第五章 自治省の殲滅部隊 その1
リアン、自宅(アギール家本邸)でアフタヌーン・ティーを満喫中。
鬼の政務次官はしばしお休みで、従弟のイェイル相手に素顔を見せています。
ファネ国王都キサラにあるアギール伯爵家本邸。
金茶の髪に黄緑の瞳をした令嬢が優雅に午後のお茶を
楽しんでいた。
白い手編みレースを掛けた丸卓の向こうには近衛騎士が一人、
令嬢が手ずから作ったお菓子をご馳走になっている。
「イェイルも今日お休みなの?」
眼の前でお菓子を幸せそうに食べているのは年若い従弟。
まだ17歳のイェイルは昨年騎士団入りしたばかりで、
そう簡単に休みが取れる身分ではないはずだが。
「いえ、姉上。私はただ今も勤務中です」
「…どういうこと?」
「自治省政務次官殿が在宅の際は私が警護することになって
おります」
「近衛騎士団長がそんなことを命じたの?」
リアンの眼が細められる。
イェイルは正式に“アギール”を名乗っていないとはいえ、
紛れもなく叔父クロンの実子である。
在宅時の警護役としては適任だ。
しかし…自宅で過ごす休日にも“警護”とは。
「違います。団長よりずっと上役の方から直接命じられました」
ぺろりと指についたクリームを拭いながら、イェイルはあっさりと
事情をばらす。
その動作はどこか悪戯っ子を連想させて、果たして近衛騎士が
務まるのかとリアンは心配になる。
「“あの小娘から目を離すな。何か問題を起こせば、
お前も一蓮托生だ”…だそうですよ、姉上」
「…ワグナ殿下ね」
確かに国軍総大将は近衛団長よりもずっと偉い存在だ。
リアンはまた“貴女の命をきっと守ってくれる”と言った
母ミアンの言葉を思い出した。
遠い昔、母と王弟殿下はどのような約束をしたのだろうか。
ベリルが今もその約束を果たそうとしているのだとしたら、
…恐らく亡き母は何らかの対価を彼に支払っているはずだ。
その先の答えに辿りつきたくなくて、リアンは話題を変えた。
「それで普段はどんなお仕事をしているの?近衛騎士の主要任務は
王族警護と王宮警備だけれど」
「まだ2年目なので、いろいろやらされている最中です。
陛下の警護はもっと上の先輩があたるのですが、王女様の警護なら
月に何度か任されることがあります」
「マリンカ王女の警護を?先の立春祭でお顔を見ただけで、
私は直接の面識がないのだけど、イェイルから見てどんな姫君?」
マリンカ王女は国王夫妻の一粒種で御歳17歳。来年成人を迎える。
「え~と、大変な努力家だと思います。
いつも一生懸命勉強されています。
王女として賢く、忍耐強く、周囲への配慮を欠かさず
…と毎日、頑張って いらっしゃるようですが、
時々鬱屈されるのか、こっそり庭に穴を掘って
叫んでいたりすることがあって…とても面白くて可愛らしいです」
若い騎士は、明るく、うきうきした調子で主君の姫を描写する。
そういえばマリンカ姫と騎士イェイルは同い年である。
リアンはイェイルが紅茶を口に含むタイミングをわざわざ狙って、
ずばっと切り出した。
「好きなの?イェイルはマリンカ姫のことが」
「ぶほっ」
案の上、従弟は紅茶を盛大に噴き出した。
それを予測していたリアンはテーブル・ナプキンをとっさに盾にして
自分の顔を庇った。
イェイルが真っ赤な顔をして釈明を始める。
「あ、姉上、な、何を言ってるんですか!ぼ、僕が何で…へ、好き?
そんな恐れ多い。ただ騎士として敬愛、そう敬愛しているだけです!」
…実に分かりやすい反応だ。
分かりやすすぎて、イェイルの将来が本気で心配になる。
これほど素直で嘘が下手な若者に近衛騎士が務まるのだろうか。
(それにしても…王女はダメだろ、イェイルよ)
リアンは説教めいたことを何一つ口にはしなかった。
王族を袖にし、駆け落ち婚で国内外を大騒がせした夫婦を両親に持つ
彼女としては偉そうなことは何も言えない。
若年とはいえ近衛騎士であるイェイルは一代貴族の身分を持つ者である。
本人が望むかどうかは不明だが、将来正式に“アギール”を名乗り、
父親クロンからシャイン子爵の称号を、ゆくゆくは祖父ハリドから
アギール伯爵の称号を譲られることになれば、身分の高い貴族令嬢との
婚姻も夢ではなくなる。
しかし、例えアギール伯爵になったとしてもマリンカ王女を得る
ことは難しいだろう。なぜなら彼女は…次代の女王なのだから。
(まぁ初恋は叶わぬと言うし…私もそうだったし)
地方都市ルーマで付き合ったラウザを思い出し、リアンは少しだけ
感傷的になった。
「姉上の方こそどうなのです?」
イェイルがここぞとばかり反撃してきた。
「私は自治省政務次官として仕事に生きる女です」
まずは定型通りの返答をする。
「…そうなのですか?自治省政務長官とのご関係は?
お好きなのではないですか」
「っ!!」
今度はリアンが噎せる番であった。
前言撤回。この従弟はなかなか侮れない。
「『王都薔薇色通信』でお二人のロマンスが報道されていましたよ。
立春祭・本祭の二人組写真付きで」
「言わないで、それ!忘れたい記事なんだから!」
リアンとてその記事を目にしていた。
気を利かせたのか、面白がっているのか、ヴァンサランが次官執務室に
その大衆娯楽紙を持ちこんだのだ。
「政務長官と次官、公爵と伯爵令嬢。
お似合いだと思うけど。歳も近いし」
「いやいやいや、なに記事の内容真に受けているの!
ありえない、絶対ありえないから、長官と私なんて」
庶民育ちのリアンにとって、王室は遠い世界の存在だ。
地方都市ルーマでも国王生誕を祝う行事が毎年行われたが、
日常生活の中で王族が話題になることはほとんどない。
はっきり言ってしまえば王様の人物よりも州知事の人物の
方がよほど重要であった。
しかし自治省次官として先々を見通してゆかねばならぬ
立場になった時、リアンはファネ国の王位継承問題に思い至った。
国王夫妻にはマリンカ王女一人しかいない。
数年前に王室典範が改正されて、女性の王位継承も
可能にはなった。しかし依然男子優先であり、女王誕生に難色を
示す貴族も少なくない。
そうなると王弟ベリルの出番だが、彼は早々と「生涯独身宣言」を
しており、後継ができない。
そこまで考えると誰が見ても納得する婚姻は一つしかない
ではないか。ミルケーネ公爵キリルと王女マリンカの縁組だ。
公爵は“偉大なる王”と讃えられる第10代国王の末の王子であり、
血筋に問題ない。
王女にとってキリルは大叔父にあたるが、傍系4親等で
近親婚禁止の法にも触れない。
年齢も25歳と17歳で釣り合っている。
(…まぁ王女の成人を待って婚姻、続いて立太というところ
だろうな)
分かってはいるが正直、面白くはない。
立春祭以降とみに長官からの過干渉が増えているが、
残り少ない独身生活を楽しもうという魂胆なのか。
(ふざけるなっ)
目の前に長官のお綺麗な顔があったら思わずポットのお湯を
ぶちまけて殴ってしまいそうだった。
「姉上?」
「大衆娯楽誌の記事なんか、
でっち上げに決まっているでしょう?
長官曰く、貴族の女で26歳は立派な嫁き遅れだそうよ」
「や、でもそれは…」
「ともかくっ!」
リアンは凄い剣幕で従弟を制すると、両手で丸卓を叩いた。
「長官はもちろん、中央貴族と結婚なんてありえないわっ!
次官を免職になったら、ルーマか隣国イサに行って
“平凡だけど幸せな”結婚するに決まっているじゃないっ。
リアン・シロとか、リアン・ポチになってやるっ!」
(姉上…自治省でご苦労されているのですね…)
イェイルはこっそり涙した。
リアンが自治省次官になって早3ケ月。
近衛騎士団にもアギール家美姫の噂と、それをはるかに上回る
鬼の敏腕次官の噂が届いてきている。
何しろ彼女は“恐怖の大魔人”という忌み名持ちの王弟ワグナ殿下
とも正面きってケンカできるような御方なのだ。
しかし今、田舎で“平凡だけど幸せな”結婚をすると叫んでいる
従姉は伯爵令嬢でも政務次官でもない、素の顔を晒していた。
彼女が本音を吐露できる場所はあまりに限られていて…
イェイルは大事な従姉の将来が本気で心配になった。
(しかしヴァンサラン補佐官…長官殿の恋路は茨の道のようですよ)
補佐官と、とある裏取引をした際、「リアンの結婚観と理想の男性像」を
聞き出せとの密命を帯びたイェイルだったが、
さて何と報告したものかと頭を抱えることになった。
*** *** *** *** *** ***
「…という訳でリアン姫は中央貴族お断りだそうです。
田舎もしくは外国で平凡な結婚をご希望と」
ヴァンサランは主の機嫌がどんどん悪くなるのを肌で感じながら
さくさく報告を終えようとした。一秒でも早く長官室を辞したい。
「その、リアン・シロとか、リアン・ポチという名前は
どこから来たんだ?」
「え~と、シロというのは地方都市ルーマでよくある名字ですね。
ポチとかプチとかはイサ国でたぶん一番多い名字です」
でも、リアン・シロとかリアン・ポチって!
…近衛騎士イェイルから報告を受けた時、ヴァンサランは遠慮なく
噴き出した。
しかし自治省長官を前にしては苦戦を強いられる。
先月も、リアンを昔の恋人と接触させたという咎で、
3日3晩不眠不休で働かされる羽目になったのだ。
「…つまり、ありふれた名前の男と結婚したい、と。
アギール伯爵位もミルケーネ公爵位もどうでも良いということか」
ふ、ふ、ふ、とキリルから乾いた笑いが漏れる。
そして次に出てきた言葉は心底ヴァンサランを震撼させた。
「ルーマにいるシロ家の男を全部消せ。
それからイサ国でポチとかプチとか名乗る男も…殲滅せよ」
「なに馬鹿なこと言ってんですか、貴方は!」
もの凄く不本意ながら、変な暴走を始めたキリルに
ヴァンサランは歯止めをかけなければならなかった。
およそ取り乱すことのなかった「はず」の公爵サマがこの所、
若干壊れ気味である。
その故は甘~い甘~い恋愛計画がちっとも実現しないためだ。
「…殲滅すべきは別の者たちでしょう、“長官”。
お言いつけ通りクロンを内務省の密偵に引き込みましたよ。
あの子爵が本当に使い物になるのかは分かりませんが」
「王家のためには指一本動かさない男だが、可愛い息子と姪の
ためなら真面目に仕事するだろう」
「で、貴方も暫くあちらに戻っていただけるのですね?
宰相殿が噴火直前ですよ」
「陛下からも命じられているからな。分かった…内務省へ行く」
立ちあがったキリルの双眸は柔和な藍色から氷雪の闇色に変っていた。
その日、内務省では長らく不在にしていた長官が姿を現した。
キリルのもう一つの長官名をようやく出すことができました。
内務省のお仕事はほとんど宰相殿が(キリルに押しつけられて)仕切って
いるのですが、警察部門だけは長官であるキリルが直接支配しています
(サボッてましたけど)…ってあれ?ちょっぴり次回予告になりました。
コメントを下さった皆様へ
黄金拍車様、誤字の指摘、有難うございます。
これからもお気づきの点がありましたらよろしくお願いします。
ルミネルテ様、人物呼称がコロコロ変わり、ご不便をおかけします。
もう少ししたら登場人物紹介をアップしたいと思いますので、どうかお赦しを。
(作者も時々書いていて、ワグナ?ワギル?とかリーマ?ルーマ?
となっては手控えメモをチェックしています)
社怪人様、第五章からキリルの、グウタラ長官ではない顔もちらりと
お見せできるかな、と思います。お楽しみに。
Rio様、活動報告にコメントをありがとうございました。
とても励みになります。嬉しいです。これからもリアンを応援して下さい。




