特別編『人気アイドル雀士 ―二つの道と、一つの名前と―』
――GRT48本部ビル、控室。
壁にかかった時計の針が22時を指す頃。
メイクを落とし、トレーナー姿に戻った安川知恵は、鏡の前で深く息を吐いた。
「今日も、半分だけだったな……」
“半分だけ”――それは、ステージの半分にしか集中できない自分への皮肉。
もう一つの心は、どうしても“牌”の上にあった。
「知恵ちゃーん、夜ごはん一緒に食べようって!みんな集まってるよー!」
扉の向こうから明るく声をかけてきたのは、同期の高橋美波。
その後ろからひょこっと顔を出したのは、“餃子娘”こと十松絵梨花だった。
「ねえ知恵、また今日もソロの練習してたでしょ?プロ試験の前だからって無理しすぎじゃない?」
「……無理してるつもりはないけど、でも麻雀も本気でやってるから」
そう答えた知恵の声には、確固たる意志がにじんでいた。
だが、それを心から理解してくれるメンバーは、当時多くはなかった。
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その日、ファンサイトにはこんなコメントが並んでいた。
「あの子、最近ステージの熱量が薄くない?」
「GRT48でプロ雀士って……片手間にアイドルやられても困る」
「総選挙ランク外は妥当。票を舐めるなって感じ」
知恵のスマートフォンに届く通知。
それを見た後、そっと画面を伏せた。
握った拳が、少しだけ震えていた。
(わかってる。中途半端って言われるのは、私の責任だ……でも)
それでも、牌の音が心に響くのだ。
誰かのためではなく、自分が信じる道で、勝負がしたい。
“アイドルであること”と“雀士であること”は、二つの道ではない。
どちらも“自分の名前”で闘う、同じ一つの人生だ。
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そんなある日。
ステージ袖で知恵は、一人の女性と目が合った。
――山本彩香。
グループの象徴、“伝説の0(ゼロ)”。
センターとして、女優として、誰もが一度は追いかけた背中。
「知恵ちゃん、ちょっといい?」
控室でふたりきりになったとき、彩香は柔らかな声で話し始めた。
「あなた、いま、すごく大事な時期なんだと思う。自分を信じたくても、誰にも信じてもらえないって、すごく苦しいよね。でも……」
静かに知恵の手を取って、そっと重ねた。
「“迷いながらでも立ち続ける人”は、ステージでも卓でも、一番強いの。
大丈夫。あなたが選んだ道は、ちゃんと誰かを照らしてるよ。
だから、“人気アイドル雀士”って呼ばれるその名前、胸張っていいのよ」
一瞬、泣きそうになった。
「……ありがとうございます、彩香さん」
「ふふ、それにね。私は知ってるよ。あなた、どっちの道でも勝てる子だって」
笑うと、彩香は控えめにお腹をさすった。
「今ね……私、赤ちゃんがいるの。まだ誰にも言ってないけど。
ステージにも、ドラマにも、しばらく出られない。でも、私は今、すごく幸せ」
「……え?」
「だからね、知恵ちゃん。『自分にしかできないこと』を大事にしなさい。
“勝負”はステージでも卓でも同じ。最後に笑った人が、勝ちなんだから」
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それからの日々――
知恵は変わった。
ファンの前では、しっかりとパフォーマンス。
卓上では、冷静で鋭い打牌。
そして総選挙では――前年ランク外から一気に14位まで躍進。
MCでのスピーチは短く、でも力強かった。
「アイドルと雀士、どっちも全力でやってきました。
どっちも本気じゃなきゃ、どっちも傷つけると思ったからです。
私は、両方やってよかったって、いま胸を張って言えます」
その言葉に、客席の最前列。
涙を拭いながら拍手していたのは――彩香だった。
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そして現在。
妹・理恵のマネージャーとして、再び芸能の現場に立つ知恵。
プロ雀士としても、A級リーグでの実績を積み重ねる日々。
あの時の批判も、苦しさも、全てが今の“知恵”を作ったのだ。
鏡の前でリップを引きながら、彼女はつぶやいた。
「麻雀も、アイドルも――私の名前なんだよね。安川知恵っていう、“名前”そのものが」
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今夜もまた、牌の音が静かに響く。
そして、次の世代の“誰か”のために、彼女はまた卓に立ち、ステージに立つのだ。
その背中に、“迷い”はもうなかった――。