探し物(上)
龍次さんは、Xに上げる写真を撮る。
動画を公開する時
「次回のYouTube動画は5月21日(火)19:00に公開します。
今回はミックス犬、涼里(♀)とおっさんが天橋立へ行ってきました。
涼里VSタヌキの対決(勝負にならず逃走…)の映像もあります。
ぜひご覧ください!
チャンネル登録もポチっと(^^)」
と告知ポストを投稿するのに、涼里の写真を使うのである。
みんなは、涼里はミックス犬の成功の典型だと言う。
だから、龍次さんは動画の最後で必ずアトレーの窓を開けて、涼里にハーイをさせる。
凉里はできるだけ楽しそうに口でハアハア息をしながら、生まれつき白い手袋をつけた右手を挙げる。
始めのころはこれができると豪勢なおやつがもらえたが、最近は「凉里、よしっ」と言うだけである。
この動画に、龍次さんは
「ありがとう、天橋立。また来ます」
とテロップを入れる。
そして「かわいいー」と言って握手をしようとする地元の子どもと大人たちが映る。
龍次さんのチャンネル登録者は1792人である。
この間まで1911人だったが減った。
登録者は割と大きく増減する。
女の子から「いつも楽しみにしています」というコメントがあると、今年四十六歳の龍次さんは大喜びである。
いい年をしたおじさんの承認欲求が、涼里にはわからない。
車中泊グッズの紹介もしているが、収益にはならない。
龍次さんは自動車製造会社のマシンオペレーターなので、給料はいい。
黒のアトレーを車中泊用にDIYして、釣りのためには涼里を乗せて北海道にも行く。
普通車からわざわざ乗り換えたお気に入りのアトレーの住み心地をよくするためにはお金を惜しまないが、住んでいるのはお母さんの実家の古い家屋である。
一人暮らしだったお婆ちゃんが施設に入所したので、家に風を入れるためと、どうせ家賃を払うのならお婆ちゃんの家を借りて小遣いにしてあげようと思うからある。
お婆ちゃんは、今でも龍次さんがお見舞いに行くたびに小遣いをくれる。
時々果物やお花を持って行くけれど、会社からもらった家賃をちゃっかりお婆ちゃんから返してもらっている形である。
ここから山野工業までは四十分かかるけれど、おじさんなので峠道は平気である。
むしろ、がたがたいう山道を愛車で走るのは趣味なので通勤時間は楽しみな時間らしい。
休みの日には友達と飲みに出かけたり、若い子ばかりの交流会に一人だけ破格の会費を出して参加したりする。
活動的なので家でいる時はせっせと洗濯や掃除をして、夜中に帰っても必ず涼里の散歩はする。
時々、狸と出くわすので暗くなってからの散歩はしたくないのだが、龍次さんは律儀な飼い主なのでそこはさぼらない。
酔っぱらってふらふらしていて、こんな山道で転んだらどうするのだろうと心配になる時もある。
その時には、あの嫌なことを言った声の大きなおばさんの家へ駆け込むことにしている。
しかし、お酒を飲むことは悪いことではない。
旅は体の居場所を変えてくれるけれど、お酒は心の向きを変えてくれる。
穴掘りと同じだ。
凉里はここへ来た年の秋、どこをどう通って家の庭で洗濯物を干している龍次さんに水を飲ませてもらったのか覚えていない。
黄泉平坂からしとしと水の滴る洞門へ入って、そのうちあの美人の白毛のお母さんの産道を抜けて来た時みたいに真っ暗な穴へ落ちて、ぎゅうぎゅう言いながら押し出されてほとんど意識がなかったのである。
龍次さんは独身なので、山の中の家で凉里にひとりで留守番をさせるのが可哀想で、新しい飼い主を探してくれた。
そのうちに角のお婆さんの甥のIT企業の社長が涼里を見て、白いソックスを履いた優美な足に魅せられた。
可愛いなあ、飼いたいなあ、と繰り返し言う。
お婆ちゃんはイビサのお土産を持ってきた自慢の甥に付きっ切りで、涼里がミックス犬にしてはお行儀がよく賢いことを話したが、涼里は知らん顔をしていた。
大急ぎでお福ちゃんのところへ帰らなければならないのだから、若くて長生きをする人は困る。
龍次さんはもう若くないし、優しい人なので涼里は龍次さんに決めたのである。
龍次さんは自分が飼うと決めた時、凉里にどんな名前がいいかと聞いた。
うーうーうぃーと龍次さんの目を見ながら鳴いただけなのに、龍次さんは
「そうか、うーうーうぃーか、涼里だな」
と言って、役場で正確に「涼里」と登録してきた。
そして、アウトドアショップで買ってきた赤いハーネスとリードを庭で装着してくれていた時、あのおばさんが通りかかったのである。
その人は、涼里が生まれた時から履いている白い手袋とソックスを見て
「龍ちゃん
その犬は縁起が悪え、とえって人が嫌う犬だ。
脚に白え足袋を履えちょーだらー。
お坊さんと一緒だがね。
いけんよ」
と言った。
龍次さんは軽く
「ええ」
と返事をして、涼里の脚を持ち上げてハーネスを通した。
知らなかった、涼里にはそんなたいへんな欠陥があったのだ。
これからどうなるのだろうと心配したけれど、龍次さんは全然気にしていなかった。
そう言えば、お福ちゃんの家にいた時も
「お父さんがダムで危ない仕事を頑張っとるのに、そがいな犬を飼うてはいけん」
と言ったおじさんがいた。
お福ちゃんのお母さんは
「じゃが、あの人が気に入って拾うてきたんじゃ。
帰ってきて、もしこの犬がおらんかったら叱られるけぇ」
と、やっぱりやんわりと返した。
年が明けて、凉里がここへ来て五年目になった。
涼里と別れた時、お福ちゃんは六歳になったばかりだった。
来年の夏には満十二歳になるのだから、ルビーの指輪を買って十三参りに連れて行ってあげなくてはならない。
とにかく一度帰らければ、とこのところ涼里は気が急いている。
そんなある朝、お婆ちゃんが入所している施設から電話があった。
お婆ちゃんが、たった今亡くなったのである。
今週の火曜日には四十九日の法要がすんで、龍次さんのお父さんとお母さんと一緒にお骨を納めに行った。
丸山のお墓からは、尾根道の桜色の帯が見えていた。
山の中腹に、墓守のお爺さんの小屋が見える。
それで、あの夜穴に落ちた後、墓守さんの小屋の前を通ったことを思い出したのである。
あれは、旧暦九月一日の月のない夜であった。
次の日は、朝から丸山を見上げてつくづくと考えた。
去年の秋、龍次さんの父方のお爺さんが氏神様のどぶろくを提げて遊びに来たことがある。
御用商人の末裔で、地元の銀行の支店長だった人だ。
龍次さんによく似た精悍な顔立ちで、見るからに常人とは一線を画す。
水石愛好家で、島根の地質遺産のことになると力が入って人相が変わった。
その夜は、龍次さんと地球物理学者の松山基範博士が発見した「松山逆磁極期」について話した。
160万年前の火山噴火によりマグマが噴出してできた玄武岩から、258万年前から78万年前頃の地球磁場が現在と逆向きだったことを発見したいうのである。
その強い磁場を帯びた玄武岩が島根には点在していて、方位磁石が狂うことがあるという。
あの日、涼里は煙草屋のおじさんから渡された郵便物の中の方位磁石と地図を持って、山道から黄泉平坂に入った。
ところが、凉里は道を間違えたのである。
その日から涼里は、龍次さんが眠ったら、一度墓守さんの小屋の裏山へ行ってみようと思うようになった。
怖がりで、龍次さんが寝ようとしているのを見ると大急ぎでおしっこを済ませて小屋の中へ引っ込んでしまって、どんなに風が吹いて小屋の前で物が飛ぼうが、側で猫の喧嘩が始まろうが、夜は絶対に小屋を出ないと決めている涼里にしては大変な勇気である。
しかし、今夜こそ今夜こそと思っているうちに、もう朝夕は秋風が吹くようになった。
そこここの田んぼで稲刈りが始まり、山の一年は終わろうとしている。
そこで、今夜は月が明るいので思い切って出かけることにしたのである。
そうでなくてもお墓のそばを通るのは怖いのに、裏山の洞から風がごうごう鳴る音が聞こえる。
墓守さんの小屋は、まだ板戸の隙間からちらちらと明りが漏れている。
その前を過ぎて直ぐに折り返し、山道を登った。
三百メートルほど歩くと、月明かりの下にくっきりと洞の入り口が見えた。
涼里は、それを確認すると昼間に出直すことに決めて引き返した。
そして、来る時に道の穴ぼこに落ちて挫いた左手をかばってぴょんぴょん跳ねながら帰っていた時、丸山の東側の田んぼに一面に立つ巨人のようなヨズクハデを見たのである。
あんまり驚いて背丈よりも高く飛び上がったので、落ちた時に痛めた左手を打った。
あまりの痛みに、立ったまましばらく気を失っていた。
上津綿津美と上筒男の二柱の海神が、温泉津の日祖海岸に流れ着いて、水上山の山麓に鎮座されたのは稲刈りの季節である。
台風で稲架が倒れて村人が困っているのをご覧になった二柱の神様は、稲架を方錐に組むように教えられた。
そのとおりに稲を架けるとヨズク、龍次さんはフクロウが鳴き始めると「あれ、もうヨズクが鳴いてるな」と言って寝る用意を始めるが、そのヨズクが羽を畳んだように見えるのでヨズクハデと言う。
高さが五、六メートルもあって、それが月明かりの下に林立しているのだから涼里の驚きは大変なものであった。
それから涼里は、龍次さんが遅番に出て行く火曜日の昼前と、やはり遅番で帰りが遅くなる金曜の夕方に、必ず墓守さんの小屋の裏の黄泉平坂にでる洞へ行く。
ひいやりとする洞の入り口には、夏の初めになっても一面に蕨が生えていた。
お福ちゃんは、お母さんが短冊に切った油揚げと一緒に蕨を炊いたのが何より好きだった。
そこで、涼里は二十本ばかり折って咥えて家へ帰った。
この町は雨雲の通り道になっているので、山を降りるとまたザッと降ってきた。
ほんの十分ほどで止んだが、雨脚が強いので毛の芯まで濡れた。
朝から曇って気温が上がらない山の雨は冷い。
家へ帰っても「つーずー」と言って駆け寄ってくるいるお福ちゃんがいなかった。
三和土に蕨をおいてゴロゴロしていると、日が長いのでまだ薄明るい七時半に龍次さんは帰ってきた。
「涼里、今頃どこでこんな大きな蕨を摘んできたんだ」
と言って覗き込む。
涼里はしまったと思って、訳が分からないふりをして後ろ脚で頭をかいていた。
今日の昼は、洞の奥からたくさんの子どもの声が聞こえた。
あの町は標高が高いので、今週辺りが桜の見頃なのだろう。
幼稚園の遠足か何かで子どもたちがすぐ近くへ来ているのに違いない。
やはりあの洞の向う側は、いつもお福ちゃんのいる町に繋がっていて、子どもたちがあの近くまで来て遊んだりしているのだ。
だからもし、お福ちゃんが洞から「つーずー」と言って泣きながら転げ落ちてきたら、あのヨズクハデが架かっていた田んぼの脇の道具小屋へ隠すと決めた。
お蔭で、こんな土地なのでこの辺りには落穂なんていくらでもある。
小屋にあった水煮の筍の空き缶の中には、もう下から二センチほど落穂を貯めてあった。
お福ちゃんの大好きな柿だって、この町にはたくさんある。
涼里は少し背は低いけれど、木に体当たりしたって飛び上がったって、落として取ってあげる。
お福ちゃんが訪ねてきたら、食べる分は涼里が運んであげるのである。
龍次さんは、朝早くから車に荷物を積み込んでいる。
またいつもの温泉に入って、あの川のそばの大正モダンを売りにした喫茶店でナポリタンとクリームソーダを注文するのだろう。
あの店のレース模様のテーブルカバーは、まるで焼肉屋みたいにペタペタしている。
龍次さんがいつも座る席の後ろの窓枠には、金子千尋の首振り人形と十センチのクリスマスツリーがある。
夜は酒場になる店は、モーニングセットが三百五十円なのだから掃除が行きとどかないのは仕方がない。
いつも来ているお爺さんがいて、テーブルの上に競艇新聞を開いて、店の入り口の濁ったピンク色の公衆電話の横に置いてある広告の裏紙とボールペンを取ってきて、何かを書く。
ママは龍次さんを「龍ちゃん」と呼ぶ。
「龍ちゃんみたいに優しい子に買われて、その犬は幸せやわ」
などどお世辞を言うくせに、犬にはめっぽう厳しい。
一度も、涼里に可愛いと言わない。
別にいらないが、茹でキャベツの切り屑をくれたこともない。
店の表には
「モーニング 350円
トースト、サラダ、ゆで卵、フルーツ、コーヒー」
と書いて貼ってあるあるくせに、いつも茹でキャベツと薄切りの大根二枚にドレッシングをかけたのが出てくる。
フルーツに至っては、十六分の一の林檎の茶色に変色したものである。
ゆで卵はうまい具合に半熟なのだけれども、それが温かくなくてすっかり冷たいのだからお腹を壊さないかと心配になる。
この店で龍次さんは、いつもナポリタンとクリームソーダを注文する。
1450円の食事をする龍次さんは上客である。
ママが
「あらぁ、龍ちゃん。久しぶりー」
とねちっこい声を出すと、龍次さんはほっとした顔をして笑う。
それから涼里を車に残して、長いこと温泉に入る。
出てくると、浜の食堂の駐車場へ移動する。
目の前が海である。
釜揚げ白子丼を食べて、主人に夕食を頼んだら、車に戻って窓を全開にしてひと眠りする。
潮の匂いがする。
それから夕方まで、泳いだり磯釣りをする。
時には釣った魚を食堂で捌いてもらったり、砂浜でバーベキューをしながら、二三日過ごすこともある。
食堂の主人は龍次さんの同級生のお兄さんで、同じ工業高校の野球部のOBなのであった。
そんなことを思っていたが、今日は小学校の前で東へ曲がった。
この様子では今日は遠出をして、どこか星のきれいな山の頂にでもテントを張って寝るつもりのだろう。
龍次さんはマッチョなので、一緒にいると涼里は安心である。
龍次さんは七月になると仕事が暇になるので夏季休暇を取った。
一晩で一冊読み終えてしまうくらい好きな松本清張の「砂の器」に出てくる亀嵩駅を訪ねるつもりなのだ。
ブルーレイで亀嵩駅のホームの端で
「父ちゃーん」
と泣き叫ぶ子どもの姿を見た時、立派な父親の下でのんびりと育った龍次さんは翌日からの三連休を寝込んでしまうほど滅入ってしまった。
いい人なのである。
インターネットで見つけた亀嵩駅の駅舎内の蕎麦を食べようと、楽しみにして朝食抜きで出発したが、火曜日は定休日だった。
おまけに映画で見た給水塔はなくて、ホームも単線である。
それでも龍次さんは駅の周辺を一回りして、ホームへ出てしばらく遠くを見つめてから、大阪の方を向いて数枚の写真を撮った。
後で調べると、撮影に使われたのは亀嵩駅と同じ、JR西日本で一番標高が高い地点を走る木次線ではあるが、八川駅だった。
ホームの撮影には出雲八川駅を使ったそうだから、感じが違うはずである。
それから、龍次さんは目が回るような高いところをぐるぐる回る奥出雲おろちループを走った。
名前が嫌だ、凉里なんか一飲みである。
助手席の窓に立って渓底を見ていると、一面の瑞々しい緑に吸い込まれそうになる。
食べ損なった蕎麦を食べるため、道の駅へ行くのだ。
これは熊が出るな、と涼里は思った。
だが駐車場に着いた龍次さんは、すぐに凉里を下して景色のいい橋の上まで歩いた。
向かいの山が目の前にあるので、ここの標高の高さがわかる。
肉そばを食べ終わると、龍次さんは四十代なのだが五十肩なので
「さあ、凉里、肩こりに効く温泉へ行くぞ」
とブンブン肩を回しながら言って、出発した。




