第四章 自治省の防衛部隊 その4
今回は、ベリル、フローネ、イェイル(初登場!リアン従弟)と
次々と出てきます。
そしてもちろん、自治省長官キリルも。
自治省政務次官執務室に附属して設けられた仮眠室。
リアンは簡易寝台の上にぐったりと倒れ伏していた。
暖房装置は復旧以来、順調に稼働している。
それでも酷い悪寒に襲われ、リアンは備品の毛布の上に
アギール家から差し入れられた羽毛布団を被って震えていた。
食欲は全くなく、
夕食は勿論、果物にすら手をつけることができない状態だ。
全くとんだ一日だった…
地元宣伝館視察から自治省に戻った後、
(ほんのちょっとくらいはバルコニーから行進見物できるかな)
などと考える時間すらなかった。
旧カリン宮は1階と2階部分を立春祭に合わせて一般公開していた。
東棟の自治省、中央棟の商務省、西棟の工部省と3省が協同で、
見物客への説明や誘導、警備を行っている。
ここでも下級役人の大部分と中級役人の半数ほどが活躍する。
客は、正直なところ、3省の成り立ちだの職務内容だのにほとんど
興味を持っていない。
ただし、旧カリン宮の建物自体は200年近い歴史を持つものであり、
かつては王の寵妃が居所としていた時期もあって、
外装・内装ともなかなかに立派な所が残されている。
立春祭に際して、“ついでに”旧カリン宮も見物しておこうと思う者は
そこそこの人数いる(混雑のため入場制限が必要というほどではないが)。
しろうと防衛部隊に一抹の不安を感じていたリアンであったが、
果たして悪い予感は当たってしまった。
自治省に戻ってきて、政務次官自ら、
その1 宮殿裏の死角で痴漢行為に及ぼうとしていた若者2名
その2 花街から出張奉仕にやってきた、綺麗なお姐さん3名、
その3 宮殿内の壁から金箔を剥ぎ取ろうとしたお婆さん1名、
その4 立ち入り禁止区域で何やら挙動不審な中年男1名
を、ひっ捕まえることになった。
他の役人が見落として(中には、見逃して?)いた者たちで、
いずれも国軍留置所送りとした。
案の上、王弟自らが自治省政務次官室に怒鳴りこんできた。
「小娘っ、この忙しい時にちんけな犯罪者をわざわざ軍に送って
寄越すな!ただでさえ留置所が混み合っているんだ!」
ベリルの怒りも言われなきことではない。
国軍が立春祭で警戒しているのは、要人暗殺や破壊活動、諜報活動である。
間違っても、金箔を木べらで削り落して盗み取ろうとする高齢者ではない。
が、またもリアンはファネ国軍大将に反抗してしまった。
「そんなこと言ったって、内務省の留置所に空きがないんだから仕方
ないでしょう!けちけち言わないで、1日2日預かってくださいっ」
「祭りに多少の危険はつきものだ。小者は見逃せ。」
「ワグナ殿下…確実に被害が出ると分かっていて見逃せません」
「どこまで生意気な口をきく気だ!」
ああ頭が痛い、喉が痛い、リアンは意識が飛びそうになりながらも
必死に言いつのろうとした。熱のためか、目元が潤んでくる。
冷静を保とうとしているのに上手くいかなくて、声が甲高くなる。
「嫌味を言いにくる暇があるのなら、さっさと軍に戻ってお仕事
してください。それから、留置所に押し込めている人たちの状況も
きちんと確認してください。暖房もケチらずにお願いします。
地下牢に放置しておくと凍死の危険性もありますから。
とくに高齢者と薄着のお姐さん方には気をつけてあげてください」
「だから余計な手間を増やすなと…!」
今度こそ打たれると、リアンは覚悟した。
それも仕方ないと、黄緑の瞳を閉じたりせず、相手を見つめる。
恐怖は感じられなかったが、自分の下手な采配が情けなく、束の間
泣きたい気持ちになる。
「…まぁ良い。今夜のところは貸しにしておこう」
緊迫したのは数瞬で、驚いたことにベリルは振り上げた手を下ろしていた。
国軍大将はなぜか突然、戦意を喪失したようであった。
(…どういうこと?)
入ってきた時同様、突然去ってゆくベリルの後ろ姿を見て、
リアンはあっけにとられた。
しかし、心の平安はまだ訪れなかった。
王弟殿下と入れ違いに、その姪フローネが憤然として現れたのである。
亡き母親は現国王ソランサの姉であり、自身は名門フッサール伯爵家の夫人。
高貴な立場…でありながら、リアンに対する時は慎みも威厳も忘れて、
感情が前面に出るようだ。
「ようやく会えたわ!
次官のくせにウロチョロ出歩いているものじゃなくってよ!
本祭の件で王妃様からの伝言を持って来ました。有り難く思いなさい」
もの凄く上から目線である。
「…慎んで承りましょう」
リアンは反論する気力なく、フローネから書簡を受け取った。
「一般参賀の後に、王宮内で総披露があります。
王妃様からお声がかかるから、そのつもりでいなさい。
疲れた顔や辛気臭い顔を見せないで、きちんと正装すること。
分かっていると思うけど、この間のお茶会のように貧乏くさい格好は
やめて頂戴ね」
貧乏くさいって、次官の普段用・執務服なのですが…という文句も
口の中で飲み込む。ただただ、眼前の要注意人物その1に早く帰って
もらいたかった。
「それで衣装のことなのだけど…」
「それでしたらご心配なく。キリル長官から既にご指示いただいて準備
してあります」
ここで衣装がどうの、髪型がどうのと始まったらリアンは発狂する。
切り札とばかりにミルケーネ公爵の名を出して、フローネを遮った。
「…そう。わたくしの説明など不要という訳ね」
もちろん王妃付女官は機嫌を悪くした。が、構っていられない。
「フローネ様におかれましては立春祭でご多忙のところ、お気づかい
いただきまして有難うございました」
この口上の真意は“早く帰れ、バーカ”である。
もちろんフローネは正しくリアンの意図を理解した。
「お邪魔しましたわ」
怒りに顔を朱に染めて、フッサール伯爵夫人は退室した。
(とにかく、ひと眠りしなくちゃ…)
しかし、もはや安眠できるような健康状態ではなくなってきていた。
再び風邪薬と栄養剤のお世話になる。
栄養剤で噎せているところに、やって来たのはアギール家からの
使いであった。いつもの差し入れを届けてくれる召使ではない。
「姉上。ハリド様が屋敷で暴れています。一体いつになったら帰って
きてくれるのですか!」
「…イェイル、あんたまで来たの?」
「姉上が自治省に行ったまま戻ってこないので、ハリド様に泣き
つかれました」
「騎士団も忙しい時なのに申し訳ないわね」
リアンを姉と呼ぶのは王宮騎士団に勤めるイェイルである。
むろん本当の弟ではない。
訳あって“アギール”を名乗っていないが
叔父クロンの息子で、リアンにとっては従弟にあたる。
「それより、次官って…何です?
アギール家では次官付の事務役人になられたと聞いていましたが」
昨年騎士になったばかりのイェイルはまだ17歳である。
しかし、簡単には騙されてくれなかったようだ。
「ごめん、イェイル。説明すると長くなるから、今は見逃して」
「…分かりました。明日の総披露にはアギール伯爵もシャイン子爵も
参列しますので、その時にでも“言い訳”してください」
従姉が疲労の色を滲ましているのを見て、イェイルはそれ以上
追及しなかった。どうせ明日にはもう一度会うことになるのだ。
久しぶりに“アギール家”一同が揃うということを伝えられれば十分だ。
…そんな訳で、リアンが仮眠室に倒れ込んだ時には深夜を回っていた。
なぜかヴァンサラン補佐官が行方不明になっていたが、彼がふいと姿を
消すのは珍しくないので、気にしないことにする。
それよりも明日に備えて気力体力を大至急回復させることが至上命題だ。
明日の午前中はまた地元宣伝館視察があるし、
午後には一般参賀とそれに続く総披露がある。
王妃から直々に声がかかるとなれば最前列に立たねば
ならず…つまりは後ろで壁にもたれて居眠りする訳にはいかない。
加えて、祖父も叔父も参列するとなると“あのアギール家”で注目を
浴びるのは確実だ。
「勘弁してくれ…」
死ぬほど疲れているのに、身体がしんどくて、眠ることができない。
ところどころに意識が飛ぶのだが、黒い霧の中を彷徨うようで憂鬱になる。
悪寒の後には身体が燃えるように熱くなって、
リアンはだんだんと自分がどこに居るのか分からなくなっていった。
「リアン、生きていますか?」
その声で、意識がふわりと持ち上がる。
目を開ければ藍色の双眸が心配そうに自分を見ている。
白絹の手がリアンの頬に触れていた。
「…長官」
リアンは寝台から慌てて身を起そうとしたが、やんわりと押しとどめ
られた。わずかに動いただけで骨がキシキシと痛んだ。
「無理をして。視察など適当にやればよいものを」
出た、グウタラ長官発言。
しかし、今のリアンに反論する気力はない。
フローネを封じたあたりで最後の力を使い果たしてしまっていた。
「生姜湯を持ってきましたよ。起きられますか?」
「え…?」
「ちゃんと公爵家から生生姜を取り寄せました。
わたしが手ずから摺りおろしたものですから、よもや飲めないなどと
言いませんよね」
「え…?」
リアンは言われたことが理解できないまま、もう一度身を起そうとした。
今度は背中に手を回され優しく抱き起こされる。
「長官…生姜湯、作ったんですか?」
「一生懸命お仕事している次官のために作りましたよ。
人生で初めて下ろし器なるものを使いました」
「それは貴重な体験を…いえいえ、ありがとうございます。いただきます」
長官から湯気の立ったマグカップを受け取り、ゆっくりと口に含む。
生姜の辛みと蜂蜜の甘みが喉に浸透していく。美味しい。
そしてなぜか涙が出そうになった。
「…次官になど指名するものではなかったですね。
これほど無茶をすると分かっていれば」
「別に無茶していません。全ては暖房装置が故障したせいです」
「…痴漢を蹴りとばしたり、不審者をお縄にしたりするのは
無茶ではないと?なぜ警備兵を呼ばなかったのですか」
ヴァンサランから報告がいったのか。しかし、捕り物の時、補佐官は
いなかったはずだ。
「政務次官として貴女は自分の身体に責任を持つ必要があるのですよ。
簡単に病気になったり負傷したりする訳にはゆきません」
生姜湯をちびちび飲む間、キリルの説教が続いた。
早く飲みほして長官にお引き取り願いたいのだが、そうするには湯が
熱すぎて、しかも生姜が辛すぎて(一体どれくらい入れたのだ)
儘ならない。
「だいたい貴女は…そもそも伯爵令嬢が…政務次官としては…」
キリルの声がだんだんと途切れ途切れに聞こえてくる。
生姜湯がほどよく作用して、眠気が寄せてきたのだ。
「…しかも、昔の男に再会とは。
ヴァンサランには徹夜で死ぬほど働いてもらいます。あの役立たず。
それで、どうなんです、会って何か感じたんですか?
…懐かしいとか恋しいとか」
半分眠りの沼にはまりこんだまま、
何故かリアンは長官からの謎の訊問を受けていた。
「懐かしいとか、恋しいとか?」
「そう感じたんですか、リアン!」
空になったマグカップが手元から消えた。
いつの間にか上半身を預けるような形で抱き寄せられている。
キリルの焦ったような、苛立つような声が耳元で響く。
「…長官、私は眠いです」
「眠りたければ正直に白状しなさい」
キリルの両腕にぐっと力がこもり、リアンは抱き潰されそうになった。
骨が痛い。半端なく痛い。何の拷問かと思う。
「元・彼に関わっている余裕はない、というのが正直な感想です」
「え…?」
今度は長官が尋ね返す番であった。
「懐かしくも恋しくもありません。
強いていえば、こんなにも淡白な自分自身が少し…寂しい?でしょうか」
「それは、つまり…?」
キリルの手から力が抜けた。すかさずリアンは身を離す。
(私は今、他に好きな人がいます!私が好きなのは貴方よ、キリル~)
というような展開をミルケーネ公爵は期待していたのだが。
代わりに彼が得たものは。
「ついでに申し上げますと、長官の摩訶不思議な訊問に関わっている
余裕も、今の私には全くありません。
お休みなさいませ。生姜茶をご馳走さまでした」
言うなり彼女は羽毛布団を頭から被り、長官に背を向けたのである。
「リアン、待ちなさい…許しませんよ」
少しばかり冷静でなくっている公爵サマは布団の上からリアンを
押さえこんだ。
そこで相手の抵抗を予想したが、お姫サマはくたりとしたまま動かない。
「リアン…?」
自治省政務次官は完全に意識を手放しているようだった。
どうやら生姜湯に混ぜておいた眠り薬が効いたらしい。
キリルは舌打ち一つして、そのままリアンの傍らに身を横たえた。
もちろん朝まで添い寝するつもりである。
ベリル、急に戦意喪失には理由があります。
キリル、公爵サマが生姜をすっているのを想像すると笑えます。
登場人物と呼称が随分増えてきましたので、近々「人物紹介」を
掲載したいと思います。
さて、自治省の防衛部隊、あともう1話続きます。