第六章 自治省の救助部隊 その6
よろり。
地方視察で疲れるのはリアン一行だけではない。
作者も振り回されています…。
シウォン王立海浜公園。トマス州政府が自治省からの補助金を注ぎ込み、
貴族や平民富裕層を当てこんで建設した一大国民休暇村がここにある。
紺碧の海は遠浅で、彼方にはフス州のある南洋群島が浮かんで見える。
東西に長く伸びる白砂の浜辺は裸足で歩いても心地よく、所々に植えられた
パンマ椰子が大きな緑葉を茂らせて、昼寝に最適な日蔭を作っている。
浜辺を上がって5分も歩けば買物街のトマメ通りがある。
通りの小道は貝殻を砕いて作ったモザイクで舗装され、
その両側には木造の柱や白亜の壁を色彩豊かなタイルや生花で飾った
可愛いらしい店が立ち並んでいる。
トマメ通りを抜けた辺りから別荘地となり、短期滞在者のための
賃貸型集合住宅から、専用のプールを備えた屋敷まで様々にある。
中央及びトマス州の役人は格安で利用できるようになっており、
厚生事業の一環でもある。一般国民の利用も可能で収益は州の財源に回る。
シウォン王立海浜公園全体で相当数の労働者を必要とするため、
地域活性化と失業者対策に貢献している。
「…まあ、良いことずくめではあるわね」
自治省の執務室で最初に企画書を見た時、リアンはそんな感想を抱いた。
紙の上に描かれた計画を、今、彼女は現実のものとして目にしていた。
初夏の強い日差しを浴びて黄緑の瞳が眩しそうに細められる。
緩く波打った金茶の髪は、頭上で一つ結びにされ、その余りは潮風に流れるに
任せている。
身に付けるのは白く清楚なワンピース・ドレス、そして革のサンダル。
ドレスは手織りレースで縁取られていて、袖や襟ぐり、スカートの裾に透け感がある。
それから日除けのために萌黄色をした絹の薄物を羽織ることも忘れない。
頭に包帯を巻いているのが難点だが、それ以外はどこから見ても中央貴族の
伯爵令嬢である…まぁ、外見上は。
リアンは自治省視察団団長として、州府の接待役人たちに案内されながら
最近開発されたばかりの休暇村を見て回っていた。
傍らには影のように内務省査察官ヒョウセツが付き従っている。
その後にフッサール伯爵夫人、ヴァンサラン補佐官、イェイル護衛官が続く。
王都キサラを出発した時は一緒であったトウトウ秘書官や他の自治省役人たちは、
もう一つの訪問先であるエンジル州に向かってもらった。
日程的に厳しくなってきたため、視察団を二分して対処することにしたのだ。
シウォン王立海浜公園には、“都から来たお偉いさんたち”を一目見ようと
既に十重二十重の人垣ができていた。
視察団の団長が若い女性であること、それもあの“世紀のロマンス”カップルが
生んだ娘だということが、いつの間にやら伝わってしまい、
リアンはちょっとした有名人として、居心地悪い思いをすることになった。
“アギール家の娘”は目下、見物人の期待を裏切らない美姫に仕立て
上がっている…まぁ、少なくとも外見上は。
サラサラの髪にツヤツヤのお肌、品の良い服装に趣味の良い装飾品。
同行する「2名」の日夜に渡る努力の賜物である。
一人目はもちろんフッサール伯爵夫人フローネ。
王家の血を引く大貴族の姫君で、今回王妃シャララ直々の命令で
自治省視察団に同行している。
そこで女官としての采配を揮う彼女は、リアンの万事適当な身だしなみに
逆上し、貴婦人の誇りにかけて毎朝手厳しい「指導」を行った。
「なんですの、その紅の引き方は」
(紅筆などリアンはわざわざ使わない)
「腰帯の結び方が野暮ったいですわ。流行の片蝶結びになさいませ!」
(そんな結び方、リアンはもちろん知らない)
「マニキュアの色が左右微妙に違います!」
(剥げたところを上塗りしていた結果、色ムラが出来ている)
「外見で仕事するんじゃないんだから、むさ苦しくなければいいじゃない」
と面倒くさがるリアンに、
「伯爵令嬢でもある貴女が何てことを言いますのっ!」
とフローネが雷門を落とす。もはや毎朝恒例となった攻防戦である。
二人目は、内務省査察官とは仮の姿の本名キリル・ヒョウセツ・ミルケーネ。
州役人の前では査察官を装いながら、その実、内務省でも自治省でも
頂点に立つ王族出身の公爵サマである。
リアンはここ数日、なぜかキリルと起居を共にすることを余儀なくされていた。
そして…この非常識男から毎晩金茶の髪を手入れされ、抱き枕状態で熟睡
しているうちに何故か、何故なのか、髪も肌も格段に美しくなっていた。
「次官殿?どうなさいましたか?」
ずずっと馴れ馴れしく近づいてきたのは、トマス州知事をしている
太鼓腹の小男である。ついでに髪も薄く、額も脂ぎっていることに言及しておく。
彼は頼みもしないのに州都カボンから視察団に同行して、海浜公園の開発が
いかに素晴らしく、地元民から歓迎されているかを滔々と語り続けていた。
「あと一ヶ月もすると海開きですぞ。
水着姿で砂浜を走る若者たちで一帯が賑やかになります。
夏の休暇に次官殿もいかがですかな。専用浜辺つき別荘もございます。
何なら私の…」
内緒にすることなど何もないはずなのに、州知事はリアンの耳元まで口を寄せ、
あまつさえその手をとろうとする。
査察官の眉が跳ね上がり、胸元に隠した自動( カ)小銃に指が掛けられる。
しかし、彼が動く前に、リアンがカモメの集団に感動した振りをして
助平な州知事から距離を置いた。
後ろで眺めていてヴァンサランは州知事の短命を確信した。
キリルはリアンに近付く人間全般について狭量である。
特に邪な気持で近付く奴は…地獄行き決定だ。
「高速列車の乗り入れも来年から始まりますし、今後ますますの発展が期待されますね」
リアンは州知事の背後に立っていた親子に言葉をかけた。
地元の商工会を仕切る有力商人で、父親の方が休暇村の責任者をしている。
自治省次官のお言葉に父親の方は如才なく頭を下げたが、まだ二十を少し
越えたばかりの息子は都から来た美姫の姿にぼうっとなっていた。
視察団の案内役として州政府役人と地元商工会の重鎮が10名ほど
同行していたが、皆がリアンを中心とした都人の雅さに感嘆していた。
キリルは内務省査察官として、フローネは次官付女官として、
本来の溢れんばかりの存在感をかき消し、リアンの引き立て役に徹している。
その結果、見物客の視線は“アギール家の娘”に集中することになった。
海辺ならではの突風が起こり、視察団一行を小さなつむじ風が襲った。
普段薄物のワンピースなど着たことない次官は数瞬対応が遅れ…
それから慌ててスカートの裾を恥ずかしそうに押さえた。
しかし、前列にいた何人かは見てしまった。
アギール伯爵令嬢の白い脹ら脛と太ももの一部を。
次官から滑り落ちた日除けのショールを商工会の役員が拾い上げて、
真っ赤な顔をしたまま手渡す。
その無骨な手がリアンの桜色の爪(もちろんフローネの力作である)に微かに
触れ、その瞬間弾かれたように後ずさる。
ヴァンサランとイェイルはこっそり視線を交わし合った。
次官殿は全く気が付かないのだが、彼女の影が不穏なことになっている。
初夏の日差しに、青い海・白い砂浜という文句なしの立地。
にもかかわらず、リアンの背後では凍土と吹雪が出現していた。
(煽るな、頼むから、これ以上、煽ってくれるな~)
ヴァンサランは心の中で必死に祈った。
公爵の機嫌によって、彼に課される仕事量と危険度が大きく変わってくるのだ。
(姉上、それ天然ですか、演技ですか…)
自分もまたマリンカ王女との秘める恋を心配されている身だとはトンと
気付かないイェイルは、従姉の魅力全開に本気で心配していた。
先輩として尊敬するヴァンサランに
「世の中には知らない方が良いこともある」と肩を叩かれ、追求できずにいるものの、
何でだかミルケーネ公爵が王都でもトマス州でもリアンにへばり付いている、
先だっては国軍大将までがトマス州に姿を見せている。訳が分からない。
「視察でなければ水着で砂浜を走りたいところですけれど…」
次回のお楽しみですわねぇと茶化してみせるリアンに接待役一同はデレデレになった。
もちろん頭の中では申し訳程度の布で身を包んだ伯爵令嬢が白砂で自分を
手招きしている姿を妄想している。
内務省査察官の忍耐がプチっと音を立てて切れるのを…ヴァンサランは聞いた。
「…次官殿、もうそれくらいで」
その声は平素のものよりもずっと低く、地獄の底から響いた。
「あら、もうそんな時間?州知事殿、お名残惜しいですわね」
「かくも麗しい自治省次官殿にお目にかかれて、我ら一同望外の歓びでございました」
接待役一同が一斉にリアンに向けて頭を垂れる。
黄緑の瞳が無邪気に彼らを見つめていた…はずであった。
彼らが再び顔を上げた時、やはり次官殿は微笑んでいたけれど。
何カガ違ウ。
「じ、次官殿?」
トマス州知事は声を震わせた。突然、目の前の娘に恐怖を感じる。
本能が逃げろと告げるのに、足がすくんで動けない。
「トマス州知事バリオン・テスタ・ガレオ。
王国への背任罪で、身柄を内務省へ引き渡します」
自治省次官の声が厳かに響き渡った。さほど大声ではないのに、
十重二十重の見物客にもよく通る。
「な、なにを…わしが、背任?」
「本来、北方被災地の復興支援に使うべき公金を休暇村開発に流用、
諫言する州役人や嘆願の村人を弾圧、海浜地区商工会からの収賄
…これだけやっていて本気でバレないと思ったの?」
それからリアンは地元商工会の重役連に向かって言い放つ。
「貴方たちが不正に蓄えたお金は銅貨一枚までキッチリ回収いたします。
心配しないで。今度こそ州民のために使わせていただくから」
「自治省次官の要請によりトマス州知事バリオン・テスタ・ガレオを、
王国への背任罪容疑で、拘束します」
キリルの声が続き、と同時に内務省・州支局役人と州警が四方から集まってきた。
逃亡を図ろうとする者もいたが、ヴァンサランとイェイルに阻止される。
愚かにも次官を人質にしようとした休暇村責任者は査察官によって
あっさり返り討ちにあい、その息子はリアンの文鎮に寄って額を割られた。
「貴女は大人しくしていて下さい!」
キリルがすかさずリアンを引き寄せて、叱り飛ばす。
「私も少しくらい鬱憤解消したいのよ!」
姫君らしくしていた方がその後に与える衝撃が大きいとフローネに諭され、
ずっと我慢していたのだ。
内務省査察官の腕をすり抜けるや、リアンは州知事の膝にサンダルの踵を
打ち込み、更に後頭部に肘鉄を加えた後、自らの手でお縄にした。
フッサール伯爵夫人は顔を覆って後悔した。
白いワンピースなど自治省政務次官に着せるのではなかった。
よく似合っていたのだが、捕り物には向かない。
女神が一転、死神に変わる効果を狙っていたのだが、鬼女になってしまった。
蹴りや拳を繰り出す度に裾や袖がひらひらして…
見物客が固唾を呑んでおり、
初夏の清々しさもどこへやら、酷暑の熱気に包まれる事態になっていく。
「村を3つも流しておいて、何が休暇村開発だ、この馬鹿ったれが!
優先順位が明らかに違うだろうが」
トマス州知事を州警察に向かって蹴り飛ばす。
それから商工会の重役連…今や鬼女に怯える子ブタたちに一喝。
「…お前たちの金儲けに罪のない村人たちを巻き込むなっ!」
尚も言い募ろうとした時、銀縁眼鏡の査察官に膝を掬われ、抱え上げられた。
「離せっ!」
「これ以上、暴れると捕縛の妨害罪で貴女も拘束しますよ?」
「そんな脅しに…」
「脅しじゃありません。州警の留置所も体験してみたいですか?
カモミール・ティーとビスケットは期待できませんよ?」
最後の方は耳元で囁かれる。
次官は抱え上げられたまま、くたりと突然に大人しくなった。
その背中をキリルが小さな子どもをあやすようにぽんぽんと叩く。
(く、屈辱…)
しかしリアンは黙って耐えた。州警留置所体験など真っ平ごめんだ。
王都キサラで内務省による一斉検挙が行われた時、すっかり蚊帳の外に
置かれとしまったが、今回はしっかり見届けたいと思う。
季節外れの雨が招いた土砂崩れは、結局、トマス州北辺にある3つの小村を
押し流した。ナン村、カル村と続き、リアンたちが訪れたハル村も倒壊した。
自治省政務次官の発した「避難命令」が結果的に多くの命を救うことになった。
災害発生3日目にして国軍が把握したところでは、
死者・行方不明者72名、倒壊家屋128棟。
“その程度で済んだ”とはとても喜べぬ被害であった。
昨年の暴風雨が生んだ自然の堰き止め湖は幸いなことに決壊しなかった。
しかし、雨季までに何らかの手を打たないと、確実に新たな被害が発生する。
…つまりは全く予断を許さない状況にあった。
県知事と彼に追随する幹部役人が更迭され、州政府は一時機能停止に陥った。
しかし、アジヤ侯爵の采配で、たちまちに息を吹き返す。
フローネの父は病を装いつつ、州府の膿を出す機会を狙っていたのだった。
トマス州府に戻る頃、リアンはすっかり無表情になっていた。
心の中で沸き上がる様々な感情を端から消していき、冷静を装った。
「州知事以下、今回の責任者たちは内務省で取り調べた後にきちんと
司法省に送ってください」
仮の執務室で、銀縁眼鏡の査察官にそうお願いする。
「…取り調べの最中に心臓発作を起こしたり、自殺したりする者が大抵
数名は出るものですよ、次官」
「彼らにきちんと裁判を受けさせて下さい。
それから願い出があれば代言人を付けてあげて下さい」
「リアン…」
「休暇村計画は、トマス州にとって有益な面も確かにありました。
彼らに、弁明の機会を与えなければ」
「“公平な裁判を受ける権利”か。どこの国の話だ?ここはファネ国だぞ」
苛立っているのはキリルの方であった。
他の者たちを部屋から追い出すと、内務省査察官の仮面をかなぐり捨てる。
「長官、裏で消すのではなく、彼らを表できちんと裁いてください」
そのためにリアンはわざと海浜公園を舞台に選んだのだ。
そして大勢の前で知事以下を拘束した。
トマス州府で内済にすることもできた。
内務省権限で闇に葬る方が簡易・迅速・確実、そして何より国王の権威を貶めずに済む。
しかし、リアンは白日の下に晒すことを望んだ。
「これ以上…愚かな貴族や役人を生まないために。
そして、何も知らされないまま犠牲になる民を増やさないために」
「…リアン、君がそう望むなら」
内務省長官は自治省次官の手をとって、苦しい約束をした。
*** *** *** *** ***
薄闇の中。
全身を硬く強張らせ、乱れた呼吸で何度も何度も寝返りを打つ。
落下する感覚がして、底なし沼の中に身体が引き込まれていく。
もがいても、もがいても浮上できない。
叫んでも、叫んでも声にならない。
耳をつんざく様な悲鳴と怒号が近づいては遠ざかる。
…黒い悪夢がリアンを苛んでいた。
「どうして私だけ生き残って…?」
「あんな奴ら死んでしまえばいいの!」
(リアン)
「どうして助けられなかったの、どうして助けられないの?」
「何であの人たちは笑っていられるのよ!」
(リアン)
記憶の底がかき混ぜられ、ルーマ州とトマス州の災害が互い違いに
現れては消える。リアンは過去と現在のバラバラな時間を彷徨った。
ルーマでは父と母と、大切な人を失った。
トマスは、大丈夫だと思った。雨季までには間に合うと信じていた。
…けれども結局は犠牲を出してしまった。
何のために自治省政務次官だ!
いっそどんな抵抗も諦めて、底なしの沼に沈んでしまいたい。
(リアン)
けれども声が届く。
慰めるような、諌めるような、励ますような、暖かい声が。
「リアン、貴女は本当にもう目の離せない…困った人ですね」
その人の腕にも頬にもみみず腫れができている。
彼女が暴れて、引っ掻いたものだ。
「長官、どうして…?」
「貴女は、こんな時でも私の名前を呼んでくださらないのですね。
キリルの名もヒョウセツの名も貴女に捧げたものなのに」
「長官、苦しい」
「大丈夫です。貴女を脅かす存在はここには入ってこられません。
私が守っていますから、安心してお休みなさい」
何度も何度も囁かれ、頭を頬を撫でられて…そして優しく抱きしめられる。
リアンの身体から次第に力が抜け、穏やかな睡眠へと誘われて行く。
そんな悪夢の記憶は朝の目覚めとともに、リアンの中から消え失せる。
そしてキリルの白絹の手と白磁のような横顔を眺めながら、
何でこの男と同じ部屋で一緒に寝ているのかと思い悩むのであった。
これにて第六章完。
フローネが夜間にリアンをキリルに託したのは、
リアンの精神的不安定に対処するためだった、ということで。
次回より第七章「自治省の自治部隊」がスタートします。
舞台は王都に戻ります。
キリルとリアンのドタバタに毎度振り回される次官室付きの8名。
自治省での平安を勝ち取るべく、共闘することを誓い合います。
それから、キリルの謎がいよいよ明らかに。元王子サマどうして
こんなになった…を楽しんでいただければと思います。




