6 手紙と前夜①
「どうなっているんだ!」
怒ったような声。
いつもは優しい執事が、メイドたちが、険しい顔で忙しなく動き回っている。
ただならぬ大人たちの様子に、私は思わず通りがかったメイドの服を引っ張る。
「ねえ、どうしたの? なにがあったの?」
ハッとして私の顔を見下ろした彼女は、震える腕で私を抱きしめた。
「お、お嬢様……。ああ……」
「どうしたの?」
おくさま、とか、ししゃく(これはお父さまのことだって、お兄さまが言ってた!)とかいう言葉が聞こえてきていたので、もしかしたら、ふたりのお出かけ中に何かあったのかな? 幼い私は思考を巡らせて、メイドに耳打ちした。
「ねえ、おかあさまとおとうさまは? きょうは早くかえってくるって、言ったのに……」
私を見つめ、言葉を詰まらせるメイドの様子に、次第に心臓が嫌な動悸を刻み出す。執事が私に気づき、彼女に私を部屋に戻すように指示する。
メイドに抱き抱えられたとき、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「執事長! 旦那様と奥様が__!」
見慣れない服の知らない人が、その場の大人たちに何かいっしょうけんめい話しかけている。
みんなその場で立ったまま、時々びっくりしたり、何か苦しそうな声を出したりして、私にも何かよくない話なのだと察しがついた。
ねえ、何があったの?
そうメイドの腕を引こうとするが、彼女は私を抱いたまま崩れ落ちる。
メイドの腕の隙間から、蒼白のお兄様の顔が見えた。
開いた扉の隙間から、大広間の掛け時計の音が響く。暗く重い、夜の鐘の音が。
***
カーン、カーンと力強い鐘の音。
薄っすらと瞼を開けるとあまりに眩しい。毛布に潜り込む。
……起床の鐘が鳴っている。
唸りながらベッドの上を転がる。
いつも通りの景色、寮の自室だ。
重い瞼を擦り擦り、カーテンを開けると、抜けるような青空が広がっている。
普段より外が騒がしいのは、試験に向けて朝から練習をしている生徒がいるからだろう。窓にもたれて息をつく。
何か、悪い夢を見た気がする。内容は覚えていない。でも見当はつく。
メイリアの見る悪夢はレパートリーが少ないからだ。
たいていは、試験で酷い点数を取るか、自領の牧場で飼われている牧羊犬に追い掛け回されるか。
でも、澱が溜まったように胸が詰まるなら。
それは、幼いあの日の夢だ。
ぼーっと窓際で日に当たってしばらく。
「メイリアさん? 起きている?」
自室の扉を小鳥が小突くような軽やかさでノックされる。寮長のシオルだ。
「起きてます、寮長。おはようございます」
「おはよう」
髪を慌てて撫でつけて、扉を少し開ける。にっこりと微笑んだ背の低い少女が、白い手紙を差し出している。学園の封蝋がされている。
「これは?」
「本日の試験の概要書とのことですよ」
「へえ……? 何が書いてあるんだろう……?」
「読んでみたら分かるわ」
「あ、そうですよね。ありがとうございます、寮長。……えーっと、一人一人の部屋を回ってるんですか?」
メイリアが寝起きでぼんやりしていたのがバレたのか、シオルは手紙を彼女の手元に押し付けた。急いでいるようだ。
「ええ。まだ起きてこない方のお部屋を。大事な試験に遅刻されてはまずいので」
「なるほど。お疲れ様です……」
「……いいえ、私の役目なので」
シオルは、爽やかに口角を上げて会釈した。では失礼、と立ち去った彼女の後姿を見届けて、扉を閉める。そのまま背を向け、メイリアは扉に寄り掛かった。
寮長は大変だ、私なら試験の朝こそぼーっと過ごしたいのに。
それにしても、試験概要がこんな形で渡されたのは初めてだ。というか、試験の内容は決まっているはずなのに、何をいまさら説明するのだろうか。
やや嫌な予感を抱きつつ、手紙を開く。
実技試験の概要。概ね事前に聞いていた話と同じだ。一か所を除いて。
「合同訓練?」
2年生と4年生のペアで組み、実践力と協調性を測る。今年初めて行われる形式の試験だという。
メイリアの視線は手紙の一点に吸い寄せられた。
メイリアのペアとして指定された相手だ。
口がポカンと空く。うそでしょ、とかすれた声が口から転がり落ちる。
レヴィン・ロワイホース。
流れるような筆跡、ブルーのインク。
学園の有名人の名前を指でなぞり、メイリアは天を仰いだ。
面倒くさいことになった。
もしかして本当に呪われているかしら?
真剣に、神殿で邪気払いしてもらった方がいい気がしてきたメイリアだ。