第四章 自治省の防衛部隊 その3
字句の修正若干行いました。
リアンの父→クロス リアンの叔父(クロス弟)→クロン です。失礼しました。
また、王都→ファネ国首都キサラ。
王府→ファネ国首都キサラにある王宮と中央官庁が集中する場所
(皇居+永田町+霞が関)という意味で使っています。
さて、リアン、○○○と再会する、の巻です。
ファネ国16州の地元宣伝館は立春祭に合わせ、
王府の広場4ヶ所に4州ずつ臨時に設置された。
王府は国政の中枢部分であり、国王の住まう王宮(内宮)とも直結している
ため、普段は一般の入場が厳しく制限されている。
しかし、立春祭3日間には部分が開放がなされ、王府の建物見学や
16州地元宣伝館での買物を楽しめるようになっている。
加えて、初日(前夜祭)には春呼びの行進、中日(本祭)には王族一般参賀、
最終日(後夜祭)には花火大会と各日催し(イベント)が用意されている。
リアンは人混みでごった返す王府内を右へ左へと走っていた。
前夜祭の行進は夕方からなのだが、既に混雑が激しい。
王府一般開放や16州地元宣伝館販売は早朝から行われるため、
日の出時刻から、かなりの観光客が集まってきていた。
午後になると、行進を少しでも良い場所で見ようという者たちで
陣取り合戦が始まり、王府から市街にぬける主要通路が一層混雑する。
「リアン、こっちだ!」
ヴァンサランの誘導で、自治省次官は会場を次から次へと視察して回る。
まったくとんだ体力勝負だ。
地下の隠し通路が使えれば楽なのだが、王族と一部の長官級にしか
知らされていないものなので、今は役立たない。
しかも、隠し通路のどこがどう繋がっているのか分からないので、
下手に足を踏み入れれば確実に迷う。
リアンが走っているのは、一般客が通らないような業務用通路や
建物と建物の隙間にあるような細道だった。
ヴァンサランはさすがにそういう抜け道をよく知っている。
まともに表通りを歩いていたら、予定の視察など半分もこなさぬうちに
時間切れとなっていただろう。
同行していたフェイとアイルは息も絶え絶えだ。
やや中年太り気味の二人だが、このところ次官による強化訓練の
せいで随分顔立ちが引き締まってきている。
とはいえ、もともと基礎体力は今一つのようで、
互いの肩を抱きながら、やや足元をヨロヨロさせての前進だ。
「ヴァンサラン、待って」
後れた二人をしばし待つためにリアンは補佐官に声をかけた。
細道を抜けて、表通りをあと突っ切れば、そこはもう
島嶼州4州が共同で設けている地元宣伝館だ。
リアンは上着に重ねた薄紅と若緑の衣を直しながら呼吸を整えた。
さすがに女神装束のままで外を歩くのは寒いし…なにより恥ずかしい。
しかし、「お祭りですから!」と叫ぶ側近たちの説得を完全無視する
こともできず、折衷案として普段制服のように来ている次官服の
上に羽衣風の薄布を肩掛けのように被ることで許してもらった。
また少し熱が出ているのか、なかなか呼吸が楽にならない。
ヴァンサランの前では何事もない態度を装いつつ、
フェイやアイルには「しっかりしてよ!」と檄を飛ばしつつ、
リアン自身、実は結構しんどい状況にあった。
今のところ鼻水や咳は出ていないが、今夜あたりマズイかもしれない。
後ろの二人を確認して、リアンはぼんやりと前に一歩踏み出した。
そこがもう表通りだということを失念して。
「危ないっ!」
たちまち人とぶつかりそうになり、慌てて身を捻らせて衝突を避ける。
しかし、そこは運悪く日陰のままで、溶け残っていた氷が鏡面を作っていた。
自治省次官は変な姿勢のまま足を滑らせた。
必死に伸ばした手も空を掴む。
(こんなところで生傷を作ったら間抜け過ぎる…!)
田舎者次官、王府の氷で滑る!アギール家令嬢、顔面裂傷!…などと
不吉な見出しが「王都新聞」お笑い欄(本当にそういうコラムがある)に
掲載されるのを想像してしまう。
しかし、お約束か、あわや、のところで腕を取られ、がっしりとした胸に
引き寄せられる。
最初リアンは、大柄な赤毛男のヴァンサランが自分を助けてくれたのだと
思った…が違う。締まった体躯だが補佐官ほど大柄ではない。
「大丈夫ですか…?」
リアンの瞳に映ったのは、自治省の役人ではない
…けれど、どこかで見たことのある…懐かしい顔であった。
「お怪我はありませんか?」
その人はもう一度リアンの無事を確認した。
そしてお互いに記憶の中の姿と眼の前の姿を重ね合わせる。
「…リアン?どうして君?」
(ああそうだ。王府で働いているのだから、会う可能性も考えて
おくべきだったのに…)
しかし、リアンはこの再会に何ら心の準備をしていなかった。
どんな言葉を紡げば良いのか分からない。
「…どうもありがとうございます」
とりあえず助けてくれた礼を述べる。自分でも声が硬いのがわかる。
それからまだ自分が相手の胸に抱きとめられた格好になっているのを
悟って、慌てて身を離す。
ほんの束の間、寂しいという思いがこみあげる。
…相手の腕も胸も彼女はよく知ったものだったから。
「今、どうしている?王都で働いているのか?」
相手の声も硬い。戸惑いと、苛立ちを隠すかのように。
何をどう説明すれば良いのか、リアンが言い淀んでいると、
不意に赤毛の男が人混みを掻きわけて横に立った。
「リアン、大丈夫か?」
そして、追いついてきたフェイとアイルも叫び声を上げる。
「日陰はまだ凍っているので、走ると危ないと申し上げたでしょう!」
「次官殿がここで怪我したらこの後の行事はどうなるのです!」
二人はリアンを叱ることができて少し嬉しそうだ。
「自治省の次官…?」
リアンが何か言う前に相手は悟ったようだった。
それはそうだろう。
赤毛大男のヴァンサランが自治省補佐官なのは結構有名な話で。
しかも、「次官殿」と呼ばれる女性は王府官僚多しといえども
目下ただ一人しかいない。
一般国民ならともかく、王府で働いている役人ならば直ぐに気づく。
「リアン…君が“アギール家の娘”?自治省の政務次官?」
「…お久しぶりね。ラウザ」
リアンはそこでようやく男の名を呼んだ。7年前に別れた恋人の名を。
(やばい、俺、殺される)
見つめ合う男女二人を横目にヴァンサランは嘆息した。
主から、絶対に二人を会わせるなと厳命されていたにもかかわらず、だ。
王府が大混雑する立春祭によりにもよって…である。
ヴァンサランはミルケーネ公爵への報告をどうすべきか一人思い悩んだ。
*** *** *** *** ***
島嶼州4州共同地元宣伝館は大盛況だった。
一応、各州の気候・風土・文化・歴史などを紹介する展示コーナーや
観光相談ブースなども設けられているのだが、何と言っても人気なのは
地元製品を直売している店舗部分である
。
それも通常の3、4割引の価格設定とくれば、誰しも目の色が変わる。
定番の真珠貝や染織物、南洋香辛料のほか、最近では海藻を使った
健康食品が高齢者に化粧品が若者に注目され、飛ぶような売れ行きである。
リアンは「政務次官」という肩書を表に出さず、自治省の一役人という風情で
特設会場を歩き回った。
ヴァンサラン補佐官はそれを少し離れた所から見守っている。赤毛の大男は
有能だが、このような場所ではいささか具合が悪い。
目立つ上に、一緒に並んで歩かれると…一般客に妙な威圧感を与えてしまう。
リアンは伯爵令嬢とはいえ貴族独特の高貴な(しばし居丈高な)雰囲気を
纏っていない。
彼女が一人で会場を歩きまわる分には、
街の綺麗なお嬢さん(←本人の自覚はない)がお祭り気分で買物に来ている
という程度の印象しか周りに与えない。
とはいえ、自治省内の人間であれば、金茶の髪と黄緑の瞳を持つ、
自分たちの若い次官を見間違えるはずはない。
「応援販売お疲れさま、化粧水の売れ行きが凄いわね!」
「会計場が長蛇の列になっているみたい。ちょっと誘導をお願い」
「真珠貝の売場に、人相悪いお兄さんたちがいるから、軍の警備兵に
念のため通報しておいて」
下級役人の大部分、中級役人の半数が、祭りの3日間、販売や会場整理、
警備などに駆り出されている。
リアンは省内の役人を見かけると気さくに声をかけながら、会場内の
保安に気を配った。
国軍主導の王宮騎士団及び王府警護団が要所を固めているが、
こうも人が多いと細かい所まで気を配れない。
少々の揉め事は省内から派遣した下級役人が臨時警備員として対応する
事になるが、にわか作りの防衛部隊がどこまで機能するか
…政務次官としては内心心配でたまらない。
どうもヴァンサランは別として、「腕に覚えあり」という武官っぽい文官が
自治省には少ないように思われるからだ。
幸いなところ、
時間限定の染織手提を巡っての小母ちゃんたちの
掴み合いや、
数量限定の育毛剤(海藻成分配合)を巡っての小父ちゃんたちの
取っ組み合いなどが発生しただけで、今のところ深刻な事件は起こっていない。
もっとも…以上の事件で、ご婦人1名が前歯を、1名が左腕を折る
事態になり、残りの軽傷者数名とともに王府内の救護室に搬送された。
また、初老の男性10数名が残り少ない髪を互いに毟り合い、結果
丸禿げになって国軍留置所に勾留される運びとなった。
前者も看過できないが、後者の報告を受け、リアンの頭痛は悪化する。
絶対、ワグナ殿下が嫌味を言ってきそうだからだ。
「…次官殿、先ほどの方とお知り合いですか?」
フェイが次官に紙コップを差し出した。ミマイ州の花蜜入り香茶だ。
ほんわりと花の香りがして、口に含めば喉の痛みが和らいだ。
二人は会場の目立たない場所で香茶を試飲しつつ、小休止していた。
「…どの方?」
リアンはフェイの意図が分かっていて、あえて聞き返した。
「先ほど次官殿が外で滑りそうになった時に…あの、」
「…ああ、あの方」
口を濁したフェイの後を引きとる。
わざわざ訊ねてくるのは何か言いたいことがあるのだろうと察する。
「ルーマ市で下級役人をしていた頃の先輩よ。
何年か前に中央に抜擢されて…財務省だったかしら?」
「…今は農業省に勤めています。昨年夏に異動になりました」
「農業省?また随分と変な異動ね。というか、フェイの知り合いなの?」
聞くともなしにリアンは聞いてしまう。
元・彼の現在など知ってどうなるものでもないが。
しかし、財務省から農業省への異動とは珍しい。
しかも、人事異動は通常、春か秋…夏というのは滅多にない。
不思議の経歴だ…と自分を棚に上げて首を捻る。
「直接の知り合いではないのですが、彼の財務省での同期が私の友人でして」
「ふーん」
「地方都市から抜擢されたということと、財務省の、とある高官の
娘婿になった ということが、まぁ一時、噂になりまして」
フェイの言わんとすることは分かる。
婚家の勢力を背景に地方役人から中央官僚にのし上った男、
というような感じで注目を浴びたのだろう。
「ですが、昨年離婚しました。やはり元・舅と同じ役所では双方具合が
悪かったのでしょう。“依願により”という体裁で異動になりました」
(つまり左遷されたと…何、やってんだかなー、ラウザ)
リアンの知る男は、仕事面ではもう少し狡猾であったはずだ。
「別れた奥さまとの間に女の子が一人いましたが、その子が事故で亡くなって」
「…なんか随分と詳しいわね、フェイ」
「いえ、うちの娘が通っている幼稚園にその子も一時期通っていたので…」
「ふーん」
リアンは興味なさそうに相槌を打つにとどめた。
元・彼の心配をしている余裕はない。
もっと言ってしまえば、モトカレだと部下に知られて得るところは
何もない。
(それにしても王府、広いようで狭いな…気をつけよう)
事情通はどこにでもいるということだ。
ヴァンサランはその日、二度目の失敗に言葉もなかった。
自治省に戻る準備のため、ほんのちょっとリアンから眼を離した隙に
またも彼女に要らぬ情報が吹き込まれてしまったのだ。
フェイが官庁人事(とくに家族関係や家庭事情)に詳しい高級役人だと
いうことを失念していた…訳ではないのだが、正直油断していた。
フェイがこうも早く政務次官を“気に入って”、手持ちの情報を流すように
なるとは予想していなかったのだ。
紙コップの香茶を飲むほんのちょっとの休憩を許したがために。
(ダメだ、俺。今夜、長官に会いたくない…まだ死にたくない)
リアンの身辺警護をくれぐれも頼みます、
リアンの具合が良くないから極力負担を軽減して補佐するように、
最短で視察を終えて自治省に戻ってくるように、
そして
何をおいても彼女に近寄る害虫を一匹残らず撃退するように!!!
などなど厳命されていたにもかかわらず。
(ルーマ市で恋人だったラウザ君に会っちゃいました~)
(彼が離婚して、ただ今独身ということもバレちゃいました~)
てへっと笑って誤魔化せない事態である。
フェイを闇討ちしても許してもらえないだろう。
熱が上がって足元がふらつき始めた次官に手を貸しながら、自治省への
帰途につく。
もはや二人とも本日の行列行進など頭になかった。
リアンはどうしたらあと二日を乗り切れるか、
ヴァンサランはどうしたら今夜を生き延びられるか、
それぞれ真剣に考えていたのである。
防衛部隊編、まだもう少し続きます。
自治省の防衛部隊、小母ちゃんやら小父ちゃんやらの喧嘩を仲裁して
地味に活躍中です。
次回は真夜中の出来事+本祭での出来事編。
キリルが嫉妬にかられて××× ベリルが黄緑の瞳に××× お楽しみに。




