第九章 自治省の悪臣 その3
王女マリンカと騎士イェイルの駆け落ちによって、
ミルケーネ公爵キリルとアギール伯爵令嬢リアンにも大きな転換期が
訪れます。二人が払う代償とは。
この「代償」を予想していた方は凄いです。作者も自分で書いてて気付かず、
途中から「あ、そうなるんだ~」と悟った次第です。
自治省次官は仮眠室に据えられた簡素な寝台で身体を丸めていた。
身心ともに疲労困憊だが、熟睡できぬまま、
うつらうつら意識を飛ばすのみであった。
浅い眠りの合間に短い悪夢を見ることになる。
騎士と王女が暗闇を走る姿。
父と母が冷たく横たわる姿。
自分が長官との婚約発表の場で大恥をかく姿。
不安と恐怖は様々な形をとって現れる。
けれども…以前に比べれば、そう酷いものではない。
薄っぺらい影のようなものだ。負けてはいられない。
リアンはもう悪夢に立ち向かう術を身に付けていた。
(忘れないで下さい。私が直ぐ隣にいることを。
信じて下さい。貴女をけして独りにはしません)
キリルの言葉が心に響く。それは勇気を与えてくれる魔法の呪文。
その身は今、直ぐ隣にはいないけど、その心は確かにここに在る。
自分は独りじゃない、そう信じられる。
交わした誓いゆえに強い心でいられる。
不意に白絹の手の感触を額に感じた。
それから優しい口付けがゆっくりと落ちてくる。
目を開けは大好きな藍の瞳がそこに在った。
「お帰りなさい、キリル」
リアンは満面の笑みを浮かべて愛する人を迎えた。
「ただ今戻りました、リアン」
金茶の髪を梳く手はこの上なく優しいのに、何故か相手は不満顔だ。
加えて、人外の回復力を持つ公爵サマにしては疲れているように見える。
「どうして、次官の仮眠室にいるのですか。
長官室を好きに使いなさいと言ってあったでしょう」
「独りだと、その、長官の寝室は広すぎるんです…」
言外に広い寝台に独り寝するのは寂しいと言われたようで、
忽ちキリルの身体が燃えるように熱くなった。
「貴女が煽るから…上の階に行く間も我慢できなくなりました」
「煽っていません!長官、ここはマズいです…ううんっ!」
リアンの抗議は安々と唇で封じられ、3日ぶりに会う恋人たちは
狭い寝台の上で身体を密着させた。
「んんっ、ちょ、キリル。ここ防音じゃないから、あ、やんっ」
旧カリン宮にて実質軟禁状態のリアンである。
深夜であっても扉の向こうには警備兵がいて、
恐らくは内務省やら国軍やらの密偵も潜んでいるだろう。
「貴女の可愛いらしい鳴き声を聞かせるのは癪ですが…一方で、
知らしめたい気持もするのです。貴女が誰のものなのか」
「キリル…?」
苦しげな表情を浮かべる公爵サマを前に、リアンの身体から
抵抗する力が失われてゆく。
改めて聞くまでもない。イェイルとマリンカの捜索が難航しているのだろう。
山や川を探すよう提案があったことを思い出し、リアンは慌てて、
その暗い考えを頭から追い払った。
駆け落ちした二人もだが…内務省長官として捜査を指揮する
キリルが心配であった。
3日ぶり、ということもあるだろうが、夢中でリアンを求めてくる。
簡易寝台は二人の重みと激しい動きで壊れそうであった。
触れている部分から迸るような情熱と共に、相手の心が流れ込んでいる。
それは焦燥と不安。
リアンを感じることで、何とか自我を保とうとしているようだ。
こうなってしまうと…彼女は彼に強く出れない。
一般常識(ここは役所です)も道徳観念(まだ婚約前です)も
羞恥心(一体外で何人聞き耳を立てているのか)も鳴りを潜めて、
公爵サマを受け入れてしまう。
会えなかったのは、たったの3日。
それでも、リアンだって、寂しかったし、不安だったし
キリルにどうしようもなく会いたかった。
会いたかったのだ。
「陛下からワグナ殿下と私に新たな命が下りました」
呼吸を整え、二人して枕を並べて横たわったところで、キリルが口を開いた。
「“もう捜さなくてよい”と仰せでした」
「長官、それは…」
「陛下も王妃様も王女を切り捨てる決心をされたのです。
駆け落ちしてから3日以上経過しました。
もうマリンカを処女だと信じる者はいない。
彼女を取り戻したところで…立太に意を唱える者が必ず出てくるでしょう」
「それは、結果的には、二人にとって良い方に向かうのですか?」
追っ手がいなくなれば、どこへ行くのも自由。
隣国イサで成人を待ってから、結婚することだって叶うかもしれない。
「どうでしょうか。陛下は明日二人の“永久追放”を宣言するつもりです。
分かりますか、リアン、この意味が? 二人はもはや死んだものと
看做され、王女としても騎士としても二度と復権することありません」
今後、別の名前で別の人生を歩むことになる。しかし、通常の手段では
ファネ国の平民としての市民権を得ることすら難しいだろう。
「国軍と内務省が手を引いたところで、王家至上主義の人間はいます。
王室の権威を貶めた二人は命を狙われることになります。
強欲な商人の中には二人を利用しようとする者もきっと出てくる。
…駆け落ちの行く末は思い描いたような幸福な結末では
ないかもしれません。貴女のご両親以上に苦労することでしょう」
二人ならきっと大丈夫などと安請け合いすることはできない。
実際、リアンの両親は苦労した。
“世紀のロマンス”は有名になり過ぎていて、真心から手を差し
伸べてくれる者も少なくなかったが、それ以上に危険が多すぎた。
一家は、身元を隠すために、リアンが10歳を過ぎる頃までは
居所を転々としていた。
イェイルもマリンカも本当の意味で生活の苦労をした経験がない。
若さというものは両刃の剣で、困難を切り開く力を生む時も
あれば、その刃を己に向ける時もある。
将来、王女が王位を捨てたことを、騎士が伯爵位を捨てたことを
後悔することがあるかもしれない。
「彼らが心配ですか、リアン?」
「当然です。二人のこれからの安全と生活が心配です」
「彼らを助けたいですか、リアン?」
「それは、もちろんです。“永久追放”されても身内は身内ですから」
二人が隣国イサに赴くなら、手紙を書いて、亡き両親や留学時代の
知己に頼んで、協力をお願いしてみるつもりだ。
祖父や叔父にしたって、それとなく援助はするだろう。
「私に“お願い”してみないのですか。
貴女の頼み事なら何でも聞いてあげたいと思っていますよ?」
「いや、それは…」
フッサール伯爵夫人に長官を誘惑しろと提案されていたが、
既に強欲に貪られてしまった後で、もう無理だ。
「貴女が可愛いらしく“おねだり”してくれたら、二人が無事
国境を超えるくらいまでは“監視”できるかもしれませんよ?」
白絹の手がちょっと際どいところを撫でてきて、
藍色の瞳が間近に迫っている。
(この場合の“おねだり”って、うん、やっぱりアレだよな)
子どものフリをするつもりはサラサラない。
もう27歳なのだ。先日の誕生日でまた一つ年を取ってしまった。
しかし。
具体的に何をどう“おねだり”すれば良いのでしょうか?
あれだけさんざんイロイロやられた後で!
「長官、すみません。修行不足でどうしたら良いか分かりません。
何か他のことで代わりになりませんか?」
恋人が心底困ってもじもじしているのを楽しみながら、
キリルはそれならばとリアンに背を向ける形で上体を起こした。
「肩を揉んで下さい」
「はぁ?」
また突然何を言いだすのか、この男はと思いつつ、
シーツを手繰り寄せながらリアンも上体を起こした。
「ソイ州では叔父君の肩を揉んであげていたそうですね。
留学時代にはイサの養老院で短期就労をしていたとか」
またも隣国ではいろいろお楽しみですね、と嫌味を言われた。
いかがわしい仕事ではない。
隣国イサの養老院で希望者に肩揉みをしてあげて、ちょぴり銅貨を集め、
入院者に振る舞うお菓子の材料費に当てていたのである。
「お年寄りやクロンばかりずるいです。私の肩も揉んで下さい」
ほれほれと右手で左肩を叩きながら背中で催促してくる。
「なにを言っているのですか、長官!
肩なんか凝ったことないでしょう。鍛えているのですから。
机上仕事はこっちの方が圧倒的に多いんですよ?
揉んでほしいのは私の方です!」
呆れて、つい本音をぶちまけてしまう。
この3日間、“自主謹慎”という名の軟禁状態で、ひたすら書類作成
しかやる事なかったから、首も肩もガチガチだ。
昨日からは『王家の婚姻・七日間必勝法』の学習が始まり、
眼精疲労も加わった。更に、只今、長官のせいで、足腰が重くて、痛い。
「それは申し訳ないことをしました」
振り返った公爵サマはそれはそれは愉しそうな顔をして
いらっしゃいました…リアンが己の失言を悟るも時すでに遅く。
白絹の手が伸び、十指が妖しく蠢く。
「ちょ、長官、いいです…いいですから」
「気持良いですか?」
「そっちの“いい”じゃありません。遠慮しますの意味です!」
「遠慮しないで下さい、未来の奥サマ。
首でも肩でも、私が優しく揉みほぐして差し上げます」
(首でも肩でもと言いながら、揉んでいるとこ違いますから、長官!)
「う、うん、く、く、はうっ」
自分の口からまたも恥ずかしい声が洩れて、リアンは自分の口を
手で押さえた。もはや…諦めの、いや悟りの境地に入るべきか。
未来の夫はこういう奴だ、と。
「なるほど。確かに、お上手ですね」
一頻り遊ばれた後、結局リアンは、“健全な”肩揉みを公爵サマに
施した。若いキリルに肩凝りは確かに無縁であったが、この間、
張り詰めたものがあったらしい。
リアンの触れたところから緊張が解けてゆくようであった。
「本当に気持良い。リアンに揉んでもらうために、これからは
定期的に肩凝りになるようにします」
それは本末転倒ですと言おうとしたが、長官があまりに嬉しそう
なので次官は黙ったままでいる。
「朝起きたら、髪を梳かして結んでくれますか?」
「はいはい」
まるで手のかかる大きな子どものようだ。
一方で、世話を焼いて、喜んでもらえるならば嬉しいとも思う。
「明日…ああ、もう今日ですが。
陛下のもとに一緒に来ていただけませんか。駆け落ちした
二人のために、王国のために、貴女の力が必要なのです」
「それは私にできることならば何でも…あ、でも」
「何ですか?」
リアンが言い淀んだのを見て、キリルは少し身構えた。
「あの、でも、長官と別れろというのは承諾できませんよ?
陛下のご命令でも、それは“できること”に入りません」
おずおずと上目遣いに黄緑の瞳が見つめてくる。
無自覚にやっているだけに、余計始末が悪い。
「全く貴女という人は…」
リアンの一挙一動にキリルは何度も恋に落ち、何度も何度も
抱き締めて、それでもまだ足りないと焦がれて求めてしまう。
「キリル、痛いってば!肋骨折れます!」
「貴女があまりにいじらしいことを言うから。
理性が吹き飛んで、力加減が分からなくなります」
「…私のせいですか、それは」
長官と付き合ってゆくのは結構命がけかもしれない。
「リアン、よくお聞きなさい。今後“何があろうとも”、
来月10の日の婚約発表は決行します。陛下が崩御されても
隣国と全面戦争になっても、中止も延期もありえません」
フローネが言っていたことよりも、更に過激な例えを用いて
キリルは断言する。
「貴女を失うくらいなら、王国を滅ぼす方を選びますよ、私は」
綺麗に微笑みながらも藍の双眸は真剣そのものだ。
かかあ天下をとるつもりはないが、公爵サマの純情一途は上手に
御さないと亡国を招くものとなりそうだ。リアンは今更ながら
未来の公爵夫人としての重責を思い、憂鬱になった。
公爵の方はというと、何やら一人で納得して嬉しそうにしている。
「何ですか、長官?」
「陳腐な口説き文句だと思わないでいただきたいのですが、
貴女は“リアン”という名前の意味をご存知ですか?」
「いいえ、両親からも聞いたこともないですが」
するとキリルは自分の右手の平をリアンの右手の甲に重ねるように
して取った。
そうして些か皺の寄っているシーツの上に大きく文字を描く。
「古代文字ですか?」
リアンの苦手分野である。
以前、フッサール伯爵夫妻の恋文に入っていた透かし文字の解読を
試みて失敗している。
後でフローネに尋ねたところ、「永遠に愛する」というような
意味だと聞いたが、どんな文字だったのかもう思い出せない。
今回もキリルの動きを追う端から忘れてゆくようであった。
「古代文字は曲線が多くて難しいです」
「意味は、こちらの文字が“ふるさと”。続いて“やすらぎ”」
「故郷の安らぎ?」
「貴女が私の帰る場所、私の安らぎ、心の拠り所です」
そのままキリルは上体を傾けて、リアンの膝に頭を預けた。
「ちょ長官…今すごいことを言われた気がするのですが、
頭が飽和状態で追い付けません」
「ではそのまま暫く固まっていて下さい」
次官の膝枕で、長官は瞳を閉じた。愛する女の温もりを
感じながら、彼は3日ぶりの眠りに導かれて行った。
*** *** *** *** ***
王宮の中心に位置する“玉座の間”。
最奥の一際高い位置に国王ソランサと王妃シャララが座している。
その直下には宰相、侍従長、近衛騎士団長が伺候する。
正面左手には玉座とは別格の貴賓席があり、王家の最長老である
太王太后イルーネが鎮座し、背後を神官長が守っている。
扉に近い下座にはフッサール伯爵夫妻が揃って控えている。
そんな中、ワグナ殿下、ミルケーネ公爵、アギール伯爵令嬢は、
3人横一列に並ばされ、ソランサ王が口を開くのを待っていた。
「本日この時をもって王女マリンカを永久追放とし、
王族譜から除籍する。同時に、騎士イェイルを永久追放とし、
近衛騎士としての身分を剥奪する」
「これより二人の追跡は無用。
良いな、国軍総大将ベリル、内務省長官キリル」
「「御意」」
二人が同時に頭を垂れる。その芝居がかった様子をリアンは
感情を消した表情で見ているしかない。
「さて、懸案の王位継承についてだが…」
ここに至って、リアンは、もう一つの、ファネ国にとっては
より深刻な問題にはたと気付いた。
世継の王女がいなくなったのだ。その跡はどうなる?
駆け落ちしたイェイルとマリンカばかり心配していて、
王家の行く末は全く心配していなかったリアンであった。
仕方なかろう!
庶民育ち、伯爵令嬢の自覚なし、の彼女だ。
自治省次官として国の将来を憂えることはあっても、
王家については「王家で決めればいいじゃん」と深く考えていなかった。
陛下がお話しになっている時に不遜だが、
何となくワグナ殿下と目があってしまった。
珍しくも整えられた御髪に口髭、完璧に着こなされた軍服。
大人の男の妖しい魅力を漂わせた将軍サマが、にやりと笑ってみせた。
(そうか…いよいよ殿下が立太か)
今度こそ“生涯独身宣言”は撤回させられるだろう。
それで良い、とリアンは思う。
いつまでも亡くなった母を思い続けるのは不毛だ。
気立ての良い夫人を得て、立派な次代の王になってほしい。
正直、この中年不良親爺が王太子?でもって次代の王サマ?
終わったな、ファネ王国…という気もするが、
キリルと二人協力して、何とか王国を支えていくしかない。
恐らく、陛下はミルケーネ公爵とその将来の夫人に次代への
忠誠を求めるだろう。
ベリルに忠誠とは腹立たしいが、覚悟を決めることにする。
「では立太式は来月10の日に執り行なうこととする」
ここでリアンは、ん?となった。
来月10の日。何か重要な催事があった気がする。
「併せて太子の婚約披露式を行う。
そのつもりで準備するように。良いな、リアン」
んん?何かとても重要なことを聞き逃した気がする。
(どうして私が太子の婚約披露式の準備をしなければならないの?
手伝い?でもそしたら私とキリルの婚約発表は?やっぱり延期?)
長官は「陛下が崩御しても」「隣国と全面戦争になっても」
変更はないと言っていたが、やっぱり優先順位ってあるよね、と
リアンは自分を納得させる。
それよりも来月10の日まで2週間を切っている状態で
王弟の所にまともな嫁が来るのか、そちらの方が問題だ。
「リアン、現実逃避か?それとも本当に分かっていないのか?」
「え?」
恐れ多くも、陛下に聞き返してしまう。
「来月の10日。
キリルがミルケーネ公爵位を返上し、王太子となる。
併せて、そなたと婚約する。
そなたがなるのはミルケーネ公爵夫人ではなく、王太子妃だ。
得心したか?」
キリルが王太子。そして私が未来の王太子妃。それはつまり…
「キリル、リアン。
次代の王と王妃として、この国を守り、導いてほしい」
ここは二人で
「「御意」」と声を合わせ、頭を垂れるところである。
しかし…
次代の王と王妃…? 誰が…? え、誰が…?
「異(議あり~)!」
リアンの大絶叫は最初の「異」のところでキリルに口を塞がれ
羽交い締めにされ、不発に終わった。
しかしここで抗議しなければ、決定事項になってしまう。
リアンはあらん限りの力をもってキリルを撥ね退けようとした。
未来の王太子妃?王妃?冗談ではないっ!
キリルにもれなく付いてくるオマケにしては重すぎだろう!
(絶対嫌です、無理です、お断りします!)
叫ぼうとするも喉が凍りついたように声が出ない。
身体中から力が抜けていくようで、支えなしには立っていられない。
それは直感だった。彼女のずる賢い恋人が何か仕掛けたのだ。
でなければ人形のようにされるがままになっているはずがない。
公爵は陛下の御前で、婚礼式でするかのようにリアンに口付けた。
それから新床に花嫁を運ぶかのようにリアンを抱き上げる。
「大任を拝し、私の愛しい姫君は失神直前です。
退室をお許し下さいますか?」
「許す…その、大丈夫なのか?公爵」
その問いはリアンの体調を尋ねるものではなく、
リアンを説得できるかを尋ねるものだ。
国王の見立てでは、キリルの旗色はかなり悪い。
予め立太・立后をリアンに話していなかったことは明らかで、
王は、「昨晩何をしていた」と公爵を詰りたい気持で一杯だった。
「“王家の塔”に参ります。今度のことをリアンと相談したいので、
しばらく二人きりにしていただけますか」
キリルの蒼白な表情に誰も否やを唱えられない。
かくして、自治省長官と次官の王位継承をめぐる熾烈な闘いの火蓋が
切って落とされた。
*** *** *** *** ***
「大丈夫ですか?」
疲れた顔で長椅子に横たわる王妃に、お茶を差し上げながら、
フローネが心配そうに尋ねた。
夫であるフッサール伯爵こと内務省次官レムルと復縁してからは、
王妃付女官を退くつもりであったが、王女と騎士の駆け落ちに際して、
もう暫く仕事を続けることにした。
娘を失って落胆している王妃の力になりたいと思ったからだ。
義理の叔母にあたる王妃はフローネ実家や婚家の問題で悩んでいた時、
いつも力になってくれていた。
「地方都市ルーマで伸び伸び育ち、隣国イサで進歩的な思想を
学んだリアンにとって、ファネ王室はさぞかし窮屈なものに
感じられるでしょうね。立后を固辞する気持ちも分かるわ」
“永久追放”を宣言したためか、王妃は失われた娘のではなく
自分の跡を継ぐことになるであろう娘のことを口にした。
「キリルに愛されたことが運の尽きと言っては…あまりに
リアンが可哀そうね」
「あの娘は意外に良い王妃になるのではと思うのです」
「そうね、他ならぬ貴女がそう言うくらいですものね」
気位の高い姪である。
自分の気持ちを素直に表す術を知らぬ不器用な娘でもあった。
それゆえ、長く実父とも義母とも理解しあえず、夫とも疎遠になった。
それを変えるきっかけを作ったのがアギール伯爵令嬢だ。
「夫はもとより大叔父君に忠誠を誓っております。
私は…忠誠までは誓えませんが、友として、リアンを助ける
ことができればと思います」
「貴女が初めて得た友を大切になさい」
王妃の言葉に、フローネは小さく頷いた。
シャララもアギール伯爵令嬢が王太子妃になること自体は
あまり心配していない。王妃としての資質は十分にあると認めている。
それに、リアンが王妃になるにはまだ猶予があった。
その間に、太王太后、王妃、フッサール伯爵夫人と3人が連携して、
必要なことを教えていけばいい。
それよりも問題は…。
「大丈夫かしら?」
王妃と伯爵夫人は共に窓の外に目をやった。
“王家の塔”が秋の長雨に煙りながら聳え立っている。
「キリルはリアンを説得できるのかしら?」
「…説得してもらわないことには王家も王国も前に進めません」
王妃が嘆息し、伯爵夫人が苦い顔になる。
未来の王と王妃が決着を付けるまでは…
フローネの夫レムルが内務省長官を代行せねばならず、
ヴァンサラン補佐官ほか次官付秘書官たちが自治省長官と次官を
代行せねばならない。
そして、シャララとフローネが婚約披露式の準備をしなければ
ならなくなった。特にフローネはキリルから懇願されて、リアンの
婚約披露式用衣装や装身具一切を手配する役目を負わされた。
王宮からも王府からも「もう勘弁してほしい」という悲鳴や愚痴が
延々と続くことになる。
10の月10の日まで10日を切っていた。
「自治省の悪臣」ミニクイズです。
Q リアンの名前を古代文字(漢字)で書くとどうなるでしょう?
さて、リアンびっくりの、回ってきてしまった王太子妃の座!
何とか回避する術はあるのでしょうか?
でも、回避するとなると、キリルとの結婚はどうなる?
ここにきた「やっぱり止める」と言ったら長官が狂乱すること間違いなし。
次回「自治省の悪臣 その4」
“王家の塔”での攻防線。バカップル?の華々しい喧嘩が展開します。