第七章 自治省の自治部隊 その5
おさらい+α
キリル=ミルケーネ公爵=自治省長官=内務省長官 現国王ソランサの叔父 25歳
ベリル=通称 ワグナ殿下=ファネ国軍総大将 現国王ソランサの弟 41歳
※年齢の逆転現象は、先々代イランサ王の長子が先代キランサ王で、
末子がキリルだからです。ソランサ王とベリルは先代キランサ王の子です。
イランサ20歳の時の子がキランサ、58歳の時の子がキリルです。
…って、ややこしくて申し訳ないです。
ちなみに リアン=アギール伯爵令嬢=自治省次官 26歳(もうすぐ27歳)
さて、「その5」 キリル、ベリル、リアン、それぞれがブチ切れました。
あれ…?こんな予定だったっけ?そしてちょっと流血シーンも?あれっ?
精霊祭も終わり2週間が過ぎた。
故障した冷却装置は結局のところ復旧まで5日間を要したが、
その後は順調に稼働している。
自治省も平穏を取り戻し、長官以下粛々と職務に励んでいる
…はずはなく、相変わらず仕事しないグウタラ長官と仕事大好きな
熱血次官の攻防が続いている。
そして己れの平安…いやいや自治省の平安のために、
「長官と次官・その傾向と対策」の技術情報を研究し、蓄積しつつ
あるのが次官付8人の秘書官である。
彼らはとにかく忙しい。
先ずは秘書官としての業務。“アギール家の娘”人気で嘆願書の類いは
増えることはあれども減ることはない。
それから、互いの監視業務。仕事をサボらないように、ではなく、
次官付「一抜けた」と言いだす仲間がいないか見張る必要があるのだ。
もちろん次官殿のお世話もしなければならない。
リアンは仕事一徹なようで、きちんと部下には配慮している。
良い上司に違いないが、如何せん庶民暮らしが長かったせいか、
伯爵令嬢としてはイロイロずれている。
彼らが、しっかり補助しなければならないのだ。
そして…何といっても最大の厄介事が長官対応である。
アギール家伯爵令嬢の次官就任前は良かった。
王族出身で公爵サマ、旧カリン宮の最上階に居てくれる「だけ」で自治省に箔が付く。
誰も高貴な御方に「仕事してもらおう」などと畏れ多くて考えも
しなかった。しかし…公爵サマが次官殿の追跡者と化すに及んで、
彼らは何らかの対策を打たねばならなくなった。
外には自治省長官の威厳を保ち、内では省内業務を円滑に進めなければ
ならないのだ。
本当に勘弁してほしい…ヴァンサラン補佐官も含め次官室に集う
全員の一致した感想である。
次官室は、目下のところリアンの二度目の地方視察を来週に控え、
微妙~な空気の中を漂流していた。
表面的には穏やかな昼下がりである。視察準備も順調だ。
但し…自治省長官の最終承諾書だけが未署名のまま残されていた。
ミルケーネ公爵の右腕であるヴァンサランは知っていた。
視察を認めるのと引きかえに、リアンとの婚約発表の具体的な日程を
キリルが決めようとしているのを。
非常に姑息な手段だが、彼の主はどうも切羽詰まってきているらしい。
秘書官の一人ミシェラは長官室に追加資料を届けに行って、
またも見てはいけないものを見てしまった。
「では婚約発表は来年の立春祭の頃にでも…」
手にした書類で半分顔を隠しながら、次官が蚊の鳴くような声で提案する。
耳まで真っ赤になっているのがミシェラにも分かった。
「鬼の政務次官」が日常だが、ほんの時たま可愛いらしい顔を見せる。
しかし、対する長官の反応は、ミシェラの思うところ、
「はっきり言ってサイテー」であった。
「立春祭?その頃までには婚礼式まで終わらせている予定です。
今月か来月の吉日で決めてください」
せっかく、せっかく、次官が前向きな発言をしたのに台無しである。
案の定、リアンは反発した。
「こ、今月か来月?そんなの無理に決まっています。準備がとても…」
「何の準備も必要ありません。国民に対して婚約を発表するだけです」
「だ、だけって…でも、心の準備がまだ…」
「貴女の心の準備が完了するのを待っていたら、あっという間に
三十路越えです。そんな準備は後からしてください」
そんな準備って…後からって…次官が怒りに震える様がミシェラには見える。
庶民が「私たち結婚しま~す」宣言をするのとは違うのだ。
王族出身公爵サマの婚約を後から「やっぱり止めま~す」と言える
はずないではないか。
ミシェル自身は恐怖から身を震わせていた。
来る。
このままでは自治省に再び激甚災害が降りかかってくる!
「結局、何もかも長官が決めてしまって、私にはただ従え、と」
「…私に任せておけば間違いない」
「…ふざけるなっ!」「お待ちくださいっ!」
リアンが拳を振り上げて長官に抗議したところを、
ミシェラが割って入った。
「あの時の自分の勇気を誉めてやりたい」
ミシェラは後に、仲間の秘書官たちにそう語っている。
「お二人とも少し冷静になってください」
ミシェラの諌めにキリルが沈黙を返し、リアンは憤然として長官室を
出て行った。
それが自治省長官と次官の前哨戦であった。
*** *** *** *** ***
次官室のお茶時間に、リアンお手製の蜂蜜ケーキが振舞われた。
蜂蜜はルーマ州にある“片目を瞑るワニ亭”という独特な名前の
養蜂園で作られた特別なものらしい。
例によって秘書官たちはよく味が分からないまま咀嚼していた。
長官の分と思しき、別包装分は、作り手によってバリバリ開封され、
むしゃむしゃと消費されていた。
リアンの机には少し前にミシェラとモムルから贈られた2通の書簡が
並べられていた。
忙しさに忘れていたが、小休止中にようやく謎解きを思い立ったのだ。
薄紅色の料紙は女手で、それもまだ若い女性のようだ。
文面は次のようなものである。
「ご主人さま
まだ嫁いでもいないのに、ご主人さまと呼ぶことをお許しください。
爵位でお呼びするのは厳めしすぎますし、
お名前でお呼びするのは恥ずかしくて。
早く素敵な大人の女性になって、ご主人さまの所にお嫁に行きたいです。
待っていてください。 貴方の未来の妻より」
薄緑色の料紙は男手で、こちらは既に成人して落ち着いた男性
のもののようである。返しの文面は次のようなものであった。
「私の大切なお嬢さま
可愛いお手紙をありがとう。とても嬉しい。
君がお嫁さんになってくれる日を楽しみにしています。
焦らなくてもいいよ、ゆっくりおいで。
君を幸せにできるように私は準備して、待っている。
貴女の未来の夫より」
なんというか…身悶えしたくなるほどに恥ずかしい。
年の差がある婚約者同士なのだろう。リアンは自分の手で顔を扇いだ。
料紙は中央でぴたりと合わさる。
もともと一枚の紙を二つに裂いて別々の色に染めたものだ。
予め相手に片方を渡しておき、恋文のやり取りに用いる。
そんな貴族の雅をリアンは「知識として」だけは知っていた。
椅子を二本足にして揺らしながら、合わせた料紙を光に翳す。
果たして透かし文様が浮かび上がった。偽文書を防ぐための工夫である。
透かしは家紋や花紋を用いることが多いが、これは古代文字のようであった。
「とこしへ…お、を?…はむ?」
よく分からない。
隣国のイサ語は得意だが、古代文字の訓練は積んでいなかった。
食むとは草を食べるということか。永遠に草を食べる?
…ますます訳が分からない。恋文との関係があるのかないのか。
ミシェラ、モムル、キタラを順々に見やる。
リアンが疑問符を飛ばしているのに気付きながら、知らん顔して
蜂蜜ケーキを食べている。
キタラの助言に従えば、「長く平行線の夫婦が幸せになって」、
リアンの恋も「大きく前進できる」かもしれない代物なのだが、
前進以前に後退、いやもう破綻寸前なのだ。
「小娘、いるか?」
そんな時、次官室に現れたのがワグナ殿下だった。
彼が前触れなく訪れるのは毎度のことだが、時機が悪い。
ヴァンサラン補佐官も8人の秘書官も、王弟殿下を歓迎できなかった。
「渡すものがある」
次官室の大部屋は埋まっているので、隣室の資料室に殿下をお通し
することになった。
「王弟を物置部屋に案内するとは、良い度胸だな」
ベリルは早速文句を言ったが、彼自身のごみ溜めのような司令室に
比べたら遥かにましな場所だった。
「最上階の貴賓室を使いますか?」
一応尋ねたが、速攻で拒否された。長官に干渉されたくないらしい。
「ウメエ酒の礼だ。これをやる」
ベリルが取り出したのは一挺の見慣れぬ小型銃であった。
「国軍が最近開発した小型銃で、通称ウグイス。非戦闘員が紛争地
などで護身用に携帯するものだ」
「ウグイス」
リアンはワグナ殿下から銃を受け取ると、その感触を確かめた。
内務省の自動小型拳銃が黒一色であるのに対し、こちらは褐色で統一
されている。ややズングリした印象で、カラスに比べて少し重い。
「殺傷能力自体はそう高くないが、飛距離があり、消音機能付きだ」
父の形見であった銃とは勝手が違うが、練習すれば使いこなせそうだ。
「いただいてよろしいのですか?」
「小娘の命を守るのが契約条項だからな。自衛に励んでくれれば、
俺も少しは手間が省ける」
「…ありがとうございます」
リアンは素直に受け取ることにした。自分の命のことなのだ。
ワグナ殿下にしろミルケーネ公爵にしろ、他人任せにはしたくない。
「何をしているのですか」
絶対現れるとは予想していたが、果たして不快感を露骨に表した
自治省長官が二人の前に立ちふさがった。
「私のリアンと密室で二人きりとは良い度胸ですね、ワグナ殿下。
…早死にしたいようだな」
王弟が戯れに次官に求婚した辺りから、ますます狭量になったキリルである。
国軍大将相手に敬語も消え失せた。
「長官」
リアンはもちろん、険悪な雰囲気を解消しようとした。
このところ公爵サマは落ち着きがない。
大貴族としての余裕はどこに行ったのだと疑問に思うほどで…
はっきり言ってすごく変であった。
やたらにベタベタと構いたがると思えば、不機嫌になって酷いことを
言ってくるし、理不尽な命令もしてくる。
面倒くささ5倍増しくらいの状態で、次官として大いに迷惑している。
「リアン」
キリルの白絹の手が彼女を捕らえた。
「それを寄越しなさい」
返事をする前に“ウグイス”を取り上げられる。
内務省長官でもあるキリルはそれが何であるかもちろん把握していた。
国軍が開発した非戦闘員携帯用の小銃。
高度な制作技術と稀少金属を要するため、まだ数挺しか造られていない。
その貴重な一挺をベリルはわざわざリアンに持参したのだ。
「返してください」
リアンが手を伸ばして跳躍するも届かない。
「軍から正式に携帯許可を出す。内務省長官でも文句は言えんはずだ」
ベリルが窘めた。
「リアンは軍属ではありません。
自治省長官として自治省次官に武器の携帯は認めません。
次官の安全配慮はこちらで責任を持ちます」
「次官の自衛権は認められているだろうが。
自分の身は自分で守りたいそうだ。そのウグイスを渡してやれ」
ベリルの父であるキランサ王はキリルの異母兄。
つまりキリルはベリルの叔父に当たるのだが、年齢は逆転していて、
ベリル41、キリル25である。良きにつけ悪きにつけ、
人生経験を積んでいるのはどちらか…前者であることは歴然だ。
「リアンにウグイスは使わせません」
もう一度きっぱりと言いきって、キリルはベリルに銃を返そうと
した。が、途中で気が変わったらしい。
突然、彼は勢いよく身体を捻った。
バキッ。ミシッ。バサッ。
異なる大音響が時間差で狭い室内に轟いた。
「何するんですか、長官!」
リアンが悲鳴を上げた。目の前の光景が信じられなかった。
何と、ミルケーネ公爵が“ウグイス”を資料室の柱に叩きつけたのだ。
それも白絹の手からは想像できないほどの怪力で。
果たして国軍の最新小銃はへし折れ、
旧カリン宮が王宮だったころの名残である高価な紫檀の柱は抉られ、
両側に積んであった書物と資料は雪崩をうって床に散らばった。
リアンの預かり知らぬことだが、貴重なウグイス一挺は
ファネ国中央高級官僚一年分の俸給に相当する価値があった。
もちろん公爵サマは分かっていて何ら躊躇することなく破壊している。
「軍のものがダメだというなら長官、私の“カラス”を返してください」
リアンは父の形見の返還を要求した。
彼女にしてみたら当然の主張だったのだが、これが最後の起爆装置に
なってしまった。
「…貴女も大概に分からない人ですね」
ミルケーネ公爵が完全にキレた。
藍色の瞳はもはや人外のものとなった。
王弟ベリルでさえ、これほど壊れた叔父を見るのは初めてといえた。
「他の男からホイホイ贈り物を受けとる貴女には心底呆れます」
(ちょっと、私がいつ…)
しかし、抗議の言葉は喉元で凍る。相手が気配が怖すぎるのだ。
「ウグイスのことだけを言っているのではありませんよ。
農業省の男からはしょっちゅうルーマ土産を貰っているし、
死んだベツレム・シロからの指輪も受け取ったでしょう?
バレないとでも思っていたのですか?内務省長官を侮っているのですか?」
次々と糾弾される。
侮ってはいないが、はっきり言って内務省長官権限の使い方を大きく間違っている。
しかし、この段階でまだ次官は口がきけるようになるまで回復していなかった。
「銃を携帯したい?
本当は服の下に隠している小刀や文鎮も没収したいところなの
ですよ。貴女は私の妻として大人しく守られていれば良いものを」
「私は自治省次官です。自分の身はもちろん、いざとなったら仲間の
身も守れるようなりたいんです!」
ここで初めて、弱々しくはあったがリアンは自己主張した。
しかし、決死の思いも、キリルに完膚なきまでに叩きのめされる。
「それが余計だと言っているんだ。
君が勝手に動けば、かえって周りが迷惑するのが何故分からない?
自分の身は自分で守る?どの口でそれを言う。
両親の死も、ベツレム・シロの死も乗り越えられず、
毎晩うなされては泣きじゃくるような弱い女が、
どうやって自分の身を守るというんだ。
俺を助けるとか守るとか、くだらないことは考えるな。
君の助けなど、必要ない」
ピシリと亀裂が入った。
それはアギール伯爵令嬢の心が割れる音だ。
いろいろ酷いことを言われたが、要するに「お前など要らない」と
言われているのと同じなのだと…リアンは解釈した。
涙も出なかった。
哀しみも怒りも通り越して妙に頭が冴えてくる。
「キリル・ヒョウセツ・ミルケーネ」
初めてリアンが長官をその全ての名で呼んだ瞬間であった。
「貴方との結婚はお断りさせていただきます」
その言葉が届くや、長官はそのまま石の彫像と化した。
「私は信じることも、助け合うことも、理解することもできない
貴方を愛することはできません。
そして私は頭が固いと言われようが、古いと言われようが、
愛のない結婚はしません」
実に見事に言いきった。
それから、ワグナ殿下に対しては「大変お騒がせしました」と頭を下げ、
様子見に顔を出していたヴァンサランとキタラには
「長官をお送りして」と短く命じた。
「行くぞ」
固まったまま動けないキリルをベリルが引きずるように連れて行き、
最上階の長官室に入るや突き飛ばした。
ヴァンサランとキタラが後から静々と入室する。
どう言葉を取り繕おうと、ミルケーネ公爵がアギール伯爵令嬢に
盛大に振られたことは明らかだ。
下手な慰めや励ましは自分たちの寿命を縮めることになる。
キリルは血の気が失せた顔で、執務室の中央に突っ立っていた。
彼はしばらくの間、自分が何を言ったのか、そしてリアンに何を
言われたのか、よく理解できていないようであった。
ベリルは若い叔父の横顔に20数年前の自分を見る思いであった。
クロスのためにミアンが自分を捨てたと悟った時の自分に。
やがて我にかえった公爵は、しかし正気には戻らなかったようだ。
「ヴァンサラン」
補佐官を呼んだ時の声は格段に低く、掠れてさえいた。
「内務省長官として命ずる。自治省政務次官の更迭を」
「それは、なりません!」
赤髪の大男は焦った。得意の軽口も忘れて主を諌める。
「煩いっ!黙って命令に従え」
怒鳴り散らしたキリルの胸元をワグナ殿下が問答無用で締め上げた。
「いい加減にしろ」
そのまま利き腕で公爵を殴り倒す。
本気になったワグナ殿下も殺人的な破壊力を持っている。
長官は壁に背中から激突し、口から鮮血を迸らせた。
「俺は別にリアンに味方する気はないがな。
今のお前は最低だ。
全部自分でぶち壊しにしているのが分からないのか?
頭を冷やせ、大馬鹿野郎が」
キリルは立ち上がろうとして果たせず、その場に崩れおちた。
異常な回復能力の持ち主である彼が、床と仲良くする
事態というのは、並の人間なら即死か意識不明の重体を意味する。
「…貴方には分からない。
いっそリアンが死んでくれたら、私も諦められるのに」
彼女がこの世に存在しているから、儚い夢を見てしまうのだ。
それを聞いて、王弟はまたもや殺人級の一撃をキリルに見舞った。
その長靴でキリルの腹に痛烈な蹴りを入れたのだ。
「お前の腐れ根性なぞ俺には分からんな。
“私も”だと?お前と一緒にするな。俺は諦めない。
死んでしまっても俺はミアンを諦めたりしない」
胃液を吐いてのたうつキリルに、ベリルはどこまでも容赦なかった。
「唯一の女に振られて死にたいなら俺が引導を渡してやろうか?」
年若い叔父の顎を捕らえて、いっそ楽しげに尋ねてくる。
「…そこまでにしていただけますか、ワグナ殿下」
現れたのは内務省次官レムルであった。
「陛下がお呼びですので、長官殿を連れてゆきます」
そう言って、キリルの脇に腕を差し入れ、起き上がらせる。
そんな介助など、公爵にとっては屈辱以外の何物でもないのだが、
心身ともに損傷が激しすぎて独りで立つこともできなかったのだ。
キリルがレムルに連れられて出て行こうとしたところを、
キタラが捕らえ、一枚の紙と筆を差し出した。
「こちらにご署名を」
それは次官の第二回地方視察の承諾書であった。
「しばらく距離を置いたほうがよろしいかと。視察には私めがお供いたしますので」
老いたりとはいえ、かつてはキリルに瀕死の重傷を負わせたほどの手練れである。
キタラが「動く」ということの意味をキリルは正確に理解していた。
「行ってくればいい」
これまでの人生の中で一番酷い署名をすると、ミルケーネ公爵は執務室を後にした。
彼に味方する者はいないようであった。
*** *** *** *** ***
「これはまた酷くやられたな」
ソランサ王は開口一番、正直な感想を述べられた。
“玉座の間”には王と公爵、ただ2人きりである。
王命により、警護の騎士たちはもちろん、内務省次官や宰相までもが
部屋から追い出されていた。
「陛下におかれましては、このように見苦しいところを
お目にかけまして申し訳ありません」
キリルは片膝をついて頭を垂れながら、何とかつっかえずに
謝罪の言葉を述べた。口の中を切っていて、呂律が回らないのだ。
「ベリルにやられたか。あれがそこまで腹を立てるのも珍しいな」
頭を下げたまま、公爵は無言であった。
「そなたの提示した条件は揃わなかったようだな。
どうだ?そろそろ勝負を降りるか?」
これにもキリルは応えない。
「余も鬼ではないぞ。
愛しい女を逃したくないというなら、捕らえて閉じ込めればよい。
“王家の塔”をお前にくれてやるから、好きに使え」
それは王家の囚人を生涯幽閉するための塔であった。
「陛下は…キランサ王と同じ道を辿られるおつもりですか?」
ようやくミルケーネ公爵がゆっくりと面を上げた。
藍の瞳が同じ色の王の瞳とぶつかる。
「まだ約束の期限は来ていません。私は諦めません」
そうか、と王は頷いた。
ソランサの父であり、キリルの異母兄であるのは先代キランサ王。
兄と弟は互いの意志とは無関係に殺し合う運命を負わされた。
しかし、ソランサは違う。
キリルはこの年上の甥に忠誠は誓わぬものの…仕えてもよいと思い、これまでに至る。
自分さえ勝負を投げなければ、王は最後の一秒まで待ってくれるであろう。
けれども。
「けれども、キリル。
もしも提示した条件を充たせなければ…
その時は“予定通り”私の娘マリンカを娶ってもらう。
マリンカが将来女王となる時、共同統治者として、そなたが王となれ」
ミルケーネ公爵は再び深く頭を垂れ、瞑目して己の心を隠した。
王の言葉が死刑宣告のように彼には聞こえた。
…というわけでキリルとリアン、破局しました。
この後、リアンは2度目の地方視察に赴きますので、二人はしばらく
顔を合わせないことになります(といっても物語では直ぐですが)。
自信満々の公爵サマでしたが、ワグナ殿下に殴られ、蹴られ、
かなりヘタれております。ま、自業自得ですが。
第七章はこれにて終了。
次回から「第八章 自治省のロマンス」参ります。
筆者としても、どこまで甘々「ジャンル:恋愛」を書けるか挑戦します。