魔獣と人間の猿芝居
オルキの言葉に、皆の背筋が凍った。
神を信じ、品行方正に暮らすだけでは救われない。それどころか、神は意図的に人間の世界を掻きまわした可能性もある。
「考えすぎ、じゃねえのか。イングスのように作ろうとして失敗したとか」
「わざわざ魔獣の力を与えたのだぞ。人間を導くつもりがあるなら、人間に恨みがある事を隠そうともしない吾輩の復讐に手を貸さなかったと思うが」
「猫の手を借りるんじゃなくて、猫に手を貸すのかい」
「貴様はいつも吾輩に手を貸しておろう」
「そうだね。いつも返して貰っているね」
ケヴィンの故郷で聞いた、予想外の出来事。それはオルキやイングスだけでなく、人間の行動の根幹をも揺るがしかねないもの。
神は一体、この世界に何を仕込んで去ったのか。本当に見捨てたのか。
「神が本当の事を言っているとは限らないって事でいいんだよな」
「まあ、そうだな」
「神はハッキリと人々を導いて救うって言ったのかい」
更にイングスがその場の空気に追い打ちを掛けた。
「え?」
「神はハッキリと人々を導いて救うって言ったのかい」
「あ、いや同じ事を繰り返して欲しかったんじゃなくて、言われて戸惑った時にえって言ってしまう事があるんだよ」
「そうなんだね」
「……吾輩はそう宣言する姿を見てはおらぬ。なにせ、吾輩は猫であり、人ではなかったからな。あやつが以前に何を喋ろうが、畜生として言葉を理解していたわけではない」
「人間が勝手に崇めた、もしくは神は人間をそう思い込むように仕向けた。そう考えた方がいいのだろうか。いや、そもそも本当に神なのか」
ルダは神を信じておらず、敬虔とは程遠い。神に対し抱いていた疑念は、いくつも神に対する否定的な言葉を生み出していく。
「神だと言っていたけれど、違う名前だったのかい」
「神は神という存在であり名ではないぞ。猫や牛に対し、おい猫、おい牛、と言うようなもの」
「そうなんだね」
「善い存在であるかどうかとは別だろうな。実際、あのヒトガタが神によって作られたなら、人間にとっては害悪だ」
ヒトガタの存在だけでは考察が進まない。とにかくオルキが自身の本来の姿を取り戻し、神の支配に打ち勝つためには、もっとしなければならない事がある。
「このような時に戦争などしている場合ではない。さっさと国家の承認を得て、考えなければならぬ事が山ほどある」
「伯父さん、連合軍がフェインで何をやってるか、色々と教えて欲しい」
ルダに町の状況、国の状況を詳しく聞き、フェイン王国が現在どんな状況にあるかが理解出来た。予想通り、連合軍はフェイン王国を軽く見ており、大した兵力を割いていない。
「この町に駐在するのはたった50人か」
「それでも武器を持っているんだ。銃の類は全ての家を捜索され没収されている。クラクスヴィークに残された武器と言えば、家庭用の包丁くらいしか」
「吾輩など、何も持たずに立ち向かっているのだぞ。数の力でどうにでもなろうに」
「数なんか問題じゃない。皆のために死ねるって奴が何人いるんだって話だよ。先頭を切って戦いだす者から順に殺されるんだぞ」
「む、それはそうだな」
無駄死にしたくないのは誰だってそうだろう。出来れば平和な世の中が訪れた時、生きて迎えたいのが当然だ。
そうなると、戦闘経験がない上に武器も持っていない住民達は、従う以外の方法がない。
「ならば、吾輩に任せてみぬか」
「え、島長?」
「幸い、まだ吾輩とイングスの存在は連合軍に知られておらぬだろう」
「だから?」
「おまけに、吾輩の真の姿を今の今まで誰も見ておらぬ。つまり、仮に吾輩の犯行が外部に漏れたとて、問題はないという事だ」
「いや、問題じゃねえか。応援の兵が押し寄せるだろ」
オルキはため息をつき、全部説明させる気かと愚痴をこぼす。
「勇ましく畏れ多い魔獣が村に下りて来て、その場にいた者を襲いだした。それがたまたま兵士であった。兵士がやり返してくるから吾輩が標的を軍人に定めた。ほら、町の関与を疑う状況か?」
「自分で畏れ多いとか言っちゃうのが余計だな。ん-、でも後からどうせ町の奴らが仕向けたと言い出すんだよ」
「制裁を下す理由になれば、それが真実であろうとなかろうと、どうでもいい。それが連合軍のやり方さ」
「そうか。では、少し芝居をすれば良かろう。すまぬがルダよ、肉の蓄えはあるか」
「肉? あ、ああ、まあ俺1人が数日食べるくらいの乾燥肉なら」
「吾輩に与えよ。礼はこの町の解放という形で返す」
「ほ、本気か?」
オルキは何事もないかのように町の奪還を約束する。しかもその謝礼はたった1kg程度の肉でいいと言う。
「言い方が悪くてすまないが、いくら賢くて人間の言葉も操れるとはいえ、こんな猫の姿で何ができるのか」
「僕を操る事もできるよ」
「え、あ、まあ、それを加えてもどうやって戦うのか」
「時が来れば分かる。ルダ、一番みっともなく、ボロボロで、今すぐ捨てても良い服に着替えろ。ケヴィン、貴様もだ」
「なんで?」
唐突な指名と命令に、伯父と甥の声が揃った。その表情も相まって、2人が親族である事に妙な説得力がある。
「芝居を打つと言ったであろう。イングス、貴様は吾輩が騒動を起こしている間、町の者が誰1人として傷付かないよう守れ」
「はーい」
オルキはケヴィンとルダに作戦を打ち明けた。1時間後、2人は町の中心部のベンチに座り、イングスはその近くで待機。オルキは町を見下ろす小高い山へと向かった。
* * * * * * * * *
「こんなあからさまな茶番、本当に大丈夫なのかね」
「作戦に乗ってしまった事を、今更後悔している。もしも町にとって良くない結果になれば、俺は皆に顔向けできない」
「俺だって知り合いはいるんだぞ。二度とフェインに戻って来れねえ」
ベンチに座った2人の会話は、良い意味で悲壮感が漂い、占領下にある町の風景に溶け込んでいる。これから何が始まるのかを予感させるものは何もない。
活気がなくどこか色の抜けた町。空の雲が流れようが、薄く霧が立ち込めては消えようが、どこからも感情が伺えない。
そこに、突如として女の悲鳴が響いた。
「何だ!?」
「連合軍がまた一般市民を悪戯に……って、何だあれ!」
悲鳴を聞きつけ、我に返ったように小走りになる群衆が、南東から向かってくる黒く巨大なものに気付いて凍り付く。
「あ、あ、あれは何だ!」
ルダもその姿を確認して石のように固まった。ルダはまだ、それがオルキの真の姿だとは気づいていない。
「伯父さん、言われた通りに。あれは島長だよ、オルキさんだ」
「……ば、化け、化け物が」
「伯父さん! しっかりしてくれ、俺達がこの芝居に失敗したら町の運命は尽きるんだぞ」
町のどの建物よりも高い目線。オルキを見下ろすのは、左右にそびえるなだらかな山だけだ。
オルキの背後に、慌てた様子の連合軍が乱れた服装を気にもせず集まって来るのが見えた。
「グルルルル……」
「お、あ……」
オルキは真っすぐにルダを見据えている。周囲の者達はとっくに叫びながら逃げて行った。
遠巻きに様子を伺う者達からすれば、それは巨大な化け物から逃げ遅れた市民が、不憫にも狙いを定められたようにしか見えない構図だ。
「島長を信じてくれ、伯父さん」
ケヴィンがそう告げた途端、オルキの前足がケヴィンをいとも簡単に地面に弾き飛ばした。そして腰が抜けたルダをじっと睨む。
ルダは放心状態。ケヴィンは弾き飛ばされ気を失ったフリ。オルキはルダに前足を乗せ、ほんの少しだけ体重を掛ける。
「撃て!」
その時、オルキの背後から号令と共に銃声が鳴り響いた。銃弾はしっかりとオルキに命中したが、ふっさふさの毛に威力を削がれ、皮膚にも達していない。
「グルルル……」
オルキがゆっくりと振り返り、連合軍の兵士達を睨みつける。
連合軍はやや怯んだように半歩下がりながらも、次の号令でオルキの目に向かって発砲を始めた。




