夏が終わって俺もおわった
それは、大学三年目の夏休み明けに訪れた。
ゼミの授業を終えたあと、俺たちはいつものように、なんてことのない話をしていたんだ。
古ぼけたエアコンの音と、誰かが引きずる椅子の音が、やけに大きく響いていた。
「それにしても、久しぶりだなー、みんな」
ケンジの声は、いつにも増して明るく軽かった。
「……っていっても、俺たちはバ先で会ってたけどな」
「俺は、旅行してきた。ほら、これお土産」
「おー、ありがとう!」
「さんきゅー!」
小さな箱が机の上を渡って、甘い匂いが一瞬広がる。
俺は曖昧に笑って、そのやりとりを静かに眺めていた。
「それにしてもマサト、焼けたなあ」
「そうかあ?」
「久々に見るもんな。なあ、アツキもそう思うだろ?」
名前を呼ばれて、条件反射で口を開く。
「ほんとだなー、やっとかめだなも……」
あ、と思った。
いや、違うな。
終わったと、直感的に思ったんだ。
――じーちゃん。俺、だめかもしれん。
田舎ものだってことが、バレたんだ。
「……なに、かめ?」
「ぶははっ、どうしたんだよ急に」
「なにそれ、呪文?」
笑い声が、大きくなる。
悪意はないって、わかってた。
だからこそ、胸の奥がじわじわと痛んでいく。
「ごめん、方言でた……」
「どこの?」
「そういやアツキ、どこ出身だったっけ?」
もはや俺に、逃げ場はなかった。
俺を入れて、男五人しかいない不人気なゼミ。
その中心で、俺はただうつむくことしかできずにいた。
何を隠そう、俺はこれまで田舎者だってことを隠して何もないような顔をして過ごしていたのだから。
「まあいいや。今日からお前、亀な!」
「いいじゃん、亀。アツキ、意外とトロいとこあるからなー」
「やべっ、似合いすぎだろ!」
いたたまれなくなって、気付けば俺は席を立っていた。
「……俺、次も講義あるから」
少しだけ、足が震えた。
視線を合わせる勇気がなくて、ただ床だけを見つめていた。
「おい、アツキ……!」
呼び止められたけど、振り返ることができなかった。
次の講義なんて、嘘だった。
ただ、この場から消えてしまいたかった。
廊下に出て、ようやく息を吸う。
それでも、胸はずっと苦しかった。
俺の家は親が転勤族で、これまでいろんな地方を回っていた。
言葉も、そのたびに変わっていった。
なかでも、じーちゃんが住んでいるあの地方の言葉が、俺は一番好きだった。
どこか丸くて、違う国の言葉みたいで。
でも、俺が進学した大学は、大都会の中にあった。
皆がテレビの中みたいな綺麗な言葉を喋っていて、最初は衝撃を受けていた。
気づいたら俺も、皆と同じになれるように堅苦しく真似をしていた。
語尾を削って、抑揚を殺して。少しずつ、都会者に近づいていたつもりでいた。
それなのに。
――たった一言で、全部がおしまいだ。
アパートに帰って、ベッドにぼふんと倒れ込む。
「あー……しくったぁ……」
天井を見上げながら、声に出す。
大好きな漫画と小説を手に取って、いつものように現実から逃げはじめる。
あらゆる作品の中では、方言男子なんて可愛い属性で片付けられるものでもあった。
でも、現実は違っていた。
同じ地域にいれば当たり前で、違う場所に行けば異物になる。
気を抜くと、それはそうそう直らない。
特に、家の中では。
「うん……、うん……、元気しとーよ。かーさんも、気ぃつけてな?」
電話越しのかーさんの声は、俺よりもずっと様々な地域の言葉が混ざっていた。
それが、人と仲良くなる秘訣だと言われたこともあった。
でも俺には、そうは思えなかった。
今日のあの瞬間の、皆の目を思い出す。
明らかに馬鹿にしていたケンジ、変なあだ名をつけたリョウ、それに乗って笑っていたマサト。
――タイチは……。
そこで、ふと思い出す。
タイチだけが、笑っていなかった。
もしかしたら、引いていたのだろうか。それとも、俺の間抜けな言葉に呆れていたのだろうか。
タイチはいいとこのお坊ちゃんで、高級ブランドの服をいつも何でもないような顔をして着こなしていた。
洗練された、都会の男。
だけど性格は優しくて、ゼミの中では、一番話が合っていた。
だからこそ、あの表情が胸に刺さる。
同じ学科であるというのに、途中から編入してきたタイチとは普段の講義はほとんど被った試しがなかった。
ゼミの時間だけが、タイチと話せる唯一の時間でもあったんだ。
俺は、タイチに恋をしていた。
整った顔に、落ち着いた声。俺なんかより背も高くて、密かにモテていた。
でも真面目で、表情の変化が少なくてどこか近寄れないオーラを放っていた。
それでも、タイチはいつでも気さくに俺に話しかけてくれていた。
恐らく、俺たちはまあまあいい友達なんだと思う。
だからこそ、この想いを伝えられないままでいた。
それに田舎者のゲイだなんて、誰が好きになるのだろうか。
でも、そんな恋も今日で終わりだ。
「あー……。実家帰りたい」
実家と言っても、両親が住んでいるのはこの都会だ。
俺がむしょうに帰りたいのは、じーちゃんの家だった。
古くて小さくて、昔は汲み取り式のトイレなんかがあって。
よく縁側で、一緒に昼寝をしていたあの家に。
「アツキ、よーきたなぁ。菓子こうてきたで、たべやぁ」
そう言って笑う、じーちゃんの顔が浮かぶ。
じーちゃんは、俺がゲイだってことを知っていた。
俺が唯一、なんでも話すことができる存在でもあったんだ。
じーちゃんも、同じだったから。
昔は、じーちゃんはばーちゃんと結婚するしかなかったらしい。でも、それでも幸せだったと笑っていた。
「そうしんと、アツキに会えんかったからなぁ」
今、じーちゃんは入院していた。
もう、長くないのかもしれない。
最後に会ったときは大学に入学する前で、俺は彼氏を見つけてみせるって約束をしていたんだ。
できたら、会わせてあげたいとも思っていた。
でも、いくら都会人を装っても、俺の性格までは変わらなかった。
小心者で、いつも誰かの目を気にして、大事なところで黙ってしまう。
ベッドの上で丸くなって、目を閉じる。
俺の大学生活はまだ終わっていないはずなのに。
なぜだか、なにかが静かに終わってしまったような気がしていた。




