chit-chat 01 とある冬のイングス語録
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冬が訪れ、ヒーゴ島とクニガ島の間に厚い氷が張った。
雪深くはないが、困らない程ではない。島々は急峻な斜面まで雪で覆われ、牛や羊は必死に草を掘り起こす。
簡易な牛舎では、秋までに準備した干し草が食べ放題だ。
イングス達は対岸のクニガ島へと渡り、そこでも幾つかの集落跡を発見した。常態の良い農具や衣類、それにもう少し詳しい地図、群島一帯の国名も発見した。
「ドーゼ諸島連邦国……聞いたことがない」
「大陸に住んでいた頃、周辺国の地図はじっくり見ていた。だけどこの位置に島が描かれた地図は見たことがない」
「俺も軍事作戦中にかなり細かな海図を入手したが、島があるという情報はなかった。もしかすると、俺達のようにたまたま漂着して住みついただけかもしれない」
「生活用品を積んだ船が彷徨って辿り着いたなら、文明的な道具があるのも説明が付く」
「対外的に発信したわけでもなく、国を設立したつもりで誰も知らなかったとか」
「滅ぼされたのでもない限り、ドーゼ諸島連邦国はどこの所有でもない。そして、この国だった場所は無人」
いくら考察を述べても、正解を与えてくれる者はいない。
亡骸もなく長年放置されているなら、もう元国民が戻って来る事もないだろう。
そう言って皆は使えそうなものを集めていく。
「ピート小屋の跡があちこちにあるし、寒さには対応出来ていたようだけど」
「俺達もピートの乾燥が間に合わなけりゃどうなっていたか。人がいた頃はどんな暮らしだったんだろうか、去り際に何を思ったのだろう」
「今は野生の集落なんだね」
「……うん?」
暫く散策しているうちに、イングスがふと珍妙な事を言い出した。
「今は野生の集落」
「野生の集落って何だ?」
「人が飼わなくなったから牛が野生化した。野菜も野生化した。集落も野生の集落になった」
「いやいや、野生の集落とは言わない」
「なんで?」
イングスが唐突に変なことを言い出したせいで、皆寒さも忘れてぽかんと口を開ける。
「どうして野生の集落と思ったんだい」
「ケヴィンが僕に教えた。人が作ったり育てたりしたら人工で、人が作らなかったり育てなかったら野生って言った。集落も人が育てなくなったから野生の集落」
「おいケヴィン、教え方が雑過ぎるだろ」
「い、いやあ、井戸水とか家畜の説明をする時にちょっとね……。これから人が移住してきたら、人の物は勝手に使ってはいけないって話をしたんだよ」
「それが何で野生の集落って表現になっちゃうんだよ」
「人形が作ったら人工かって聞かれた時の気持ちを考えたことあるか? 線引きなんかどう説明しろってんだよ」
「野生の人間が来たら野生の集落のままかな」
イングスに理解させる時、そうか、そうでないか、この2択で教えるととんでもない覚え方をする。
ニュアンス、雰囲気、臨機応変……それらが一切通用しないイングスは、野生か人工かの2択で区別するようになってしまったようだ。
「川の水は野生の水だからみんなで使う。野生の雪が降って、野生の海が野生の氷になったからみんな渡れる。野生の海はみんなのもの」
「ほら、変な理解しちゃったじゃねえか」
「どう教えたら良かったんだよ!」
「そりゃあまあ、都度教えるしか」
「そんなに難しい事を考える必要はなかろう」
イングスの服の胸元から、オルキが顔をのぞかせる。
「吾輩がすべて決めてやる、貴様が迷う事などない」
「分かった。オルキが野生か人工か決めるんだね」
イングスの納得にフューサーとケヴィンは不安を覚えるも、良い訂正の言葉が思い浮かばない。
「生き物じゃないと、野生にならないだろう」
「生き物か生きない物か、僕には判断できないよ」
「まあ……人形から見りゃそうなのかもしれないけど」
「オルキは生きていて人が作ってないし、人が育ててもいないから、野生のオルキ」
「吾輩を野良猫のように言うでない。おい貴様ら、イングスの言語学習は任せるぞ」
「えっ、さっき島長がすべて決めてやると……」
「何だ」
「な、何でもありませーん!」
もしオルキとイングスだけだったなら、どんなにか破天荒で頓珍漢な島になっていた事か。ケヴィンが苦笑いし、フューサーがケヴィンに早く答えてやれと急かす。
「この島の大自然ってのと、野生ってのはまたちょっと違ってだな。えっと……」
「自然の島に野生の雪が降り積もった時、誰かが雪かきしたら不自然の島になる?」
「え?」
「自然じゃないものは不自然だよね。この島はちっぽけだから、大自然じゃなくて小不自然な野生の島だね」
使用言語が同じでもこのありさま。もはや野生と自然すら言葉として両立していない。
これがもし言語発祥の地とされる南方大陸系のズシム語ではなく、西洋系のギタンキュ語、温帯大陸系のゼンダ語だったなら、まず会話も成り立たない。
いや、現状でも成り立っているのか怪しいのだが。
「これは僕が触ったからもう自然じゃない雪。小不自然の飼いならされた人工雪」
「ふむ、だがこの島は吾輩の物だ。貴様らの定義で言うと自然の島ではないな。この雪は吾輩の物」
「踏んだらまずかったかな」
「構わぬ、思う存分踏むがよい」
「踏んだらおいしかったんだね」
「ケヴィン」
「何で俺が怒られるんだよ! ったく、教え方が悪かったかな……うーん」
「僕は不自然の人形だけれど、僕を作ったのは神だから人工物じゃない。人工物じゃないものは自然。つまり僕は自然なのに不自然、どういう事だろう」
「島長、任せた! さーてお宝探し再開! っと」
「貴様ら人間が人間の言葉を教えずどうする」
「そ、そんな元も子もない事を」
フューサーとケヴィンは、図らずも自分達がしっかりしなければならない事を自覚した。