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野生の魔女



 長い冬を越え、オルキ諸島にようやくの春が訪れた。

 標高数百メータのなだらかな山々だけが雪化粧をまとう中、麓では一斉に草木の芽吹きが始まる。


「海もすっかり穏やかになった。もう氷が張る事もないし」


「アザラシが浜辺で日光浴しているくらいだ、3月か、4月くらいになったんだろう」


 漂流の間、フューサーとケヴィンは日にちの感覚を失った。今が正確に何月何日か、この島では知る術がない。


「さーて、イングス! 畑を耕しに……って、あれ?」


「イングスなら釣りに行ったぞ、ほら」


 家の扉の横に「下の浜辺におります」と書かれた木板がある。時々その浜辺の部分が「畑」に変えられたりもする。書き置きのつもりだろう。


「あいつ、ずいぶんと自分で判断して行動できるようになったよな」


「島長が魚を食べたいと言っても、以前ならふーん、そうなんだねで済ませていたのに」


「今じゃ、釣って来て差し出すんだからな。煮る、焼くの指示は必要だけど」


 イングスはあれこれ細かく指示しなくてもよく動く。

 以前はオルキの指示に限ってそうだったものが、今ではフューサーが服を作れば勝手に着るようになった。石灰石を掘り出した後、その場に放置せずに集落まで運んでくる。


 道具も機械も使い手の癖が表れる。イングスも学習の過程で2人と1匹の行動が反映されるようになってきた。


「話していればほら、帰ってきた」


 今日の霧はいつもより濃く、牧草の緑が地面から次第に白へと変わっていく。

 目に頼るのを諦め砂利を踏む音に耳を澄ましていると、浜辺までの道からイングスが戻ってきた。片手に釣竿を持ち、いつもの穏やかな表情を浮かべ、2人の前に立つ。


「よう、イングス」


「うん、僕だね」


「釣れたか? あれ、魚は」


「誰か連れてきて欲しいって、言われた」


「誰に?」


「っつっても、この島には2人しかいないだろ」


 となれば、残るのはオルキだけだ。


「島長が呼んでいるのか? 島長は? オルキさん!」


「……なんだ、まだ寒いというのに」


 オルキが気怠そうに家から出てくる。


「何か御用でしょうか」


「ん? 何を言っておる、貴様が吾輩を呼んだくせに」


 イングスは海から戻ってきた。そしてフューサーとケヴィンの2人はここにいる。


 では、イングスは誰に言われて戻ってきたのか。まさか浜で寝転ぶアザラシに呼ばれた訳ではないだろう。


「誰に呼ばれたんだい」


「野生の人間」


「……えっ?」


 野生の人間。2人はイングスが知らない誰かが島にやってきたのだと理解した。


「俺達以外に、人がいたのか」


「人形じゃなければ、人だと思うよ」


 2人と1匹は顔を見合わせる。イングスに案内を頼み、全員が海へと続く道を急いだ。






 * * * * * * * * *






 オルキ達がイングスに連れられてやってきたのは、建設途中の港だった。

 地図で下の方だから「下の浜辺」と書いたようだ。

 フューサーとケヴィンが漂着した場所であり、潮流の関係で小舟でも辿り着きやすいと判断した場所でもある。


「えっ……と、どちら様?」


 目の前にいたのは1人の女だった。


 白金の髪、青い目、凍えて白い肌。小顔で美人。およそこの場に似つかわしくない。

 フューサーとケヴィンが乗ってきたような小舟が桟橋に繋がれている。


「ソフィア・ウェッジウッドと言います、あの、言葉分かります? えっと……ここは?」


「ヒーゴ島だ、この一帯をオルキ諸島という」


 ソフィアは驚きを見せた後、ぐっと押し黙った。それぞれが何事かと見守っていると、急にくるりと振り返り、海に向かって叫びだした。


「ほらあたしが言った通りやん! 島があるっち言うたやろが!」


「あ、あの……」


「何が魔女かちゃ馬鹿たれが! 人の話を聞きもせんで!」


 言葉が通じると安堵したのも束の間、2人には聞きなじみのない言葉が次から次へと飛び出てくる。


「あの、ソフィアさん?」


「漂流で頭でもいかれたか」


「はあ? 何? あたしは正気やけど!」


「えっと、こんな島にやってきた理由、詳しく聞いてもいいかな」


 黙っていれば金髪の美女と言って差し支えない容姿だが、元軍人の2人もタジタジだ。


 そんな時に役立つのがイングスである。


「ソフィア・ウェッジウッド、僕はちゃんと呼んできたよ」


「ん? あ、ああ、有難うね。ごめんなさい、あまりにも腹が立って……えっと、フルネーム呼びはやめちゃらん?」


「はーい。フルネームで呼ぶとお腹が立つんだね、座っていいよ」


「ん? あーもしかして言葉通じとらん? どげんしよ、あたし共通語圏やないんよね……」


「えっと、俺達を呼んだって事は、この島に用事があって来たんだよな」


「ひとまず集落まで来るかい」


 何かがあった事は明らかだ。ソフィアは落ち着きを見せると礼儀正しく謝り、頭を下げる。


 作りかけとはいえ整備されたコンクリートの港、出迎えたのは大陸と変わらない服の若者達。整備された道路。


 文明とは無縁の自給自足の島を想像していたソフィアは、提案を受け入れ、荷物を小舟から運び出した。





 * * * * * * * * *





「ユラン大陸の出身なのか」


「ええ。ギタンギュ語だと分かり辛いかな、ズシム語も分かるけど、そんなに流暢には喋りきらんの……は、話せないの」


「俺達はズシム語しか分からねえんだ。どこに行ってもズシム語はだいたい通用するから、逆に他の言葉を覚えてなくて」


「それで、どうしてまたこの島に? 1人で船を漕いで目指す場所でもないだろう」


 粗末ながらもしっかり建った家の中に招かれ、温かいスープを出された時、ソフィアはようやく笑顔を見せた。


 それからソフィアはこれまでの境遇と、この島にたどり着いた理由を話し始めた。


「あたし達が住んどった町はユラン大陸の南西。内陸に逃げる道が戦争で寸断されとるから、海を使うしかなかった。そいで西側の航路で最終的にユラン大陸の東端に回り込もうっちことで、難民船に乗ったんやけど」


「えっと、船が遭難して、小舟で脱出したらこの島にたどり着いたってとこか」


「俺達と一緒だな」


 主要な港と港を結ぶ客船や貨物船ばかりだった頃に比べ、難民船などのイレギュラーな船が多くなっている。

 普段なら掠りもしない場所にあるオルキ諸島も、人が到達する可能性は高くなっているのかもしれない。


 ケヴィンが俺達も……と言いかけた時、ソフィアがまた鋭い目つきで顔を上げた。


「違うと! 暴風と荒波で、でたん南東に流されたのは確かやけど、別に遭難とかしとらんと!」


「めちゃくちゃギタンギュ語じゃねえか。でたんって何」


「えっと、じゃあなんでソフィア……さんは小舟でここまで」


「ああ、でたんっち、ズシム語ならとてもっち意味になるんかな? それでね、夜に光が見えたんよ。北東に光が見えるっちあたしが言うたんよ!」


 ヒーゴ島の東端、集落の岬にある突端には、最近完成した低い灯台がある。

 夜だけ牛脂を使ったランプの光を古い虫眼鏡で集め、鏡のついた羽を風で回し、光を反射させているものだ。


 その光を視認できたという事は、数十キロメータと離れていない位置に船があったのかもしれない。

 漆黒の闇の中、はるか遠くの島影までは見えなかったのだろう。


「その船は?」


「行った」


「行った?」


「光なんか見えりゃせん、きさん魔女やけん俺達を遭難させようち企てとるんやろ! っち、信じてくれんかったと!」


「きさ……?」


「ああ、ありもしないものをあると言って、遭難させようとしたスパイって事か」


「まあ、そんなとこ。それで、そげん言うんやったら1人で行けっち……追い出された」


 暗い海に女1人を放り出すとは、何ともひどい話だ。皆が恐怖と不安に苛まれる中、目的地以外の場所に向かう勇気はなかったのだろう。


 結果、ソフィアだけがこの島の存在を確かめる事が出来た。


「ユラン大陸の東端も酷い有様って話は聞いているよ。その……俺達は南から来たんだが、俺らの国も激しく戦っているんだ」


「俺達はもう加わる気もないけどね。ソフィアさんとは、敵国同士かもしれない」


「……まあ、そうかもね。でも、この島であたしらが争ったって無意味やん」


「そうだな。俺達はもうオルキ国の国民のつもりだし」


「オルキ国? 聞いたことない」


「この付近の島がそうさ。国の設立は何か月か前」


「あんたも国民になるかい? 見捨てられても小舟で追うってんなら止めはしないけど」

挿絵(By みてみん)

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