第五章 自治省の殲滅部隊 その2
リアン、恋愛詩集を読む、の巻です。
普通ならロマンチックな内容に胸キュンとなる所ですが、
自治省政務次官のリアクションは普通とは違うようです。
自治省政務次官室でリアンは一冊の詩集を手に取った。
書類の山を片付けて、小休止しようと思っていたところに
ふと黄緑色の表紙が目に留まったのだ。
次官室付の一人、ミシェラが「ちょっとした気分転換に」と
リアンに持ってきた本だった。
ミシェラは次官室付8名の中で一番若い28歳だ。
しかし、趣味が古本屋と骨董屋巡りということで、年配の同僚
キタラ(65歳)やトウトウ(58歳)と話しが合うらしい。
時間がある時はよく3人で古典文学や骨董談義をしている。
リアンがもらったのは、王都で一番よく売れている恋愛詩集の
初版本とのことだった。
重ね刷りされたものは今でも書店でた易く手に入るが、
絹張表装かつ部数限定の初版本は今や稀覯本として愛好者垂涎の
的となっているらしい。
題字には『想婦恋』とある。古代文字で意味はよくわからない。
愛しい女性を想って男が詠ったものだそうだが。
中身も古典詩なら御免だと思ったら、どうやら古典風の現代詩の
ようだ。外国語で綴られた詩篇も幾つか入っている。
リアンは適当に頁をめくって、目に付いたものを一つ読んでみた。
春霞より出でたる たおやかな乙女よ 微笑んでください
夏闇より出でたる 不可思議な乙女よ 口付けてください
秋時雨にただずむ もの憂げな乙女よ 抱擁してください
冬木立に消えゆく 冷たき心の乙女よ
私の全ての四季を 掌に収める女神よ 滅ぼしてください
私を後ろに残して 去るというならば
いきなり激甘な詩篇である。ミシェラの意図がさっぱり分からない。
ちなみに彼は28歳にして既に3人の子持ちというお父さんである。
鬼の政務次官に「もう少し淑女らしくしたほうが」とご希望なのか、
「恋愛するのを諦めてはいけないよ」という忠告なのか。
「微笑」だの「口付け」だの「抱擁」だのに背筋が寒くなりながら、
これもある意味、気分転換かとリアンはもう一篇読むことにした。
月の日には
ラヴェンダーを贈ろう まどろみに僕を夢見るように
火の日には
ローズマリーを贈ろう 忙しさに僕を忘れないように
水の日には
ペパーミントを贈ろう 君の吐息が僕まで届くように
木の日には
ティーツリーを贈ろう 君の心が他所に惑わぬように
金の日には
イランイランを贈ろう 誘惑の炎が二人を包むように
土の日には
レモングラスを贈ろう 虫たちを全て追い払うように
天の日には
クラリセージを贈ろう 二人の空が晴れわたるように
ぶふぶふと変な笑いを漏らしかけて、ふと疑問がわく。
詩人は香草に詳しいらしい。
恋人に毎日香草を束ねて贈っていたようだ。
(まさか…?いやいや。でもまさか…?)
リアンは奥付を確認した。
詩人の名が記されていたが、知らない名前だ。
執筆名で本名ではないのだろうか。
リアンのまさかの推測は三篇目の詩で確信に変わった。
月光を解いた銀糸の髪 若草を映した橄欖の瞳
薔薇も羞じらう微笑に 鈴の音を楽に乗せた声
貴女を求め息苦しい昼 貴女を忍び眠られぬ夜
陽光の中に貴女を探し 陰影の中に貴女を想う
心臓を鷲づかむ痛みも 天に舞い上がる喜びも
全て貴女ゆえに始まり 全て貴女ゆえに終わる
「あはっ」
自治省政務次官はもはや笑いを堪えることができなくなった。
「あはっ、あははは…」
執務室には自分一人ではない。
ヴァンサランは例によって行方不明だが、ミシェラを含む
3名が現に詰めている。
しかし、爆笑の渦を止めることはできない。
「あーはっははっ。あっはっはっは…」
王都で一番売れているという恋愛詩集は見事リアンのツボにはまり
終には長机をバンバン叩いての大興奮となった。
「ミ、ミシェラ…これ、これって…ああ、お腹苦しい…」
「乙女を恋い慕う詩人の切ない心に王都中の女性が胸を震わせたもの
を…次官殿は大笑いするわけですね」
「だって、これ詠んだ人の今昔を想像すると…」
「詩人が誰かなど詮索してはダメですよ」
「もちろん、私だって命が惜しいわ」
その人はリアンの母と一緒に王立学問所で薬草学を
受講していたと聞いている。
香草の薬効に詳しいのも不思議はない。
リアンも母に習って、ローズマリーの覚醒効果やティーツリーの
殺菌効果、レモングラスの防虫効果など聞いたことがある。
昔は本当に王子サマらしい王子サマだったようだ。
詩に恋心を託すような。
「月光を解いた銀糸の髪」は白金の髪を、
「若草を映した橄欖の瞳」は黄緑の瞳を示すもの。
繊細な心を持った王子サマは今や、
「小娘~」とダミ声を響かせ、時折リアンのもとにやって来ては
無理難題を言う不良中年、もとい国軍総大将サマだ。
頁の最後を確認すると、どうやら108篇もの詩が収められている。
それほどの数、恋愛詩ばかり綴れるというのも凄い、というか怖い。
昔と今では180度も方向性が変わっているような気がするが、
芯の強さは同じということか。
「外まで馬鹿笑いが聞こえていたぜ、リアン。
次官の威厳はどこへ行った」
行方不明の補佐官が戻ってきた。
ヴァンサランは自分がいちいち何処で何をしていたか言わない。
「お帰り、ヴァンサラン。早速だけど長官の居所を知っている?」
「あ?何か急ぎの用があるのか?」
「急ぎではないけど、4日ほど姿を見ていないから」
自治省次官になって3ヶ月あまり。こんなことは今までなかった。
毎日最低でも2回、多い時は4度も5度もキリルと
顔を合わせたものだ…それはもう鬱陶しいくらいに。
それがこの4日間、最上階には気配すらない。
今のところ次官の代理署名で済んでいる案件がほとんどだが、
1週間音沙汰ないということになれば、いくらグウタラ長官と
いえどもマズイのではなかろうか。
「…別件が少し立て込んでいるらしい。
急用があれば繋ぐので、言ってくれ。
ま、あと2、3日のことだとは思うが」
別件とは公爵家の仕事なのか、もう一つの長官職の仕事なのか、
恐らく後者だろう…しかし、リアンはそれ以上追及しなかった。
「…分かった。じゃあ、ちょっと私、出掛けてくるわね」
「ん?どこか行く用事があるのか?」
省内ならば問題ないが、省外に出るならば護衛が必要だ。
リアンは(本人の自覚は今一つだが)政府高官として、
暗殺やら営利誘拐やらの対象に十分なりうるのだ。
しかも伯爵令嬢。しかも“アギール家の娘”。
中央官庁注目人物番付を行ったら間違いなく上位10位に
入るだろう。
「内務省に書類一枚出しに行くだけだから。
すぐ近くだし一人で大丈夫よ」
自治省の在る旧カリン宮から建物2つ突っ切ったその先だ。
渡り廊下を使えば、ほとんど外に出ないで行かれる。
「なっ…内務省?何でまた…」
ヴァンサランの声が裏返る。
今一番リアンには近づいてほしくない場所だ。
「だから書類を一枚出したいから…」
リアンの手には封をした手紙が一通握られていた。
中身をヴァンサランに教える気はないらしい。
「はいっはい!」
補佐官は勢いよく手を挙げた。
「俺が行ってくるから、次官殿は執務室にいてください」
「でもサラン、戻ってきたばかりでしょう?」
「いいんだ、俺はリアンの補佐官だし、それに…ちょうど
内務省に行く用事もある」
「ん?内務省に用事なんかあるの?」
ヴァンサランの背中に脂汗が流れる。
どうしてか黄緑の瞳に見つめられると上手に嘘がつけない。
「あっちに友達がいるんでっ!それに次官が一人で出歩くのは
ダメだろう」
「…分かった、ヴァンサランに任せる」
本当のところ、内務省に足を向けるのは気が進まなかったのだ。
庶民育ちのリアンである。
生まれてからこれまで法に触れることはやっていない「はず」で、
何も後ろめたいことはない「はず」なのであるが。
内務省の中にある警察組織、それから諜報組織などは話に聞く
だけで“近寄りたくない”…などと思ってしまうのだ。
*** *** *** *** ***
執務室に入ってきた赤毛の大男を見るや、内務省長官は
鬱屈を吐き出した。
「王権左派の連中が煩く動いているようだ。
とくに平民出身の官僚が狙われている。
宰相殿は放っておいても自分で何とかしてくれるが、
ほかの長官・次官級は危ういな。
全く、ソランサ国王の御世に貴族・優越主義など愚かなことだ。
時代錯誤な連中はまとめて永久凍土か岩石砂漠へ送ってやる」
しばらく肉体労働に従事してこい、と息巻く。
その実、自分は傷一つ染一つない、綺麗な白磁の手をしているのだが。
自治省長官の時に比べ格段に凶悪になったキリルを前に
ヴァンサランは難しい舵取りを迫られていた。
長官ご不興の理由は本当のところ一つしかない。
「ああ、もう4日も会っていない。リアン欠乏症で死にそうだ」
出た。この愚痴が始まると長い。
「近いんですから、戻ってちょこっと様子見てくれば
いいじゃないですか。それくらいの時間はありますよ」
「ダメだ。今は押す方ではなく、引く方の作戦だ」
「…左様ですか」
「…少し離れてみれば、リアンも寂しいと思ってくれるだろう?」
相手の心が揺れたところで、一気に攻勢に出る。
確実に陥落して、夏に婚約、秋に結婚、来年には一子誕生…完璧だ。
ヴァンサランは呻いた。
長官の夢を打ち砕くのは忍びないのだが、さりとて現実を見て
もらわないことには、この先の仕事が覚束ない。
「長官不在でも全っ然、気にしていないようでしたよ。
…机叩いて大爆笑していましたから」
「それほど愉快なことがあったのか?」
と不愉快に尋ねるキリルに、ヴァンサランはミシェラが差し入れた
詩集の話をした。
「リアンは詩を好むのか。
それでは私も今度彼女に愛の詩を贈るとしよう」
「長官、詩作できるんですか?」
「…失礼な。王家に生まれた者は皆、幼き頃から詩楽に親しむものだ」
キリルは脇机から革表紙の帳面を取りだすと、
ヴァンサランに放ってよこした。
なるほど青墨色の手跡も麗しく詩篇がつらつら記されている。
こちらも流石に元・王子様。筆だけでも芸術品になりそうだ。
しかし…ヴァンサランは数頁ほど目を通して唾を飲み込んだ。
「これは次官殿に見せない方が良いと思いますよ」
「…なぜだ?ワグナ殿下より文才はあると自負するが」
(詩の上手い下手ではなく、内容の問題なんです…)
そんな恐ろしい指摘を上官に向かってできようはずがない。
しかし、これがリアンの目に触れれば、大爆笑では済まされず、
間違いなくドン引き、いや、絶縁される。
ヴァンサランは、キリルの綴った詩題を見ただけで確信する。
曰く「氷雪の檻に」。曰く「薔薇に鎖を」。
最近のものでは、「白を滅ぼせ」だ。イロイロ絶望的ではないか。
白を滅ぼせ シロの名を帯びる者を
愛しき姫を その名で惑わす魔物を
全て滅ぼせ この世界から消し去れ
愛しき姫を 掠めようとするならば …
補佐官は詩篇一つ読了することができなかった…神経が保たない。
本当にルーマ市まで遠征してシロという名字の者を虐殺し
かねないではないか…一体どちらの魔王サマ、いや公爵サマだ。
「あ、そうだ。リアンから手紙を預かってきました」
これ以上、詩集に関わりたくなくて、ヴァサランは現実逃避に別の要件を
出した。こちらはこちらで中身が不明なため不安があるが。
「なに、リアンから?もしや恋文か?」
たちまちキリルの顔が緩んだが、すかさず補佐官は釘を刺した、
とにかく恋愛話から解脱、いや離脱してほしい。
ヴァンサランとて、そう暇ではないのだ!
「貴方個人へではなく、“内務省長官”へのお手紙です」
「…正体バレているのか?」
「どうでしょうか。薄々は察しているかもしれません」
まぁ、時間の問題でしょうね」
正体不明な長官が存在するとすれば、それは内務省でしかありえない。
他の長官は立春祭・総披露でほぼ面が割れている。
内務省は宰相が直接統括しているため、宰相=内務省長官と誤解され
がちだが(というか敢えて誤解させているのだが)、
本当のところは別人だ。
「それで私の“可愛い人”は内務省長官に何をお願いしてきたのかな」
キリルは封を切って一枚の紙を取り出した。
目を通した途端、長官執務室は絶対零度に陥った。
「次官殿は何と?」
ヴァンサランは勇敢だった。
本音を言えば、氷漬けにされる前に自治省に帰りたい。
もはや彼の心情としては、本拠地は内務省ではなく自治省であった。
「…本当にあの人は私の予想もつかない所から攻めてくる」
手紙をびりびりと二つに引き裂く。
それは自治省次官が内務省長官に宛てた申請書で
…破り捨てたのは「却下」の意思表明だ。
<“カラス”携帯許可申請書>
リアンが寄こしたのは内務省でよく使用されている自動小型拳銃の
携帯許可申請書であった。
ということで、王弟殿下が若かりし頃に綴った詩集が出てきました。
108篇あるのですが・・・今回は3篇のみ紹介です。
(とても108も紹介できない。作者の頭が溶けてしまう!)
個人的には2つめの「ハーブの詩」が気に入っています。
ラヴェンダーは鎮静作用があると言われ安眠を誘います。
だから「まどろみ」。
ローズマリーは神経刺激作用があると言われ頭をクリアにします。
だから「忘れない」。
ペパーミントは駆風作用があると言われ気分を爽快にします。
だから「吐息」。
ティーツリーは抗菌作用があると言われ免疫力を高めます。
だから「惑わぬ」。
イランイランは誘淫作用があると言われ官能的な気分にさせます。
だから「誘惑」。
レモングラスは殺菌作用があり虫が忌避する成分があります。
だから「追い払う」。
クラリセージは抗うつ作用があり幸福感を与えます。
だから「晴れわたる」。
ちなみに「クラリ」はラテン語の「クラルス」から来ていて
「清浄な」とか「明るい」という意味を持つそうです。
原産地バラバラのハーブを次々贈ることができるのは、
詩人が王子サマだからに他なりません
…王立植物園にも伝手がありますので。
最後の曜日は「日の日」とすると重ね言葉で美しくないので
「天の日」としました。
中国語で日曜日を「星期天」と呼ぶのを援用してみました。
題字の『想婦恋』はもちろん『想夫恋』のパクリです。
原曲は中国(晋)にあるようですが、日本では男を慕う女の詩の
意味で使われているようです。
キリルも詩詠みですが、とても紹介できません。
「氷雪の檻に」…お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが
彼のミドルネームが入っています。
「薔薇に鎖を」…こちらもリアンのミドルネームの一部が入ってます。
という訳でとても内容を掲載できませんでした。
以上、長々と失礼しました。
次回は「自治省の殲滅部隊 その3」となります。
いよいよ長官&次官が変装して街に繰り出します。
…ってデートではないですよ!残念ながら。