第3話「開局 ― 最初の一打」
東京都内某所、新進棋士奨励会会館・特別対局室。
そこは、卓の上にしか“言葉”が存在しない世界だった。
雀卓の上に並ぶ136枚の牌。
選ばれし者だけが、言葉ではなく“打牌”で想いを語る場所。
安川知恵は、その対局室の中央に静かに座っていた。
真正面に座るのは――守屋一真。
右隣には、すでに注目の若手と呼ばれる男子高校生雀士。
左隣には、プロ入りを目前とする女性研究生。
いずれも奨励杯に全てを懸ける“今”の雀士たち。
そして知恵は、かつてそこにいた“元”アイドル雀士。
開始を告げるブザーが静かに鳴った。
「……東一局、親は守屋選手。配牌を始めてください」
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配られた牌を確認した瞬間、知恵は静かに息を呑んだ。
悪くはない。いや――むしろ良すぎる。
東一局から、配牌が異様に整っていた。
(……この配牌、出来すぎてる)
戸惑う一方で、卓の向こうに座る守屋は一切の表情を変えない。
“ツモ、ドラ”
守屋が発したのは、機械のように正確な手。
一方で、右の若手雀士は緊張で汗をにじませ、左の女性は唇を噛んでいる。
その“微かな動揺”を読み取りながら、知恵の手が動く。
――打九筒。
静かで、揺るぎない“最初の一打”。
だが、その瞬間だった。
坂上瑠衣が対局室の外の観覧ブースからモニターを睨みつけ、口元を歪めた。
「……やっぱり、“何か”がある」
知恵が気づいた違和感。それは彼女だけではなかった。
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東一局は、守屋の“満貫ツモ”で終了。
驚くべき精度と速度。
だが、知恵はすぐに気づく。
(守屋……いつからそんな“型”で打つようになったの?)
彼の昔の打ち筋はもっと緩急があった。読みで相手を崩し、時に引くスタイル。
今の守屋は――明らかに“計算されすぎている”。
その時、対局室の隅で、スタッフがひとり、小さく何かの装置を手にして動いた。
知恵の視線が、そこを鋭く捕らえる。
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東二局。
知恵の親番。
(今の私の打ち筋で、この配牌――)
彼女の手に渡った配牌は、予想通りの“整いすぎた形”。
だが知恵は、それを一つずつ崩し始めた。
「……」
周囲が息を飲む。
知恵は、**“勝つための手”ではなく、“違和感を証明する打ち筋”**を選んだのだ。
――勝利よりも、“真実”を取る。
それが、彼女が再び卓に戻った本当の理由だった。
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「やっぱりお姉ちゃん……見てる場所が違う」
モニター越しに理恵がつぶやいた。
その目に映っていたのは、かつてステージで輝いていた“アイドル”ではない。
“勝負師”としての顔を取り戻した安川知恵だった。
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奨励杯――その裏に潜む“不自然な配牌”と“操作の痕跡”。
それにいち早く気づいた知恵と坂上瑠衣。
守屋一真の沈黙の中にある「忠誠」なのか「共謀」なのか。
すべての謎は、次の局に続いていく。