表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自治省の悪臣  作者: 雪 柳
1/52

序章  自治省の新人次官

初投稿。

伯爵令嬢、でも庶民育ちのリアンが仕事に、恋愛に、と奮闘する物語。

全10話完結(予定)。

 

 年の暮れ。灰色の空に粉雪舞う、何となく重苦しくて憂鬱な冬の日。

 ファネ国自治省では異例の人事が行われた。

 一週間前に急死した政務次官に代わる後継者が任命されたのだ。


 その人は正午の少し前に、自治省役人一同へお披露目となった。

 省内の大会議室には当直や出張中の者を除いた全員が招集された。

 数は百名ほど。室内が熱気を帯びるのは、混雑のためばかりではない。


 誰しもが異例の人事で余所から抜擢された若き官僚に興味津々なのだ…

 何しろ新しく来る次官は若い女性、いやそれはともかく、

やって来たのは“あのアギール家の”伯爵令嬢なのだ。


「新任のリアン・パルマローザ・アギール君です。中途半端な時期の

登用となりましたが、政務次官を欠員にしておく訳には

いきませんので、陛下と相談して急ぎ人選しました。

 地方役人の経験あり、隣国イサへの留学経験あり、と実力派の方と

 聞いています。 一同、力を合わせ、この自治省を盛り立てて

ください」


 優しげな口調で、しかし当たりさわりのない紹介をしているのは自治省

長官キリルである。

 まだ三十前であろう若き青年が長官をしているのはその出自ゆえ。

 醸し出す雰囲気が高貴で所作の一つ一つが洗練されているのも当然で、

 現国王の叔父君にあたる正真正銘の王族出身者だ。

 今は臣籍に降り、ミルケーネ公爵を襲名している。


 しかし、自治省役人にとって目下の関心は長官に対してではない。

 その傍ら、半歩下がった位置に控えめに立つ人物。


「ただ今、ご紹介にあずかりましたリアンです。地方行政の充実と基盤

整備に精一杯つとめたいと存じます。 

皆さま、どうぞよろしくお願い申し上げます」


(あれが…)(あのアギール伯爵令息とあのフェヌイ子爵令嬢の娘…)

(今は亡きリウカ王女を袖にした男の…)

(ワグナ殿下を振り切った女の…)


 好奇心むき出しだが、意外に悪意がこもっていないのは、自治省役人の

多くが下級貴族もしくは平民出身であろうからか。

 新人次官を迎えるだけにしては熱すぎる視線がリアンに注がれる。


 なかなかの美姫…誰もがそう思った。

 緊張からであろうか、ぎこちない微笑みを浮かべつつ、

 丁寧に頭を下げた新任次官。

 伯爵令嬢でありながら黄緑色の瞳には少しも威張った様子がない。

 金茶の髪はすっきりと頭の後ろで団子状にまとめられている。

 王族出身のキリルと並んでも少しも見劣りしない。

 黒髪に藍色の瞳をもつ長官とは色彩的に合わないかもしれないが、

 美男美女の一対なのは間違いない。

 下級役人の何人かは早くも長官と次官のロマンスを妄想した。


 しかし、キリルの引き際は早かった。


「それでは後のことはヴァンサランに頼みます」

 扉の前に立っていた側近に声をかけ、新人次官に二言三言ばかり何か

 囁くと、長官はさっさと大会議室を後にしてしまった。


(((そうだった…)))


 あっという間に姿を消した長官に、部下一同は声なき声でつぶやく。

 王族出身大貴族が要職につくのは珍しいことではないが、

 その実、名ばかりのことなのだ。


 自治省長官の優雅な、といえば聞こえが良いが、

 ぐうたらな暮らしぶりは 結構下級役人にまで知られていた。


「それでは皆さんお疲れ~昼飯にしてくれや」

 ざっくばらんに声がけすのは、赤毛の大男。官吏というより剣闘士、

 という体型だが、立派に自治省役人である。それも事務局長。

 長官と政務次官を補佐する高官の一人だ。


「あ、その前に」

 新人次官に個別挨拶しようとする者と食堂に向かおうとする者で

 人の流れができる前に、待ったがかかった。

 リアンの手にはいつの間にか紙の束が握られている。


「簡単なアンケートにご協力ください。

 お昼前にあまりお引き留めしてもいけないので、制限時間は10分。

 書きあがった方から退出していただいて結構です。

 今から私語厳禁ということでスタートしてください」


 アンケート用紙があっという間に配布され、よく見れば筆記用具も

 会議室の四方に寄せられたテーブルの上に配置されている。

 ヴァンサランが何か言いたげな視線を向けてきたが、

 リアンはそれをさらりと流して、アンケート回収箱を彼に渡した。

 変な時期の就任なので、少しでも早く正確な状況認識がしたくて、

 よろしくお願いしますね、などとゴニョゴニョ述べながら、新任次官は

 自治省役人一同の間を縫うように歩き回る。

 仕事熱心な人なのだな、と一応は好意的に受け止められたものの、

 アンケートの中身を見るや、その場の大半がビシリと

 固まることとなった。


 熱気を帯びた室内が一転、何やら冷たい汗が背中を伝うのは、

 十人二十人ではない…実際のところ半数以上だ。

(((…これは)))

 新人次官の就任直後、アンケートという名の抜き打ちテストが

 彼らを待っていたのだ。

 

 *** *** *** *** *** *** *** 

 

 バーンと執務室のテーブルが派手に叩かれた。赤インクのペンが吹き

 飛び、書類数枚が絨毯の上をハラハラと舞う。

 黄緑色の目を吊り上げ、フルフルと拳を震わすのは、年の暮れに就任

 した自治省の新人次官リアンである。


「なんで、こんなに、ド阿呆ばかりなんだっ!

 この役所ってどうなってんの!」


 怒りの矛先は自然、補佐官であるヴァンサランに向けられる。


「いや、でもよ、正直どこもこんなもんだぜ…

 俺としては平均正答率47%っていうのは、 むしろ

 “良くがんばりました”ってトコ。

 みんな半分くらいは書けていたってことだろ」

「自治省の役人のくせに、ファネ国16州が全部書けないってどうなの?

 初等教育レベルでしょうに。

 でもって長官の趣味を書けという設問に “全国各地の地酒取集”と

 回答した人98%。これって正解なの?正解にして良いの?

 それから本年度各州に分配される特別予算の総額を書く設問は正答率7%

 …ふざけてんの?省内教育ちゃんとやってんの?」


 沸々と血圧が上がってくるのが自分でもわかる。

 リアンは就任初日から自治省の厳しい現実にさらされることになった。

 ファネ国中央官庁の中で、花形官職と言われるのは財務省や内務省

 であり、自然そちらには権力志向が強い者が集う。

 自治省や工部省はどちらかというと地味なイメージだが、

 それでも国家予算の振り分けが大きく、地方に与える影響力が絶大だ。

(そこの役人がまさかの無能ぞろい?いや、州の名前全部言えなくても、

 特別予算額 知らなくても 政務はできるのか?

 いやいやいや、ありえない、落ち着け私)

 内心激しく動揺しつつ、リアンは何とか自分を抑えこんで能面を

 被ろうとした。

 目の前のヴァンサランは気さくな人物だが、なんといっても

 「長官側」の人間 なのだ。

 事前情報としてリアンは彼の養父がミルケーネ公爵の肩書を持つ

 キリルの執事をしていることを突き止めていた。

 ここで醜態を見せれば、後で何と長官に報告されるか

 知れたものではない。


(仕事熱心なのもいいけど、ほどほどにね、リアン)

 不意に、長官が退出間際に耳打ちした言葉が甦ってきた。

 熱い吐息が耳朶にかかり、肩ほどに束ねられた黒髪がほんの少し

 リアンの頬に触れた、その一瞬。

 自分より少しだけ年上と思われる若い長官の何気ない仕草に、

 ドキリとした。 絶対オモテには出していない自信があるけれど。


(あれって計算してやっているなら結構ヤバい長官だよな。

 でも、計算しないで やっているならもっと面倒な気も…)

 就任挨拶のために初めて長官室に足を踏み入れた時、リアンは悟った。

 この長官は仕事をする気が全くないのだ、と。

 そこは仕事部屋ではなく、大貴族の豪奢なサロンのようだったからだ。

 そして握手のために差し出された右手は白絹のように白磁のように

 滑らかで透けるほど美しかった。

(働かない人の手ですね…)と、心の中だけで彼をとがめた。

 しかしながら、単なるグータラ大貴族と決めつけるのは早計だ。

 リアンはなぜかあの優しそうな雰囲気の裏に静かな計算があるような

 気がしてならない。


「で、明日から何か改善策出すんですか、リアン?」

 トントンと机の端でアンケート用紙をそろえながら、ヴァンサランが

 声をかける。

 礼儀にうるさい連中が周りにいる場合を除いて、

 敬称抜きで呼び合うことを二人は初対面の時に決めていた。

 リアンの方が上官だが、自治省での経験値はヴァンサランの方が上だ。


「…そうだな、明日から鬼の政務次官の呼ばれるよう、

 務めるようにする」

 間違っても“アギール家の伯爵令嬢”などという間抜けな呼称ではなく、

 と言外にリアンは告げた。


両親は駆け落ち婚。大ハッピーエンドのその果てに。

一人娘のリアンはイロイロなツケを払わされることになります。

しかしそこは逞しい彼女のこと。

あまり心配せずに暖かく見守ってくだされば何よりです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ