表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしかしたら亀なのかもしれん  作者: 陽花紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/2

それから

 次のゼミの日まで、思ったより時間はなかった。

 カレンダーを見れば、まだ一週間も経っていない。


 それなのに、あの日からずいぶん長い時間を生きたような気がしていた。

 いや、生きたというより耐えたに近い。


 講義には、ちゃんと出ていた。

 名前を呼ばれれば返事もしたし、ノートも取った。

 ただ、声を出さなかった。口を開く前に、頭の中で何度も文章を組み立てる。

 語尾は大丈夫か、イントネーションは浮いていないか。

 変な間が空かないか。

 考えすぎて、結局黙る。

 そうやって、俺は少しずつ教室の背景みたいな存在になっていった。


「あ、アツキ」


 学食の入り口でそう名前を呼ばれて、心臓がどくりと一瞬跳ね上がる。

 振り向けば、そこにはタイチが立っていた。

 いつもと変わらないような顔をして。

「今から飯?」

 それだけの言葉なのに、なぜだか喉の奥がぎゅっと縮む。

「……うん」

 できるだけ、平坦な声で答えていた。

 けれど、自分でも分かるくらいそれは不自然な声になってしまって。

 けれどもタイチは何も言わず、俺の隣を歩きはじめた。

 その歩幅をほんの少しだけ、俺に合わせながら。


 ゼミの資料の話、来週の発表の話。

 その内容はどうでもいいことばかりなのに、タイチの声だけが、やけに耳に残っていく。

 俺は、相槌だけを返していた。

「うん」

「そうだな」

「へえ」

 それ以上は、何も話せるような気がしなかった。

「……あのさ」

 学食の列に並んでいるとき、タイチが少しだけ声を落とした。

「もしかしてこの前のこと、気にしてる……?」


 ――気にしてるに、決まってる。


 もはや、一生忘れないと思う。

 でもそれを口にしたら、これまで築いてきた俺の全てが崩れてしまうような気がしていた。

「……別に」

 嘘だった。

 自分でも、はっきりとわかるくらいの嘘。

「そうか……」

 タイチは、それ以上何も追及するようなことはしなかった。

 その距離感がありがたくて、それと同時に、俺は少しだけ寂しく思っていた。


 俺たちは、向かい合って座っていた。

 タイチは、相変わらず食べ方が綺麗だった。

 箸の持ち方も、姿勢も、育ちの良さが隠しきれていないようでもあったんだ。

「亀、ってさ……」

 けれどその一言で、箸が止まる。

「ああ、悪い」

 すぐに訂正されたけれども。

「呼ばれたくないなら、俺は呼ばないから」

 俺は、首を横に振っていた。

「いいよ。別に」

 本当は、ちっともよくなかった。

 でも今さら訂正したところで、この空気が気まずくなるだけだと思っていた。

「そうか?……俺は、似合ってると思うけどな」

 そうタイチが、ぽつりと言う。

「のんびり、ゆっくりしてるところ」

 その柔らかな笑みに、思わず顔が熱くなる。


 一体それが褒め言葉なのかどうかも、俺にはわからなかった。


「それに俺、方言嫌いじゃないよ……」

 タイチは、俺の目を見ないまま言葉を続けた。

「あ、違うな……。嫌いじゃない、っていうか……」

 けれど言い直そうとして、やめたみたいだった。

「ま、いいや」

 そう言って笑うその横顔が、俺にはやけに眩しいものであるように見えていたんだ。


 ――いかん、めっちゃ好きだ。


***


 やってきたゼミの日。

 あの日と同じ教室、同じ机、同じ顔ぶれであるというのに。

 俺は、これまで以上に緊張していた。


 教授は何も知らないまま、淡々とレジュメを読み上げていく。

 俺は、一言も喋らなかった。何か質問をされても、最小限の言葉で返していた。


 発表では、用意した原稿を抑揚なく読み上げた。

 方言が出ないように、感情が乗らないようにと。


「アツキ、今日はやけに静かだな」

 ケンジが、そう笑いながら言っていた。

「亀だから、冬眠中かー?」

 とっさに、笑い声が起きる。

 俺は、笑わなかった。いや、笑えなかっただけなのかもしれない。


「それ、面白い?」

 けれどその瞬間、タイチの声が静かに落ちる。

 怒っているようにも、笑っているようにも聞こえない。

 いつもとは違う、ひどく淡々とした声だった。

「えっ?」

「ずっといじってるけどさ、アツキ嫌そうじゃん」


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。


「……悪い」


 そうリョウが、小さく呟いた。

 それにならって、周りの皆も口々に謝罪の言葉を口にしていた。

「いいよ、べつに……」

 俺は、ただ困ったような顔をすることしかできずにいた。

 それで、その話は終わっていた。


 ゼミが終わって、教室を出る。

 けれど、タイチが俺を呼び止めていた。


「少し、話せる?」


 断る理由は、なかった。

 いや、応じる勇気も今の俺にはなかったんだ。


「……うん」


 人目の寄り付かないそのベンチに、俺たちは並んでゆっくり座る。

「べつに、無理しなくていいと思う」

「うん?」

「喋り方」


 その一言で、また胸が詰まる。

 タイチには、全てを見透かされているようでもあったんだ。

「そうかな……」

「俺は、前の方が好きだった。それに、アツキが黙ってることのほうが……もっと嫌だ」

 タイチは、眉を寄せて笑っていた。

 友達にそのような顔をさせてしまったことに、思わず俺も同じような顔をした。

「……俺」

 声が、震えた。

 それでも俺は、勇気を振り絞ってこう伝えた。


「気を抜くと、出るからさ……」

「ああ、」

「変だって、思われるから」

「思わない」

 即答だった。

「俺は、思わない。アツキ」

 その言葉が、じんわりと温かい熱を持って広がった。

 けれど、全てを信じるにはまだ怖い。

 しかし、それは拒むには、あまりにも優しい声色で。

「……ありがとう」

 俺はそれだけを言うのが、精一杯でもあったんだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ