第十一話:死神との面会
『コンペの件、桐谷に相談。あいつも、同じ壁にぶつかっていた』
佐伯翔が遺したその短い一文は、未央の中で、これまでのもやもやとした疑惑を、氷のように冷たい確信へと変えた。
橘陽菜が次に狙う桐谷海都は、単なる気まぐれで選ばれた、新しい創作のテーマなどではない。
彼は、最初の事件に繋がる『証人』なのだ。
佐伯翔が、アノニマスの正体と、その才能が抱える『壁』について、唯一相談していた相手。陽菜の完璧な物語における、最後の、そして最大級の『ノイズ』。
陽菜は、彼を殺す。
芸術のためだけではない。自らの完全犯罪を守るために、彼を『処理』する必要があるのだ。
未央の背筋を、今までとは比較にならないほどの恐怖が駆け上った。これは、もう自分の手には負えない。すぐに警察に……いや、ダメだ。このノートだけでは、警察は動かない。状況証拠にすらならない。
ならば、自分が動くしかない。
桐谷先輩に、直接会って、警告を……!
しかし、どうやって? 『あなたは殺人鬼に狙われています』と、誰が信じるだろう。陽菜に知られれば、自分も桐谷先輩も、その瞬間に殺される。
未央は、ジャーナリストの卵としての、けして得意ではない『演技』をすることを決意した。
◇
その日の昼、アノニマスのアカウントに、一枚の画像が投稿された。
それは、金色のトロフィーが砕け散り、その破片から黒い茨が伸びている、という不気味なイラストだった。添えられた言葉は、ただ一言。
『芸術は、富に仕えず』
学園は、三度目の熱狂と恐怖に包まれた。誰もが、それが先日デザインコンペで最優秀賞を受賞した桐谷海都への『死の予告』だと理解した。彼の周りからは、蜘蛛の子を散らすように生徒たちが消え、彼は第二の、第三の高村沙織となった。
(陽菜……あなた、わざとやっているのね)
未央は、陽菜の意図を正確に読み取っていた。これは、単なる犯行予告ではない。桐谷海都を社会的に孤立させ、誰の助けも得られない状況に追い込むための、周到な下準備だ。そして、その犯行を『神の粛清』として、大衆に納得させるための、巧みな劇場演出。
陽菜のサイコパスとしての側面は、もはや芸術の域に達していた。
未央は、震える脚に力を込め、孤立無援となった桐谷海都の元へと向かった。
「桐谷先輩、少し、お話よろしいですか?」
◇
「君が、広瀬さんだね。話は聞いてるよ」
放課後の誰もいない中庭のベンチで、桐谷海都は、やつれた顔に無理やり人懐こい笑みを浮かべてみせた。
「学校新聞の取材だっけ。こんな時に、物好きだね」
「はい。先輩の功績を、きちんと記事にしたくて」
未央は、ボイスレコーダーのスイッチを入れると(それは陽菜へのポーズであり、桐谷への牽制でもあった)、当たり障りのない質問から始めた。受賞した時の気持ち、ロゴデザインのコンセプト。桐谷は、淀みなく、模範解答のように答えていく。
未央は、焦れていた。陽菜が、いつ、どこで見ているかわからない。
「先輩は、以前、絵画科にいたこともあるんですよね?」
核心へと、慎重にカッターで切り込みを入れるように、話題を変えた。
「ああ、昔の話だよ。僕には、あっちの才能はなかったみたいだ」
「佐伯翔くんとは、その頃からのお友達だったとか」
「……翔と?」
桐谷の表情が、初めて曇った。
「あいつは……まあ、腐れ縁、かな」
「彼が亡くなる前、何か相談を受けていたりはしませんでしたか? 例えば、コンペのこととか……〝壁〟のこととか」
その言葉を口にした瞬間、桐谷海都の顔から、すべての表情が抜け落ちた。
人懐こいスターの仮面が剥がれ、そこにいたのは、何かにひどく怯える、一人の青年の顔だった。
「君は、どこまで知っているんだ……?」
彼の声は、低く、震えていた。
「翔は、亡霊に取り憑かれていたんだ。この学園にいる、正体不明の亡霊に。あいつは、その亡霊を救おうとして、逆に食い殺された。君も、これ以上関わるな。殺されるぞ」
「亡霊って……アノニマスのことですか!? 先輩は、何か知って……」
未央が、さらに問い詰めようとした、その時だった。
ピロン、と軽い電子音が鳴った。桐谷のスマートフォンが、メッセージの受信を告げた。
彼が、訝しげに画面に目を落とした瞬間、その顔が蒼白になった。血の気が、完全に引いている。
「……嘘だろ」
彼は、まるで呪われたものを見せるかのように、震える手で、その画面を未央に向けた。
DMの通知。送り主は、『Anonymous』。
そして、そこに表示されていたのは、今まさに、このベンチで向かい合って話している、自分と桐谷の姿を、少し離れた校舎の窓から盗撮したとみられる写真だった。
写真の下には、短いテキストが添えられていた。
『面会は済んだかな?』
『最終的な習作のための面談は、すぐに始まる』
陽菜は、見ていた。
最初から、ずっと。この面会も、すべて彼女の脚本通りだったのだ。
未央の思考が、恐怖で停止する。
神に成り代わった悪魔は、すぐそこにいる。
そして、その悪魔は、最後の仕上げのために、静かに筆を構えようとしていた。
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