氷河期の伯爵は冷酷に徹せない ~増え続ける有力領民が、次期国王だと担ぎ上げてくる~
寒い。寒すぎる。
俺はバブル崩壊後の不景気による就職難に直面した氷河期世代だ。ブラック企業で働くしか生きる道はなかった。
配属されたのは最も過酷だといわれる苦情対応部署、昼もなく、夜もなく働きづめで、冬は灯油を買う暇がないほどだった。
ボロい賃貸アパートは寒く、毎年凍えるようにして眠った。長年の過労がたたり、エアコンをつけるのさえ忘れた日に、運悪く大雪が降り、凍死してしまった。
そう、死んだはずだ。それにしては寒すぎる。
「――ジゼル様っ!」
遠くで声が聞こえた。
目の前は真っ白だ。いわゆる、ホワイトアウトというやつだろう。吹雪で視界が白一色なのだ。
妙だな。
さすがにここまでの吹雪は、日本では見たことがない。
「ジゼル様ぁっ、ご無事ですかっ!?」
声が少しだけ近づいていた。
ああ、そうだ。思い出したぞ。俺はジゼル・アイスロード。この最北の地を領地にするアイスロード伯爵家の嫡子だ。
さっきの記憶は俺の前世か?
倒れていた体を起こし、雪の大地に立つ。
雪山で滑落し、一時間ほど意識を失っていた。前世の体ならまた凍死していたところだが、今の俺の体は少し特別だ。
すっと指先を伸ばす。すると、辺りに淡い光が立ちこめ、吹雪が次第に収まっていく。
寒さを吸い取り、魔力に変えているのだ。
やがて、ホワイトアウトは完全に収まった。
すると、目の前に多くの人影が見えた。
防寒具を着込んだ伯爵家の兵士たちだった。
「おおっ、ジゼル様っ!!」
そう口にしたのは初老の男、執事のバドルだった。
「よくぞご無事でっ。ご領主様亡き後、家督を継いだあなた様まで亡くなれば、アイスロード伯爵家は没落するところでございました!」
「大げさだな。兄さんがいるだろう」
俺は兵団と一緒だった兄、ハイゼルの顔を見た。
厳しい面持ちをしながら、無言を保っている。俺に話しかけてくる気配もない。
「しかし、あそこから滑落して、生き延びるとは」
兵士の一人がひそひそと話す。
「さすがは1000年に1度の氷河期に生まれた忌み子。次期領主をジゼル様にとの遺言があったのも、その呪いのためでは?」
「口を慎め」
兄ハイゼルが言った。
「捜索は終わりだ。帰るぞ」
◇
アイスロード伯爵邸。領主執務室。
「ジゼル様、アイスロード伯爵として最初の執務についてお話しがございます」
執事のバドルが言った。
「単刀直入に言えば、領民の働きが不十分です。アイスロード伯爵家の税収を支えているのは主に漁業ですが、漁獲量は年々下がってきており、このままでは領地の経営が立ちゆきません」
このシュテイン島は一年中、雪と氷に覆われている。農業はほぼ不可能に近く、資源もない。まともな産業は漁業だけである。
「見せしめが必要かと」
「見せしめとは?」
「漁獲量の一番少ない漁師を、反逆罪で投獄するのです。さすれば、領民たちも十分な働きを見せるでしょう」
前世ではブラック企業に使い潰された。
氷河期世代はまともな職に就けた方が珍しいぐらいだったのに、社会はそれを自己責任だと断じる。
確かに、その通りなんだろう。
ずっと思っていた。もしも二度目の機会があるのなら、決して甘えず、甘やかさず、結果を出すために冷酷に生きる、と。
誰に嫌われたとしても。
「だめだ。サボっていて漁獲量が少ないという証拠がない」
即答すると、バドルは面を食らったような顔をした。
「は……いえ、しかし……魚を多く獲るのが領民の仕事でございます。どんな理由であろうと、漁獲量が減少した罪は彼らにあるのです」
そう考えるのは、貴族側の甘えにすぎない。
「では領主の仕事はなんだ?」
「領民を管理することでございます」
「ならば聞こう。領民がアイスロード領で暮らすメリットはなんだ?」
「それは、伯爵家の領地で生きるという名誉が」
「名誉? 平民が名誉のために死ねるか?」
バドルは答えに窮する。
「それは……」
「領民の主食はなんだ?」
「恐らくは、売り物にならない小魚の干物などが」
「恐らく? 確認していないのか?」
「それは、その……」
「領民の主な労働時間は? 休日は? 船や道具の状態は? 家族構成は? 家屋の状況は? 衣服は足りているのか? 流行り病は? 娯楽は? 生きがいはなんだ? 困っていることは?」
それらの問いに、バドルは正確に答えられなかった。
いや、この領地の誰も知らないのだ。
「つまり、我々は管理をしていないのだ。これでは領主としての責務を果たしているとは言えない」
この世界ではそんな貴族は珍しくないだろう。だが、それではアイスロード伯爵家は衰退の一途を辿る。
「バドル。最初の命令だ。領民をしっかり管理しろ」
「……し、しかし、どのようにすれば? 領民の殆どは文字を読むことさえできず」
「電話を作る」
「は? 電話…?」
俺は魔法陣を描く。
氷柱がそこに構築され、そこから管が伸びて外壁につながる。まさに大規模魔法であった。伯爵邸から無数に伸びた氷の管が、シュテイン島のあらゆる家屋に伸びて、そしてつながっていくのだ。
この氷の通信網は、寒さを魔力に変換し、声を遠隔地へ飛ばすことができる。
俺は二週間かけて、シュテイン島全土に通信網を行き渡らせた。
「聞こえるか、我が民よ。俺はジゼル。アイスロード伯爵だ。今からそなたたちに質問を行う。命が惜しくば、嘘偽りなく答えることだ」
冷酷に俺は言った。
俺の質問に、多くの領民から声が返ってくる。
無数の声を一度に処理するのは大変だが、この体は頭の回転がいい。どうにか脳裏にインプットすることができた。
その結果、わかったのは――
「漁獲量が減少したのは、寒さが増したからだ。船上が寒すぎて、漁ができる気温ではない」
「い、いやしかし、口裏を合わせているだけでは?」
「シュテイン島は広い。そもそも交流のない民たちもいる。全ての領民が口裏を合わせることは不可能だ」
「な、なるほど……」
これまで、アイスロード伯爵家はこんな単純なことすら把握していなかったのだ。
もっとも、この世界では領民の話に耳を傾ける貴族は滅多にいない。まあ、それは日本も同じか。
氷河期世代の窮状に政府は耳を傾けようとはしなかったからな。
「それでは、もう少し南に行き漁を行えば、漁がしやすくなるでしょう」
「だめだ。南に行きすぎれば、別の貴族の領海だ。厳命しようと何人かは必ず、そこに入るだろう。人間は楽な方に流れる」
領海侵犯を行えば、最悪領主同士の戦争になるだろう。それだけは避けたいところだ。
「これまで通りの海域で、魚を獲ってもらう」
「どのようにして?」
「宝物庫を開け。火の魔石をあるだけ領民に貸し出す」
「ば、馬鹿なっ!! 貴族の財産を平民にでございますかっ!?」
「財産は使わなければ意味がない。火の魔石があれば、船上でも十分に暖がとれる。漁ができて、魚がとれて、利子もとれる。なんの問題もない」
「……しかし、盗まれる恐れが」
「殺せ」
「は……?」
驚いたようにバドルは目を丸くする。
「窃盗を働いた者は死罪とする。紛失も同様だ。一切の言い訳は聞かん。それでいいか?」
「……は、はい。かしこまりました……」
盗んだだけで死罪。これはさすがにやりすぎだろうか? 日本だったら、長くて何年か刑務所に入るだけだろうにな。
いや、だがいいんだ。
誰に嫌われようと、冷酷に徹して結果を出す。そうでなければ、俺はまた人生の氷河期を味わうことになる。
◇
数ヶ月後――
アイスロード伯爵邸。領主執務室。
「ジゼル様。今月の漁獲量も上々でございます。シュテイン島領海で捕れる氷角マグロが他の領地で大人気でして、税収は先月の二倍に達しました」
結論から言えば、火の魔石を貸し出す案は上手くいった。最初に借りなかった領民も、他の領民が上手くいっているのを見て、次々と使い始めた。
元々、寒気が強い時は漁に出られないという問題はあったらしく、火の魔石はそれを解決した。
漁獲量は毎月右肩上がりで、二ヶ月前に過去最高を記録した。
税収も最高を更新している。長く漁ができれば、氷角マグロなどの大物も狙えるようで、それが隣接する領地で人気が出たのも幸いしただろう。
「領民からは感謝の声が毎日のように伯爵家に届けられております。また今月も新たにシュテイン島に移住したいという民が一〇〇名ほどございます」
「元の領主と話がついている者のみ受け入れる。一筆書いてもらうのを忘れるな」
「は。またこれまで移住した領民の中に、リューズ商会を運営されている大商人リューズ様、巨大なマンモスクジラを釣った大漁師ゾゾ様、その他にも普通の領民の一〇〇倍を超える税金を納めることのできる有力領民が、合計で13名いることがわかりました」
それは初耳だ。
「なぜ有力領民が、こんな最北の地に?」
「今代のアイスロード伯爵、ジゼル様は有能、と各地で噂になっております。民を生かすも殺すも主次第。民は、優れた主を求めるものでございます」
「優れた主か。おもばゆい話だ」
「ご謙遜を。領民たちの間では、ジゼル様こそ、次期国王だという噂で持ちきりでございます」
「なにっ……?」
次期国王……そんな大それた話が広まっているのか。
「確かに、貴族は全員、王家の血を引く家系ではある。だが、アイスロード家はかなりの遠縁だ。王位継承順で言えば、3、400番目だろう。そんな者が即位した前例はない」
「それだけ、ジゼル様が領民にお示しになった政策が優れていたということでしょう」
民の想いはどうあれ、この状況はまずい。手を打った方が良さそうだな。
「第一王子のジャミル様に、最上級の雪玉石をお贈りしろ。アイスロード伯爵家は順当なる後継者、第一王子派であることを示す」
「雪玉石……でございますか? 税収が上向いたとはいえ、まだまだ資金に余裕があるわけでは……」
バドルは困惑したような表情だ。
「俺にいらぬ野心があると思われても困る。今のうちに、アイスロード伯爵家は王政に不満がないことを示しておく。王族にも、我が領民にもな」
「な、なるほど。では、すぐに手配を」
「残念ながら――」
声が響くと同時に、矢が飛んできた。
「うぐっ……が……!!」
バドルの背にその矢が突き刺さり、彼は苦悶の声を上げてその場に倒れ込む。
「バドルッ!!」
「残念ながら、一手遅かったな、ジゼル」
現れたのは、俺の兄ハイゼルと兵士たちだった。
「貴様はここで死ぬ。国王陛下に謀反を企んだ罪を償ってな」
「は、ハイゼル様……なぜ……ジゼル様の兄君であらせられるあなたが……?」
苦痛を堪えながらも、バドルはそう問い質す。
「そうだ。私が兄だ」
ハイゼルは暗い瞳で俺を見た。
「本来ならば、このアイスロード領は、私が継ぐべきなのだっ!!!!」
「それは先代のご領主様の遺言で……」
「父上はご病気だった。頭も病んでいたのだろう。そうでなければ、氷河期の忌み子を跡継ぎに選ぶはずがないっ!!」
ハイゼルは剣を抜き放つ。
すると、兵士たちが一斉に弓を構えた。
「アイスロード伯爵家の正当なる跡継ぎは私だっ! この罪人を処刑しろっ!!」
矢が一斉に撃ち放たれる。
雨あられの如く降り注ぐその無数の矢は、しかし俺に当たる直前で氷の壁に阻まれた。
「なっ……!?」
「また行動を起こすと思っていた」
俺は手の平に魔力を込めた。
氷の壁が砕け散ると、その破片が兵士たちに襲いかかった。
「がぁぁぁっ!」
「ぎゃああぁぁっ!!」
「ぐうああぁぁっ!!」
苦悶の声とともに、兵士たちは鋭利な氷の破片に串刺しにされた。
「雪山で兵士の一人が俺の背を押して滑落させた。あんたの命令だな」
「う……ぐぐ……」
歯を食いしばり、恨めしそうにハイゼルは俺を見た。
「名も地位も捨て、この領地から出ていくなら不問にしてやる」
「…………」
ハイゼルは憤怒と驚愕が入り交じったような瞳で、俺を睨めつけてくる。
「俺もアイスロード家から罪人を出したくはない」
「……わかった。言う通りにしよう」
「明朝までに支度をしろ」
そう言って、俺はバドルを治療するため、背を向けた。
「馬鹿めっ! そんな取引に応じると思ったかっ!!」
背後から振り下ろされたハイゼルの剣を、俺は振り向きもせずに、氷の壁を作って、受け止めていた。
「なっ……こ、この忌み子めぇっ……!」
「誰も好き好んで氷河期に生まれるわけじゃない」
指を弾くと、瞬く間にハイゼルは氷漬けになった。もう二度と目覚めることはない。
すぐにバドルに駆け寄り、傷の具合を見る。急所は外れている。これならば、命に別状はないだろう。
「じ、ジゼル様、ご無事ですか……?」
「声を出すな。傷にさわる。すぐに医者を呼ぶ」
ハイゼルの反乱に備えて、医者は常時、伯爵邸に待機させてある。俺は電話の魔法を使い、医務室に連絡を取ったのだった。
◇
一ヶ月後。
アイスロード伯爵邸。領主執務室。
「傷はもういいのか、バドル」
「はい。お陰様で、仕事に支障はございません」
バドルは羊皮紙の束に視線を落とし、久しぶりに領地の状況を報告する。
「ジャミル第一王子は、贈り物を大層気に入られたそうです。感謝の手紙を届けてくださいました」
バドルから、手紙を受け取る。
「また領民にも、ジゼル様が第一王子に贈り物をされたこととその意味合いは広く伝わっております。ジゼル様が現在の王政に好意的であることは誰の目から見ても明らかでしょう」
「そうか」
上手くいったようだ。
兄ハイゼルの反乱の芽も摘んだ。これで領地の統治に集中できる。
「しかし、一つだけ気になることが……」
顔をしかめながら、バドルが言う。
「なんだ?」
「贈り物の件、例の有力領民たちの間では別の意味で捉えられている、といった噂がございます」
「……また噂か。今度はどうした?」
「その、つまり、アイスロード伯爵は機が熟すまで王政に好意的なフリをすることができる策士。やはり、次期国王に相応しい器、と」
「…………」
開いた口が塞がらない。
策士もなにも、王政に不満などない。この最北のシュテイン島は王都から遠く、地理的にも産業的にも魅力がない。中央の政争とはまるで無縁で、王が干渉してくることもまずないのだ。
なぜ好意を示した贈り物が、まったく逆の意味にとられるのだ?
領地内で収まっている噂ならいいが、これが万が一王都にまで届くと、面倒なことになるかもしれない。
「その噂は困るな。アイスロード伯爵家の名誉にかかわる」
「貴族の名誉を汚したとなれば、財産を没収し、投獄することも可能かと存じます。見せしめになれば、そのような噂が出回ることもなくなるでしょう」
「……そうだな」
一人か、二人、見せしめに処罰をすればいい。バドルの言うことは正しいのだろう。この世界の貴族なら、当たり前にやっていることだ。
しかし――
「さすがに理不尽だ。まずは話を聞いてこよう」
「ジゼル様が、直接でございますか?」
「誤解を解くにはそれが一番だ。支度をしろ」
「か、かしこまりました」
立ち上がり、俺は執務室を出て行く。
こんな噂のために俺に反乱の恐れがあると王家に思われたら、たまったものじゃないがな。
安全策をとれば、生き残る確率は上がっただろう。心配事に頭を悩ませる必要もない。
だが、金のない冬の寒さは身に染みてわかっている。
頑張っても、不遇を味わう辛さは十分に知っているつもりだ。
ああ、まったく、とんだ貧乏くじだ。結局、俺はどこまでいっても、冷酷には徹せない。
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