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婚約破棄された令嬢にガツンとダメ出しする平民の娘のお話

「こらアンギール! あんた何をしているのっ!?」


 とある田舎町の路地裏で、ルデーナの声が響いた。

 茶色の髪に茶色の瞳。飾り気のないワンピース。ちょっと勝気そうな目とそばかすが目を引く。ルデーナはつい先日、15歳になったばかりの平民の娘だ。

 彼女の指さす先には幼馴染の少年、アンギールがいる。ルデーナと同い年で、年齢の割にはがっしりとした身体つきをしている。その太い手が見慣れない赤毛の女の子の細腕をつかんでいた。

 その近くではアンギールの妹のミルディエが心配そうに見上げている。まだ10歳になったばかりの彼女では兄の暴走を止められない。

 

 子供同士のけんかなんて珍しくはない。でも男の子が女の子の腕をつかむとはいただけない。今にも殴りかかりそうな雰囲気すらあるとなれば、ルデーナとしては止めないわけにはいかなかった。


「女の子にそんなことしていいと思ってるの!?」

「だってこいつが……」

「だっても何もない! いいからその手を離しなさい! そうしないと、あんたの母さんが大事にしてた植木鉢をあんたが壊したってばらすわよ!」

「そ、それは黙ってくれる約束だろ!?」

「あんたが先に『女の子に手を上げない』って約束を破ったんでしょ! 忘れたとは言わさないわよ! さあどうするの!?」


 ルデーナとアンギールはしばらくにらみ合っていたが、先に根負けしたのはアンギールの方だった。彼はチッと舌打ちすると手を離した。

 赤毛の女の子はルデーナの後ろに逃げ込むと縮こまってしまった。相当怖かったようだ。

 

「でも……女の子に手を上げようとするなんて珍しいわね。何があったの?」

「そいつ『友達の友達のいとこの友達』の肩を持つんだ! 怒るのも当たり前ってもんだろ!」


 アンギールの言葉を聞いて、ルデーナはため息を吐いた。

 『友達の友達のいとこの友達』とは、この辺の土地だけで通用する言葉。婚約破棄された伯爵令嬢カヌセーラ・マーチタスカを意味する隠語なのだ。

 

 

 

 この町を含む一帯を治めるマーチタスカ伯爵。その伯爵の一人娘、カヌセーラ・マーチタスカ。

 しっとりとしたダークブラウンの髪。落ち着いた深い緑の瞳。抜けるように白い肌に、儚げな顔だち。人の訪れない深い森の奥にある静かな泉のような、物静かで美しい令嬢だった。

 

 カヌセーラは内気で無口で、どこか物憂げな空気を纏う令嬢だった。きらびやかな美しさがよしとされる貴族社会においては、地味で目立たない令嬢だった。

 

 そんな彼女も年頃となり、婚約相手が決まった。

 伯爵子息アルガナート・エースダント。最近その力を伸ばしてきたエースダント伯爵家の第二子だ。あざやかな金の髪に青い瞳を持つ彼は、貴族の社交界でも名前の挙がることの多い美男子だった。その彼がカヌセーラのマーチタスカ伯爵家に婿入りするという形での婚約となった。

 

 歴史あるマーチタスカ伯爵家と勢いのあるエースダント伯爵家のつながりは、両家に繁栄をもたらすことが期待された。

 しかし、伯爵子息アルガナートは婚約相手カヌセーラのことが気に入らなかった。その優れた容姿で人気のある彼は、外見は美しくとも物静かで内気な婚約者のことを疎んでいた。

 やがてアルガナートはカヌセーラより明るくより優秀な令嬢の心を射止めた。そしてカヌセーラに対して婚約破棄を突きつけた。

 婚約破棄を突きつけられるという不名誉によってマーチタスカ伯爵は勢力を落とし、その領地も不景気に見舞われることとなった。

 

 これらの事情は瞬く間にマーチタスカ伯爵領に暮らす人々の間で広まった。だが実のところ、真偽のほどは定かではない。貴族社会というものはそこまで開放的ではなく、平民が知ることのできる情報は限られている。

 婚約破棄は学園の夜会で宣言されたとか、伯爵子息アルガナートは他にも5人の愛人がいるだとか、伯爵令嬢カヌセーラが浮気相手を刺したとか……様々な流言飛語が飛び交っている。

 

 それでも相手方から一方的に婚約破棄をされ、マーチタスカ伯爵家が名を落としたのは本当のことだと、領民たちは知っていた。

 

 貴族社会で立場が弱くなると、目ざとい商人が手を引き始める。そうすると物流が滞り、物価が上がっていく。

 立場が弱くなった貴族は他の貴族からの援助が得られなくなる。そんな貴族を相手にする金貸しなどめったにいない。資金難に陥ればますます没落の道を転がり落ちることになる。だからそういう時、貴族はまずは自分の領民から金を搾り取ろうと増税を課す。

 

 それらのことが積み重なり、領地は不景気に見舞われる。暮らし向きの悪くなった人々はその理由を求め、そして貴族の凋落を知るのだ。

 

 自分たちに落ち度はないのに貴族の事情で生活が苦しくなるのは、領民にとっては理不尽なことだ。かと言って封建制度のこの王国で領主の立場は絶対だ。伯爵お抱えの騎士団に立ち向かうのは容易なことではない。

 それでも日々苦しくなる暮らし向きに、人々の不満は溜まっていった。そんな中、誰かがこんなことを言いだした。

 

「これは『友達の友達のいとこの友達』の話なんだけど、地味な娘でねえ。地味すぎて結婚相手に逃げられたって言うのよ。まったく情けないったらないわよね!」


 『友達の友達のいとこの友達』とはつまり、伯爵令嬢カヌセーラのことだ。領民である以上、領主の娘を名指しして悪口を言うことなど許されない。街を巡回する騎士に聞かれれば、鞭打ちぐらいは覚悟しなければならない。

 だが『友達の友達のいとこの友達』の話ならば言い訳はできる。騎士団はいい顔をしないが、彼らも領民が不満をため込んでいることは分かっている。そのはけ口になるのならと、大目に見てくれる。

 そうしてマーチタスカ伯爵領の人々の間で、『友達の友達のいとこの友達』の悪口を言い合うのが大流行した。

 

 

 

「どう、落ち着いた?」

「はい……あの、ありがとうございました」


 ルデーナが声を掛けると、少女はきちんと頭を下げてお礼した。

 少女を連れてきたのは街の一角の小さな広場だ。付近で暮らす者の多くは、町はずれの製材所に勤めている。昼下がりの今ぐらいの時間はほとんどの者が働きに出ており、子供が立ち話していても見とがめられることはない。

 ルデーナは赤毛の少女をわざわざここまで連れてきた。そのまま帰してもよかったが、少し気になることがあったのだ。

 

「あたしはルデーナ。あんたはなんて言うの?」

「わ、わたしはベルイエといいます。さきほどは本当にありがとうございました、ルデーナさん」

「さんはいらないわよ、バカ丁寧で気持ち悪い。ルデーナでいいわよ」

「はい、ルデーナ……」

 

 ベルイエはきちんと姿勢を正してお礼を言った。頭を下げる所作も実に丁寧で、どこか優雅さを感じる。

 顔立ちは並。赤毛の髪はそこそこ綺麗。年のころはルデーナと同じくらい。その顔にはどこか大人びた陰がある。なんだか辛気臭い感じがする。

 それらのことは別に珍しいこともないが、この妙な礼儀正しさはただの平民の娘とも思えない。服も簡素なワンピースに見えて、こうしてじっくりと見ると仕立のよいものだとわかる。

 じろじろ見ていると、ベルイエは居心地悪げに目をそらした。


「あの……その……なんでそんなにじっと見てるんですか?」

「いや、この辺じゃ見かけない子だと思って」

「えとあの……父は商人で、この町には行商で初めて来たんです」

「ふーん」

 

 商人といってもただの商人ではないだろう。地味な服を着ているのはトラブルを避けるために違いない。でも付き人を連れていないということは、そこまで金持ちというわけでもないかもしれない。ルデーナは中流の商人の娘だとあたりをつけた。

 もっと突っ込んで聞きたいとも思ったが、そう簡単にしゃべったりしないだろう。警戒させるだけだ。

 それよりルデーナは聞きたいことがあった。


「それで、『友達の友達のいとこの友達』の話でアンギールを怒らせたって言うけど……どんな話をしたの?」

「え……聞きたいんですか?」

「ええ、興味があるわ」

「でも、ルデーナもお気を悪くされるかもしれませんよ……?」

「あたしはガサツなアンギールとは違うから大丈夫よ。さあさあ、話してごらんなさい!」


 ちょっとお金がありそうな商人の娘。それが『友達の友達のいとこの友達』についてどんな風に語るのかルデーナは知りたかった。

 『友達の友達のいとこの友達』については周りのみんなとは悪口を言い尽くして飽きが来ていた。そろそろ新しいネタが欲しいと思っていたところだったのだのだ。

 ベルイエはまだ渋っていたが、ルデーナに促され、やがて少しずつ話し始めた。


 

 

 

 カヌセーラは婚約者と不仲だった。しかし実は嫌っているのはアルガナートだけで、カヌセーラ自身は初めてできた婚約者を愛していた。彼が他の令嬢たちと親しくするのが悲しかった。

 しかし彼女は内気で口下手で、面と向かって文句を言うこともできなかった。だから手紙をしたためた。浮気はやめて欲しい、あなたの好みになるよう努力しますと、何通も手紙を送った。

 そんなカヌセーラの訴えに対して、アルガナートはますます彼女を疎むようになった。

 それでもカヌセーラは彼を愛する気持ちを失わなかった。貴族の婚姻が簡単に崩されることはない。結婚すれば最後に彼の隣に立つのは自分だと、辛い気持ちを抑え込んで耐え続けた。

 しかしそれは無意味なことだった。アルガナートはカヌセーラより美しくて裕福な貴族令嬢の心を射止めた。

 貴族の婚姻は利害関係を重視する。カヌセーラは恋敵に対し、貴族令嬢としての価値で負けていた。一方通行の愛だけで婚約相手をつなぎとめることなど不可能だった。

 そしてカヌセーラは婚約破棄を突きつけられた。




「『友達の友達のいとこの友達』は自分の恋を最後まであきらめなかったのです。彼女はどうすればよかったと思いますか……?」


 ベルイエはそう話を結んだ。

 話を聞いたルデーナは、深々とため息を吐いた。

 

「なるほどねー。アンギールが怒るわけだわ」

「何か、心当たりがあるのですか……?」

「あいつの家の先祖って、昔はけっこう名の通った剣士だったらしいの。けっこう立派な剣を大事に受け継いでて、アンギールも大人になったら俺の物になるって自慢してたんだけど……税金が上がったせいで売り払っちゃったのよね。だからあいつは『友達の友達のいとこの友達』が大嫌いなのよ」

「そうだったんですか……」

「別に珍しい話じゃないわよ。地主のファーマラさんは増税のせいで土地をいくつか売らなきゃいけないって酒場で荒れてたらしいわ。あの人、土地の開墾で苦労したってお酒を飲むたびに話してたぐらいだからね。

 羊飼いのラムマトさんは大事に育てた羊を何頭か手放すことになって泣いてたって話よ。羊のことを自分の子供みたいにかわいがって、いつも自慢してたのよ。うざったいと思ってたけど、こうなるとちょっとかわいそうよね。

 お隣のアーペラお姉さんも遠くの街の娼館に身売りしたわ。お隣さんはけっこう借金してて、今回の増税がトドメになったらしいわ。アーペラお姉さんがたまに焼いてくれるリンゴパイが大好きだったけど、もう食べられなくなっちゃったのよね……」

 

 そこまで行ったところでルデーナは一旦言葉を止めた。

 ベルイエがひどくつらそうな顔をしていたからだ。伯爵令嬢カヌセーラの肩を持つ彼女には嫌な話なのだろう。

 

「まあそう言っているあたしも、最近はちょっとお給金の高めの仕事をすることになったりしてさ。まあどこも大変なのよ。だから『友達の友達のいとこの友達』がかわいそう、なんて話をしたら、怒るのも無理ないわ」


 ベルイエは暗い顔になった。もともとどこか暗い陰を纏っていたが、今はまるで葬式に行くみたいな顔をしている。


「あなたもやっぱり、『友達』が悪かったと思うんですか?」

「悪いって……一番悪いのは、なんてったって婚約相手の男よ。浮気したクズなんて、とっとと地獄に落ちればいい! あの男が他の女に言い寄ったりしなければ、こんなことにはならなかったのよ!」


 それはこの町の住人も誰もがわかっていることだった。

 それでも伯爵令嬢カヌセーラに文句がいくのには理由がある。


「でも、『友達』にも悪いところはあるわ。婚約相手は浮気者のクズなんだから、とっとと見切りをつければよかったのよ。婚約者の浮気を理由に『友達』の方から婚約解消してれば、この辺が不景気になることもなかったって聞くわよ」


 領地を治める領主は領民の生活を守らなければならない。その観点からすれば、伯爵令嬢カヌセーラは自分から動くべきだった。浮気と言う重度の高い瑕疵を理由に婚約解消を申し出れば、賠償金を取ることだってできたかもしれない。

 だが実際は、婚約者アルガナートに機先を制され、ほとんど一方的に損害を被ることになった。

 伯爵令嬢カヌセーラの行動に隙があったこと。そして彼女は内気で気弱という評判で、悪口を言ったところで仕返しされることもなさそうだということ。それらのことから、この領地での悪口の矛先は『友達の友達のいとこの友達』に集中したのだ。


「みなさんそうおっしゃいます……やはり『友達』は恋など諦めて、自分の立場をわきまえた行動を取るべきだったんですね……」


 ベルイエは葬式を通り越して死人みたいに暗い顔になってしまった。

 伯爵令嬢カヌセーラの過ちを自分のしたことのように悲しんでいる。

 

 そのときルデーナはふと、あるおとぎ話を思い出した。

 それは魔法使いに魔法をかけられた王女様が、平民の姿になってしまうというものだ。平民の姿となった王女は街に繰り出し、様々な騒動を引き起こす。そのおとぎ話のヒロインと、目の前のベルイエを重なって見えたのだ。


 ……まさかベルイエは、魔法で姿を変えた伯爵令嬢カヌセーラ!?

 

 そんなバカな考えが脳裏をよぎった。

 確かに貴族は魔法が使えるという。でも伯爵と言えば、貴族の中でも上の方だと聞いている。その令嬢が魔法で姿を変えて自分自身の噂話を聞いてまわるなんて意味が分からない。まして付き人の一人も連れていないおよそあり得ない。

 でも、それならなんで、ベルイエは自分のことのように悲しんでいるのだろう。

 

 そこでルデーナは閃いた。どうやらこのベルイエは結構裕福な商人の娘のようだ。きっと婚約者といざこざがあったのだろう。それで伯爵令嬢カヌセーラと自分の境遇を重ね合わせているに違いない。

 ならばあのネタが刺さるかもしれない。そう思うと、ルデーナはすぐさま行動に移した。

 

「でも、世間の大人たちはわかっていないわ! 『友達』は正しい! 嫌われても疎まれても、愛する人を最後の最後まで信じ続けた! それってとっても素晴らしいことよ!」

「ええっ……!? 何いきなりを言っているんですか? 本当にそんなことを思っているのですか?」


 突然の話の方向転換に目を瞬かせるベルイエ。そんな彼女の驚きぶりに気を良くしながら、ルデーナは調子よく話を続けた。

 

「本当に決まっているでしょ! 大人や男の子にはわからないことだけど、女の子が最も大事にしなければいけないのは恋する心よ! 愛は魔王すらも打ち倒すって、いくつもの物語でも言われてるわ! 恋こそ最強! 愛こそ無敵! 恋と愛に生きてこそ女の子ってものよ!」

「これまで何人も話を聞いてきましたが、そんな風に言ってくれた人は初めてです……!」

 

 ベルイエは感動に打ち震えていた。休みの日に教会の説法に聞き入るご老人のように目を輝かせていた。

 この子も恋にかまけて、いろんな人から叱られたんだろう。ちょっとかわいそうになってきた。でも構わずルデーナは続けた。


「恋に生きた『友達』は正しい! でも彼女にも、ひとつだけ間違いがあるわ!」

「そ、それはなんですか……?」

「それは……恋に破れた後、すぐに次の恋に移らなかったことよ!」

「……え?」

「とっととクズ男のことなんて忘れて、次の男に恋すればよかった! いい男を捕まえたら不景気もなくなって誰も困ることはなかった! 恋愛に生きる女の子ならそうすべきだったのよーっ!」


 ベルイエは目眩でも起こしたようにふらついた。ルデーナの言葉が受け止めきれない様子だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください……何を言っているんですか……? 失恋したばかりですぐに新しい恋だなんて、できるわけがないじゃないですか……!」

「普通なら無理ね。でも、『友達』ならできるはずよ」

「どうしてそんなことが断言できるんですか……?」

「だって『友達』って、婚約相手から全然相手にされなかったのに自分だけ好きです好きです~、どんなに嫌われても愛し続けるわたしは悲劇のヒロインなんです~……なんてやってたんでしょ? そんなの、恋に酔ってるだけのただの思い込みよ。本当に相手を愛しているなら、嫌われているってことを真剣に受け止めて、自分を変えるなり身体を差し出すなりなんなりしてるはずよ。独りよがりのハンパな気持ちなら、次に切り替えるのも簡単なことでしょ?」


 伯爵令嬢カヌセーラが恋に生きたことは正しいと主張する。そして聞く者が不満を持ち始めたところで、最後にガツンとダメ出しする。これはそういうネタだった。以前、一度だけ女友達相手に言ったらわりと受けた。でも毒が強すぎて、今まで使用を控えていた秘蔵のネタだった。

 

 ここまで悪しざまに言えば、ベルイエだって自分のことを伯爵令嬢カヌセーラと重ね合わせたりしなくなるだろう。

 ルデーナとしては善意でこのネタを披露したつもりだ。しかし実際には少なからず悪意もあった。伯爵令嬢カヌセーラの肩を持つベルイエのことは、やっぱり気に入らないところがあったのだ。

 

 このネタは予想外の効果を発揮した。

 ベルイエはまるで雷に打たれたみたいに膝を落とすと、石畳に両手をついてがっくりとうなだれた。

 

「そんな……そんな……え……? でも言われてみてもそんな感じも……いやいやそんなまさか……」


 なにやらぶつぶつと自問自答している。確かにネタは刺さった。だがちょっと刺さりすぎたらしい。

 ルデーナは失敗を悟った。調子に乗ってやりすぎた。どうやらベルイエの抱える問題は、想像以上に伯爵令嬢カヌセーラのそれに近いものだったらしい。まるで自分がこき下ろされたかのように落ち込んでいる。

 

「ちょっとちょっと、ベルイエ! 今のは冗談! 冗談だから! あんまり真に受けないで!」

「いやでも……思い当たることはあります……わたしは本当は、恋に恋していただけで、あの方を愛してなんていなかった……? あれ? 本当にそんな気がしてきた……そもそもわたしはあの方のどこが好きだったの……?」

「ああもう! 内にこもらないで! もどってきてー!」


 ルデーナは呼びかけたが、ベルイエはそれが聞こえないかのようにしばらくぶつぶつと独り言をつぶやき続けた。




 あの後。ベルイエがようやく我に返ると、ルデーナはとにかく謝った。

 そして酷いネタを披露したお詫びに、恋のアドバイスをくれる人を紹介することにした。

 ベルイエは最初は自分の恋について否定した。当人としては隠せているつもりのようだった。でも、「内気で口下手な女の子にとてもいいアドバイスをしてくれる女性を紹介する」と言ったら、食いついてきた。

 

「……いらっしゃい」


 そうしてやってきた家の戸を叩くと、20歳ほどの美しい女性に迎えらえた。

 肩まで届くしっとりとした黒髪。冷めた薄紫の瞳。目鼻立ちは整っているが、その顔に表情と言えるものはない。なんだかぼーっとしているように見えて、何を考えているのかわからない。

 身に着けているのはブラウスとスカートという飾り気のないものだ。身体のラインが出る服ではないのに、その胸の豊かさときゅっと締まったウエストのくびれが窺える。

 その顔に表情はなく、その服装は質素なものなのに、確かな大人の色香がある。不思議な雰囲気の女性だった。

 二人は女性に促されるまま家に入ると、居間のテーブルに着いた。


「あの……こちらの方は?」


 ベルイエは、ひどく落ち着かない様子で問いかけた。

 そんな彼女の緊張をほぐすように、ルデーナは勢いよく女性の紹介を始めた。


「この人はレティシェーナさん! お店では四天王の一人と言われている実力者よ!」

「……ふっふっふ。私は四天王の中でも最弱。あんまり緊張しなくていい」


 ルデーナの勢いのある言葉に、黒髪の女性――レティシェーナはのどこか妙な合いの手を入れる。

 ベルイエはかえってよくわからなくなったようで、目をぱちぱちさせて戸惑った。

 

「あの、ルデーナ? お店っていったい……?」

「えーとね。男の人を喜ばせる夜のお店、みたいな感じかな?」

「夜のお店!?」

「ああ、そんなにいかがわしくはないのよ? 男の人に隣に座ってお酒を注いであげたりお話とかしたりするだけ。私はただの下働きだけど、レティシェーナさんは違うわ。お店でもトップレベルの人気のお姉さんなのよ!」


 ルデーナの言葉を受け、レティシェーナは得意げに胸を張った。しかしその顔は無表情のままだった。


「……健全な接客業。おさわりおっけー。ぽろりもあるよ」

「あのお店でポロリはダメでしたよね!?」

「おさわりはいいんですか……!?」


 無表情のままボケるレティシェーナにツッコミを入れうルデーナ。そしてベルイエはごくりとつばを飲み込むのだった。




「……それで、今日のご用件は?」

 

 紅茶が振る舞われ、お互いに自己紹介を終えた。それで一段落ついたころ、レティシェーナがそう切り出した。

 

「レティシェーナさんはそんなにしゃべらない方なのに大人気じゃないですか? この子もちょっと内気でおしゃべりが苦手で、それで恋に悩んでいるみたいなんです。どうか男の人の心をつかむ秘訣を教えてあげてください!」

「よ、よろしくお願いします」

「……よろしい。極意を伝授してしんぜよう」


 二人して頼み込むと、レティシェーナはこくりとうなずいた。

 レティシェーナはじっとベルイエの顔を覗き込むと、質問を始めた。


「……あなたも、お話が苦手なの?」

「は、はい。あまりしゃべるのは得意ではありません……」

「……無口なのはむしろ武器。男の人は自慢話が大好き。無理にしゃべらない方がいい。でもそれだけじゃダメ。相手の目を見て聞くのが大事。うなずいたりするのも重要」

「でもわたし、人と目を合わせるのが苦手で……」

「……それなら鼻か口を見る。とにかく相手の方を見ることが大事」

「な、なるほど……!」


 ベルイエは懐からメモ帳を取り柄だすと、レティシェーナの言葉を書き留めた。

 ちらりと覗き込むと、メモ帳にはすでにたくさん文字が書かれていた。どうやら『友達の友達のいとこの友達』についての聞いたことをいちいち記録しているようだ。ずいぶんとマメなことだと、ルデーナは嘆息した。

 

「……笑顔は、できる?」

「笑うのは……苦手、です」

「……笑顔は、こうやるの」


 そう言ってレティシェーナは微笑んだ。

 無表情な彼女が今日初めて見せた表情だった。ほんの少し口元を笑みの形にしただけ。それなのに、その笑顔はやわらかで、温かで、かわいくて……見ているだけで心がほっとするような笑みだった。

 ルデーナとベルイエは揃って息を呑んで目を奪われた。

 しばらくして、レティシェーナが無表情に戻った。すると二人はようやく我に返った。顔が紅潮していた。心臓がドキドキしていた。

 ベルイエは興奮が抑えきれないと言った様子で、勢い込んでレティシェーナに問いかけた。

 

 

「ど、どうやったらそんな笑顔ができるんですかっ……!?」

「……鏡を見て毎日練習。形だけなら誰でもできる。でも、一番大事なのは、気持ち」

「気持ち? それであんなに素敵な笑顔ができるんですか?」

「……笑顔は顔じゃなくて全身でするもの。身体中の気持ちをぜんぶ笑顔に込めるの。そうすれば、いい笑顔になる」

「全身でする、笑顔……」

「……あなたが相手のことを本当に愛しているのなら、笑顔は最強最後の必殺技になる。保証する」


 ベルイエは瞳を輝かせた。レティシェーナの教えは彼女にとって、だいぶ役立ったようだ。

 さきほどベルイエのことを調子にのって傷つけてしまった。これで少しはその穴埋めができたようだと思い、ルデーナはホッと息を吐いた。

 

 いつもなんだかぼーっとしていて、それなのにお客には人気がある。男の人は胸が大きければ何でもいいのか、なんて思っていた。とんでもない思い違いだった。ルデーナはすっかり感心してしまった。


「すごいですね! その笑顔でお店の四天王まで上り詰めたんですか?」

「……そう。笑顔はとっても大事」

「気持ちを込める笑顔……じゃあレティシェーナさんは、常連のお客さんのことみんな大好きなんですか?」

「……私、お金が大好き」

「え?」

「……だから金払いのいいちゃんとしたお客さんなら好きになれる」

「あ、そういうことですか……」


 レティシェーナは思ったよりしっかりとした女性だった。そしてプロだった。

 



 レティシェーナの家を出ると、もう日が落ちかけていた。夕日に照らされ、町は赤く染まっていた。夜の帳が訪れるまでそう時間はなさそうだった。

 ベルイエが慌てだした。


「ああ、わたし、そろそろ帰らないといけません!」

「そうね、あたしも家に帰らないと。じゃあ今日はこれでお開きね」

「ありがとうございます! 今日はとっても勉強になりました! 学んだことは決して忘れません!」


 ベルイエはルデーナの両手をぎゅっと握り、何度もお礼を言った。

 この家に入るまではどこか薄暗くて辛気臭い女の子だと思っていた。でも今のベルイエはやる気に満ちていて、じめじめした感じがまるでなくなっていた。

 なにやら恋愛の悩みを抱えているようだったが、これなら大丈夫かもしれない。


「それでは、さようなら!」


 そう言ってベルイエは急ぎ足で家路についた。ぱたぱたと手を振って見送っていると、不意に彼女は振り返った。


「今は苦しいかもしれませんが、これからきっとよくなります! だからルデーナも、頑張ってください!」


 ベルイエは笑っていた。その笑顔は、ドキリとするほどかわいらしかった。早くもレティシェーナの教えを実践し始めたようだ。

 そして今度こそ、ベルイエは去っていった。


「頑張って、か……」


 ふと漏らした声には不安の響きがあった。

 将来のことを考えると気持ちが暗くなる。この伯爵領の不況はいつまで続くかわからない。

 仕事だって大変だ。今は下働きだが、もう少し大きくなったらホステスとして接客もやらなくてはならなくなる。そうなることを前提に雇われたのだ。

 レティシェーナを始め、店の人たちは優しくしてくれる。夜の店と言ってもそこまでいかがわしくはないし、普通の仕事より給金はいい。

 でも不安定な世の中だ。乱暴な客がやってくることも少なくない。店には頼もしい用心棒がいるが、それでも危険が完全になくなるというわけでもない。そもそも自分はあんまりかわいくない。客がつかないかもしれない。不安になることはたくさんある。

 でも、あの気弱なベルイエがあんなにいい笑顔を見せてくれた。頑張ってと言われてしまった。


「負けてらんないわね……!」


 そうつぶやき、ぎゅっとこぶしを握ると、ルデーナは歩き出した。




 数年後。下降していたマーチタスカ伯爵領の景気は急速に上向いた。

 そのきっかけは伯爵令嬢カヌセーラ・マーチタスカが、侯爵子息シーオラド・レーストラトンと結婚したことだ。

 レーストラトン侯爵家の第三子シーオラドは冷淡な女嫌いとして知られていた。しかし伯爵令嬢カヌセーラと出会ってから、彼は変わった。内気で暗いと言われていたカヌセーラが、彼の心を射止めたのだ。

 シーオラドは自分の意志で下位の貴族の家に婿入りした。彼の急変ぶりは一時期社交界を騒がせたものだ。

 結婚後も夫婦は仲睦まじく過ごしたという。冷淡な貴族子息と噂されていたシーオラドは今では愛妻家として知られるようになった。彼に妻について訊ねると、いつもこんな風に語る。

 

「彼女は普段はあまり表情を見せない。でも、時折見せる笑顔が素晴らしいんだ。まるで冬の曇り空の隙間から差した陽の光みたいに温かで、優しくて、かわいらしくて……私はあの笑顔に、心の氷を融かされたんだ」


 その仲睦まじさは貴族社会でも有名だった。

 侯爵家とのつながりは貴族社会において極めて強力な追い風となる。それに加えてシーオラドは侯爵家の血筋に相応しい能力を備えていた。彼はその家柄と才覚で、瞬く間に傾きかけていた伯爵領を立て直した。

 

 そんな順風満帆な伯爵夫妻だったが、ちょっとしたトラブルに見舞われたことがあった。

 ある日、王家主催のパーティーが開催された。その席で、カヌセーラは元婚約者のアルガナートと出会った。

 型通りの挨拶をした後。カヌセーラはアルガナートに対し、微笑みかけた。するとアルガナートは突如として顔を紅潮させ唸り声をあげると、彼女の胸ぐらを乱暴につかんだ。

 すぐさま夫のシーオラドが割って入り彼女を守った。護衛の騎士も迅速に動き、たちまちアルガナートを拘束した。

 カヌセーラは傷一つ負うことはなかった。それでも女性の胸ぐらをつかむなど、貴族にあるまじき不作法だ。

 突然の凶行に至った理由を尋ねる騎士に対し、アルガナートはこう叫んだ。


「あの女はこの私を見下して嘲笑った! あんな侮辱を受けてじっとしていられるものか!」


 彼はそう主張したが、誰の同意も得られなかった。事情聴取を受けた参席者の誰もが口をそろえてこう言った。

 

 カヌセーラはただ淑女らしく、上品に微笑んだだけだ、と。

 

 この一件は結局、アルガナートの一時的な精神錯乱ということで片付けられた。カヌセーラが被害を訴えなかったため、罪に問われることはなかった。

 愛妻家のシーオラドは収まりがつかないようだったが、あまり大事にすればかえって彼女を傷つけると思い、しぶしぶ矛を収めた。

 裁判にならなかった。シーオラドも妻を気遣い、この時のことには触れないようにした。

 だから、あの時。カヌセーラが淑女の笑みにどんな想いを込めたのか。当人以外、それを知ることはなかった。


 それまでその才覚で隆盛を誇ったアルガナートだったが、この不祥事をきっかけにすっかり勢いを削がれた。家が衰退するには至らなかったが、貴族社会でその名が出ることはほとんどなくなった。




 かつては不況に見舞われたマーチタスカ伯爵領はすっかり持ち直し、前以上の発展を遂げていた。

 マーチタスカ伯爵は良き妻カヌセーラに支えられ、様々な施策を打ち出した。どれも領民の暮らしを考えた上で領地の発展につながるものばかりだった。伯爵夫妻は領民たちから絶大な支持を得るようになった。

 

 そんな伯爵領で、ある時から妙な噂が立つようになった。カヌセーラは姿を変える魔道具を持っており、平民の娘に扮して領民の声を集めていると言うのだ。


 その噂のひとつに、こんなものがある。

 

 時折、夜のお店の近くに赤毛の女性が現れる。その女性は物静かで表情に乏しいが大変な聞き上手で、彼女に尋ねられれば誰もが快く、様々なことを話してしまう。あまり表情を顔に表すことはないが、時折見せる笑顔は優しく温かで、誰もが心を解きほぐされる。そういうこところが伯爵夫人そっくりで、その女性こそが伯爵夫人のお忍びの姿に違いない、という噂だ。

 

 領民の暮らしを深く理解した領地経営をする伯爵夫妻だから、似たような噂はこの伯爵領でいくつも飛び交っていた。

 だからその赤毛の女性が伯爵夫人だなんて、本気で信じる者はいなかった。



終わり

ひとつ前に書いた作品「婚約破棄を望む妹と婚約破棄に憤る姉のお話」では婚約破棄で被害を受ける貴族について書きました。

でも被害を書くなら領民サイドの方がより効果的なのでは? なんてことを思いつきました。


それが成り立つよう設定やキャラを詰めていったらこういうお話になりました。

婚約破棄された令嬢に対してこれだけ言いたい放題なのは初めてで、書いててなんだか新鮮でした。


2025/6/28、7/11

 誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもあちこち修正しました。

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面白かったです。 カヌセーラはきっとルデーナとルティシェーナを人生の師匠と崇めているでしょう笑 平民たちはカヌセーラだけを不満の吐口にしていましたが、そもそもはカヌセーラのご両親の立ち回りがいけない…
婚約破棄が無ければ怒らなかった生活苦もあれば、そもそも自分達の責任で背負っていた生活苦もあるでしょう。拍車がかかったきっかけとしてわかりやすく、また会う事もないお貴族様だから、好き勝手に全ての生活苦の…
アホな恋愛脳女のせいで身売りさせられたアーペラお姉さんかわいそうに 自分は幸せになれて良かったですね
感想一覧
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