携えて、王の道、王妃の道を歩み始めたら。

王を解放してあげよう、とシャララは考えている。


キランサを父に、キリルを叔父に、リウカを姉に、ベリルを弟に

もったソランサは苦労の連続であった。

苦労するために王になったようなものだ。

次代の見通しさえ立てば、ソランサは…もう自由になってもよい頃合だろう。


(その時は、貴方の手を放してあげる。

 貴方が本当の幸せを、貴方自身の幸せを見つけられるように)


先々代王イランサが4番目の王妃としてイルーネを迎えたのは

56の時であった。ソランサはまだ43、遅くはない。

シャララは夫との別れを覚悟していた。


10の月10の日まであと5日を切った。


「その4」を書くのにドーンと体力を持っていかれた気が。

疲労困憊です。


長官、あんたいい加減にせ~よ、というところですが、

彼も王になるには様々な葛藤があり、唯一の

心の拠り所であるリアンを失うまいと必死になりすぎて、

冥き道を彷徨っております。


次官、へこたれていましたが、反撃に転じました。

変態公爵に負けてばかりはいられません。


次回「その5」王宮も王府も巻き込んだ大喧嘩の結末は?


前回クイズの答えは「里安」です。登場人物の中で漢字名を想定している

のは、リアンと、リアンの母ミアンです。ミアンは「未安」と書きます。


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